コンテンツにスキップ

浜松基地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浜松飛行場から転送)
浜松飛行場
JASDF Hamamatsu Airbase
浜松飛行場を空撮(2023年)
IATA: なし - ICAO: RJNH
概要
国・地域 日本の旗 日本
所在地 静岡県浜松市中央区西山町
種類 軍用
所有者 防衛省
運営者 航空自衛隊
開設 1925年
所在部隊 第1航空団
警戒航空団ほか
標高 46 m (150 ft)
座標 北緯34度45分01秒 東経137度42分11秒 / 北緯34.75028度 東経137.70306度 / 34.75028; 137.70306
地図
空港の位置
空港の位置
RJNH
空港の位置
空港の位置
RJNH
空港の位置
滑走路
方向 長さ×幅 (m) 表面
09/27 2,550×60 アスファルト
リスト
空港の一覧
テンプレートを表示
浜松飛行場付近の空中写真(2021年)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
浜松飛行場付近の空中写真。(1988年撮影の8枚を合成作成)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

航空自衛隊浜松基地(はままつきち、JASDF Hamamatsu Airbase)は、静岡県浜松市中央区西山町無番地にある航空自衛隊の基地。以前は浜松飛行場を中心に南・北の基地が併設されていたが、現在は統合されて一つの基地になっている。

基地司令は、第1航空団司令が兼務。

歴史

[編集]
1952年10月、保安隊航空学校設立
保安隊航空学校の学生(1954年2月)

日本陸軍

アメリカ空軍

浜松駐屯地

保安隊

陸上自衛隊

  • 1954年(昭和29年)
    • 7月1日 - 陸上自衛隊へ移管[1]
    • 7月5日 - 航空自衛隊操縦学校編成。
    • 8月1日 - 航空自衛隊幹部学校創設。
    • 9月1日 - 航空自衛隊整備学校、航空自衛隊通信学校編成。
    • 9月10日 - 第3管区航空隊が第3航空隊に称号変更。
    • 9月25日 - 第116特科大隊M2 90mm高射砲)が浜松駐屯地において編成。
    • 10月1日 - 技術研究所航空機試験場が新設[2]
    • 10月20日 - 陸上自衛隊第116特科大隊が東千歳駐屯地に移駐。
    • 八尾空港が米軍から返還され、浜松駐屯地から第3管区航空隊が伊丹駐屯地八尾分屯地へ移駐[3]
  • 1955年(昭和30年)

