ズラタン・リュビヤンキッチ
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2009年、スロベニア代表 | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | ズィライオ[1][2] | |||||
ラテン文字 | Zlatan Ljubijankić | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スロベニア | |||||
生年月日 | 1983年12月15日(40歳) | |||||
出身地 | ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 リュブリャナ | |||||
身長 | 186cm[3] | |||||
体重 | 80kg[3] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
NDスロヴァン | ||||||
NKドムジャレ | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2002-2008 | NKドムジャレ | 155 | (40) | |||
2008-2012 | KAAヘント | 125 | (27) | |||
2012-2014 | 大宮アルディージャ | 71 | (17) | |||
2015-2018 | 浦和レッズ | 81 | (15) | |||
通算 | 432 | (99) | ||||
代表歴 | ||||||
2004-2005 | スロベニア U-21 | 9 | (2) | |||
2006-2015 | スロベニア | 48 | (6) | |||
監督歴 | ||||||
2019- | NDスロヴァン | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ズラタン・リュビヤンキッチ(Zlatan Ljubijankić、1983年12月15日 - )は、ユーゴスラビア (現:スロベニア)・リュブリャナ出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。日本での登録名はズラタン[5]。 元スロベニア代表。
来歴
[編集]クラブ
[編集]7歳の時に父の影響でサッカーを始め、2002年にNKドムジャレに入団[6]。2006-07シーズンにリーグ戦で10得点を記録しタイトル獲得に貢献すると、2007年にジャーナリスト選出のスロベニア年間最優秀サッカー選手賞を受賞した[7]。同年夏にはスペインのRCDエスパニョールへの移籍の可能性が報じられた[8]。
2008年7月、ベルギーのKAAヘントに移籍し[9]、4年半の在籍期間中にリーグ戦125試合に出場し27得点を記録した[10]。
2012年7月にJリーグの大宮アルディージャに移籍した[4]。J1第21節のサンフレッチェ広島戦でPKによる初ゴール。30節の柏レイソル戦ではハットトリックを達成[11]。同じく夏に加入したスロベニア代表のチームメイト、ミリヴォイェ・ノヴァコヴィッチとともに後半戦の原動力となりチームのJ1残留に貢献した[11]。2013シーズンは第4節から第10節までの7連勝に貢献し、2013年4月の月間MVPを受賞したが[12]、シーズン終了後に僚友のノヴァコヴィッチが移籍。2014シーズンは7得点を記録したが、チームはJ2へ降格した[13]。
2014年12月15日、浦和レッズへ完全移籍。2018年12月13日、クラブから契約満了に伴い退団する事が発表された[14]。浦和での最後の試合出場となった第98回天皇杯決勝では、浦和で初めてキャプテンマークを巻いた。試合は1-0でベガルタ仙台を破り、浦和の12年ぶり天皇杯優勝に貢献し有終の美を飾った。
ズラタンが浦和を退団する際、同じポジションでライバルであったが仲のいい興梠慎三は、浦和のフロントに「俺の給料下げてでもいいから、残してくれ」とお願いしたという。その事をフロントから聞いたズラタンが、泣きながら興梠に「ありがとう」と感謝の意を伝えたと述べている。また、今でも阿部勇樹を通して、連絡をとっている事を鈴木啓太のYoutubeチャンネルで述べている[15]。
浦和退団後は、母国・スロベニアのチームでアマチュアとしてプレーしていた[16]。その後、自らの出身チームであるND SLOVANにて指導者としてのキャリアを開始、2021年現在、トップチームのヘッドコーチ(監督)を務めている。20-21シーズンでは3部リーグ昇格を果たした。
代表
[編集]2006年2月28日、スロベニア代表としてキプロス戦でデビューし[17]、この試合で代表初得点を記録した[17]。
2010 FIFAワールドカップではグループリーグ3試合に出場し、第2戦のアメリカ戦では2点目のゴールを決めた[18]。試合はその後追いつかれ引き分けに終わったが[19]、自身はサッカー人生においてのベストゲームと評している[1]。
UEFA EURO 2016予選においてスロベニア代表は敗退し、自身も代表引退を表明した[20]。
個人成績
[編集]クラブでの成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
スロベニア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2002-03 | ドムジャレ | 1.SNL | 22 | 5 | - | - | 22 | 5 | |||
2003-04 | 29 | 3 | - | - | 29 | 3 | |||||
2004-05 | 29 | 6 | - | - | 29 | 6 | |||||
