風穴
地形としての風穴(ふうけつ、かざあな)とは、洞窟の内外で生じる気温差や気圧差により風の流れが生じ、洞口(洞窟の開口部、出入り口)を通じて体感的に大気循環がある洞窟の一形態である。英語では blowing cave(日本語音写例:ブローイングケイブ、ブローイング ケイヴ)" という[1]。なお、英語のwind caveは、風の作用により形成された横穴・洞窟[2]をいうので、日本語につられてwind caveとしないように注意が必要。
名称
[編集]風穴は「ふうけつ」や「かざあな」などと読んだりするが、どちらでも間違いではない。近世頃までは一般的に「かざあな」と呼ばれていたが、明治時代に入ると蚕種貯蔵風穴が全国各地に多数造られ、「ふうけつ」の語が広く定着した。ただ、地域によっては明治時代以降も「かざあな」を使っている地名もある。地域によっては伝聞などから「かざあな」と「ふうけつ」を形状や用途の違いで区別している場合もあるが、全国的に見れば統一的に定義づけて区別することは適切ではない[3]。
地理学者・漆原和子が編纂した『カルスト─その環境と人びととのかかわり』(1996年刊)は「人の入ることのできない小規模のものを『かざあな』、洞穴となっているものを『ふうけつ』とも区分する」としているが[4]、根拠不明で、おそらくある限られた地域での伝聞と思われる。実際、日本屈指の大洞窟でもある河内風穴の読みとして「かわちふうけつ」と「かわちのかざあな」があるように、この定義にあてはまらない例が全国各地に数多く存在する[3]。
概要
[編集]風穴は比較的新しい時代の火山岩(溶岩台地、等)が広がる地域に見られる。このタイプの世界の大規模な風穴としては、ウインドケーブ国立公園の洞穴(アメリカ合衆国サウスダコタ州)がある。日本では富士山麓周辺に多く存在し、著名なものとして万野風穴や富岳風穴がある。石灰岩(カルスト地形、等)の鍾乳洞が原因の風穴もあり、これは秋芳洞やグヌン・ムル国立公園のウィンドケイブ(東南アジアのボルネオ島北部)があげられる。開口節理(割れ目が開いたもの)は大雪山周辺などにも風穴は多く認められ、凍結・融解によって岩が割れる現象などにより風穴は発生する。ここでは、風穴に起因する永久凍土の報告がある。
また、地中の空洞が、高低差のある複数の開口部で地表と結ばれている場合にも風穴現象が起きやすい。冬場、空洞内で比重が軽い温かく空気が上方の温風穴から吹き出し、その分、冷たい外気が下方の冷風穴から吸い込まれる。日光が射さない空洞内の空気と岩盤は温度が上がりにくいため、夏になっても冷気が漏れ出る仕組みである。自然の洞窟だけでなく、金沢城石垣のような人工空洞でも起きる[5]。
実際には日本の風穴は、溶岩トンネルによる風穴は、富士山山麓や秋田駒ヶ岳、寒風山、鳥海山の猿穴、北八ヶ岳、神鍋山、雲仙岳などのごく一部で指摘されているにすぎない。日本の風穴の大半は、崖錐が崩落した岩屑や、岩塊斜面などの堆積物の隙間からできているものがほとんどである。清水長正・澤田結基 編『日本の風穴』(2015年刊)ではこれを「崖錐型風穴」と名付けている[6]。
夏期に下方で冷風が吹き出す「冷風穴」がある一方、冬期には「冷風穴」が風の吸い込み口になり、山の上方で煙突のように温風が吹き出すことがある。これを「温風穴」という。冬期には冷風穴から冷えた外気が吸い込まれ、冷風穴に近い風穴内の岩石が著しく冷却される。その蓄熱によって春から夏までの岩石の低温が維持され、そのため冷風穴から冷たい風が吹き出すと考えられる[7]。
風穴植物
[編集]風穴周辺には、風穴がつくる低温環境によって寒冷な植生帯に生育する植物が出現することがある。 風穴の植物が初めて記載されたのは牧野富太郎や、三好学による長走風穴によるものが最初で、そこでは標高200m程度のコナラやミズナラの林の中にコケモモやゴゼンタチバナ、オオタカネバラなどの高山から亜高山帯の植物群落が見られる。三好の調査により、1926年(昭和元年)には「長走風穴高山植物群落」として、富士山麓に次いで国の天然記念物に指定された。また、福島県の中山風穴では、オオタカネバラやアイズシモツケ、ベニバナイチヤクソウなどからなる、やや規模が大きい植物群落があり、1964年(昭和39年)に「中山風穴地特殊植物群落」として国の天然記念物に指定されている。風穴植物が天然記念物になっているのはこの2件のみである。これらは、氷期の植物のレフュージア(待避地、退避地)[* 1]という見解もある[8]。
利用
[編集]江戸時代中期にあたる宝永年間(1704-1711年)、信濃国安曇郡稲核村(幕藩体制下の信州松本藩知行稲核村。現・長野県松本市安曇稲核)の稲核風穴では、風穴を利用した漬物小屋を作って漬物保存に利用していた。漬物は松本城主に献上されていたという[9]。
