久居駅
久居駅 | |
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駅舎 | |
ひさい Hisai | |
◄E41 南が丘 (2.5 km) (1.5 km) 桃園 E43► | |
所在地 | 三重県津市久居新町994-6 |
駅番号 | E42 |
所属事業者 | 近畿日本鉄道(近鉄) |
所属路線 | E 名古屋線 |
キロ程 | 4.8 km(伊勢中川起点) |
電報略号 | ヒサイ |
駅構造 | 地上駅(橋上駅) |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
5,598人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1930年(昭和5年)5月18日* |
備考 | 無人駅 |
* 近鉄の駅としての開業日 |
久居駅(ひさいえき)は、三重県津市久居新町にある、近畿日本鉄道(近鉄)名古屋線の駅である。駅番号はE42。
歴史
[編集]かつては、軽便鉄道の中勢鉄道が乗り入れていた。中勢鉄道の久居駅は前身の大日本軌道伊勢支社によって1908年(明治41年)に開業したもので、これは伊勢平野における最初期の鉄道であった[1]。しかしのちに参宮急行電鉄(近鉄名古屋線の前身の一つ)や国鉄名松線が開業すると業績が悪化し、1944年(昭和19年)に廃止された[1]。
年表
[編集]- 1908年(明治41年)11月11日:大日本軌道伊勢支社の駅として開業[1]。
- 1920年(大正9年)2月17日:大日本軌道伊勢支社の路線が中勢鉄道に譲渡される[1]。
- 1930年(昭和5年)5月18日:参宮急行電鉄津支線の参急中川(現・伊勢中川) - 久居間が開業し、参急線の駅が設置[2][3]。
- 1931年(昭和6年)7月4日:参宮急行電鉄津支線が津新町駅まで延伸される[2]。
- 1941年(昭和16年)3月15日:大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併、関西急行鉄道に改称。参急の駅は同社の駅となる[2]。また路線名が改定され、名古屋線の所属となる[4]。
- 1943年(昭和18年)2月1日:中勢鉄道廃止[1]。
- 1944年(昭和19年)6月1日:関西急行鉄道が南海鉄道と合併、近畿日本鉄道設立。同社の駅となる[2]。
- 1979年(昭和54年)3月15日:特急停車駅に追加。一部の特急列車が停車するようになる[5]。
- 1996年(平成8年)12月18日:橋上化工事に着手[6]。
- 1997年(平成9年)11月20日:橋上駅化[7]。自動改札機設置。
- 2007年(平成19年)4月1日:PiTaPa使用開始[8]。
- 2023年(令和5年)1月21日:終日無人駅化。
駅構造
[編集]相対式ホーム2面2線を有する地上駅。ホーム有効長は8両。橋上駅舎を持ち、改札口は1か所のみ。構内にはエレベーターも完備している。出入口は東西双方に設けられ、西口は再開発ビル「ポルタひさい」と接続している。
バスのりばは駅の西側と東側の双方にあり、三重交通バスが発着している。従来は西側のみだったが、のちに駅東側にあった国立津病院の統合・移転に伴って東側にも設置された。
地上駅時代には改札は西口と東口に分かれ、構内踏切が設置されていた。窓口などの駅の中心施設は西側にあった。
のりば
[編集]のりば | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | E 名古屋線 | 下り | 賢島方面[9] |
2 | 上り | 近鉄名古屋方面[9] |
特徴
[編集]ダイヤ面
[編集]特急以外の全一般列車が停車しており[10]、ラッシュ時には一部の乙特急が停車する[10]。
停車する特急列車の詳細:朝6時台から9時台までの近鉄名古屋行きと、近鉄名古屋駅を18時以降に発車する名伊乙特急の全列車が停車する[10]。
2022年(令和4年)12月17日付けのダイヤ改正で、上記に加え10時台1本と、近鉄名古屋駅を17時台に出発する1本が追加される[11]。
- 五十鈴川駅9時49分発 近鉄名古屋行き:久居駅10時20分発
- 近鉄名古屋駅17時45分発 五十鈴川行き:久居駅18時41分発(土休日18時43分発)
日中時間帯の特急は全列車が通過しており、急行が毎時3本停車するのみであるが[10]、名古屋方面へは急行が発車した直後に乙特急や名阪甲特急が通過するため、当駅で特急券を購入した上で(津駅での接続時間が短いため)急行に乗車し、津駅での特急乗り継ぎが可能となっている[10]。
駅設備・営業面
[編集]津駅管理の無人駅で、PiTaPa・ICOCA対応の自動改札機および自動精算機(回数券カードおよびICカードのチャージに対応)が設置されている。
