レスパール=メドック
レスパール=メドック (フランス語:Lesparre-Médoc、オック語ガスコーニュ方言:L'Esparra)は、フランス、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、ジロンド県のコミューン。
Lesparre-Médoc | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏 |
県 (département) | ジロンド県 |
郡 (arrondissement) | レスパール=メドック郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 33240 |
郵便番号 | 33340 |
市長(任期) |
ベルナール・ギィロー (2008年-2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes Cœur du Médoc |
人口動態 | |
人口 |
5 258人 (2007年) |
人口密度 | 人/km2 |
住民の呼称 | Lesparrains, Lesparraines |
地理 | |
座標 | 北緯45度18分28秒 西経0度56分11秒 / 北緯45.3077777778度 西経0.936388888889度座標: 北緯45度18分28秒 西経0度56分11秒 / 北緯45.3077777778度 西経0.936388888889度 |
標高 |
平均:m 最低:7m 最高:34m |
面積 | 36.97km2 (3 697ha) |
地理
編集歴史
編集古代、ジロンド川の河口に近いメドゥラ半島(Médula、メドック)を、ケルト系のビトゥリゲス族(Fr)、フェニキア人、ギリシャ人、そしてローマ人が占領した。彼らはガルムナ川(ガロンヌ川)の湾曲部の奥まったところに小さな港メティリウム(Métillium)を築いた。これが今のレスパールである。彼らはブルディガラ(現在のボルドー)と大西洋岸をつなぐ唯一の道路La Lébadeもつくった。この道路は現在の県道1225線の前身である。
5世紀以降、様々な民族がメドックに侵攻した。フランク族、アラブ人、そしてノルマン人である。カール大帝の治世、住民は自らを守るためにエルヴォー川の流れで囲んだ城を築いた。そこには25mの高さの角型の塔が4本あった。今は『名誉の塔』と呼ばれる1本が残るのみである。
15世紀のシャルル7世の言葉として、『レスパールはギュイエンヌ最古にして最大の男爵領』というものがあった。これは現在のメドック地方全体を指している。1453年にイングランド支配から脱した後、様々な貴族が領主となり、最終的にエペルノンおよびグラモン公爵が領主となった。
人口統計
編集1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 |
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3 443 | 3 563 | 3 814 | 4 217 | 4 661 | 4 855 | 5 195 |
スポーツ
編集- ペイ・メドック・ラグビー - プロラグビークラブ