近鉄820系電車
近鉄820系電車(きんてつ820けいでんしゃ)とは、1961年(昭和36年)に登場した、近畿日本鉄道(近鉄)が保有していた通勤形電車の一系列。
本項目ではその改造車で、伊賀線で使用されていた近鉄860系電車についても記述する。
820系
編集近鉄820系電車 | |
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822 1986年9月 大和西大寺駅 | |
基本情報 | |
製造所 | 近畿車輛 |
主要諸元 | |
編成 | 2両編成 |
軌間 | 1,435 mm |
電気方式 |
直流600V(1,500V昇圧まで) 直流1,500V(1969年以降) |
最高運転速度 | 105 km/h |
起動加速度 |
架線電圧600V時:2.1km/h/s 架線電圧1,500V時:2.5 km/h/s |
台車 | 近畿車輛KD-20B |
主電動機 | 三菱電機MB-3020-B |
主電動機出力 | 125kW |
駆動方式 | WNドライブ |
歯車比 | 5.47 |
編成出力 | 500kW |
制動装置 | 電磁直通ブレーキ |
保安装置 | 近鉄型ATS |
1961年に登場。車体の基本構造や主要機器は800系を基本としているが、天理線などの支線での使用を考慮してMc+Tcの2両固定編成となった。歯車比は5.47に変更され800系と異なっていた。側配置はd2D5D2で、前面は貫通式、前照灯は2灯となった。同時期に登場した900系と同様に、列車種別表示灯尾灯独立方式となるとともに客用扉はラッシュ対策のため両開き扉を採用した。ただし、扉の寸法はラビットカーや国鉄101系(登場時モハ90系)が採用し、以降両開き扉の標準となった1300mm幅員に対して10%アップした1450mmとなった。
主要機器
編集主電動機は三菱電機のMB-3020-B3を搭載する。主制御器は日立製作所製MMC-LTB20Bを採用し、1C4M制御である。電気制動は停止用のみで、抑速用を備えていなかった[1]。集電装置は東洋電機製造PT-45-Qがモ820形に1基搭載されている。
空気圧縮機はD-3-FRKがモ820形に設置され、ブレーキはAMA-RDを採用している。
台車は近畿車輛製で、モ820形がKD-20B、ク720形がKD-20Cをそれぞれ装着する。
改造・廃車
編集827F・828Fは主電動機MB-3020-DE、主制御器MMC-LTB20B1(電気制動は停止用のみ設置)になった。
登場時は2両編成2本を組み合わせた4両編成で、821 - 826Fは800系とともに奈良線特急、827F・828Fは当時の奈良電京都 - 近畿日本奈良間の特別料金無料特急に充当されていた。
新生駒トンネル開通後は900系や8000系などの大型車の登場により、全編成が京都・橿原線で使用されるようになり、同線の急行や普通で運用した。小回りが利く利点も活かして、2連で急行運用に入るという場合もあった。また800系とは異なり、丹波橋(現在廃止)を経由した京阪電気鉄道への乗り入れにも使用された。
1968年(昭和43年)の架線電圧600Vから1500Vへの昇圧工事の際に、電動発電機とコンプレッサーがTcに移設された。主制御器はMMC-HT20Aになり、停止用電気制動を撤去して空気制動のみにされたため、奈良線生駒以西の勾配区間での運用はできなくなった(この点が800系との相違点である)。1973年に実施された橿原・天理線の車両限界拡張の際にドアステップの延長が行われている。京都・橿原線の車両限界拡大後は徐々に生駒線・田原本線での運行に使用された。
1975年(昭和50年)の800系807Fの京都線新祝園 - 山田川間の横転事故発生後、復旧した714-807と4両編成を組んで使用されていた。この際は800系側に貫通路改造と抑速制動回路の撤去が行われたが、820系には改造を行わなかった。
1984年(昭和59年)に825 - 828Fが860系に改造され伊賀線に転出した。田原本線に残った4編成のうち、821・823・824Fは1993年(平成5年)に860系に改造され伊賀線に転出し、822Fはその直前に廃車となり、形式消滅した。
860系
編集近鉄860系電車 | |
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864 1986年11月24日 伊賀神戸駅 | |
基本情報 | |
製造所 | 近畿車輛 |
主要諸元 | |
