1988年ソウルオリンピックのサッカー競技
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1988年ソウルオリンピックのサッカー競技 | |
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大会概要 | |
開催国 | 韓国 |
日程 | 1988年9月17日 - 10月1日 |
チーム数 | 16 (6連盟) |
開催地数 | 6 (5都市) |
大会結果 | |
優勝 | ソビエト連邦 |
準優勝 | ブラジル |
3位 | 西ドイツ |
4位 | イタリア |
大会統計 | |
試合数 | 32試合 |
ゴール数 |
95点 (1試合平均 2.97点) |
総入場者数 |
690,512人 (1試合平均 21,579人) |
得点王 | ロマーリオ(7点) |
← 1984 1992 → |
1988年ソウルオリンピックのサッカー競技(1988ねんソウルオリンピックのサッカーきょうぎ)は、9月17日から10月1日まで開催された。ソビエト連邦が金メダルを獲得した。
参加チーム
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会場
[編集]試合は5都市・6つのスタジアムで実施された。
ソウル | ソウル | ||
---|---|---|---|
オリンピック・スタジアム | 東大門運動場 | ||
収容人数: 100,000人 | 収容人数: 22,706人 | ||
釜山 | 大田 | ||
九徳運動場 | 大田公設運動場 | ||
収容人数: 24,363人 | 収容人数: 26,000人 | ||
大邱 | 光州 | ||
大邱市民運動場 | 無等総合競技場 | ||
収容人数: 19,467人 | 収容人数: 24,304 人 | ||
試合結果
[編集]第1ラウンド
[編集]準々決勝進出 | |
グループリーグ敗退 |
各組上位2カ国が準々決勝に進出できる。
グループA
[編集]順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | スウェーデン (SWE) | 5 | 3 | 2 | 1 | 0 | 6 | 3 | +3 |
2. | 西ドイツ (FRG) | 4 | 3 | 2 | 0 | 1 | 8 | 3 | +5 |
3. | チュニジア (TUN) | 2 | 3 | 0 | 2 | 1 | 3 | 6 | -3 |
4. | 中国 (CHN) | 1 | 3 | 0 | 1 | 2 | 0 | 5 | -5 |
グループB
[編集]順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | ザンビア (ZAM) | 5 | 3 | 2 | 1 | 0 | 10 | 2 | +8 |
2. | イタリア (ITA) | 4 | 3 | 2 | 0 | 1 | 7 | 6 | +1 |
3. | イラク (IRQ) | 3 | 3 | 1 | 1 | 1 | 5 | 4 | +1 |
4. | グアテマラ (GUA) | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 12 | -10 |
# | 41988年9月17日
17:00 |
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イタリア | 5 - 2 | グアテマラ |
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カルネヴァーレ 3分 エヴァーニ 11分 ヴィルディス 34分 フェラーラ 38分 デジデリ 75分 |
レポート | カスタニェーダ 7分 パニアグア 79分 |
グループC
[編集]順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | ソビエト連邦 (URS) | 5 | 3 | 2 | 1 | 0 | 6 | 3 | +3 |
2. | アルゼンチン (ARG) | 3 | 3 | 1 | 1 | 1 | 4 | 4 | 0 |
3. | 韓国 (KOR) | 2 | 3 | 0 | 2 | 1 | 1 | 2 | -1 |
4. | アメリカ合衆国 (USA) | 2 | 3 | 0 | 2 | 1 | 3 | 5 | -2 |
#22 | 1988年9月22日
17:00 |
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ソビエト連邦 | 4 - 2 | アメリカ合衆国 |
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ミハイリチェンコ 7分 48分 ナルベコヴァス 19分 ドブロヴォリスキー 45分 (PK) |
レポート | グーレット 65分 ドイル 85分 |
グループD
[編集]順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | ブラジル (BRA) | 6 | 3 | 3 | 0 | 0 | 9 | 1 | +8 |
2. | オーストラリア (AUS) | 4 | 3 | 2 | 0 | 1 | 2 | 3 | -1 |
3. | ユーゴスラビア (YUG) | 2 | 3 | 1 | 0 | 2 | 4 | 4 | 0 |
4. | ナイジェリア (NGR) | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 1 | 8 | -7 |
決勝トーナメント
[編集]準々決勝 | 準決勝 | 決勝 | ||||||||
9月25日 - 大邱 | ||||||||||
スウェーデン | 1 | |||||||||
9月27日 - 釜山 | ||||||||||
イタリア (AET) | 2 | |||||||||
イタリア | 2 | |||||||||
9月25日 - 釜山 | ||||||||||
ソビエト連邦 (AET) | 3 | |||||||||
ソビエト連邦 | 3 | |||||||||
10月1日 - ソウル | ||||||||||
オーストラリア | 0 | |||||||||
ソビエト連邦 (AET) | 2 | |||||||||
9月25日 - 光州 | ||||||||||
ブラジル | 1 | |||||||||
ザンビア | 0 | |||||||||
9月27日 - ソウル | ||||||||||
西ドイツ | 4 | |||||||||
西ドイツ | 1 (2) | |||||||||
9月25日 - ソウル | ||||||||||
ブラジル | 1 (3) | 3位決定戦 | ||||||||
ブラジル | 1 | |||||||||
9月30日 - ソウル | ||||||||||
アルゼンチン | 0 | |||||||||
イタリア | 0 | |||||||||
西ドイツ | 3 | |||||||||
準々決勝
[編集]準決勝
[編集]
#29 | 1988年9月27日
17:00 |
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イタリア | 2 – 3 (延長) |
ソビエト連邦 |
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ヴィルディス 50分 カルネヴァーレ 108分 |
レポート | ドブロヴォルスキー 78分 ナルベコヴァス 92分 ミハイリチェンコ 106分 |
#30 | 1988年9月27日
20:00 |
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西ドイツ | 1 – 1 | ブラジル |
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ファッハ 50分 | レポート | ロマーリオ 79分 |
PK戦 | ||
ヤンセン クリンスマン クレッピンガー ファッハ ヴットケ |
2 - 3 | ジョン・パウロ ヴィンク ロマーリオ アンドレ・クルス |
3位決定戦
[編集]決勝
[編集]脚注
[編集]- ^ 本来は メキシコが予選を勝ち抜いていたものの、同国がCONCACAFユーストーナメントの1988年大会で年齢制限を超過した選手4人を出場させていたことが発覚、その処分として(その結果により出場できる1989 FIFAワールドユース選手権のみならず)当オリンピックや1990 FIFAワールドカップについても出場資格を取り消された[1](詳細 : 1988年メキシコサッカー連盟スキャンダル)。このため予選成績で次点の グアテマラが代替出場することとなった。
出典
[編集]- ^ “Caso 'cachirules': negro recuerdo”. エル・ユニバーサル (2008年4月20日). 2008年9月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月8日閲覧。
- ^ “Daylight saving time dates for South Korea – Seoul between 1980 and 1989” (英語). timeanddate.com. 2014年2月23日閲覧。