沼田一雅
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沼田 一雅(ぬまた かずまさ/ぬまた いちが、1873年(明治6年)5月5日 - 1954年(昭和29年)6月5日)は、日本の陶磁器彫刻家・工芸家[1]。本名は沼田 勇次郎。
人物
[編集]福井県福井市出身。竹内久一に彫刻を学ぶ[2]。1896年(明治29年)東京美術学校助教授。1900年(明治33年)パリ万国博覧会で鋳銅「猿廻し置物」が1等金牌を受賞[1]。1903年(明治36年)渡仏してセーヴル陶磁器製作所(現:国立陶芸美術館)にてセーブル焼、陶磁器彫刻の研究を行う。1906年(明治39年)帰国し、1909年(明治42年)東京美術学校教授(1933年退官)[2]。1933年(昭和8年)からは帝展の審査員[3]等を務めた。また、日本陶彫会を結成し、その会長を務めた[4]。1954年5月、日本芸術院賞・恩賜賞を受賞。同年6月5日、胃癌のため死去[2]。
栄典
[編集]- 1908年(明治41年)2月21日 - 従七位[5]
- 1912年(明治45年)3月1日 - 正七位[6]
- 1915年(大正4年)2月20日 - 従六位[7]
- 1917年(大正6年)8月25日 - 勲六等瑞宝章[8]
- 1918年(大正7年)2月12日 - 正六位[9]
- 1921年(大正10年)2月10日 - 従五位[10]
- 1924年(大正13年)4月30日 - 勲五等瑞宝章[11]
- 1928年(昭和3年) - レジオンドヌール勲章シュヴァリエ[2]
- 1928年(昭和3年)7月16日 - 正五位[12]
- 1930年(昭和5年)7月8日 - 勲四等瑞宝章[13]
- 1933年(昭和8年)9月1日 - 従四位[14]
- 1933年(昭和8年)10月16日 - 正四位[15]
記念像
[編集]主な作品
[編集]脚注
[編集]- ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Pus「沼田一雅」の解説『沼田一雅』 - コトバンク
- ^ a b c d “沼田一雅 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2021年1月18日閲覧。
- ^ 日本画伊東深水ら、新たに審査員に『中外商業新報』昭和8年9月5日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p410 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 日本陶彫会ホームページ・日本陶彫会と沼田一雅の足跡
- ^ 『官報』第7394号、1908年2月22日。
- ^ 『官報』第8608号、1912年3月2日。
- ^ 『官報』第765号、1915年2月22日。
- ^ 『官報』第1522号、1917年8月27日。
- ^ 『官報』第1657号、1918年2月13日。
- ^ 『官報』第2557号、1921年2月12日。
- ^ 『官報』第3505号、1924年5月2日。
- ^ 『官報』第531号、1928年10月1日。
- ^ 『官報』第1058号、1930年7月10日。
- ^ 『官報』第2007号、1933年9月7日。
- ^ 『官報』第2040号、1933年10月18日。
- ^ 日本の銅像探偵団HP・手島精一(目黒区)