編成 | 2両編成 |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 | 直流1,500V |
最高運転速度 | 65 km/h |
台車 | 近畿車輛KD-23A・KD-23B・KD-39F・KD-39G |
主電動機 | 三菱電機MB-3032-S |
主電動機出力 | 75kW |
駆動方式 | WNドライブ |
編成出力 | 300kW |
制動装置 | 電磁直通ブレーキ |
保安装置 | 近鉄型ATS |
備考 | 電算記号:SE |
1984年(昭和59年)より、伊賀線車両近代化のため南大阪線用6800系の台車と主電動機を流用して4編成が860系として狭軌化されて伊賀線に移った。
しかし当時、田原本線では新王寺 - 大輪田間にあった急曲線の緩和工事の遅れの関係で20m車の投入が不可能であったことから、同線に820系を残す必要が生じたため計画が変更され、残る4編成は改造されず、代わりに800系改造の880系2編成が伊賀線に移った。なお、本系列の狭軌改造に際し、不要となった三菱電機MB-3020-B電動機およびその駆動装置は、名古屋線1000系のWNドライブ化工事に再利用されている。なお、田原本線の急曲線の緩和が880系投入よりやや遅れて実施されたため、1990年7月1日より20m車の運用が可能となったことから、同年より820系として残っていた4編成も順次伊賀線に移った。
改造・廃車
編集8400系3両編成グループのワンマン改造により、田原本線では820系が不要となったため、1993年(平成5年)からは田原本線に残っていた3編成を冷房改造の上、伊賀線に転出し、先に伊賀線に移った車両も同じく冷房改造が行われた。その際に880系は廃車された。転出の際に、内外装材の交換や前面窓Hゴム支持の固定化、ステンレス化粧帯の撤去、ドアステップの拡張などの改造が行われた。冷房装置は11400系エースカーで使用されていたものを流用している。
820系以降、近鉄では一般用18m車は導入されなかったうえ[2]、伊賀線の急曲線および車両限界や狭軌であることなどの特殊事情ゆえに[2]、他の主要路線で使用されている20m車による代替が困難な状況が続いていた。
825F改造の864Fは2004年(平成16年)5月に廃車され、比土駅留置線で解体された。
伊賀線は赤字解消のため、2007年(平成19年)10月1日、上下分離方式で近鉄が第3種鉄道事業者として従来通り線路や駅舎などの施設や車両を所有して保線などの管理を行い、近鉄出資の子会社「伊賀鉄道」が第2種鉄道事業者として施設と車両の貸与を受けて運営・運行する方式へ移行し、伊賀線所属の本系列はそのまま同社に貸与される形となった。
その後、沿線自治体側は合併特例債により伊賀線の車両の更新を実行し[3]、代替車両として東京急行電鉄より1000系を譲受し、200系として2009年12月より運行を開始した[4]。これに伴い866Fが2010年2月、865Fが同年7月にそれぞれ運用離脱し、同年8月までに廃車・解体された。867Fは2010年3月に、861Fは2011年2月にそれぞれ運用を離脱した。861Fは運用離脱後の5月3日にさよなら運転を行い[5]、7月末までに両編成とも廃車・解体された。
2012年3月10日には、最後まで残った862Fと863Fが運用を離脱した。7月8日に上野市 - 伊賀神戸間で862Fを用いたさよなら運転を行った[6]のち、両編成とも7月下旬に廃車となり、7月31日から8月1日にかけて解体処分され形式消滅となった。これにより、伊賀鉄道で運用される車両は200系に統一された。
編成
編集← 伊賀上野 伊賀神戸 →
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モ860形 Mc |
ク760形 Tc |
車番 | ラッピング |
861-761(廃車済) | 忍者(緑) |
862-762(廃車済) | 昭和レトロトレイン(緑) |
863-763(廃車済) | 昭和レトロトレイン(赤) |
864-764(廃車済) | 近鉄一般車標準塗装 |
865-765(廃車済) | 名泗コンサルタント |
866-766(廃車済) | 忍者(ピンク) |
867-767(廃車済) | 近鉄一般車標準塗装 |
塗装・ラッピング
編集伊賀線登場当初はマルーン一色だったが、その後マルーン色と白色のツートンへ塗り替えられた。