2005-06 | 30 | 9 | - | - | 30 | 9 | |||||
2006-07 | 27 | 10 | - | - | 27 | 10 | |||||
2007-08 | 18 | 7 | - | - | 18 | 7 | |||||
ベルギー | リーグ戦 | リーグ杯 | ベルギー杯 | 期間通算 | |||||||
2007-08 | ヘント | ジュピラー | 7 | 0 | - | 0 | 0 | 7 | 0 | ||
2008-09 | 22 | 8 | - | 3 | 1 | 25 | 9 | ||||
2009-10 | 32 | 5 | - | 3 | 1 | 35 | 6 | ||||
2010-11 | 34 | 6 | - | 6 | 1 | 40 | 7 | ||||
2011-12 | 30 | 8 | - | 2 | 0 | 32 | 8 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2012 | 大宮 | 11 | J1 | 12 | 4 | 0 | 0 | 1 | 1 | 13 | 5 |
2013 | 27 | 6 | 2 | 1 | 0 | 0 | 29 | 7 | |||
2014 | 32 | 7 | 0 | 0 | 3 | 0 | 35 | 9 | |||
2015 | 浦和 | 21 | 29 | 8 | 0 | 0 | 3 | 0 | 32 | 8 | |
2016 | 26 | 4 | 5 | 1 | 1 | 0 | 32 | 5 | |||
2017 | 21 | 2 | 0 | 0 | 3 | 3 | 24 | 5 | |||
2018 | 5 | 1 | 3 | 0 | 1 | 0 | 9 | 1 | |||
通算 | スロベニア | 1.SNL | 155 | 40 | - | - | 155 | 40 | |||
ベルギー | ジュピラー | 125 | 27 | - | 14 | 3 | 139 | 30 | |||
日本 | J1 | 152 | 32 | 11 | 2 | 10 | 6 | 165 | 39 | ||
総通算 | 432 | 99 | 11 | 2 | 24 | 9 | 459 | 109 |
その他の公式戦
- 2011-12
- 2015年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 1試合1得点
- 2016年
- Jリーグチャンピオンシップ 1試合0得点
- 2017年
- スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 | FIFA | |||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
UEFA | UEFA EL | CL予選 | ||||||
2005-06 | ドムジャレ | 5 | 0 | - | - | |||
2006-07 | 3 | 4 | - | - | ||||
2007-08 | 4 | 2 | - | - | ||||
2008-09 | ヘント | 1 | 0 | - | - | |||
2009-10 | 4 | 0 | - | - | ||||
2010-11 | 9 | 0 | - | - | ||||
AFC | ACL | - | ||||||
2015 | 浦和 | 21 | 3 | 1 | - | - | ||
2016 | 8 | 1 | - | - | ||||
2017 | 12 | 2 | - | 2 | 0 | |||
通算 | UEFA | 26 | 6 | - | - | |||
通算 | AFC | 23 | 4 | - | 2 | 0 |
その他の国際公式戦
- 2017年
- スルガ銀行チャンピオンシップ 1試合0得点
代表での成績
[編集]- 出典[17]
スロベニア代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2006 | 3 | 1 |
2007 | 1 | 0 |
2008 | 3 | 1 |
2009 | 8 | 2 |
2010 | 10 | 2 |
2011 | 8 | 0 |
2012 | 4 | 0 |
2013 | 5 | 0 |
2014 | 2 | 0 |
2015 | 4 | 0 |
合計 | 48 | 6 |
代表での得点
[編集]- 出典[17]
# | 開催日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2006年2月28日 | キプロス、ラルナカ | キプロス | 国際親善試合 | ||
2. | 2008年10月11日 | スロベニア、マリボル | 北アイルランド | 2010 FIFAワールドカップ・予選 | ||
3. | 2009年8月12日 | サンマリノ | ||||
4. | 2009年9月5日 | イングランド、ロンドン | イングランド | 国際親善試合 | ||
5. | 2010年6月18日 | 南アフリカ、ヨハネスブルグ | アメリカ合衆国 | 2010 FIFAワールドカップ | ||
6 | 2010年8月11日 | スロベニア、リュブリャナ | オーストラリア | 国際親善試合 |
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- NKドムジャレ
- 1.SNL:2006-07
- スロベニア・スーパーカップ:2007
- KAAヘント
- ベルギーカップ:2009-10
- 浦和レッズ
- J1リーグ 1stステージ:2015
- J1リーグ 2ndステージ:2016
- Jリーグカップ:2016