開口部が大きく有名な風穴は、一部で観光名所になっている。日本では夏場でも付近が涼しいことから山地の住民に知られるようになった小さな風穴が全国に点在している。これらは野菜・漬物などの保管用に加えて、明治時代に養蚕に使う蚕の卵の保存に使用された。風穴の上に建てられた「風穴小屋」は全国に少なくとも280カ所程度あった。風穴小屋は電気冷蔵庫が普及した大正中期以降、ほとんどは使われなくなったが、種子や酒などの保存用に再建・新設された例もある。風穴の研究者や愛好者が集まる全国サミットが開かれているほか、その研究成果をまとめた清水長正・澤田結基 編『日本の風穴』が2015年(平成27年)に刊行された[5]。
荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡(群馬県)は、ユネスコ世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成物件である。
富士山山麓の富岳風穴、西湖蝙蝠穴、駒門風穴などの溶岩トンネルは、古くから観光用の洞窟として著名である。 北海道の遠軽や然別火山群、寒風山、秋田県湯沢の三関風穴、群馬県の荒船風穴、兵庫県の神鍋山、隠岐の岩倉、長崎県の雲仙岳では風穴がジオサイトになっており、ユニークな自然の価値が認められている。秋田県の長走風穴や宮城県の材木岩風穴、佐賀県永野の風穴などは避暑のための公園として整備されている。新潟県の山伏山風穴、浜松市の鷲沢風穴、香川県の高鉢山風穴などは、キャンプ場近辺のクールスポットとして注目されている。また、現在も実用的な冷蔵倉庫として利用されている風穴が各地にある。稲核風穴や、津南町の見倉の風穴、山梨県早口町の久田子風穴、兵庫県の神鍋山風穴などはいずれも集落近傍の風穴で、種や野菜、漬物や果実の貯蔵に利用されている。長野県長和町では、1992年(平成4年)に農山漁村活性化集出荷施設として、風穴を生かした天然冷蔵倉庫が新設され、特産の蕎麦の実を保存している。また、特に施設はないが、上高地岳沢の「天然クーラー」や双六岳登山ルートの蒲田川左俣林道沿いの「お助け風」、後方羊蹄山の比羅夫コース2合目の「風穴」などは、夏の登山シーズン中に登山者へ涼を供している[10]。
養蚕業への利用の歴史
[編集]江戸時代までは、大半の蚕の品種は春の孵化から6月末の産卵まで、1年に1度の飼育しかできなかった。当時は桑の芽吹きに合わせて卵を部屋の中で上下させたり、火鉢で暖めたり、冷たい所に置いたりして、慎重に温度管理を行い孵化の時期を桑の芽吹きに合わせて調節していた。長野県の南安曇地区では、江戸時代後期の文久年間(1861-1865年間)にはすでに風穴に蚕種を保存して孵化を遅らせる手法があったことが記録されている。幕末の慶応2年(1866年)には、輸出したものの過剰になって日本に返されていた蚕種のうちの稲核風穴(前田風穴)に保存しておいた分を、大遅霜で蚕が大被害を受けた際に取り出して飼育してみたところ、一定量の繭を得ることができた。これが蚕種冷蔵の風穴利用の本格的な起源となったとされる。1878年(明治11年)には、風穴蚕種の製造が政府に許可され、風穴を利用した年間多回飼育が全国に広がっていった。しかし、風穴を利用した蚕種貯蔵は大正時代には減少し、1935年(昭和10年)にはほぼゼロになった。これは愛知県の小池弘三が1914年(大正3年)に開発した人工孵化技術が全国に普及していたためであった。その技術というのは、蚕種を塩酸に浸し、越年状態に至った蚕種を強制的に孵化するというものである。また、風穴は一般的に交通の不便な山中にあることが多く、明治時代から冷蔵庫の利用が考えられていた。すでに1908年(明治41年)には冷蔵庫で保存した蚕種と、風穴で保存した蚕種に大きな違いが無いことが研究されていた[6]。なお、2011年(平成23年)3月11日に東日本大震災が発生して東日本の電力供給が極めて不安定な状況に陥った際には、電力会社が輪番停電を実施したことで、養蚕業者は貴重な蚕の系統を電力に頼ることなく冷凍保存する必要に迫られ、前田風穴内での蚕種の保存が実施された[11]。
風穴の一覧
[編集]世界には数多くの風穴がある。その中から特筆性が高いと思われるものを抜粋し、ここに記載する。ただし、日本国外に関しては情報が不足している。
日本国内
[編集]都道府県の記載順は ISO 3166-2:JP に準拠する。ここでいう所在地は一般的な洞口(観光用洞口)の所在地。
植物群落と併せて保存区域に指定されているのは、長走風穴と中山風穴[12]。
ここに挙げたもので、かつて蚕種貯蔵風穴として利用されていたのは、先駆たる稲核風穴を始め、三関風穴、関口の風穴、荒船風穴、東谷風穴、富岳風穴、富士風穴、入沢風穴、村松の風穴、小野の風穴、古関風穴、有穂風穴、駒門風穴、神鍋風穴、河内風穴、大成風穴群、普賢岳 北の風穴である[12]。このうち、入沢風穴と神鍋風穴は現在も天然冷蔵庫として利用されている[12]。
