佐藤賢治 (野球)
北海道日本ハムファイターズ時代 (2014年3月21日) | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都大田区 |
生年月日 | 1988年8月26日(36歳) |
身長 体重 |
181 cm 87 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手、三塁手、一塁手 |
プロ入り | 2006年 高校生ドラフト2巡目 |
初出場 | 2010年5月27日 |
最終出場 | 2015年9月12日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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佐藤 賢治(さとう けんじ、1988年8月26日 - )は、東京都大田区出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。
来歴
[編集]プロ入り前
[編集]2004年に横浜高校に入学。当初は投手であったが後に外野手に転向した。甲子園に2度出場している(2006年春と同年夏。前者は優勝、後者は一回戦敗退)。同校の2学年上に涌井秀章と石川雄洋が、同学年に福田永将、下水流昂、西嶋一記が、1学年下に髙濱卓也が、2学年下に土屋健二と倉本寿彦が所属していた。このうち土屋とは後に日本ハムでチームメイトとなった。
2006年のプロ野球ドラフト会議(高校生の部)で、強肩と左右に打ち分ける打撃を評価した千葉ロッテマリーンズに2巡目で指名され、入団する。
ロッテ時代
[編集]2007年は、イースタン・リーグ公式戦75試合に出場し、打率.196だった。
2008年は、二軍のレギュラーに定着し、イースタン・リーグで打率.220という成績を残したが、一軍公式戦への出場機会はなかった。
日本ハム時代
[編集]2010年5月7日に北海道日本ハムファイターズへ無償トレードで移籍した。同球団で当時外野手が不足していたため、移籍直後の同月27日には、対中日ドラゴンズ戦(石川県立野球場)で一軍デビュー。金剛弘樹から代打で適時打を放ったことによって、一軍初打席・初安打・初打点を記録した。また、6月2日の対広島東洋カープ戦(札幌ドーム)に「7番・右翼手」として一軍公式戦初の先発出場を果たすなど、一軍で9試合に出場した。
2011年には、一軍公式戦8試合に出場し、7打数1安打、打率.143を記録した。
2012年には、移籍後初めて、一軍公式戦への出場機会がなかった。シーズン終了後には、一軍監督の栗山英樹から「来年ダメならユニホームを脱がせる」と通告されるともに、三塁手としても起用することを明かされた[3]。
2013年には、春季キャンプで三塁の守備に挑戦[4]。開幕を二軍で迎えたが、イースタン・リーグ公式戦では、5月30日までに42試合の出場で打率.309、3本塁打という好成績を残した。翌31日に自身2年振りの出場選手登録[5]を果たすと、6月2日の対横浜DeNAベイスターズ戦(旭川スタルヒン球場)で一軍初本塁打。スタメンに起用された9月10日の対オリックス・バファローズ戦(札幌ドーム)では、4打席4安打で一軍初の猛打賞を達成するとともに、チームの勝利によってヒーローインタビューを初めて経験した[6]。ちなみに、実戦で三塁を守ったのは、この年のイースタン・リーグ公式戦2試合だけであった[7][8]。
2014年には、一軍公式戦で自己最多の44試合に出場。4月13日の対埼玉西武ライオンズ戦では、本拠地・札幌ドームでの一軍初本塁打を放った[9]。シーズン通算では、一軍で自己最多の3本塁打・12得点を記録したが、打率は.196にとどまった。なお、この年には、2歳年上の一般女性と結婚している[10]。
2015年には、春季キャンプ中の2月13日に、前述の結婚と第1子(長女)の誕生を発表[10]。しかし、シーズン開幕後は一軍公式戦16試合に出場しただけで、10月2日に球団から戦力外通告を受けた[11]。
日本ハム退団後
[編集]2015年11月10日にシートバッティング形式の12球団合同トライアウト(草薙球場)に参加したが、7人の投手に対して、6打数無安打1四球という結果に終わった[12]。さらに、NPBを含むプロ野球他球団への移籍に至らなかったことから、現役を引退。引退後は、一般企業に就職した[13]。
2021年3月より、千葉県成田市にオープンした食パン専門店で店長を務めている[14]。
選手としての特徴・人物
[編集]強肩強打の外野手[15]。打撃ではミート力とバットコントロールに優れ、広角に打ち分けられる[16]。守備では遠投120m[16]、走塁では50m走のタイム5秒9[17](6秒1の説もあり)、本塁から一塁までのタイムは4秒1を記録[16]。
好きな言葉は「人生の勝利者になれ」[16]。
プロ入り後の初給料で父親に名刺入れ、母親にネックレスをプレゼントした[16]。
日本ハム時代に紺田敏正から継承した背番号52を気に入っていた[18]。「(紺田さんは)同じ外野手として守備範囲が広く、大好きな選手なので、52番を受け継いだときはうれしかったですね」と語っている[18]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2010 | 日本ハム | 9 | 18 | 18 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | .111 | .111 | .111 | .222 |
2011 | 8 | 7 | 7 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | .143 | .143 | .143 | .286 | |
2013 | 38 | 108 | 91 | 9 | 22 | 3 | 1 | 2 | 33 | 15 | 1 | 1 | 4 | 0 | 12 | 0 | 1 | 28 | 2 | .242 | .337 | .363 | .699 | |
