コンテンツにスキップ

ジャロッド・サルタラマッキア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャロッド・サルタラマッキア
Jarrod Saltalamacchia
ボストン・レッドソックス時代
(2012年5月21日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州パームビーチ郡ウェストパームビーチ
生年月日 (1985-05-02) 1985年5月2日(39歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
235 lb =約106.6 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 捕手
プロ入り 2003年 MLBドラフト1巡目追補(全体36位)でアトランタ・ブレーブスから指名
初出場 2007年5月2日
最終出場 2018年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジャロッド・スコット・サルタラマッキアJarrod Scott Saltalamacchia, 1985年5月2日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州パームビーチ郡ウェストパームビーチ出身の元プロ野球選手捕手)。右投両打。愛称はサルティSalty)。

発音指示によると「サルタラマキーヤ(sal-tuh-la-MAH-kee-yuh)」となっている[注釈 1]

経歴

[編集]

プロ入りとブレーブス時代

[編集]

2003年MLBドラフト1巡目追補(全体36位)でアトランタ・ブレーブスから指名され、プロ入り。契約後、傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ブレーブスでプロデビュー。この年は46試合に出場して打率.239、2本塁打、14打点と平凡な成績で終わった。翌2004年はA級ローム・ブレーブス英語版へ昇格した。91試合で打率.272、10本塁打、51打点の成績を残す。2005年にはA+級マートルビーチ・ペリカンズで129試合に出場して打率.314、19本塁打、81打点の成績を残し、一躍注目を集める。代表にも選出され、11月に行われた北京オリンピック北中米予選では8打数7安打、2本塁打、5打点と大活躍し1位通過に貢献した[1]。ブレーブス傘下のトッププロスペクトに選ばれた2006年はAA級ミシシッピ・ブレーブスでプレーするも、怪我に悩まされ良い成績を残す事はできなかったが、故障者リスト明けに再度代表に選出され、オリンピックアメリカ大陸予選ではオリンピック出場権を獲得した[2]

2007年もAA級ミシシッピで開幕を迎えたが、22試合で打率.309、6本塁打と序盤から好調であった。正捕手ブライアン・マッキャンが怪我をしたため、偶然にも22歳の誕生日である5月2日にメジャーに初昇格する[3]

ブレーブス時代

25試合マスクをかぶったが、マッキャンがいたこととアダム・ラローシュが去った一塁はスコット・ソーマンクレイグ・ウィルソン(5月17日に自由契約)のプラトーンでは打力不足のため、一塁手としても14試合出場する。

レンジャーズ時代

[編集]
テキサス・レンジャーズ時代
(2009年4月25日)

プレーオフ進出の可能性が残っていたブレーブスが一塁の強化のため行ったフラッグシップ・ディールで、7月31日にマーク・テシェイラロン・メイヘイとのトレードで、エルビス・アンドラスネフタリ・フェリスマット・ハリソンボー・ジョーンズと共にテキサス・レンジャーズに移籍[4]。レンジャーズ移籍後は堅守の捕手ジェラルド・レアードがいることもあり、一塁手での出場が24試合と捕手での出場22試合を上回った。

将来的には打力を生かすためのコンバートも考えられたが[5]2008年シーズンはレアードと正捕手の座を争うことになった。

2009年はレアードが移籍したため、正捕手となったが8月15日に右肩の怪我で故障者リストに登録され、84試合の出場にとどまった。

2010年は開幕から2試合に出場しただけで右肩痛を再発し、故障者リスト入りした。4月27日に故障者リストから外れたが、その後はAAA級オクラホマシティ・レッドホークスでの調整が続いた。

レッドソックス時代

[編集]

2010年7月31日にクリス・マッギネス英語版ロマン・メンデスマイケル・トーマスとのトレードで、ボストン・レッドソックスへ移籍したが、右肩の完治には程遠く、わずか10試合の出場に終わった。

2011年は、実質的にジェイソン・バリテックの後継者として正捕手の座を獲得し、103試合に出場。打率.235、16本塁打、56打点を記録して4年ぶりに二桁本塁打を放った。一方、ナックルボールの捕球が上手いとの触れ込みで、ナックルボーラーのティム・ウェイクフィールドの専属捕手も務めたが、リーグワーストとなる26捕逸を喫した。決して捕球が下手ではなかったが、これまでにウェイクフィールドとバッテリーを組んだ専属捕手では圧倒的に捕逸が多かった(それまではダグ・ミラベリの15捕逸が最多)。

2012年は121試合に出場して打率.222、25本塁打、59打点を記録した。打率こそ低下したが、評価の高かったパワーを本格的に発揮した。

2013年は2年連続で121試合に出場した。打率.273、14本塁打、65打点という打撃成績で、3年連続での二桁本塁打クリア、打率と打点で自己記録を更新した。また、規定打席未到達ながら40本の二塁打(リーグ6位)を放ち、打撃面で収穫の多いシーズンを過ごした。オフの10月31日にFAとなった。