地形学者・清水長正は、日本国内で最も著名な風穴として、貞観6年(864年)の青木ヶ原溶岩流下時に形成された溶岩トンネルが風穴となった[13]富岳風穴・鳴沢氷穴・富士風穴を挙げている[13]。
- 北海道
- 東北地方
- 相良八郎の穴(相良向かいの穴─八郎沢の風穴)
- 関東地方
- 中部地方
- 荒島風穴 [19]
- 越智風穴 [19]
- 大谷風穴 [19]
- 福井県丹生郡越前町小川(旧・丹生郡小川村[19])に所在した。
- 小野の風穴 [12]
- 有穂風穴 [12]
- 静岡県御殿場市駒門69(江戸時代における駿河国富士郡内、幕藩体制下の駿州御料内)に所在。国指定天然記念物。
- 近畿地方
- 滋賀県犬上郡多賀町佐目(江戸時代における近江国犬上郡佐目村、幕藩体制下の江州彦根藩知行佐目村)に所在。犬上川上流域地下水系。
- 中国地方
- 秋芳洞─風穴─葛ヶ穴
- 笠山風穴 [20]
- 四国地方
- 大成風穴群(おおなるふうけつぐん)[12]
- 九州地方
- 永野の風穴 - 佐賀県武雄市若木町大字永野(江戸時代における肥前国杵島郡永野村、幕藩体制下の肥州佐賀藩知行永野村)に所在。2022年から2024年にかけての詳しい観測結果が公開されている。[25]
- 普賢岳 北の風穴[12] - 長崎県雲仙市に所在。かつての蚕種貯蔵風穴[12]。
- 普賢岳 西の風穴[12] - 長崎県雲仙市に所在。
日本国外
[編集]- ウインドケーブ国立公園の洞穴 - アメリカ合衆国サウスダコタ州ホットスプリングス近郊に所在。
- グヌン・ムル国立公園のウィンドケイブ
地形以外の風穴
[編集]かざあな
[編集]日本語では、「風の吹き通る穴や隙間、破れ穴など」を大和言葉で「かざあな」といい、漢字では「風穴」と書く。「かざあな」という音価をもつ日本語の、これが第1義か、もしくは最も基本的な語義の一つである[26]。
また、「換気・通風のために壁などに開けた穴」も、同じように読み書きする[26]。この意の「かざあな(風穴)」は「風抜きの穴/風抜の穴(かざぬきのあな、かぜぬきのあな)[27][28][29]」「通風孔[30]」「通気孔[31]」「換気口[32]」などと呼び換えることができる[26]。
加えて、隠喩(メタファー。比喩表現の一種)として、心に生まれたむなしさを「風(嬉しくない風)が吹き通る、かざあな」に譬えて「かざあな(風穴)」という。さらには、後述する「風穴を開ける」の転用として、「心に風穴が開く」とか、「心に開いた風穴」、「心にぽっかりと開いた穴をむなしい風が通り抜ける」などといった表現がある。
風穴を開ける
[編集]日本語では、刺突武器や弾丸によって人の胴体(胸や腹)に開けられた穴を上述の意味での「かざあな(風穴)」に譬えたうえで、そのような穴を開けることを「風穴を開ける」という[33]。ここから転じて、殺しを想起させる脅し文句として昔から慣用されてきた表現に、「どてっぱらに風穴をあけてやる(土手っ腹に風穴を開けてやる)」がある[33][34]。「土手っ腹」は「腹」「腹部」の侮蔑語である[34]。
- 古い用例として、江戸時代中期の天明3年(1783年)に刊行された洒落本『卯地臭意(うじしゅうい)』に[33]、「こいつらは横ぱらへかざ穴をあけて ふいごのかはりにしてやるべい[33](意訳:[さあ、おまえら、]こいつらの横っ腹〈= 脇腹〉に風穴を開けて鞴〈ふいご〉代わりに使ってやろうじゃねえか)」という一文が見られる。
また、より抽象的な用法として、古習、寡占市場、停滞あるいは膠着した状況など、柔軟性や流動性に乏しい閉塞した物事が、「新風(しんぷう)」に喩えられる別の新たな物事や状況の加わることで状態を打ち破られ、無効化されたり柔軟性や流動性のあるものへと変わる、そのような行いや働きを、「閉じていた空間が(何かの働きによって)開き、風の通りが良くなる」ことに譬えて「(△△が)○○に風穴を開ける」と表現する[33]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ refugia(レフュージア、レフュジア、リフュージア)とは、ある生物群の環境上の避難場所。ここでは、氷期の気候変化の影響を受けずに昔のままの生物群が残存できている、その地域を指す。cf. en:Refugium (population biology)
出典
[編集]- ^ https://pubs.usgs.gov/wsp/1899k/report.pdf
- ^ https://www.showcaves.com/english/explain/Speleology/Wind.html
- ^ a b 清水・澤田 2015, p. 4.