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会:2018
- AFCチャンピオンズリーグ:2017
- スルガ銀行チャンピオンシップ:2017
個人
[編集]- スロベニア年間最優秀サッカー選手賞:2007年
- J1リーグ月間MVP:2013年4月
脚注
[編集]- ^ a b “ズラタン - トップチーム”. 大宮アルディージャ公式サイト. 2014年12月15日閲覧。
- ^ “[大宮] 期待の新外国籍選手・FWズラタン選手がチーム練習に合流!!「将来的にクラブが優勝カップを掲げられるように」”. ELGOLAZO web版 BLOGOLA (2012年7月24日). 2014年12月16日閲覧。
- ^ a b c d “ズラタン選手 完全移籍加入のお知らせ”. URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE (2014年12月15日). 2014年12月15日閲覧。
- ^ a b “新加入選手のお知らせ”. 大宮アルディージャ公式サイト (2012年7月20日). 2012年8月3日閲覧。
- ^ 2012年 - 2015年[3][4]。
- ^ “浦和、大宮からズラタン獲得!J1王座奪回へ“禁断の補強””. スポニチ Sponichi Annex (2014年12月15日). 2014年12月15日閲覧。
- ^ “World Cup 2010 - zlatan_ljubijankic”. BBC Sport. 2014年12月15日閲覧。
- ^ “L'attaquant slovène Ljubijankic à l'Espanyol Barcelone”. FIFA.com (2007年8月22日). 2014年12月16日閲覧。
- ^ “Ljubijankic trekt naar het Oosten”. Sport.be (2012年7月18日). 2014年12月15日閲覧。
- ^ “大宮がスロベニア代表FWを獲得”. Goal.com (2012年7月20日). 2014年12月15日閲覧。
- ^ a b 上野直彦 (2013年9月4日). “大宮をけん引するズラタンの影響力”. スポーツナビ. 2014年12月15日閲覧。
- ^ “「コカ・コーラ Jリーグ 月間MVP」3月・4月の受賞選手決定!”. Jリーグ (2013年5月16日). 2014年12月14日閲覧。
- ^ “浦和V逸、大宮降格…埼玉サッカー痛恨の日”. 埼玉新聞 (2014年12月6日). 2014年12月15日閲覧。
- ^ “「息子は大の浦和レッズファン」FWズラタンが退団、天皇杯決勝が最終戦に”. ゲキサカ (2018年12月13日). 2018年12月13日閲覧。
- ^ (日本語) 【メディア初出し】興梠慎三が語るコンサドーレ札幌移籍の真実 2022年2月19日閲覧。
- ^ 芥川和久のツイッター
- ^ a b c d “Reprezentanca - Ljubijankič Zlatan”. Nogometna zveza Slovenije. 2010年10月13日閲覧。
- ^ “米国 2点差を追いつきスロベニアとドロー、W杯”. AFPBB News (2010年6月19日). 2014年12月15日閲覧。
- ^ “Slovenia 2:2 (2:0) USA - The matches of 2010 FIFA World Cup South Africa”. 国際サッカー連盟公式サイト (2010年6月18日). 2012年8月3日閲覧。
- ^ “ノヴァコヴィッチ、オブラクらが招集! スロベニア代表が発表《国際親善試合》”. 超WORLDサッカー! (2016年3月17日). 2016年10月13日閲覧。
- ^ “ズラタン選手 浦和レッズへ移籍のお知らせ”. 大宮アルディージャ公式サイト (2014年12月15日). 2014年12月16日閲覧。
- ^ a b “Zlatan Ljubijankič » Club matches”. weltfussball.de. 2014年12月16日閲覧。
- ^ “Gent slaat Cercle al in de heenmatch knock-out”. sporza (2012年5月17日). 2014年12月16日閲覧。
- ^ “AA Gent pakt Europa League-ticket in stijl”. sporza (2012年5月20日). 2014年12月16日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ズラタン・リュビヤンキッチ - National-Football-Teams.com
- ズラタン・リュビヤンキッチ - Soccerway.com
- ズラタン・リュビヤンキッチ - FootballDatabase.eu
- ズラタン・リュビヤンキッチ - WorldFootball.net
- ズラタン・リュビヤンキッチ - Transfermarkt.comによる選手データ
- ズラタン・リュビヤンキッチ - FIFA主催大会成績
- ズラタン・リュビヤンキッチ - UEFA
- ズラタン・リュビヤンキッチ - J.League Data Siteによる選手データ
- ズラタン・リュビヤンキッチ - TheFinalBall.com
- ズラタン・リュビヤンキッチ - Fussballdaten.de
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- プロフィール (2012年版) - 大宮アルディージャ
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