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宮錦浩

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宮錦 浩
基礎情報
四股名 早地峯 浩 → 宮錦 浩 → 宮錦 弘
本名 野澤 浩
生年月日 1927年5月30日
没年月日 (1992-07-06) 1992年7月6日(65歳没)
出身 岩手県宮古市
身長 171cm
体重 119kg
BMI 40.70
所属部屋 高砂部屋(入門時は芝田山部屋)
得意技 左四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位 西小結
生涯戦歴 353勝360敗25休(58場所)
幕内戦歴 192勝228敗30休(28場所)
優勝 序二段優勝1回
敢闘賞1回
データ
初土俵 1942年5月場所(同年1月場所初土俵説もある)[1]
入幕 1952年1月場所
引退 1959年11月場所
引退後 年寄・芝田山
備考
金星1個(鏡里1個)
2014年3月5日現在

宮錦 浩(みやにしき ひろし、1927年5月30日 - 1992年7月6日)は、岩手県宮古市出身で高砂部屋(入門時は芝田山部屋)に所属した大相撲力士。本名は野澤 浩(のざわ ひろし)。最高位は西小結1955年1月場所)。得意手は左四つ、寄り。現役時代の体格は171cm、119kg[1]

来歴・人物

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実家は、酒や米を売る商店を営んでいた。

1942年(昭和17年)5月、元横綱宮城山福松が率いる芝田山部屋に入門した(同年1月場所初土俵説もある[1])が、程なく親方が逝去。それにより宮城山の師匠・早瀬川(元関脇)の高田川部屋に預けられ、その後、彼の死去に伴って高砂部屋に移った[1]

序ノ口に付いた時の四股名は、出身地・岩手県の名峰(早池峰山)に因んだ「早地峯」。その後、郷里の地名(宮古市)から1字を取った「宮錦」に改名している。

1951年(昭和26年)1月場所にて新十両に昇進すると、この地位を1年で突破し、翌年1月場所で新入幕を果たした[1]

小柄で小アンコとでもいう体格で重心の低さを利用しての寄り身が得意であった[1]が、逆にがっぷりに組まれると力が出ず、地味な取り口に終始した。

だが、東前頭5枚目で迎えた1954年(昭和29年)9月場所では、唯一ともいえる見せ場を作る事となる。

同場所初日、横綱昇進を目指す大関栃錦を破る(栃錦はこの1敗のみで14勝1敗で優勝し、場所後に横綱昇進を決めた)とさらには10日目、横綱・鏡里を破った。最終的には、この二番が利いて8勝7敗という平凡な星ながら敢闘賞を受賞[1]し、翌1955年(昭和30年)1月場所では自己最高位となる西小結に昇進した。

しかしこの場所、1勝14敗と惨敗して、1場所で小結の座から陥落。以降は、2度と三役に戻れず、幕内中~下位にいる事がほとんどであった。現役晩年は休場がちとなり、十両尻まで番付を落としていた。

1959年(昭和34年)11月場所限り、32歳で引退し、年寄芝田山(最初の師匠である元・宮城山が所有していた名跡である)を襲名。引退後、すぐに勝負審判に抜擢される事が確定したため、引退相撲は行わずに断髪式だけ行った。

以後は高砂部屋付きの親方として後進の指導に当たる傍ら、勝負審判や指導普及部委員などを務めた。

停年直前、芝田山の名跡を二所ノ関一門の元横綱大乃国(当時、一代年寄)に譲渡。

1992年(平成4年)5月場所後に停年を迎え、昭和生まれとして初めて、無事に停年退職を迎えた年寄となった。

だが、直後に体調を崩し、退職から僅か1ヵ月後の同年7月6日に横浜市内の病院で亡くなった。死因は、心不全であった。享年65。

主な戦績

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  • 通算成績:353勝360敗25休 勝率.495
  • 幕内成績:192勝228敗 勝率.457
  • 現役在位:58場所
  • 幕内在位:28場所
  • 三役在位:1場所(小結1場所)
  • 三賞:1回
    • 敢闘賞:1回 (1954年9月場所)
  • 金星:1個(鏡里1個)
  • 各段優勝
    • 序二段優勝:1回 (1946年11月場所)

場所別成績

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宮錦 浩
春場所 夏場所 秋場所
1942年
(昭和17年)
x (前相撲) x
1943年
(昭和18年)
(前相撲) 東序ノ口13枚目
5–3 
x
1944年
(昭和19年)
西序二段40枚目
4–4 
東序二段22枚目
2–3 
東序二段31枚目
4–1 
1945年
(昭和20年)
x 西三段目24枚目
1–4 
東三段目30枚目
2–3 
1946年
(昭和21年)
x 国技館修理
のため中止
西序二段4枚目
優勝
6–1
1947年
(昭和22年)
x 西三段目11枚目
4–1 
西幕下19枚目
2–4 
1948年
(昭和23年)
x 西幕下23枚目
2–4 
東三段目2枚目
4–2 
1949年
(昭和24年)
西幕下20枚目
6–6 
東幕下18枚目
7–8 
西幕下18枚目
10–5 
1950年
(昭和25年)
西幕下6枚目
9–6 
東幕下2枚目
8–7 
西幕下筆頭
9–6 
1951年
(昭和26年)
東十両12枚目
8–7 
東十両10枚目
9–6 
東十両4枚目
10–5 
1952年
(昭和27年)
西前頭19枚目
5–10 
東十両3枚目
8–7 
東十両2枚目
7–8 
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1953年
(昭和28年)
西十両4枚目
7–8 
西十両5枚目
7–8 
西十両7枚目
11–4 
x 東十両筆頭
9–6 
x
1954年
(昭和29年)
東前頭18枚目
9–6 
東前頭15枚目
10–5 
東前頭8枚目
9–6 
x 東前頭5枚目
8–7
x
1955年
(昭和30年)
西小結
1–14 
西前頭7枚目
4–11 
西前頭13枚目
9–6 
x 西前頭7枚目
3–12 
x
1956年
(昭和31年)
西前頭14枚目
8–7 
西前頭10枚目
7–8 
西前頭12枚目
9–6 
x 東前頭9枚目
6–9 
x
1957年
(昭和32年)
東前頭12枚目
7–8 
西前頭12枚目
7–8 
東前頭13枚目
8–7 
x 東前頭12枚目
4–11 
東前頭17枚目
6–9 
1958年
(昭和33年)
西前頭19枚目
8–7 
西前頭18枚目
9–6 
西前頭13枚目
6–9 
西前頭17枚目
8–7 
東前頭16枚目
8–7 
東前頭14枚目
6–9 
1959年
(昭和34年)
東前頭20枚目
8–7 
西前頭16枚目
7–8 
東前頭18枚目
7–8 
東前頭19枚目
5–10 
西十両4枚目
0–5–10 
西十両18枚目
引退
0–0–15
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
愛知山 0 1 青ノ里 1 2 東海 1 1 天津灘 0 2
安念山 1 2 泉洋 7 3 五ッ洋 0 1 大内山 1 7
大瀬川 3 4 大起 1 5 大ノ浦 4 2 大昇 2 1
大晃 2 7 小城ノ花 1 8 小野錦 3 0 大蛇潟 3 1
海山 3 9 甲斐ノ山 2 0 鏡里 1 2 金ノ花 3 1
神生山 1 1 神錦 3 2 北ノ洋 4 5 北葉山 0 2
清恵波 5 5 鬼竜川 5 4 鯉の勢 3 2 高津山 0 1
琴ヶ濱 1 4 琴錦 3 0 櫻國 1 3 潮錦 7 8
信夫山 2 6 清水川 2 3 楯甲 1 0 玉ノ海 3 3
玉響 0 2 千代の山 0 4 常錦 3 2 常ノ山 3 0
鶴ヶ嶺 3 2 輝昇 1 0 出羽錦 1 2 出羽ノ花 3 1
出羽湊 5 4 富樫 1 1 時津山 0 2 時錦 3 8
栃錦 1 3 栃光 0 4 豊ノ海 2 0 豊登 1 1
七ッ海 2 0 名寄岩 0 2 鳴門海 7 2 成山 5 7
白龍山 2 2 羽嶋山 3 5 羽子錦 2 2 緋縅 0 1
備州山 0 1 平鹿川 1 1 平ノ戸 1 0 広瀬川 2 4
福田山 0 2 福ノ海 3 1 福乃里 1 2 二瀬山 1 0
双ツ龍 4 7 不動岩 0 1 星甲(星兜) 7 5 増巳山 0 1
三根山 2 4 八方山 1 0 八染 5 2 吉井山 4 3
吉田川 2 0 芳野嶺 6 2 若杉山 2 1 若瀬川 3 6
若ノ海 2 3 若ノ花 0 1 若羽黒 0 1 若葉山 8 8
若三杉 2 2

改名歴

[編集]
  • 早地峯(はやぢみね、1943年5月場所-1945年11月場所)
  • 宮錦(みやにしき、1946年11月場所-1959年11月場所)

年寄変遷

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  • 芝田山(しばたやま、1959年11月-1992年5月)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p20

関連項目

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