マーリンズ時代

[編集]
マイアミ・マーリンズ時代
(2014年5月6日)

2013年12月3日にマイアミ・マーリンズと3年契約を結び、6日に球団が正式発表した[6]

2014年、マーリンズの正捕手格として4年連続100試合以上となる114試合に出場。レッドソックス時代は強打を発揮し、ドラフト1巡目の才能を開花させかけていたが、打率.220・11本塁打・44打点はいずれも、ここ4年で自己ワーストとなる成績だった。また得点・安打・三塁打・盗塁・盗塁死・三振・併殺打・長打率等の成績も2011年以降では自己ワーストであり、大不振に陥った(犠飛5は自己ベスト)。守備も15失策・守備率.981・守備防御点-8・盗塁阻止率19%に終わり、進歩が見られなかった。

2015年、開幕から9試合の出場で29打数2安打と前年に続いて大不振に陥り、4月24日から「パタニティリスト」に入っていたが、27日にDFA、5月5日に自由契約となった[7]

ダイヤモンドバックス時代

[編集]
アリゾナ・ダイヤモンドバックス時代
(2015年6月6日)

2015年5月15日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結び、29日にメジャー契約となってアクティブ・ロースター入りした。オフの11月2日にFAとなった[8]

タイガース時代

[編集]
デトロイト・タイガース時代
(2016年5月12日)

2015年12月6日にデトロイト・タイガースと1年契約を結んだ[9]

2016年、正捕手格の1人として起用されたが、ジェームズ・マッキャンの方がメインだった。92試合に出場し、2年ぶりの二桁となる12本塁打を放って通算100本塁打を達成したが、打率.171・104三振とミート力は例年にも増して粗かった。ディフェンス面では68試合でマスクを被り、3失策守備率.994・DRS -7・盗塁阻止率24%という成績だった。また、11試合で一塁手も守り、2失策・守備率.966・DRS -2を記録した。オフの11月3日にFAとなった[8]

ブルージェイズ時代

[編集]

2017年2月6日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[10]。4月2日にメジャー契約を結び、開幕25人枠入りした。4月28日にDFAとなり[11]、5月3日に自由契約となった[12]。5月16日に再びブルージェイズとマイナー契約を結び[13]、翌17日に傘下のAAA級バッファロー・バイソンズへ配属された[8]。6月30日に自由契約となった[8]。オフはメキシコのウィンターリーグであるリーガ・メヒカーナ・デル・パシフィコに参加した。

タイガース復帰

[編集]

2018年3月9日にデトロイト・タイガースとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加したが、シーズン開幕はAAA級トレドで迎えた。9月9日にメジャー契約を結び、アクティブ・ロースター入りした。オフの10月29日にFAとなった[8]

2019年1月28日に引退を表明した[14]

人物

[編集]

"SALTALAMACCHIA"という14文字の名字は、トッド・ホランズワース(HOLLANDSWORTH)、ティム・スプーニーバーガー(SPOONEYBARGER)、スティーブ・ウォジェハウスキー(WOJCIECHOWSKI)、ウィリアム・バンランディンガム(VanLANDINGHAM)、カーク・ドレッセンドーファー(DRESSENDORFER)の13文字を抜いてメジャーリーグ史上最も長い名字だった[15](なおもっとも短い苗字は胡金龍(HU)、呉昇桓(OH)の2文字)。あまりに長いつづりのため、ユニフォームの背中に記された名前はわき腹の下まで達する大きなアーチ状になっている(レンジャーズ時代は、フォントサイズが大きかったため特に顕著だった)。この記録は2022年にシメオン・ウッズ・リチャードソン(WOODS RICHARDSON、空白含め16文字)がメジャー昇格を果たし更新されることとなった。

