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2022年3月1日 (火) 19:46時点における版

李紹庚
『満洲建国十年史』(1943年)
プロフィール
出生: 1896年光緒22年)
死去: 不詳
出身地: 清の旗 盛京将軍管轄区奉天府遼陽州
職業: 政治家・外交官
各種表記
繁体字 李紹庚
簡体字 李绍庚
拼音 Lǐ Shàogēng
ラテン字 Li Shao-keng
和名表記: り しょうこう
発音転記: りー シャオゴン
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李 紹庚(り しょうこう)は中華民国満州国の政治家・外交官。奉天派の政治家で、後に満州国で要人となった。

事績

1920年民国9年)、ハルビン俄立高等商業学校を卒業する。その後、浜江道尹公署外交科長に就任した。1924年(民国13年)、東省特別区市政管理局副局長となる。1926年(民国15年)、東省特別区教育庁庁長となった。翌年3月から9月まで、署理駐ウラジオストク総領事をつとめている。1931年(民国20年)、中東鉄路理事長代理となった。

満州国成立後、李紹庚は中東鉄路督弁公署代理督弁、北満鉄路督弁兼理事長を歴任した。1935年康徳2年)5月21日、交通部大臣に就任し[1]1940年(康徳7年)12月6日、阮振鐸と入れ替わりで駐日大使を命ぜられた[2]1942年(康徳9年)9月28日、外交部大臣に就任し[3]1944年(康徳11年)12月16日、南京国民政府(汪兆銘政権)に対する駐華大使へ転じた[4]

満州国滅亡後、李紹庚は蔣介石国民政府により逮捕された[5]。その後、李がどのように取り扱われたかは不詳である。

  1. ^ 「鄭総理辞表を捧呈 張景恵氏に大命降下」『東京朝日新聞』昭和15年(1935年)5月22日夕刊。
  2. ^ 「駐日満大使異動 李交通部大臣と入代り」『東京朝日新聞』昭和15年(1940年)12月7日夕刊。
  3. ^ 「共栄圏の重責完遂へ 満州国大臣全面更迭」『朝日新聞』昭和17年(1942年)9月29日。
  4. ^ 「満州国大臣級異動」『朝日新聞』昭和19年(1944年)12月17日。
  5. ^ 黒竜江省図書館特設ページ 「凝固的歴史-哈爾濱建築文化」-「建築背後的歴史-市政管理局」

参考文献

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  満州国
先代
丁鑑修
交通大臣
1935年3月 - 1940年12月
次代
阮振鐸
先代
韋煥章
外交大臣
1942年9月 - 1944年4月
次代
阮振鐸