あれは1990年11月、東京都内のホテルでの出来事だ。近鉄バファローズの球団広報がこっそり教えてくれた。
「いま、野茂が正力賞を受賞するかもしれないから、会見場の準備をしたほうがいいという連絡があってなぁ。とりあえず、このホテル内でおさえたわ」
後の日本人メジャーリーガーのパイオニア、野茂英雄はルーキーイヤーのその年、最多勝、最優秀防御率、勝率第1位、最多奪三振、MVP、ベストナイン、新人王、そして沢村賞。計8冠。筆者は「あらゆる賞をひとり占め」と何度も書いて、称えてきた。
「野茂が正力賞を受賞するみたいです」
当時のデスクに電話報告すると-。
「プロ野球界最高の賞やないか。大ニュースやな。野茂もそこまで行ったか! これで何冠になるんや?」
正式名称「正力松太郎賞」がプロ野球界で最高の栄誉であることを認識した瞬間でもあった。
ところが、事態は急転(?)。受賞は日本シリーズを制した西武・森祇晶監督に。晴れの会見場は、近鉄担当がその日の原稿を書く場所になってしまった。
近鉄球団広報には「新人選手よりも、やはりシリーズ制覇した監督のほうが、という意見になったようです」という趣旨の説明が関係者からあったらしい。
それまで、プレーヤーの選出歴がなかったわけではない。王貞治、衣笠祥雄、門田博光…。新人ゆえにはじかれたのなら、納得いかないなぁと思いつつ、過去の受賞者一覧を見て、この賞が日本シリーズを制する指揮官を重視する方向性を改めて知った。
あれから34年。この方針に揺らぎがないことは、ことしの受賞者を見てもわかる。日本一に輝いたDeNA・三浦大輔監督が栄冠を手にした。三浦監督率いる3位DeNAに8ゲーム差をつけてセ・リーグを制した巨人・阿部慎之助でもなく、新人監督最高の91勝をマークしてパ・リーグの覇権を勝ち取ったソフトバンク・小久保裕紀監督でもなかった。
2010年には、同じようにリーグ3位から下克上を達成したロッテ・西村徳文監督が受賞しているから、方針がぶれているわけではない。
2007年以降では、日本シリーズ制覇監督が受賞出来なかった年度はわずかに1度だ(2017年、受賞者はソフトバンク・サファテ)。
ただ、世の中は賛否が巻き起こっている。昔と違って、ネットが世論を動かす時代。今まで以上に議論は白熱だ。
個人的には、両リーグ制覇監督が日本一になれなかった2024年こそは、思い切って大谷翔平(ドジャース)に贈る最高のタイミングだったのでは、と思う。結局、野茂も正力賞を手にすることはなかったから、余計に感じるのだ(本人が欲しがったかどうかは別にして)。
過去には、2人が同時受賞したケースもある。そろそろ、選考方針に大きな変化があってもいいのでは。ことしの大谷はもちろんだが、2021年東京五輪金メダルの日本代表・稲葉篤紀監督も、2022年の3冠王に輝いたヤクルト・村上宗隆も、その年の同賞特別賞ではなく、正力賞を贈っても、何の不思議でもなかった。
投手の最高の栄誉でもある沢村賞は、当初はセ・リーグの投手のみが受賞対象だった。それがパ・リーグ投手も受賞可能になったのが1989年。1990年の野茂はパ・リーグ投手としての初受賞でもあった。大転換があってこそ誕生した、野茂の8冠だった。時代に応じて、選考基準が変わることは、決して悪いことではない。
その沢村賞も、ことしは該当者なし。投手分業制が進み、選考基準をクリアすることが至難の業になりつつある。
伝統ある、大きな賞の選考を見つめ直すタイミングが来ているのでは? そう感じた、2024年だ。
■上田 雅昭(うえだ・まさあき) 1962(昭和37)年8月24日生まれ、京都市生まれ。86年入社。近鉄、オリックス、阪神を担当。30年近くプロ野球を見てきたが、担当球団が一度も優勝していないのが自慢(?)