「慕容部」の版間の差分
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2022年3月1日 (火) 18:30時点における版
慕容部(ぼよう ぶ、拼音:Mùróng bù)は、4世紀前半より5世紀中期にかけて、中国の東北方、遼東・遼西地方より、華北地方にかけての地域で勢力を有した鮮卑系の部族である。五胡十六国時代には前燕・後燕・西燕・南燕を建国した。慕容氏とも呼ばれる。
名称
「慕容」という部族・氏族名の起源に関しては、幾つかの説がある。
- モンゴル語で「富み」を意味する‘bayan’の音訳説
- その原住地であった大凌河の旧名、白狼水より出たとする説
- その族人がよく利用した歩揺冠がなまったとする説
- 『晋書』「載記」に見える「二儀の徳を慕い、三光の容を継ぐ」をとったとする説
- 慕容寺という場所に拠点を構えた事に由来するという説
起源
『晋書』慕容廆載記では、魏の初めに莫護跋という者が諸部を率いて遼西に入居し、景初2年(238年)、司馬懿の公孫淵討伐に功があって率義王を拝命され、棘城の北に建国したとある。
また、『太平御覧』三百五十五所引述異記にて、「慕容廆の遠祖の乾羅は、金銀鞍勒の白馬に乗って天より降り立った」との伝説がある。
沿革
その名が史書に現われる初見は、『三国志』巻30であり、2世紀半ばに鮮卑の檀石槐が、その支配領域を三分した際、その中部の大人(たいじん:部族長)の中に慕容氏の名が見える。その風習から考えると、この頃、慕容部は、右北平郡から上谷郡の間の地域で遊牧生活を送っていたものと推測される。
3世紀初頭には、大凌河流域の地域より遼西地方の棘城付近に移動し、慕容渉帰が西晋によって鮮卑単于に封ぜられている。が、その後、北方に居た宇文部に迫られて、遼東地方に移動した。慕容廆の代になって、再び遼西地方の棘城付近に戻り、遊牧生活と同時に農耕も実施するようになった。この変化には、東方に居た農耕民である夫余が関与しているものと思われる。同時に、漢民族の亡命者から、賢良なる者を抜擢して政務に当たらせ、漢制を吸収し、国家体制を整備しつつあった。またこの時期には、慕容廆が庶兄の慕容吐谷渾を追放し、慕容吐谷渾はチベットで吐谷渾が建国した。
慕容部の人は皮膚が白かったので、白虜や白賊とも呼ばれた[1]。その為、晋の士人より好まれ、多数の者が慕容部の女を買って婢妾(妾や召使い)としたという。
慕容廆の死後、慕容皝が継承し、337年に燕王を自称し、河北地方を領有し、漢族支配を開始した。その後、前燕から、後燕・西燕・南燕の4つの国を建てたが、その中心は華北に移動し、またその制度は魏や晋の体制に倣っており、漢化の度を増していった。
歴代大人
- 莫護跋…慕容部の始祖、率義王を拝命する
- 慕容木延…莫護跋の子、左賢王を拝命する
- 慕容渉帰(? - 283年)…木延の子、鮮卑単于を拝命する
- 慕容耐(刪)(283年 - 285年殺)…渉帰の弟
- 慕容廆(285年 - 333年)…渉帰の次男で嫡子
- 慕容皝(333年 - 348年)…廆の三男、前燕を建国
系図
莫護跋 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
木延 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
渉帰 | 耐 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
吐谷渾 | 廆 | 運 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
吐延 | 翰 | (前1)皝 | 評 | (僭)仁 | 昭 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(前2)儁 | 恪 | 桓 | 納 | (南1)徳 | (西6)永 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(前3)暐 | (西0)泓 | (西1)沖 | (後1)垂 | (西3)凱 | (南2)超 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(西5)忠 | (西4)瑤 | (追)令 | (僭)麟 | (後2)宝 | (後4)熙 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(後3)盛 | 会 | 策 | (北1)高雲 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 凡例
脚注
- ^ 『中国通史』による