コンテンツにスキップ

今村久仁人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
今村クニトから転送)
今村 久仁人
本名 今村 久仁人
別名義 今村クニト
生年月日 (1970-02-10) 1970年2月10日(54歳)
出身地 兵庫県養父市
血液型 A型
身長 173cm
言語 日本語
最終学歴 松山大学中退
コンビ名 ピーピングトム
芸風 コント(ツッコミ)
活動時期 1993年 -
過去の代表番組 ピートム.Comic Jack
タモリのボキャブラ天国
はばたけ!ペンギン
他の活動 放送作家
あわしまマリンパークの運営
配偶者 既婚
受賞歴
NHK新人演芸大賞演芸部門大賞東京代表
東京GAG COLLECTION優勝
テンプレートを表示

今村 久仁人(いまむら くにと、1970年2月10日 - )は、日本お笑い芸人放送作家ピーピングトムツッコミ担当。相方は桑原貞雄。放送作家時には「今村クニト」と名乗る。

来歴

[編集]

兵庫県立川西緑台高等学校卒業[1]

1浪を経験し入学した松山大学の主催するキャンプ、グリーンキャンプで桑原と知り合う。同年5月にパンクバンドとしてピーピングトムが誕生。また12月に「ロックフェスティバルIN松山」にて審査員特別賞を受賞。オリジナル曲に「中退ロック」がある。

1990年12月6日ビジーフォーのディナーショーの影響によってコミックバンドを目指すが、2日後には桑原と今村の2人のみになってしまい、1年半の活動にピリオドを打つ。しかしその翌日、ダンス甲子園風見しんごの「涙のtake a chance」に影響され、ダンスチームとしてのピーピングトムになる。1991年9月、周囲の反対を押し切り、松山大学を中退する。

このような紆余曲折を経て、とうとう1993年3月31日にお笑いコンビとしてのピーピングトムとなった。その1ヵ月後に、渡辺プロダクションで「犬とサラリーマン」というネタで初のネタ見せを行う。今村曰く「少しウケた」という[2]。翌年の1994年オールナイトフジ・リターンズの若手芸人勝ち抜きコーナーで5週勝ち抜きを達成。また、新宿ビブランシアターでアンバランスとの合同コントライブを行う。

1995年NHK新人演芸大賞の演芸部門大賞で東京代表としてノミネートされる[3]

1996年、原宿クエストホールで東京GAG FACTORY公演を行う。1997年には初めて単独のトークライブを行った。

他に、「のぞき屋ダイナマイト」(のち「暗闇の目撃者」)というキャッチコピーで『タモリのボキャブラ天国』シリーズなどに出演。ホストのような容姿で人気があったが、ベスト10の壁は厚く評価は得られなかった。特に交友が深かったのはプリンプリンBOOMER

2024年4月、同年2月に経営難で閉園したあわしまマリンパークの運営会社の株式を取得し、自ら社長に就任したことが明らかになった[4]。既に都内のある企業とスポンサーとして支援を受ける話が進んでいる一方で、運営再開に向けては施設の所有権問題などが残っており、早期にそれらの問題を解消し再開にこぎつけたい考えを示している[5]

人物・エピソード

[編集]

放送作家としての担当番組

[編集]

出演番組

[編集]

レギュラー番組

[編集]

ゲスト出演および単発・不定期番組

[編集]

映画

[編集]

テレビドラマ

[編集]

舞台

[編集]
  • OUT OF ORDER
  • OUT OF ORDER 笑うな!

脚注

[編集]
  1. ^ [1]
  2. ^ ピートム.Comic Jack」2006年8月10日放送分の発言。
  3. ^ ほかに、海砂利水魚Take2が東京代表。海原やすよ・ともこ(大賞受賞)、DonDokoDon、ゆんぼーが大阪代表。
  4. ^ しまたろう【あわしまマリンパーク公式】 [@A_shimatarou] (2024年5月1日). "【新体制のお知らせ / ご挨拶】". X(旧Twitter)より2024年5月3日閲覧
  5. ^ 【独自】ラブライバーの聖地・あわしまマリンパークが再開へ一歩 旧オーナーが株式譲渡で新社長就任 静岡 - FNNプライムオンライン・2024年4月19日

外部リンク

[編集]