当駅乗降人員
[編集]近年における当駅の1日乗降人員の調査結果は以下の通り[13]。
- 2023年11月7日:8,435人
- 2022年11月8日:8,268人
- 2021年11月9日:7,931人
- 2018年11月13日:9,581人
- 2015年11月10日:10,174人
- 2012年11月13日:9,832人
- 2010年11月9日:10,120人
- 2008年11月18日:10,248人
- 2005年11月8日:10,138人
利用状況
[編集]「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである[14]。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1997年 | 5,965 |
1998年 | 5,929 |
1999年 | 5,887 |
2000年 | 5,923 |
2001年 | 5,828 |
2002年 | 5,862 |
2003年 | 5,911 |
2004年 | 5,863 |
2005年 | 5,828 |
2006年 | 5,850 |
2007年 | 5,796 |
2008年 | 5,746 |
2009年 | 5,586 |
2010年 | 5,578 |
2011年 | 5,604 |
2012年 | 5,644 |
2013年 | 5,787 |
2014年 | 5,711 |
2015年 | 5,848 |
2016年 | 5,913 |
2017年 | 5,850 |
2018年 | 5,727 |
2019年 | 5,598 |
2020年 | 4,384 |
久居駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(久居駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1950年(昭和25年) | 1,029,060 | ←←←← | 660,896 | 1,689,956 | |||
1951年(昭和26年) | 1,123,710 | ←←←← | 673,083 | 1,796,793 | |||
1952年(昭和27年) | 820,020 | ←←←← | 663,649 | 1,483,669 | |||
1953年(昭和28年) | 828,930 | ←←←← | 603,084 | 1,432,014 | |||
1954年(昭和29年) | 887,390 | ←←←← | 610,848 | 1,498,238 | |||
1955年(昭和30年) | 911,490 | ←←←← | 589,961 | 1,501,451 | |||
1956年(昭和31年) | 958,020 | ←←←← | 577,912 | 1,535,932 | |||
1957年(昭和32年) | 993,780 | ←←←← | 604,048 | 1,597,828 | |||
1958年(昭和33年) | 1,051,020 | ←←←← | 507,543 | 1,558,563 | |||
1959年(昭和34年) | 1,133,760 | ←←←← | 482,864 | 1,616,624 | |||
1960年(昭和35年) | 1,281,720 | ←←←← | 522,051 | 1,803,771 | |||
1961年(昭和36年) | 1,371,270 | ←←←← | 542,912 | 1,914,182 | |||
1962年(昭和37年) | 1,508,270 | ←←←← | 603,741 | 2,110,011 | |||
1963年(昭和38年) | 1,654,020 | ←←←← | 640,408 | 2,294,428 | |||
1964年(昭和39年) | 1,819,650 | ←←←← | 687,854 | 2,507,504 | |||
1965年(昭和40年) | 1,987,200 | ←←←← | 702,291 | 2,689,491 | |||
1966年(昭和41年) | 1,979,160 | ←←←← | 683,481 | 2,662,641 | |||
1967年(昭和42年) | 2,003,070 | ←←←← | 659,083 | 2,662,153 | |||
1968年(昭和43年) | 2,021,370 | ←←←← | 688,744 | 2,710,114 | |||
1969年(昭和44年) | 2,054,100 | ←←←← | 735,224 | 2,789,324 | |||
1970年(昭和45年) | 2,037,750 | ←←←← | 763,968 | 2,801,718 | |||
