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[[Category:スペインのサッカー指導者]]
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[[Category:エルクレスCFの選手]]
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2022年1月1日 (土) 21:06時点における版

アルバロ・セルベラ
名前
本名 アルバロ・セルベラ・ディアス
Álvaro Cervera Díaz
ラテン文字 Álvaro Cervera
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
赤道ギニアの旗 赤道ギニア
生年月日 (1965-09-20) 1965年9月20日(59歳)
出身地 スペイン領ギニアサンタ・イサベル
(現:赤道ギニアの旗 赤道ギニア北ビオコ県マラボ)
身長 175cm
選手情報
ポジション MF
ユース
スペインの旗 CDテネリフェ
スペインの旗 ラシン・サンタンデール
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1984–1987 スペインの旗 ラシン・サンタンデール 33 (5)
1987–1992 スペインの旗 RCDマヨルカ 139 (10)
1992–1995 スペインの旗 バレンシアCF 82 (5)
1995–1997 スペインの旗 ラシン・サンタンデール 42 (3)
1997–1998 スペインの旗 エルクレスCF 2 (0)
1998–1999 スペインの旗 アギラスCF 11 (1)
1999 スペインの旗 UDアルメリア 19 (5)
1999–2000 スペインの旗 サン・フェルナンドCD 25 (3)
2000–2001 スペインの旗 オンティニエンテCF 0 (0)
通算 353 (32)
代表歴
1987 スペインの旗 スペイン U-21 4 (1)
1991–1992 スペインの旗 スペイン 4 (0)
監督歴
2001–2002 スペインの旗 カタロハCF (AC)
2002–2003 スペインの旗 カタロハCF
2003–2004 スペインの旗 ビジャレアルCF (ユースチーム)
2004–2005 スペインの旗 カタロハCF
2005 スペインの旗 CDカステリョン
2006 スペインの旗 UDアマンサ
2006–2007 スペインの旗 アリカンテCF
2008–2009 スペインの旗 クルトゥラル・レオネサ
2009–2010 スペインの旗 レアル・ハエン
2010–2011 スペインの旗 レアル・ウニオン
2011–2012 スペインの旗 レクレアティーボ・ウェルバ
2012 スペインの旗 ラシン・サンタンデール
2012–2015 スペインの旗 CDテネリフェ
2016– スペインの旗 カディスCF
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アルバロ・セルベラ・ディアスÁlvaro Cervera Díaz , 1965年9月20日 - )は、スペインの元サッカー選手。現指導者。スペイン領ギニア (現:赤道ギニア)出身。現在はプリメーラ・ディビシオンカディスCFの監督を務めている。

来歴

選手時代

1984年にラシン・サンタンデールのトップチームに昇格。同年9月9日のレアル・バリャドリード戦でプロデビュー。以降出場機会を増やすも、1986-87シーズンラ・リーガ17位で終了。降格プレーオフにも敗れ、2部リーグに降格。

1987年夏にRCDマヨルカに移籍。加入1年目の1987-88シーズンはリーガ18位に終わり、2部降格。その後1年ディビシオンリーガ復帰を果たし、以降中心選手として活躍するも、1991-92シーズンは最下位に終わり、三度2部リーグ降格を味わった。

1992年夏にバレンシアCFに移籍し、中心選手として活躍。1995年にラシン・サンタンデールに復帰し、2年間プレー。以降はエルクレスCFなど下部リーグを渡り歩き、2001年に引退した。

スペイン代表

1991年9月にスペイン代表に初招集。4日のウルグアイ戦で後半途中にヨン・アンドニ・ゴイコエチェアとの交代で代表初出場。計4試合に出場した。

監督歴

現在引退後、カタロハCFのアシスタントコーチで指導者業を開始。以降アリカンテCFクルトゥラル・レオネサなどの下部リーグの監督を務める。2011-12シーズンは、シーズン途中からラシン・サンタンデールの監督を務めるも、それまでの悪い流れを変えることは出来ず、最下位で終え退任。

2012年7月3日、カンテラ時代を過ごしたCDテネリフェの監督に就任。2012-13シーズンはセグンダ・ディビシオンB (3部リーグ)で優勝し、2部リーグ復帰に導く。2013-14シーズンは11位で終了。翌2014-15シーズンは低迷し、2015年2月に辞任した。

2016年4月18日、カディスCFの監督に就任[1]。途中就任した2015-16シーズンは3部リーグディビシオン4位で終了。昇格プレーオフも制して2部リーグ復帰に導く。以降中位に定着し、2019-20シーズンは2位で終え、2005-06シーズン以来のリーガ復帰に導いた。

2020年10月17日のレアル・マドリード戦で、敵地で1-0の完封勝利を演じ[2]、更に12月5日のFCバルセロナ戦でも2-1のアップセットを演じ、本拠地エスタディオ・ラモン・デ・カランサに2005-06シーズン以来のラ・リーガ勝利をもたらした[3][4]

脚注

  1. ^ ÁLVARO CERVERA, NUEVO ENTRENADOR DEL CÁDIZ”. Cádiz CF (2016年4月18日). 2020年12月9日閲覧。
  2. ^ レアル撃破のカディス指揮官、歴史的大金星に「ずっと忘れないだろう」”. サッカーキング (2020年10月18日). 2020年12月9日閲覧。
  3. ^ 苛立つクーマン、2失点目の負の連鎖に「あんなゴールは許されない」”. SPORT.es.jp (2020年12月6日). 2020年12月9日閲覧。
  4. ^ ポゼッション率18%でバルセロナ下したカディス、監督セルベラ「ポゼッションは簡単ではないから必要ない」”. goal.com.jp (2020年12月7日). 2020年12月9日閲覧。

外部リンク