那須資親
那須 資親(なす すけちか)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。那須氏(上那須家)15代当主。
時代 | 室町時代後期 - 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 永正11年(1514年)? |
官位 | 播磨守・大膳大夫[1] |
氏族 | 那須氏(上那須家) |
父母 | 父:那須氏資 |
兄弟 | 明資、資親、上川井資威、宇都宮等綱室 |
子 |
山田資久、宇都宮成綱正室[1]、那須資永室、沢村三郎室[1] 養子:資永(結城政朝(義永)次男) |
那須氏13代当主・那須氏資の子として誕生。
下野国の大半及び常陸国の一部を領している戦国大名・下野宇都宮氏17代当主・宇都宮成綱と婚姻関係を結び、また陸奥国南部の白河結城氏8代当主・結城政朝(義永)の次男・資永を養子に迎え、後継者とすることで上那須家の地位の安泰化を図った。
しかし、晩年に実子・山田資久が誕生したことを契機に後継者争いが勃発[2]、資親の死後まもなく上那須家は断絶、滅亡することになる。
脚注
出典
- 『那須系図』