日本国憲法:その特異な歩みと構造
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日本国憲法は2017年5月3日、施行70周年を迎えた。第2次世界大戦後、連合国軍の占領下で起草、承認された日本国憲法には、この間繰り返し改正を求める声が上がってきた。そうした動きは、安倍晋三首相が2012年12月、新たに就任し、憲法改正が自らの政権の優先課題だと宣言して以来、勢いを増した。
憲法改正が実現するかどうかは、まだ今後の推移を見る必要がある。だが、ここで押さえておきたい重要な点は、日本国憲法は現在の世界で、改正されていない最も古い憲法だということだ。
これまでの研究によれば、改正されていない憲法は「寿命」が短い傾向にある。憲法は定期的な修正なしには、社会規範や経済的ニーズ、地政学的課題の変化に適応できないため、これができない憲法は「全面的な刷新」を迫られるリスクが高まる。
そこで出てくる疑問は、日本国憲法はどのようにして70年もの間、条文の改正なしに生き残ることができたのかということだ。私の答えはシンプルだ。日本国憲法は稀有なほど簡潔で、多くの具体的規定を(一般の)法律で定めるようにしているからだ。もっと長文の憲法を持つ他国であれば改正が必要になるような改革を、日本では国会の単純過半数で立法化できる。日本では、憲法を正式に改正する必要性が低いのである。
図表1は「比較憲法プロジェクト」(CCP)=編注:米国の法学、政治学者を中心とした研究グループ=が、1789年以降に採択されたすべての憲法の語数を、英語翻訳して計量・比較したものである。憲法は時間の経過とともに長文化してきた。民主主義の広がりによって、市民が求める政府の義務と市民権の範囲が拡大してきたからである。現在の憲法の平均は2万1000語であるのに対し、日本国憲法はわずか5000語弱で、民主主義国ではアイスランドに次いで2番目に短い。
以下、日本国憲法の2つの「特異性」に光を当てて論じていきたい。第1にその起源、とりわけ連合国軍総司令部が1946年に起草作業で行った選択について論じる。第2に、日本国憲法が政治制度に関して、明示した規定が少ないことを示す。そのことは改正の必要性を低くすることに寄与してきた。
誕生の特異性
連合国軍による日本占領は、1945年9月2日に始まった。最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥は日本の非軍国主義化と民主化を強く求め、明治憲法の修正を最優先課題とした。日本政府当局者による作業の遅れにいらだったマッカーサーは、自らの部下に新憲法起草の任務を与えた。起草委員会は1週間で作業を終え、草案は明治憲法の全面改正の形で1946年3月に発表された。新憲法は同年11月に承認され、1947年5月3日施行された。
新憲法は3つの重要な点で前身の明治憲法と異なっている。①天皇主権ではなく国民主権②基本的人権の尊重③平和主義と戦争の放棄―の3点である。9条でうたわれた第3の点は、長期にわたって憲法論争の中心となってきた。
第9条 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
その解釈は時間の経過とともに変わってきたものの、9条はこれまで、日本が攻撃的戦力を保有することを禁止してきた。その結果、日本は公式には「自衛隊」しか保有していないが、その予算は世界8位の規模を持つ。
日本の保守勢力は以前から、日本が米国の安全保障の傘に依存していることを非難し、9条を改正すべきだと主張してきた。日本国憲法が米占領軍の将校によって起草されたことも、憲法の正当性に対する批判を煽ることになった。ところが、保守政党たる自由民主党が長期にわたり国会で多数を占めているにもかかわらず、正式な改正案が国会に提出されたことはなかった。
日本国憲法のこうした安定性は、歴史的に見て2つの点で特異なものだ。第1に、民主的に承認された憲法は、市民の価値観や優先課題を反映する傾向が強く、それゆえ更新を求める声が出にくい。CCPのデータによれば、民主的に承認された憲法の平均寿命は13年。それに比べて、占領時に制定された憲法の寿命はわずか3年である。
第2に、エルキンズ、ギンズバーグ、メルトンによる2009年の研究(※1)では、適度なレベルの改正を経験していない憲法は寿命が短くなる。なぜなら、市民の考える優先課題が建国の世代とは当然変わってくるからだ。実際、非改正憲法の平均寿命はわずか3年である一方、(少なくとも1回の)改正を経た憲法の平均寿命は22年となっている。
構造と歩みの特異性
では、日本国憲法はなぜ改正されたことがないのだろうか。一つの仮説は、改正へのハードルがあまりに高いというものだ。憲法96条は、改正案は国会の3分の2以上の多数で発議され、その後、国民投票の単純過半数によって承認されると定めている。
国民投票については、国をまたいだ一貫したデータはないものの、CCPは改正への立法府のハードルに関するデータをまとめている。現存憲法だけを見ると、76%が立法府の3分の2の同意を必要としており、96条はその点で世界の中でも平均的なものと言える。また、こうした3分の2のハードルを定めている憲法でさえ、平均で9年に1度は改正されており、96条を憲法未改正の唯一の理由とするのは難しい。
改正が行われていないことはむしろ、「人権条項の明示」と「制度の曖昧さ」の稀有な組み合わせによって、うまく説明できる。これが何を意味するかを説明しよう。
図表2はCCPのデータに基づいて、1789年以降に制定された800以上の成文憲法について、人権と制度が条文の中でどの程度明示されているかを示している。ウィンクラーとの2015年の研究(※2)で、われわれは一般的な26の人権と30の政治制度を特定し、それらが個々の憲法でどれだけの数、明示的に盛り込まれているかを調べた。日本国憲法は人権については65%(26のうち17)、制度については47%(30のうち11)を明示している。図表のそれぞれの丸はその憲法の明示率を示しており、左は人権、右は制度である。全体の傾向を示す黒線と比較して、破線の交差点にある日本国憲法の人権明示率が当時としては高いことが見て取れる。