浜松基地

  • 1955年(昭和30年)
    • 9月20日 - 浜松基地設置。臨時教材整備隊が教材整備隊に改編。
    • 10月17日 - ジェット機整備員教育開始
    • 11月1日 - 航空自衛隊操縦学校が航空自衛隊第1操縦学校に改編。
    • 12月1日 - 航空団及び実験航空隊編成。
  • 1956年(昭和31年)
  • 1957年(昭和32年)
    • 1月9日 - 第2航空団所属のF-86F戦闘機2機が訓練中に空中衝突を起こし天竜川河口に墜落、パイロット1名が殉職。
    • 2月1日 - 第1航空団に第5飛行隊新編。
    • 3月31日 -実験航空隊が岐阜基地へ移動。
    • 6月4日 - 第1航空団所属のT-33練習機が離陸時の事故により搭乗員2名が殉職。
    • 6月19日 - 第2航空団所属のF-86F戦闘機1機が夜間訓練中に天竜川南方の海上に墜落、パイロット1名が殉職。
    • 8月1日 - 技術研究所航空機試験場が岐阜基地に移転[2]
    • 9月2日 - 浜松管制分遣隊、浜松気象分遣隊新編。第2航空団が千歳基地に移動。
  • 1958年(昭和33年)
    • 1月16日 - F-86D、4機を初受領。
    • 3月18日 - 臨時救難航空隊編成。
    • 8月1日 - 浜松基地廃止・浜松南北各基地設置。北基地に第1航空団、浜松管制分遣隊、浜松気象分遣隊が移動。
    • 10月1日 - 南基地の臨時救難航空隊を救難航空隊に改編。救難教育隊、救難整備隊が新編。
  • 1959年(昭和34年)6月1日
  1. 航空自衛隊整備学校が航空自衛隊第1術科学校に改称。
  2. 航空自衛隊通信学校が航空自衛隊第2術科学校に改称。
  3. 浜松管制分遣隊から浜松管制隊に改称。
  4. 浜松気象分遣隊から浜松気象隊に改称。
  • 1960年(昭和35年)
  • 1961年(昭和36年)7月1日 - 保安管制気象団新編。
  • 1962年(昭和37年)10月1日 - 南基地に術科教育本部設立。
  • 1964年(昭和39年)12月28日 - 北基地に飛行教育集団司令部が宇都宮飛行場から移動。
  • 1965年(昭和40年)
    • 1月30日 - 第33教育飛行隊が築城基地から移動。
    • 11月20日 - 第2飛行隊廃止・特別飛行研究班を戦技研究班と改称。
  • 1969年(昭和44年)1月31日 - 南基地に教導高射隊設立。
  • 1970年(昭和45年)8月19日 - 全日空アカシア便ハイジャック事件発生。浜松基地に緊急着陸。
  • 1971年(昭和46年)
    • 3月1日 - 救難教育隊が小牧基地に移動。南基地に小牧基地から小牧救難隊が移動し、浜松救難隊に改称。
    • 10月22日 - 浜松救難隊にV-107配備。
  • 1972年(昭和47年)2月9日 - 浜松救難隊にMU-2配備。
  • 1976年(昭和51年)10月1日 - 南基地に中部航空音楽隊設立。
  • 1981年(昭和56年)12月27日 - 戦技研究班が解散(翌年1月12日、松島基地第4航空団第21飛行隊内に「戦技研究班(T-2ブルーインパルス)」が新編)
  • 1982年(昭和57年)11月14日 - 航空祭中にブルーインパルス(T-2)が墜落事故。
  • 1985年(昭和60年)10月1日 - 第6移動警戒隊編成(南基地)
  • 1988年(昭和63年)
    • 9月20日 - T-4初号機受領。T-33AからT-4への機種更新開始。
    • 10月1日 - 臨時T-4教育飛行隊新設。
  • 1989年平成元年)
    • 3月16日
    1. 南・北の基地が統合、「浜松基地」設立。
    2. 飛行教育集団及び術科教育本部が廃止、航空教育集団司令部新編。航空気象群新編。
    • 4月17日 - 教導高射隊にペトリオット初装備。
  • 1990年(平成02年)3月31日 - 第32教育飛行隊編成完結。
  • 1991年(平成03年)3月26日 - T-33Aラストフライト。
  • 1995年(平成 7年)12月3日 - T-2ブルーインパルス、最後の展示飛行を行う。
  • 1998年(平成10年)
  • 1999年(平成11年)
    • 3月25日 - 警戒航空隊司令部及び第601飛行隊司令部が三沢基地から移動。警戒航空隊隷下に第601飛行隊第2飛行班及び早期警戒管制部隊が新編。
    • 4月4日 - 航空自衛隊浜松広報館開館。
  • 2000年(平成12年)
    • 4月 - 警戒航空隊隷下の早期警戒管制機(E-767)の正式運用を開始。
    • 4月13日 - 教材整備隊新庁舎落成。
  • 2004年(平成16年)
    • 3月12日 - 航空教育集団司令部新庁舎落成。
    • 3月31日 - 第6移動警戒隊が廃止。
    • 10月3日 - 開催された航空祭に、「航空自衛隊創設50周年」を記念してアメリカ空軍曲技飛行チーム『サンダーバーズ』が飛来。
  • 2005年(平成17年)3月31日 - 警戒航空隊隷下の第601飛行隊第2飛行班が飛行警戒管制隊に改編。
  • 2008年(平成20年)5月 - 高射教導隊にペトリオットミサイル(PAC-3)の配備を開始[5]
  • 2014年(平成26年)8月1日 - 航空戦術教導団新編に伴い、高射教導隊が航空総隊直轄から同団隷下に編入[6]
  • 2018年(平成30年)10月30日 - 浜松基地合同庁舎落成。
  • 2020年(令和02年)3月26日 - 航空自衛隊第2術科学校が航空自衛隊第1術科学校に吸収される形で廃止。警戒航空隊が警戒航空団に改編。
  • 2021年(令和03年)10月29日 - 第3輸送航空隊第41教育飛行隊T-400)が美保基地から移動し、第1航空団隷下に編入[7][8][9]

配置部隊

[編集]

航空教育集団直轄

航空総隊直轄

中部航空方面隊隷下

航空支援集団隷下

防衛大臣直轄

浜松広報館

[編集]

