コンテンツにスキップ

姶良郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鹿児島県姶良郡の位置(緑:湧水町 薄緑・水色:後に他郡から編入した区域)

姶良郡(あいらぐん)は、鹿児島県大隅国)の

人口8,414人、面積144.29km²、人口密度58.3人/km²。(2024年10月1日、推計人口

以下の1町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。

歴史

現代の姶良郡は江戸時代始羅郡(しら)と呼ばれていた。これが古代の大隅国に存在した姶羅郡(あいら)と混同され、明治期に「姶良」に統一された。古代における「姶羅郡」は現在の鹿屋市付近を指し[1]中世までに肝属郡に編入された。このため、古代における「姶羅郡」と現代における「姶良郡」の直接の関連はない。

近世以降の沿革

  • 明治初年時点では全域が薩摩鹿児島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り[2]。特記以外は全域が現・姶良市。(38村)
    • 溝辺郷 - 竹子村、崎森村、三縄村、有川村、麓村(現・霧島市)
    • 山田郷 - 下名村、大山村、辺川村、上名村、北山村、木津志村
    • 蒲生郷 - 上久徳村、下久徳村、久末村、白男村、北村、西浦村、米丸村、漆村
    • 帖佐郷 - 東餅田村、鍋倉村、三拾町村、深水村、豊留村、中津野村、増田村、寺師村、住吉村、西餅田村、永瀬村
    • 重富郷 - 平松村[3]、船津村[4]、脇元村
    • 加治木郷 - 反土村、小山田村、日木山村、木田村、西別府村
  • 明治4年
  • 明治12年(1879年2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての姶良郡が発足。「加治木郡役所」が管轄。

町村制以降の沿革

1.加治木村 2.重富村 3.蒲生村 4.山田村 5.溝辺村 6.帖佐村 11.横川村 12.栗野村 13.吉松村 14.牧園村 15.西襲山村 21.敷根村 22.清水村 23.東襲山村 24.福山村 25.国分村 26.西国分村 27.東国分村(紫:霧島市 桃:姶良市 赤:湧水町)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、各郷に加治木村重富村蒲生村[5]山田村溝辺村帖佐村[6]が発足。(6村)
  • 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行のため、「加治木郡役所」が管轄する姶良郡・桑原郡西囎唹郡の区域をもって、改めて姶良郡が発足[7]。以下の各村が本郡の所属となる。(18村)
  • 明治31年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。
  • 明治45年(1912年6月1日 - 加治木村が町制施行して加治木町となる。(1町17村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年
    • 4月1日 - 国分村が町制施行して国分町となる。(2町16村)
    • 7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和3年(1928年11月1日 - 蒲生村が町制施行して蒲生町となる。(3町15村)
  • 昭和4年(1929年
    • 10月10日 - 西国分村が町制施行・改称して隼人町(第1次)となる。(4町14村)
    • 11月1日 - 福山村が町制施行して福山町となる。(5町13村)
  • 昭和5年(1930年1月1日 - 西襲山村が改称して日当山村となる。
  • 昭和7年(1932年)4月1日 - 栗野村が町制施行して栗野町となる。(6町12村)
  • 昭和10年(1935年7月10日 - 東襲山村(第1次)が改称して霧島村となる。
  • 昭和15年(1940年
    • 2月16日 - 横川村が町制施行して横川町となる。(7町11村)
    • 4月1日 - 牧園村が町制施行して牧園町となる。(8町10村)
  • 昭和17年(1942年)4月1日 - 帖佐村が町制施行して帖佐町となる。(9町9村)
  • 昭和22年(1947年11月3日 - 霧島村の一部(大字重久の一部)が国分町に編入。
  • 昭和23年(1948年)11月1日 - 日当山村の一部(大字朝日)が隼人町に編入。
  • 昭和25年(1950年)4月1日
    • 霧島村の一部(重久の大部分及び松永の一部[8])が分立して東襲山村(第2次)が発足。(9町10村)
    • 霧島村の一部(松永の大部分及び重久の一部[9])が日当山村に編入(霧島村に残った重久の一部は永水と改称)。
  • 昭和27年(1952年10月10日 - 山田村の一部(辺川)が加治木町に編入。
  • 昭和28年(1953年
  • 昭和29年(1954年
    • 4月1日(10町6村)
      • 隼人町・日当山町および清水村の一部(姫城・平岡の各一部[10])が合併して隼人日当山町が発足。
      • 国分町・東襲山村および清水村の残部が合併し、改めて国分町が発足。
    • 5月10日 - 国分町・東国分村・敷根村が合併し、改めて国分町が発足。(10町4村)
  • 昭和30年(1955年
    • 1月1日(10町2村)
      • 山田村の一部(木津志の一部[11])が蒲生町に編入。
      • 帖佐町・重富村および山田村の残部が合併して姶良町が発足。
    • 2月1日 - 国分町が市制施行して国分市となり、郡より離脱。(9町2村)
  • 昭和32年(1957年)4月1日 - 隼人日当山町が改称して隼人町(第2次)となる。
  • 昭和33年(1958年)11月3日 - 霧島村が町制施行して霧島町となる。(10町1村)
  • 昭和34年(1959年)4月1日 - 溝辺村が町制施行して溝辺町となる。(11町)
  • 平成17年(2005年
    • 3月22日 - 栗野町・吉松町が合併して湧水町が発足。(10町)
    • 11月7日 - 溝辺町・横川町・牧園町・霧島町・隼人町・福山町が国分市と合併して霧島市が発足し、郡より離脱。(4町)
  • 平成22年(2010年3月23日 - 加治木町・姶良町・蒲生町が合併して姶良市が発足し、郡より離脱。(1町)

