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青木秀夫 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
青木 秀夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市鶴見区
生年月日 (1962-06-17) 1962年6月17日(62歳)
身長
体重
179 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1983年 ドラフト2位
初出場 1985年5月30日
最終出場 1986年6月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

青木 秀夫(あおき ひでお、1962年6月17日 - )は、神奈川県横浜市鶴見区[1]の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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鶴見工業高では、愛甲猛宮城弘明らと並ぶ県内屈指の好投手として知られる。1980年夏の県大会では準々決勝で、エース近藤章仁を擁する桐蔭学園高に延長11回の接戦の末に敗退、甲子園には届かなかった。

高校卒業後は、社会人野球東芝に入団。黒紙義弘川端順らと強力投手陣を構成し、1983年都市対抗野球で優勝[2]日本選手権でも準優勝を果たす。

1983年のプロ野球ドラフト会議横浜大洋ホエールズから2位指名を受け入団。

即戦力として期待されたが、ほとんど戦力にならず未勝利のまま1987年限りで現役を引退。

引退後は打撃投手を務める。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1985 大洋 6 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 52 11.0 12 4 9 1 1 3 0 0 12 12 9.82 1.91
1986 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 12 2.0 6 1 0 0 0 2 0 0 6 6 27.00 3.00
通算:2年 7 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 64 13.0 18 5 9 1 1 5 0 0 18 18 12.46 2.08

記録

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  • 初登板:1985年5月30日、対広島東洋カープ戦(広島市民球場)、5回裏から3番手で救援登板、2回無失点

背番号

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  • 41 (1984年 - 1987年)
  • 90 (1988年 - 1990年)

脚注

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  1. ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、4ページ
  2. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年

関連項目

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外部リンク

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