航空祭

[編集]
エアフェスタ浜松2009でのサンダーバーズ
エアフェスタ浜松2009で展示飛行を行うサンダーバーズ

毎年秋に航空祭を実施しており、「エア・フェスタ浜松○○○○」(○には西暦の年号が入る)と称している。ブルーインパルスの展示飛行の他に、航空自衛隊で使用している航空機や陸上自衛隊のヘリコプター、米軍から借用した機体などの展示、各種航空機の展示飛行などのイベントが催される。入場無料。

1982年11月14日の航空祭では「T-2ブルーインパルス」が「下向き空中開花」演技中4番機が墜落、パイロット1名が殉職、周辺住民12名の負傷者を出す事故を起こした。以後浜松基地の航空祭では「宙返り飛行系演技」と「背面飛行系演技」が全面禁止され、「浜松スペシャル」と題した「水平飛行系演技」のみとされた。「T-4ブルーインパルス」に機種改編後も「浜松スペシャル」が続けられていたが、1999年11月14日の航空祭より「宙返り飛行系演技」と「背面飛行系演技」が解禁され、18年ぶりに第一区分の展示飛行を実施した。

夏には「浜松基地納涼祭」(浜松基地 納涼の夕べ)を毎年実施する。当日は南基地の一部を開放し、盆踊り等により地域住民との交流を図っている。入場・参加無料。

2004年10月の航空祭に、アメリカ空軍の曲技飛行チーム「サンダーバーズ」が飛来し展示飛行を行う予定だったが、悪天候で飛ぶ事はなかった。

2009年10月17日に開催された航空祭では、アメリカ空軍の曲技飛行チーム「サンダーバーズ」が展示飛行を行い、約12万人が来場した。

浜松基地の航空祭以外でもブルーインパルスが飛来することがある。これは、宮城県松島基地所属のブルーインパルスが他の基地等へ展開する際や、他の基地等から松島基地に帰投する際に、給油のため浜松基地に立ち寄るためである。その際はブルーインパルスのコンバットブレイクやフォーメーションテイクオフを見ることができる。ただし、浜松基地の天候が悪く、石川県の小松基地を経由して松島基地に帰投した例もある。

登場作品

[編集]

ドキュメント番組

[編集]

映画

[編集]
ロケ地の1つとして浜松基地で撮影が行われ、劇中に浜松基地が登場する。
BEST GUY』(1990年12月15日、東映) - 主演・織田裕二
ロケ地の1つとして浜松基地にて撮影が行われ、劇中に浜松基地が登場する。
今日もわれ大空にあり
劇中当時浜松基地に在籍していた、ブルーインパルスが撮影協力した。
首都消失
浜松救難隊のエプロンで撮影が行われた。

ドラマ

[編集]
空飛ぶ広報室

その他

[編集]
  • 所属するほとんどの部隊が隊員への教育を目的とした部隊である。
  • 航空自衛隊の滑走路をもつ基地としては珍しく、基地周辺は都市で交通の便も発達しており、いわゆる「遊ぶ場所」が非常に多地。

脚注

[編集]
  1. ^ 自衛隊法施行令(昭和29年政令第179号)
  2. ^ a b 技術研究本部50年史I 50年のあゆみp.2
  3. ^ 近畿中部防衛局広報誌” (PDF). 近畿中部防衛局トップページ (2012年11月15日). 2018年12月9日閲覧。:2012 11/12月号 自衛隊施設巡り 陸上自衛隊八尾駐屯地
  4. ^ 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和30年7月30日政令第142号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1955年7月30日). 2016年5月4日閲覧。
  5. ^ ペトリオットPAC-3の浜松配備について 防衛省 2008年5月14日
  6. ^ 防衛省組織令の一部を改正する政令(平成二十六年七月二十四日公布政令第二百六十三号)
  7. ^ “空自輸送機部隊の大改編 第41教育飛行隊が美保基地から浜松基地に移転 教育部隊の集約がねらい”. zakzak. (2021年10月22日). https://www.zakzak.co.jp/article/20211022-WIEB3BVNEVNGLCP2XQH4LJBO2E/ 2021年10月29日閲覧。 
  8. ^ “第41教育飛行隊、美保基地から浜松基地へ移動”. 航空新聞社. (2021年10月19日). https://www.jwing.net/news/44203 2021年10月29日閲覧。 
  9. ^ 航空自衛隊 浜松基地 [@JASDFhamamatsu] (2021年10月29日). "第1航空団は改編記念式典を実施しました。". X(旧Twitter)より2021年10月31日閲覧

外部リンク

[編集]