2014 | 44 | 114 | 107 | 12 | 21 | 4 | 1 | 3 | 36 | 9 | 0 | 1 | 3 | 0 | 4 | 0 | 0 | 38 | 2 | .196 | .225 | .336 | .562 | |
2015 | 16 | 29 | 28 | 3 | 6 | 1 | 0 | 0 | 7 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 14 | 0 | .214 | .241 | .250 | .491 | |
NPB:5年 | 115 | 276 | 251 | 25 | 52 | 8 | 2 | 5 | 79 | 30 | 1 | 2 | 7 | 0 | 17 | 0 | 1 | 91 | 4 | .207 | .260 | .315 | .575 |
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
一塁 | 外野 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2010 | 日本ハム | - | 5 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
2011 | - | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ||||||
2013 | - | 32 | 63 | 4 | 3 | 1 | .957 | ||||||
2014 | 6 | 26 | 0 | 0 | 2 | 1.000 | 23 | 36 | 1 | 1 | 0 | .974 | |
2015 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 11 | 15 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
通算 | 8 | 26 | 1 | 0 | 2 | 1.000 | 72 | 123 | 5 | 4 | 1 | .970 |
記録
[編集]- 初出場:2010年5月27日、対中日ドラゴンズ1回戦(石川県立野球場)、7回表に増井浩俊の代打で出場
- 初打席・初安打・初打点:同上、7回表に金剛弘樹から右前適時打
- 初先発出場:2010年6月2日、対広島東洋カープ4回戦(札幌ドーム)、7番・右翼手で先発出場
- 初本塁打:2013年6月2日、対横浜DeNAベイスターズ3回戦(旭川スタルヒン球場)、2回裏に三嶋一輝から中越2ラン
- 初盗塁:2013年9月6日、対東北楽天ゴールデンイーグルス18回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、4回表に二盗(投手:田中将大、捕手:嶋基宏)
背番号
[編集]- 57 (2007年 - 2010年途中)
- 69 (2010年途中 - 同年終了)
- 52 (2011年 - 2015年)
脚注
[編集]- ^ “ヒーローに代打!? ブレない栗山監督、2位独走の日本ハムがモチベーションを失わない理由”. ベースボールチャンネル(BaseBall Channel). 2022年4月23日閲覧。
- ^ “ソフトボール出身の日ハム大嶋、異例の転身から4年 現在の胸中語る”. Full-Count(フルカウント) 野球ニュース・速報・コラム (2015年11月5日). 2022年4月23日閲覧。
- ^ 栗山監督「佐藤脱がす、三塁手やらせる」日刊スポーツ(2012年12月13日)
- ^ 日本ハム佐藤がプロ7年目でサード挑戦日刊スポーツ(2013年1月22日)
- ^ 【日本ハム】佐藤1軍で「貢献したい」日刊スポーツ(2013年5月31日)
- ^ 【日本ハム】佐藤、初猛打賞で初お立ち台日刊スポーツ(2013年9月10日)
- ^ 2013年度 北海道日本ハムファイターズ 個人守備成績(パシフィック・リーグ)
- ^ 2013年度 北海道日本ハムファイターズ 個人守備成績(イースタン・リーグ)
- ^ 日本ハム佐藤賢1号「感触も会心」日刊スポーツ(2014年4月13日)
- ^ a b 日本ハム佐藤賢1号「感触も会心」日刊スポーツ(2014年4月13日)
- ^ 来季契約について北海道日本ハム公式サイト(2015年10月2日)
- ^ “合同トライアウト詳細”. 日刊スポーツ. (2015年11月10日)
- ^ 『日刊スポーツ』2015年12月29日付特集記事「さよならプロ野球」
- ^ “千葉県初出店!【パティシエが作ったパン屋さん】トロけるプリン食感で話題の食パン専門店が…”. PR TIMES (2021年3月15日). 2021年3月20日閲覧。
- ^ “日本ハムが無償トレードでロッテ佐藤獲得 - 野球ニュース”. nikkansports.com. 2022年4月23日閲覧。
- ^ a b c d e f “「未来の主軸」ロッテ佐藤が一番乗り弾 河野祥一郎「今週のイチ押し!」 : nikkansports.com”. www5.nikkansports.com. 2022年4月23日閲覧。
- ^ “佐藤 賢治 (横浜)”. 高校野球ドットコム. 2022年4月23日閲覧。
- ^ a b “日本ハム・佐藤賢治[外野手]「結果を残して1ケタの番号を着けたい」 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2022年4月23日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 佐藤賢治 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
- 佐藤賢治 (@kenjisatoh52) - X(旧Twitter)
- Kenji Satoh 佐藤賢治 (@kenji_satoh57.69.52) - Instagram
- 佐藤賢治 Kenji Satoh (kenjisatoh.57.69.52) - Facebook