1997年(平成9年)より、「忍者列車」として2編成を漫画家・松本零士デザインの忍者などのイメージに合わせた特殊ペインティングを施して注目されるようになった。忍者塗装は861Fが緑色(以前は青色)、866Fがピンク色をベースとしており、行先標も忍者塗装らしい仕様の物が装着された。これらの車両は、フジテレビ系のテレビ番組『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』でも紹介された。
また、2009年(平成21年)2月には863Fがマルーン一色に銀色の飾り帯を入れた820系登場時の塗色に塗り直された。同年8月8日からは862Fが、旧型車で昭和30年代まで使用されたダークグリーン一色に塗り替えられ、「昭和レトロトレイン」として運用開始。どちらの編成も2012年7月の引退までその塗装で運行された。
画像集(ギャラリー)
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861F・緑色忍者列車(2007年7月8日 伊賀神戸駅)
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862F・レトロ塗装(緑)車両(2010年2月 伊賀上野駅付近)
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863F・レトロ塗装(赤)車両(2010年1月 伊賀上野駅付近)
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モ863車内
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865F・名泗コンサルタントラッピング車両(2010年2月 上野市車庫)
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ツートン塗装に変更直後は前面塗分けが簡略化されていた(1996年8月 伊賀上野駅)
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866F・ピンク色くの一忍者列車(2007年7月8日 伊賀神戸駅)
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867F・マルーン色と白色のツートン塗装(2009年1月 上野市車庫)
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867F・マルーン色と白色のツートン塗装(2006年8月 西大手-新居間)
脚注
編集- ^ 中山 (2018) p.200。
- ^ a b 全長20m未満の一般用車では、特殊狭軌線用の270系・260系、東大阪線(現、けいはんな線)用の7000系・7020系があるが、いずれも伊賀線とは大きく規格の異なるものである。
- ^ 「広報いが市」2009年4月1日号 (PDF) によれば、車両更新は2009年度より3か年で実施。
- ^ 詳細は「東急1000系電車#他社への譲渡」・「伊賀鉄道200系電車」を参照。
- ^ 伊賀鉄道で旧忍者列車「さよなら運転」 - railf.jp鉄道ニュース、2011年5月3日
- ^ 伊賀鉄道860系の「さよなら撮影会&さよなら運転」実施 - railf.jp鉄道ニュース、2012年7月9日
参考文献
編集- 中山 嘉彦「戦後飛躍期の近畿日本鉄道新製車両について」、『鉄道ピクトリアル』(車両研究 1960年代の鉄道車両 鉄道友の会50周年記念、鉄道友の会編)、電気車研究会、2003年、pp.120 - 121
- 中山 嘉彦「近鉄車両 -主要機器のあゆみ-」、『鉄道ピクトリアル』 954、電気車研究会、2018年、pp.196 - 208
関連項目
編集近鉄の車両
編集松本零士による特別デザイン車両
編集- 大阪府都市開発5000系電車
- 北海道ちほく高原鉄道CR75形気動車
- 上信電鉄500形電車
- 西武3000系電車
- 西武20000系電車
- 北九州高速鉄道1000形電車
- 肥薩おれんじ鉄道HSOR-100形気動車 - 2010年7月7日運用開始
※ 上記のうち、大阪府都市開発5000系以外は松本の作品『銀河鉄道999』をモチーフにしたものである。
外部リンク
編集- 鉄路の名優(近鉄公式サイト)
- 旧塗装の車両「860形」を2月7日から運行 記念イベントも 伊賀鉄道 - 伊賀タウン情報 YOU