エドワード・ダンロップとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > エドワード・ダンロップの意味・解説 

エドワード・ダンロップ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/07 04:04 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
エドワード・ダンロップ
2010年エリザベス女王杯表彰式
基本情報
国籍 イギリス
生年月日 (1968-10-20) 1968年10月20日(52歳)
初免許年 1994年
経歴
テンプレートを表示

エドワード・アレクサンダー・リーパー・ダンロップ(Edward Alexander Leeper Dunlop、1968年10月20日 - )は、イギリス競走馬調教師。通称エド(Ed)[1]。父は調教師のジョン・ダンロップ

来歴

ニッキー・ヘンダーソン厩舎調教助手を3年間務めた後、アレックス・スコット厩舎の調教助手となる。1994年、スコットが元従業員に射殺されたため、エドワードはマクトゥーム・ビン・ラーシド・アール・マクトゥームのバックアップを受けて厩舎を引き継ぎ、開業した[2]

1996年5月12日にターリブ(Ta Rib)でプール・デッセ・デ・プーリッシュ(仏1000ギニー)を勝ち、G1初制覇。9月7日、イクタマル(Iktamal)でスプリントカップを勝ち、イギリスG1初制覇。

2004年ウィジャボード(Ouija Board)がブリーダーズカップ・フィリー&メアターフなどG1を3勝。同馬はカルティエ賞年度代表馬・最優秀3歳牝馬、エクリプス賞最優秀芝牝馬に選ばれた。

2005年11月27日ジャパンカップにウィジャボードが出走。管理馬の日本初出走を果たす。レースは日本レコードの2分22秒1というタイムで決着し、ウィジャボードは勝ったアルカセット(Alkaased)から0.3秒差の5着に敗れた。次走、12月11日香港ヴァーズには勝利し、香港G1初制覇を果たした。これが7ヶ国目のG1制覇である。

2006年、ウィジャボードが再びブリーダーズカップ・フィリー&メアターフなどG1・3勝を挙げ、カルティエ賞年度代表馬・最優秀古馬牝馬、エクリプス賞最優秀芝牝馬に選ばれた。

2010年11月14日スノーフェアリー(Snow Fairy)でエリザベス女王杯を優勝。日本での初勝利と共に8ヶ国目のG1制覇を果たしたが、その後検量を、調教助手が馬装具の一部を外して行っていたことが発覚し、11月17日日本中央競馬会より厳重注意処分を受けた[3]

2011年11月13日にスノーフェアリーでエリザベス女王杯を連覇。1頭の外国馬が日本の平地GIを2勝したのはこれが初めてのことである。

2012年8月19日にスノーフェアリーでジャンロマネ賞を優勝。しかしその後の薬物検査で禁止薬物が検出されたため、スノーフェアリーは失格となった[4]

ウィジャボードを初め活躍馬に牝馬が多く、牝馬クラシックでは4頭で6勝を挙げているのに対し、牡馬クラシックではまだ1勝もしていない。

主な勝ち鞍

イギリス

その他

脚注




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エドワード・ダンロップ」の関連用語

エドワード・ダンロップのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エドワード・ダンロップのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエドワード・ダンロップ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS