讃岐 千継(さぬき の ちつぐ)は、平安時代初期の貴族氏姓は凡のち讃岐官位従五位上刑部少輔

 
讃岐千継
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位上刑部少輔
主君 桓武天皇平城天皇
氏族讃岐
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経歴

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讃岐国寒川郡の人物で讃岐国造の後裔。延暦10年(791年)以下を言上して許され、凡直から讃岐公に改姓した。

  • 千継らの先祖は皇直(おおしのあたい、あるいはすめらのあたい)といい、敏達朝において国造の職務を継いでこの地域を管轄した。そこで官名に因んで「紗抜大押」(さぬきのおおし)直の氏姓を賜った。ところが、天智天皇9年(670年)の戸籍(庚午年籍)では「大押」の字を改めて「凡」と記された。これにより皇直の後裔はある者は「讃岐直」を、ある者は「凡直」の氏姓を名乗った。そこで先祖の職務に因んで「讃岐公」の氏姓を賜りたい。

その後、従五位下・大判事に叙任され、桓武朝末の延暦24年(805年備前権介を兼ねると共に、山城国乙訓郡の白田1町を与えられている。

平城朝大同3年(808年)従五位上・刑部少輔に叙任された。

官歴

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六国史』による。

脚注

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参考文献

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