高札場(制札場)と庶民教育への利用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 08:07 UTC 版)
「高札」の記事における「高札場(制札場)と庶民教育への利用」の解説
幕府は人々の往来の激しい地点や関所や港、大きな橋の袂、更には町や村の入り口や中心部などの目立つ場所に高札場(制札場)と呼ばれる設置場所を設けて、諸藩に対してもこれに倣うように厳しく命じた。これに従って諸藩でも同様の措置を取ると同時に自藩の法令を併せて掲示して自藩の法令の公示に用いた(代表的な高札場としては江戸日本橋、京都三条大橋、大坂高麗橋、金沢橋場町、仙台芭蕉辻などが挙げられる)。また、宿場においても多く設置され、各宿村間の里程測定の拠点ともされた。このため、移転はもとより、高札の文字が不明になったときでも、領主の許可なくしては墨入れ(高札は墨で書かれていたため、風雨には大変弱かった)もできなかった。その代わりに幕府や諸藩では「高札番」という役職を設けて常時、高札場の整備・管理に務めさせ、高札の修繕や新設にあたらせた。 また、この民衆への周知徹底のために高札の文面には、一般の法令では使われない簡易な仮名交じり文や仮名文が用いられた。更には当時の幕府は法律に関する出版を厳しく禁じる方針を採っていたにも拘らず、高札に掲示された法令に関しては「万民に周知の事」と言う理由で簡単に出版が許されたばかりでなく、高札の文章は寺子屋の書き取りの教科書としても推奨されていた。
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