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惟宗広言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
惟宗広言
時代 平安時代後期 - 鎌倉時代初期
生誕 天承2年(1132年
死没 文治5年3月11日1189年3月29日
官位 従五位下筑後守
主君 崇徳天皇近衛天皇後白河天皇二条天皇六条天皇高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇後白河法皇
氏族 惟宗朝臣
父母 父:惟宗基言
藤原遠宗
島津忠久?津々見忠季?
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惟宗 広言(これむね の ひろこと)は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての貴族歌人日向守惟宗基言の子。官位従五位下筑後守

経歴

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文章生を経て大宰少監式部丞を歴任し、久寿2年(1155年正六位上永暦元年(1160年)従五位下に叙される。文治2年(1186年)筑後守。

歌人として私撰集に『言葉集』、家集に『惟宗広言集』がある。『千載和歌集』に5首と『玉葉和歌集』に1首が採録されている[1]。また、今様の名人として後白河法皇に親しく仕えた。

系譜

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子に島津氏の祖である惟宗忠久がいる。島津氏に伝わる公式書類ではその祖とされている。妻は比企尼長女(丹後内侍)とされるが、島津氏の史料にしか出てこない話であり疑問もある。実子説と養子説があるが、通字の問題などから実子説については近年疑問視する指摘がある。

広言までの系図 惟宗具範惟宗広考惟宗貴重惟宗考近惟宗孝言惟宗基言惟宗広言惟宗忠久

脚注

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参考文献

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  • 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』(古代氏族研究会、1986年)