川口市立川口高等学校
埼玉県川口市にあった高等学校
(旧)川口市立川口高等学校(かわぐちしりつ かわぐちこうとうがっこう)は、かつて埼玉県川口市朝日五丁目にあった公立高等学校。2018年4月に川口市立川口高等学校・川口市立県陽高等学校・川口市立川口総合高等学校の三校を統合し川口市立高等学校となった。名称は同じであるが別の高等学校である。偏差値は特進クラスが64〜70、理数科が60〜70、普通科は50〜60、スポーツ科は45〜50。通称は「市立川口」(いちりつかわぐち)。高校の跡地は現在の川口市立高等学校の第2校地として使われている。
川口市立川口高等学校 | |
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北緯35度48分27.4秒 東経139度44分55.9秒 / 北緯35.807611度 東経139.748861度座標: 北緯35度48分27.4秒 東経139度44分55.9秒 / 北緯35.807611度 東経139.748861度 | |
過去の名称 | 埼玉県川口商業高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 川口市 |
設立年月日 | 1956年 |
開校記念日 | 10月29日 |
閉校年月日 | 2018年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 国際ビジネス科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 11209H |
所在地 | 〒332-0001 |
埼玉県川口市朝日五丁目9番18号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
なお埼玉県立川口高等学校(こちらも設立当初は市立であった)も別の高等学校である。
設置していた学科
編集- 普通科
- 普通科 特進
- 国際ビジネス科
沿革
編集- 1956年 - 前身の埼玉県川口商業高等学校開校。
- 1959年2月 - 校歌制定(作詞:下山懋、作曲:土肥泰)
- 1965年 - 普通科設置に伴い校名を川口市立川口高等学校と改称。
- 1972年 - 現在地に移転。
- 1994年 - 商業科を国際ビジネス科に改組。
- 2008年3月8日 - 卒業式後、校長が脅迫容疑で任意同行を求められ、埼玉県警に逮捕された。
- 2008年4月 - 普通科に特進クラスを設置。また、特待生制度を導入。
- 2012年5月 - 少子化による生徒減に対応するため、川口市より川口市立川口高等学校・川口市立県陽高等学校・川口市立川口総合高等学校の三校を統合廃止し、新たに一校を開校する「新校基本計画」が発表された。川口総合高校校地に新校の校舎を新築するとともに第1グラウンドを設け、市立川口高校校地は第2グラウンドに再整備される。県陽高校校地は跡地利用を検討する。三校は2017年度まで生徒募集を継続する[1]。
- 2018年3月 - 同年4月の川口市立高等学校開校に伴い、閉校。在学生は川口市立高等学校に転校する。
クラブ
編集吹奏楽部は1979年~1990年に輝かしい実績を残し、1979年の「第27回全日本吹奏楽コンクール」に初出場で金賞受賞。全日本吹奏楽コンクールに過去11回出場し、金賞6回(1979年・1980年・1981年・1984年・1985年・1987年)、銀賞5回(1982年・1986年・1988年・1989年・1990年)受賞した。1983年には「ウィーン世界青少年音楽祭」に日本代表として出場しグランプリ、高校部門最優秀賞、オーストリア国営放送賞の3賞を日本で初めて独占した。
野球部は1982年夏に斎藤雅樹を擁して初めて埼玉県大会決勝に進んだが、熊谷高校に1対3で敗戦。1988年・1997年と合計3回決勝に進みながら、甲子園出場は果たせていない。
運動部
- 野球部
- サッカー部
- ボート部
- バドミントン部
- ダンス部・・・『夏の日本高校ダンス部選手権』全国大会において、2010年東日本大会準優勝、『冬の日本高校ダンス部選手権』において、2017年優秀賞
- 陸上部
- バスケットボール部
など
文化部
- 吹奏楽部
- 演劇部
- 美術部
- 天文部
- 写真部
など
ほかにも部活動・同好会が多数ある。
著名な卒業生
編集交通
編集- 国際興業バス
- 西川05西川口駅東口 - 南鳩ヶ谷駅入口 - 市立川口高校循環
- 西川05-2西川口駅東口→南鳩ヶ谷駅入口→朝日5丁目/西川05-3南平福祉会館→南鳩ヶ谷駅入口→西川口駅東口で
- 市立高校下車で徒歩2分
脚注
編集- ^ 川口総合、市立川口、県陽の市立3高校統合へ 川口市が再編計画2012年5月29日 MSN産経ニュース
- ^ 渡邉恵一「老川慶喜先生の人と学問」立教経済学研究69巻5号274頁。