2005年に結婚した14歳年上の妻アシュレイは、彼の出身校であるロイヤル・パームビーチ高校の元体育教師である。だが直接授業を受けたことはない[16]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
2007 ATL 47 153 141 11 40 6 0 4 58 12 0 0 0 1 10 1 1 28 4 .284 .333 .411 .744
TEX 46 176 167 28 42 7 1 7 72 21 0 0 0 0 9 0 0 47 4 .251 .290 .431 .721
'07計 93 329 308 39 82 13 1 11 130 33 0 0 0 1 19 1 1 75 8 .266 .310 .422 .732
2008 61 230 198 27 50 13 0 3 72 26 0 2 0 1 31 1 0 74 1 .253 .352 .364 .716
2009 84 310 283 34 66 12 0 9 105 34 0 2 3 1 22 1 1 97 3 .233 .290 .371 .661
2010 2 5 5 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .200 .200 .200 .400
BOS 10 25 19 2 3 3 0 0 6 1 0 0 0 0 6 0 0 4 0 .158 .360 .316 .676
'10計 12 30 24 2 4 3 0 0 7 2 0 0 0 0 6 0 0 5 0 .167 .333 .292 .625
2011 103 386 358 52 84 23 3 16 161 56 1 0 0 1 24 1 3 119 7 .235 .288 .450 .737
2012 121 448 405 55 90 17 1 25 184 59 0 1 0 4 38 0 1 139 5 .222 .288 .454 .742
2013 121 470 425 68 116 40 0 14 198 65 4 1 0 2 43 3 0 139 7 .273 .338 .466 .804
2014 MIA 114 435 373 43 82 20 0 11 135 44 0 1 0 5 55 4 2 143 11 .220 .320 .362 .681
2015 9 33 29 3 2 1 0 1 6 1 0 0 0 0 4 0 0 12 2 .069 .182 .207 .389
ARI 70 194 171 23 43 14 0 8 81 23 0 0 1 1 19 0 2 57 3 .251 .332 .474 .805
'15計 79 227 200 26 45 15 0 9 87 24 0 0 1 1 23 0 2 69 5 .225 .310 .435 .745
2016 DET 92 292 246 30 42 5 1 12 85 38 0 0 0 5 41 1 0 104 1 .171 .284 .346 .630
2017 TOR 10 26 25 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 16 0 .040 .077 .040 .117
2018 DET 5 8 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 4 0 .000 .125 .000 .125
MLB:12年 895 3191 2852 377 662 161 6 110 1165 381 5 7 4 21 304 12 10 984 48 .232 .306 .408 .715

背番号

[編集]
  • 18(2007年 - 同年途中)
  • 16(2007年途中 - 同年途中)
  • 25(2007年途中 - 2008年)
  • 21(2009年 - 2010年途中)
  • 39(2010年途中 - 2015年途中、2016年)
  • 8(2015年途中 - 同年終了)
  • 10(2017年)
  • 12(2018年)

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 発音指示の「u」は、英語の綴りの発音ママ。母音の後ろの「h」は長音ではなく、その母音をローマ字読みする事を表す。

出典

[編集]
  1. ^ USA baseball tops Panama 9-3 in Olympic qualifier” (英語). USA TODAY. Gannett Co. Inc. (2005年11月19日). 2008年2月8日閲覧。
  2. ^ TEAM USA HOMERS FIVE TIMES IN DRAMATIC WIN OVER CUBA, 8-5” (英語). USA Baseball.com (2006年9月6日). 2008年2月8日閲覧。
  3. ^ Mark Bowman (2007年5月3日). “Saltalamacchia solid in debut” (英語). MLB.com. 2015年12月8日閲覧。
  4. ^ Mark Bowman (2007年7月31日). “Braves finalize deal for slugger Teixeira” (英語). MLB.com. 2015年12月8日閲覧。
  5. ^ Jarrod Saltalamacchia MLB Baseball at CBSSports.com” (英語). Fantasy Analysis. CBS Interactive (2007年12月1日). 2008年2月8日閲覧。
  6. ^ "Marlins Sign Free Agent Jarrod Saltalamacchia" (Press release) (英語). MLB.com (Miami Marlins). 6 December 2013. 2015年12月8日閲覧
  7. ^ Transactions | marlins.com: Team April 2015” (英語). MLB.com (2015年4月24日). 2015年12月8日閲覧。
  8. ^ a b c d e MLB公式プロフィール参照。2019年1月30日閲覧。
  9. ^ Jason Beck (2015年12月6日). “Tigers ink catcher Saltalamacchia to 1-year deal” (英語). MLB.com. 2015年12月8日閲覧。
  10. ^ Oliver Macklin (2017年2月6日). “Blue Jays sign Salty, extend spring invite” (英語). MLB.com. 2017年2月7日閲覧。
  11. ^ Shi Davidi (2017年4月28日). “Blue Jays to part ways with Saltalamacchia, recall Maile” (英語). Sportsnet. 2017年5月7日閲覧。
  12. ^ Minor MLB Transactions: 5/3/17” (英語). MLB Trade Rumors.com (2017年5月3日). 2017年5月7日閲覧。
  13. ^ Blue Jays sign Saltalamacchia to minor-league deal” (英語). Sportsnet (2017年5月16日). 2017年5月18日閲覧。
  14. ^ Daniel Kramer (2019年1月28日). “Saltalamacchia reportedly retires after 12 years” (英語). MLB.com. 2019年1月30日閲覧。
  15. ^ ESPN - Page 2”. SALTY SNACK FOR TRIVIA BUFFS (2007年5月3日). 2007年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月8日閲覧。
  16. ^ Ashley Saltalamacchia is Jarrod's Hot Wife!” (英語). RightFielders Women in Sports (2007年7月31日). 2015年12月8日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]