一方、制度の明示率は低い。1947年という基準で見ると、日本国憲法は他の4つの憲法を除けば、最も多くの人権を列挙していた。それと対照的に、行政府の権限や地方自治、公職の選挙制度など政治制度の列挙数は現在の世界の憲法で138位に位置している。
こうしたパターン、とりわけ政治制度の明示の少なさは、日本国憲法の承認後の歩みに根本的な影響をもたらしてきた。ジーン・クリッパートン(ノースウエスタン大学)とのプロジェクト(※3)で、われわれは各国の憲法改正のパターンを時間を追って分析した。1回目の改正の74%は政治制度に関するもので、2回目の改正の81%も同じだった。典型的な変更は、公職の任期や選挙制度の変更などに関するものだ。憲法改正は人権ではなく、政治プロセスが主となる傾向がある。
日本の場合に戻ると、他の国では憲法改正が必要となる変更も、日本では制度面の曖昧さもあって、通常の立法によって処理できる。例えば選挙制度について、47条は次のように書いてある。
第47条 選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。
これを定める法律は公職選挙法で、1950年以来54回も改正されている。多くは細かい変更だが、衆議院の選挙制度は1994年に全面的に改正され、参議院の制度は1983年と2001年に部分改正された。
日本国憲法は同様に、地方自治の構造も法律で定めるようにしている。
第92条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。
日本の地方自治法は現在、47都道府県を基本的な地方単位と定めている。個々の州を基本単位としているドイツや米国のような連邦制とは違い、日本は理論的には、地方自治法の改正のみでこれら都道府県を解体し、例えば10の州や300の基礎自治体など新たな枠組みにとって代えることが可能となっている。
自衛隊と高等教育無償化:改憲なくとも実施は可能
ただ、憲法改正が行われない理由は、日本国憲法の構造だけではない。戦後のほとんどを通じて、日本は着実な経済成長を達成し、社会秩序を維持してきた。外国の侵略を受けることもなかった。経済危機や侵略による政治混乱が生じれば、人々は憲法がこのままでいいかを深く考えざるを得なくなる。日本国民は恐らく、戦後の繁栄と安定により、憲法改正の必要を感じることがなかったのだろう。
だが、たとえ危機が将来起きたとしても、日本国憲法はその稀有な簡潔さゆえに、制度上あるいは政策を通じた適応を可能にしている。
2017年5月、安倍首相は以前から続いてきた憲法改正論争に、自ら直接身を投じた。彼は①自衛隊を公式に承認するために9条に第3項を追加する、②高等教育の無償化――を提起し、2020年までに改正を実現すべきだと主張した。(読売新聞2017年5月3日)。
ただ、こうした修正は憲法改正を必要としない。まず9条について言えば、既に存在し、その存続が憲法上解決すべき重大な問題ともなっていない自衛隊を、なぜ改正によって公式に承認する必要があるのかがはっきりしない。実際、自民党はかねてから自衛隊が合憲だという立場をとっている。修正が必要だという(今回の)主張は、合憲の理由付けを政府自らが信じていないことを示唆しているようにみえる。
第2に教育費について言えば、日本国憲法の26条2項は既に次のように定めている。
第26条2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
今より高いレベルまで教育を無償化するには、政府は義務教育の法的定義を現在の9年間の小中学校教育から変更しさえすれば済む。
こうした主張はいずれも、「いかなる改正にも反対している」と解釈すべきものではない。日本の政治家と市民が憲法改正のハードルを超えることができるレベルで、具体的修正について合意するなら、立憲民主主義の原則は満たされる。一方で、われわれは憲法改正のリスク、とりわけ意図せざる結果をもたらす可能性をも認識しておく必要がある。
それは、日本国憲法がもたらしている具体的な問題点と、ある特定の改正提案がそれらの問題点をどう解決するのかについて、幅広いコンセンサスができていなければならない。こうした基準を満たせない提案については、われわれは慎重であるべきだ。
「壊れていないものは直すな」(“Don’t fix it if it ain’t broke.”)という古いことわざもある。日本国憲法の長所は「憲法以外の手段で問題に対処することを可能にしている」という点にあることを考えると、なおさらこの警句は重みを増す。
(原文英語)
バナー写真:国立公文書館に保管されている日本国憲法の原本
(※1) ^ Elkins, Z., Ginsburg, T., & Melton, J. (2009). The Endurance of National Constitutions. Cambridge: Cambridge University Press.
(※2) ^ McElwain, K. M. and C. G. Winkler (2015). "What's Unique about Japan's Constitution? A Comparative and Historical Analysis." Journal of Japanese Studies 41(2).
(※3) ^ McElwain, K. M. and J. M. Clipperton (2013). “Adapting to Obsolescence: How Significant Amendments Shorten Constitutional Lifespans”. Annual Meeting of the Midwest Political Science Association. Chicago, IL.
McElwain, K. M. and J. M. Clipperton (2014). “Constitutional Evolution: When Are Constitutions Amended Versus Replaced?” Annual Conference of the Midwest Political Science Association. Chicago, IL.