田代皖一郎
田代皖一郎(日语:田代皖一郎/たしろ かんいちろう Tashiro Kanichirō,1881年10月1日—1937年7月16日)、日本陸軍中将。佐贺县出身。陸士15期、陸大25期。
田代皖一郎 | |
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出生 | 1881年10月1日 大日本帝国佐賀縣多久市[1] |
逝世 | 1937年7月16日 中華民國天津市 | (55歲)
效命 | 大日本帝國陸軍 |
服役年份 | 1903-1937 |
军衔 | 陸軍中將 |
统率 | 步兵第30連隊長 歩兵第27旅團長 關東憲兵隊司令官 憲兵司令官 第11师团長 中國駐屯軍司令官 |
参与战争 | 一·二八事變、卢沟桥事变 |
人物
编辑1932年一·二八事变前临时担任日军上海派遣軍司令官白川义则大将的参謀長,在事件早期以善后手腕高明受到日本高层好评。1936年任中国驻屯军司令官,1937年7月7日卢沟桥事变爆发,田代因作战不利于11日被撤掉司令官的职务,由香月清司中将担任。16日,突发心脏病暴亡。
年譜
编辑- 1903年(明治36年)11月30日 日本陸軍士官学校卒業
- 1913年(大正2年)11月26日 日本陸軍大学校卒業
- 1921年(大正10年)9月-1922年华盛顿軍縮会议代表随員
- 1923年(大正12年)3月7日 日军参謀本部付(驻中国汉口)
- 1924年(大正13年)12月15日 陸軍步兵大佐・步兵第30連隊長
- 1926年(大正15年)3月2日 日军参謀本部中国課長
- 1930年(昭和5年)8月1日 陸軍少将・歩兵第27旅团長
- 1931年(昭和6年)8月1日 日本驻华公使館付武官
- 1932年(昭和7年)2月26日 臨時上海派遣军参謀長
- 1933年(昭和8年)8月1日 日本关東憲兵隊司令官
- 1934年(昭和9年)8月1日 陸軍中将・宪兵司令官
- 1935年(昭和10年)9月21日 第11师团長
- 1936年(昭和11年)5月1日 中国駐屯軍司令官
- 1937年(昭和12年)7月11日 参謀本部付
- 1937年(昭和12年)7月16日 在中国天津病死
参考资料
编辑- ^ 多久市出身の陸軍中将・田代皖一郎. レファレンス協同データベース. 2019-01-27 [2022-01-17]. (原始内容存档于2021-07-09) (日语).