井伊直元
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井伊直元 | |
時代 | 江戸時代後期 |
生誕 | 文化6年4月16日(1809年5月29日) |
死没 | 弘化3年1月13日(1846年2月8日) |
改名 | 徳之助(幼名)、直元 |
別名 | 中務(通称) |
戒名 | 良性院殿真相元諦大居士 |
墓所 | 東京都世田谷区の豪徳寺 |
官位 | 従四位下侍従兼玄蕃頭、掃部頭、左近衛権少将 |
藩 | 近江彦根藩世嗣 |
氏族 | 井伊氏(掃部頭家) |
父母 |
父:井伊直中、母:君田富 養父:井伊直亮 |
兄弟 | 直清、穠姫、直亮、鋭三郎、亀五郎、知、中顕、充、秩、中川久教、内藤政成、芳、松平勝権、新野親良、直元、横地義之、内藤政優、直弼、内藤政義ら |
妻 |
正室:井伊直致の娘・綾 側室:大岡宜周の娘 |
子 | 繁[1] |
井伊 直元(いい なおもと)は、江戸時代後期の近江国彦根藩の世嗣。官位は従四位下・侍従兼玄蕃頭、掃部頭、左近衛権少将。
生涯
[編集]文化6年(1809年)4月16日[2][3]、13代藩主・井伊直中の十一男として誕生。生母は側室のお富[3]。
文政8年(1825年)4月4日(5月21日)に実子が無かった長兄で14代藩主・井伊直亮の養子となり[2][4]、文化8年12月16日(1812年1月23日)に従四位下・侍従に叙任されて玄蕃頭と称した[4]。天保4年(1833年)12月21日(1834年1月30日)には左近衛権少将となる[4]。
しかし家督相続前の弘化3年(1846年)1月13日に江戸で病死した[5][4][6]。享年38。
代わって、井伊家に残留していた同母弟・直弼が養嗣子となり[7][6]、直亮の死後に彦根藩15代藩主となる。