- ^ 漆原 1996, p. 296.
- ^ a b 「清水長正:夏もひやひや風穴の不思議 ◇明治の養蚕支えた「天然の冷蔵庫」、全国に訪ねる◇」『日本経済新聞朝刊』日本経済新聞社、2017年6月15日。2019年10月4日閲覧。
- ^ a b 清水・澤田 2015, p. 5.
- ^ 清水・澤田 2015, p. 12.
- ^ 清水・澤田 2015, p. 13.
- ^ 清水・澤田 2015, p. 14.
- ^ 清水・澤田 2015, pp. 18–19.
- ^ 清水・澤田 2015, pp. 42–50.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq 清水・山本 2013
- ^ a b 清水 2004, p. 139.
- ^ 清水 2004, pp. 126, 130, 134.
- ^ 清水 2004, p. 134.
- ^ 清水 2004, p. 126.
- ^ 清水 2004, pp. 123, 128, 134–136.
- ^ a b 清水 2004, pp. 128, 137.
- ^ a b c d e f g デジタルアーカイブ福井 2009
- ^ a b 清水 2004, pp. 128, 139.
- ^ 『信濃毎日新聞』2013年9月22日号 [要ページ番号]
- ^ http://www.82bunka.or.jp/bunkazai/result.phpkword_txt=&map=1&bunkazai_area_01=20000&bunkazai_area_02=20217 [リンク切れ]
- ^ 清水 2004, pp. 128, 137–139.
- ^ 清水 2004, p. 128.
- ^ “風穴”. Microsoft OneDrive. 2024年4月7日閲覧。
- ^ a b c 小学館『デジタル大辞泉』、三省堂『大辞林』第3版、小学館『精選版 日本国語大辞典』. “風穴”. コトバンク. 2019年10月4日閲覧。
- ^ 小学館『精選版 日本国語大辞典』. “風穴”. コトバンク. 2019年10月9日閲覧。
- ^ “風抜き”. コトバンク. 2019年10月9日閲覧。
- ^ “風抜”. コトバンク. 2019年10月9日閲覧。
- ^ 小学館『精選版 日本国語大辞典』. “通風孔”. コトバンク. 2019年10月9日閲覧。
- ^ “通気孔”. コトバンク. 2019年10月9日閲覧。
- ^ 三省堂『大辞林』第3版. “換気口”. コトバンク. 2019年10月9日閲覧。
- ^ a b c d e 小学館『デジタル大辞泉』、三省堂『大辞林』第3版、小学館『精選版 日本国語大辞典』. “風穴を開ける”. コトバンク. 2019年10月4日閲覧。
- ^ a b “土手っ腹”. コトバンク. 2019年10月10日閲覧。
参考文献
[編集]- 清水長正・澤田結基 編 編『日本の風穴─冷涼のしくみと産業・観光への活用』古今書院、2015年10月30日。ISBN 978-4-7722-6116-6。
- 漆原和子編 編『カルスト―その環境と人びとのかかわり』大明堂、1996年3月28日。ISBN 978-4-470-60014-4。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 清水長正「日本における風穴の資料 : 地形条件・永久凍土などとの関連から」『駒澤地理』第40巻、駒澤大学文学部地理学教室・駒澤大学文学部自然科学教室・駒澤大学応用地理研究所、2004年、121-148頁、2019年10月9日閲覧。
- 清水長正, 山本信雄「風穴の利用をめぐる自然と文化の大地の遺産-信州稲核ほか-」『日本地理学会発表要旨集』、日本地理学会、2013年、2019年10月9日閲覧。
- 平野俊幸「養蚕と風穴--荒島風穴の発見を中心に」『福井県文書館研究紀要』第7巻、福井県文書館、2010年、53-64頁、2019年10月9日閲覧。