1971年(昭和46年) | 1,981,470 | ←←←← | 759,893 | 2,714,363 | |||
1972年(昭和47年) | 1,971,570 | ←←←← | 773,351 | 2,744,921 | |||
1973年(昭和48年) | 1,910,460 | ←←←← | 799,146 | 2,709,606 | |||
1974年(昭和49年) | 2,132,100 | ←←←← | 794,916 | 2,927,016 | |||
1975年(昭和50年) | 2,140,080 | ←←←← | 776,553 | 2,916,633 | |||
1976年(昭和51年) | 2,008,050 | ←←←← | 763,893 | 2,771,943 | |||
1977年(昭和52年) | 1,952,130 | ←←←← | 787,979 | 2,740,109 | |||
1978年(昭和53年) | 1,898,850 | ←←←← | 800,123 | 2,698,973 | |||
1979年(昭和54年) | 1,853,430 | ←←←← | 812,573 | 2,666,003 | |||
1980年(昭和55年) | 1,851,180 | ←←←← | 838,469 | 2,689,649 | |||
1981年(昭和56年) | 1,871,580 | ←←←← | 823,174 | 2,694,754 | |||
1982年(昭和57年) | 1,828,890 | ←←←← | 819,990 | 2,648,880 | 11月16日 | 13,012 | |
1983年(昭和58年) | 1,839,540 | ←←←← | 827,370 | 2,666,910 | 11月8日 | 13,238 | |
1984年(昭和59年) | 1,866,990 | ←←←← | 809,301 | 2,676,291 | 11月6日 | 12,274 | |
1985年(昭和60年) | 1,905,960 | ←←←← | 825,852 | 2,731,812 | 11月12日 | 13,316 | |
1986年(昭和61年) | 1,943,040 | ←←←← | 829,640 | 2,772,680 | 11月11日 | 13,936 | |
1987年(昭和62年) | 1,965,720 | ←←←← | 809,402 | 2,775,122 | 11月10日 | 12,914 | |
1988年(昭和63年) | 1,967,430 | ←←←← | 803,135 | 2,770,565 | 11月8日 | 13,879 | |
1989年(平成元年) | 1,887,390 | ←←←← | 791,808 | 2,679,198 | 11月14日 | 13,186 | |
1990年(平成2年) | 1,880,100 | ←←←← | 798,687 | 2,678,787 | 11月6日 | 13,409 | |
1991年(平成3年) | 1,888,500 | ←←←← | 782,283 | 2,670,783 | |||
1992年(平成4年) | 1,805,760 | ←←←← | 762,586 | 2,568,346 | 11月10日 | 12,928 | |
1993年(平成5年) | 1,744,560 | ←←←← | 762,399 | 2,506,959 | |||
1994年(平成6年) | 1,693,440 | ←←←← | 699,293 | 2,392,733 | |||
1995年(平成7年) | 1,700,730 | ←←←← | 653,246 | 2,353,976 | 12月5日 | 11,590 | |
1996年(平成8年) | 1,643,880 | ←←←← | 653,210 | 2,297,090 | |||
1997年(平成9年) | 1,533,270 | ←←←← | 643,940 | 2,177,210 | |||
1998年(平成10年) | 1,516,920 | ←←←← | 647,237 | 2,164,157 | |||
1999年(平成11年) | 1,474,920 | ←←←← | 679,881 | 2,154,801 | |||
2000年(平成12年) | 1,485,210 | ←←←← | 676,519 | 2,161,729 | |||
2001年(平成13年) | 1,451,280 | ←←←← | 675,879 | 2,127,159 | |||
2002年(平成14年) | 1,456,590 | ←←←← | 683,076 | 2,139,666 | |||