変遷表

自治体の変遷
明治22年4月1日 明治22年 - 明治45年 大正1年 - 大正15年 昭和1年 - 昭和20年 昭和21年 - 昭和29年 昭和31年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在
加治木村 明治45年6月1日
町制
加治木町 加治木町 加治木町 加治木町 平成22年3月23日
姶良市
姶良市
帖佐村 帖佐村 帖佐村 昭和17年4月1日
町制
帖佐町 昭和30年1月1日
姶良町
重富村 重富村 重富村 重富村 重富村
  山田村 山田村 山田村 山田村 山田村
  昭和30年1月1日
蒲生町に編入
蒲生村 蒲生村 蒲生村 昭和3年11月1日
町制
蒲生町 蒲生町
溝辺村 溝辺村 溝辺村 溝辺村 溝辺村 昭和34年4月1日
町制
平成17年11月7日
霧島市
霧島市
西囎唹郡
福山村
明治30年4月1日
姶良郡
福山村 昭和4年11月1日
町制
福山町 福山町
  西囎唹郡
東襲山村
東襲山村 昭和10年7月10日
改称 霧島村
霧島村 昭和33年11月3日
町制
  昭和25年4月1日
分立 東襲山村
昭和29年4月1日
国分町
昭和29年5月10日
国分町
昭和30年2月1日
市制
西囎唹郡
敷根村
敷根村 敷根村 敷根村
西囎唹郡
東国分村
東国分村 東国分村 東国分村
西囎唹郡
国分村
大正15年4月1日
町制
国分町 国分町 昭和29年4月1日
国分町
  西囎唹郡
清水村
清水村 清水村 清水村
  昭和29年4月1日
隼人日当山町
隼人日当山町 昭和32年4月1日
改称 隼人町
西囎唹郡
西国分村
西国分村 昭和4年10月10日
町制改称 隼人町
隼人町
桑原郡
西襲山村
西襲山村 昭和5年1月1日
改称 日当山村
昭和28年5月3日
町制
桑原郡
牧園村
牧園村 昭和15年4月1日
町制
牧園町 牧園町
桑原郡
横川村
横川村 昭和15年2月16日
町制
横川町 横川町
桑原郡
栗野村
栗野村 昭和7年4月1日
町制
栗野町 栗野町 平成17年3月22日
湧水町
湧水町
桑原郡
吉松村
吉松村 吉松村 昭和28年2月11日
町制
吉松町 吉松町

行政

歴代郡長

出典[12]

氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 二階堂智行 明治30年(1897年)4月1日 明治33年(1900年)12月28日 明治33年12月28日休職、明治35年2月12日退官
2 佐藤良之助 明治33年12月28日 明治38年(1905年)7月6日 鹿児島郡長から転任[13]熊毛郡長に転任
3 岩脇武男 明治38年7月6日 明治40年(1907年)7月22日 日置郡長から転任[14]薩摩郡長に転任
4 大山綱任 明治40年7月22日 明治43年(1910年)12月23日 鹿児島郡長に転任[15]。姶良郡立工業徒弟学校(現 鹿児島県立加治木工業高等学校)初代校長[16]
5 肝付勇吉 明治43年12月23日 大正8年(1919年)11月17日 出水郡長から転任[15]大島島司へ転任
6 楠田正義 大正8年11月17日 大正15年(1926年)6月30日 川辺郡長から転任[17]。郡役所廃止により、廃官

脚注

  1. ^ 平安時代中期の辞書『和名類聚抄』には姶羅郡の郷として「鹿屋」「串伎」(後の串良町2006年に鹿屋市と合併)など、現在の鹿屋市にみられる地名が記載されている。
  2. ^ 郷については「角川日本地名大辞典」による
  3. ^ 明治初年触田村を合併
  4. ^ 明治初年春花村を合併
  5. ^ 上久徳村のうち蒲生町も含む。
  6. ^ 鍋倉村のうち納屋町、東餅田村のうち十日町も含む。
  7. ^ 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置(明治29年法律第55号、 原文
  8. ^ 大字重久のうち字吉水山・今城・青餅田・白落・仁連木・花牟礼・御子籠・樋渡・道場口・野首・中島末・岩田・折戸・山王田・山神・田中・平松・本待・修理田・島田・阿子田・順川・内園・世田・六與・岩元・須川原・桑ケ丸・桐畑・山路・折橋原・立山原・茅落・高付・崩平・新開込・樋口・小原・日徳原・関・木場・西木場・田口原・越口原・星熊原・七開・越口迫・重久迫・桃ケ迫・篠ケ迫・志明寺・内野々・堂免・外戸前・阿木世・野間口・有馬原・大久保・古外戸口・牧神・山田平・藤ヶ久保・杜久保、大字松永のうち字劍之宇都・中迫・鐘付・万膳田・初起田。
  9. ^ 大字松永のうち字劍之宇都・中道・鐘付・初起田・万膳田・川内を除く、大字重久のうち字桂坂・後原・麻苧迫
  10. ^ 大字姫城のうち字上向川原・稲荷田・落水田・西瓜川原・千次丸・羽坂・石踊・子作・金竹・下新原・砂走・上新原・取納田・鏡原・竿境・山野・浮田・栗ケ迫・大鳥・宇都・七ケ所・天神・地蔵田・石樋・中城口・平下の一部、大字平岡の一部。
  11. ^ 大字木津志のうち字論地・東宇都・白木川内・堂免・佐敷・山神原・水流田・中原・御納戸・坂中・宇都の口・柊木宇都・越下・堀之元・岩上・俵田・松坂・鍋松の一部。
  12. ^ 鹿児島県姶良郡役所『鹿児島県姶良郡群制史』1924年11月30日、40頁https://books.google.co.jp/books?id=xHqj_hsbJZkC 
  13. ^ 鹿児島県鹿児島郡長佐藤良之助以下七名任官ノ件”. 国立公文書館 デジタルアーカイブ. 国立公文書館 (1900年12月28日). 2021年8月5日閲覧。
  14. ^ 松元町郷土史編さん委員会; 松元町松元町郷土誌』1986年3月31日、322頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11517082 
  15. ^ a b 鹿児島県姶良郡長大山綱任外六名同県郡長警視任免ノ件”. 国立公文書館 デジタルアーカイブ. 国立公文書館 (1910年12月23日). 2021年8月5日閲覧。
  16. ^ 会長あいさつ・沿革”. 加治木工業高等学校同窓会. 2021年8月5日閲覧。
  17. ^ 鹿児島県川辺郡役所『鹿児島県川辺郡郡制二十五年史』1923年11月15日、293頁。 

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 46 鹿児島県、角川書店、1983年3月1日。ISBN 404001460X 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連文献

関連項目

外部リンク