2003年(平成15年) | 1,469,850 | ←←←← | 693,716 | 2,163,566 | |||
2004年(平成16年) | 1,471,980 | ←←←← | 667,892 | 2,139,872 | |||
2005年(平成17年) | 1,455,240 | ←←←← | 671,969 | 2,127,209 | 11月8日 | 10,138 | |
2006年(平成18年) | 1,462,170 | ←←←← | 673,201 | 2,135,371 | |||
2007年(平成19年) | 1,457,250 | ←←←← | 664,088 | 2,121,338 | |||
2008年(平成20年) | ←←←← | 11月18日 | 10,248 | ||||
2009年(平成21年) | 1,430,400 | ←←←← | 608,587 | 2,038,987 |
駅周辺
[編集]当駅東口に忠犬ハチ公とその飼い主であった上野英三郎が寄り添う銅像が設置されている。上野は一志郡本村(現在の津市久居元町)の出身である。
- ポルタ久居(連絡通路あり)
- 緑の風公園(東口すぐ)
- イオンタウン津城山
- 陸上自衛隊久居駐屯地
- 久居新町郵便局
- 三重県立久居高等学校
- 三重県立久居農林高等学校
- 津市立久居中学校
- 津市立久居東中学校
- 津市立成美小学校
- 伊勢自動車道・久居IC
バス路線
[編集]三重交通バスが発着する。
久居駅(東口)のりば
[編集]- 1番乗り場
- 21-1系統 雲出鋼管町
- 21-5系統 香良洲公園(雲出鋼管町経由)
- 21-6系統 香良洲公園
久居駅(西口)のりば
[編集]- 1番乗り場
- 11-0系統 三重中央医療センター
- 11-1系統 室の口(高野団地経由)
- 12-1系統 竹原(高野団地経由)
- 15-1系統 榊原車庫前(下村経由。榊原車庫前で榊原温泉口駅ゆきに連絡。一部便は、おやつタウン前も経由する)
- 16-1系統 榊原車庫前(いなば経由。榊原車庫前で榊原温泉口駅ゆきに連絡)
- 22-1系統 三重中央医療センター
- 2番乗り場
隣の駅
[編集]現在営業中の路線
[編集]- 近畿日本鉄道
- E 名古屋線
- □特急一部停車駅(朝の上りと夜の下りの伊勢志摩方面発着の列車のみ停車)
- 括弧内は駅番号を示す。
かつて存在した路線
[編集]脚注
[編集]
- ^ a b c d e 『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』 129-131頁
- ^ a b c d 曽根悟(監修)『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』 2号 近畿日本鉄道 1、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年8月22日、18-23頁。ISBN 978-4-02-340132-7。
- ^ 『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』 133頁
- ^ 近畿日本鉄道『近畿日本鉄道100年のあゆみ』2010年、p.156
- ^ 『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』 707頁
- ^ “近鉄久居駅の橋上化に着手”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1996年12月18日)
- ^ “近鉄久居駅あす橋上化”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (1997年11月19日)
- ^ 『平成19年4月1日から、近鉄主要路線でICカードの利用が可能になります』(pdf)(プレスリリース)近畿日本鉄道、2007年1月30日 。2016年3月17日閲覧。
- ^ a b “駅の情報|久居”. 近畿日本鉄道. 2022年1月25日閲覧。
- ^ a b c d e 近鉄時刻表2018年3月17日ダイヤ変更号、p.150 - p.157・p.162 - p.184・p.308 - p.315・p.320 - p.342
- ^ 2022年12月17日(土)ダイヤ変更について近畿日本鉄道(2022年10月22日)2022年11月28日閲覧。
- ^ 近鉄時刻表2018年3月17日ダイヤ変更号、p.81 - p.87
- ^ 駅別乗降人員 名古屋線 - 近畿日本鉄道
- ^ 三重県統計書 - 三重県
参考文献
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 駅の情報|久居 - 近畿日本鉄道