日本女子プロ将棋協会
公益社団法人日本女子プロ将棋協会[注釈 1](にほんじょしプロしょうぎきょうかい、英: The Ladies Professional Shogi-players' Association of Japan)は、将棋女流棋士を一般社団法人及び一般財団法人に関する法律における社員とする[1]、日本の公益社団法人である。公式の略称は「LPSA」[2]。2007年に日本将棋連盟を退会した女流棋士17名を会員とする有限責任中間法人として設立された。
団体種類 | 公益社団法人 |
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設立 | 2007年5月30日 |
所在地 |
東京都港区芝2丁目24番1号-2F 北緯35度39分3.4秒 東経139度45分4.0秒 / 北緯35.650944度 東経139.751111度座標: 北緯35度39分3.4秒 東経139度45分4.0秒 / 北緯35.650944度 東経139.751111度 |
法人番号 | 9010405009098 |
主要人物 | 代表理事 中倉宏美 |
活動地域 | 日本 |
主眼 | 女流棋士の資質の向上ならびに、将棋の技術向上・指導方法の研究をはじめとする幅広い将棋文化の普及に関する事業を行い、女流棋士界の健全な発展を図り、もって老若男女問わず楽しめる日本の伝統文化である将棋の普及により、わが国および世界の文化振興の発展に寄与すること |
活動内容 | 女性らしい感性を活かした日本の伝統文化である将棋の普及活動 他 |
ウェブサイト |
joshi-shogi |
目的として「女流棋士の資質の向上ならびに、将棋の技術向上・指導方法の研究をはじめとする幅広い将棋文化の普及に関する事業を行い、女流棋士界の健全な発展を図り、老若男女問わず楽しめる日本の伝統文化である将棋の普及により、わが国および世界の文化振興の発展に寄与する事」と謳っている[1]。
活動
編集棋戦
編集- 女流棋戦を主催し、LPSA所属の女流棋士、LPSAプロのほか主催者招待選手が出場できる。棋戦には下記がある。
- 1dayトーナメント - フリーエントリー制で1回戦から決勝までを1日で行うスピーディさが特徴のトーナメント戦。
- そのほか日本将棋連盟が運営する女流公式戦に、日本将棋連盟所属の女流棋士と同じ条件で参加している。女流王位戦についてはLPSAも主催者の一つである。
GSP事業
編集「女性・女の子が将棋を楽しめる環境作り」を趣旨[3][4] とする「ガールズ将棋プロジェクト」(略称 GSP )および「LPSA スタイル」(カフェイベントなど主に大人の女性を対象とするプロジェクト)を柱に、女性らしい感性を活かした将棋の普及事業、女流棋士の育成事業に取り組み、アマチュア棋戦などを主催している。
- 女子アマ王位戦 - 第1回は2008年7月より地区ブロック予選が開幕。同年10月に女子アマ王位決定戦を開催。
- 小学生女子将棋名人戦 - 第1回は2007年8月開催。旧称、小学生女流将棋名人戦。第3回(2009年)から小学生女子将棋名人戦と改称。
- 中学生女子将棋名人戦 - 第1回は2009年8月開催。
- アパガード杯・女子アマ将棋団体戦 - 第1回は2007年11月に開催され、当時はLPSA女子アマ将棋団体戦という名称だった。2014年の第8回大会よりアパガード株式会社がスポンサーとなり現名称に改称。
その他の活動
編集役員
編集役職 | 名前 | 段位・称号、経歴 |
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代表理事 | 中倉宏美 | 女流二段 |
業務執行理事 | 林逸子 | J-Labo 常務執行役員[8] |
業務執行理事 | 島井咲緒里 | 女流二段 |
理事 | 鹿野圭生 | 女流二段 |
理事 | 川上和秀 | |
監事 | 冠城正明 | |
監事 | 山下カズ子 | 女流五段 |
特別顧問 | 蛸島彰子 | 女流六段 |
相談役 | 藤森奈津子 | 女流四段 |
沿革
編集前史
編集- 2006年12月 1日 - 日本将棋連盟女流棋士会の臨時総会で、新法人設立の準備委員会設置を賛成多数で承認。
- 2007年[9]。 2月 1日 - 女流棋士新法人設立準備委員会が新法人当初運営資金の寄付金募集を開始
- 2007年[10]。 2月21日 - 日本将棋連盟が、独立する女流棋士の連盟主催棋戦への参加を認めない可能性を示唆する理事会の見解文書を女流棋士に送付
- 2007年[11]。連盟に残留する女流棋士39名が発表された。 4月24日 - 日本将棋連盟による経緯説明の記者会見
- 2007年西村一義専務理事、田中寅彦常務理事が出席。日本将棋連盟と友好的な関係を維持することで合意した。 5月30日 - 日本女子プロ将棋協会の設立総会、記者会見。公募により決定された団体の名称もここで発表された。設立総会には、日本将棋連盟から
設立後
編集中井代表理事
編集- 2007年有限責任中間法人 日本女子プロ将棋協会[12]」設立(初代中井広恵代表理事、所属女流棋士17名、うち現役14名、サロン・事務局場所:東京都北区中里)。史上初の女流棋士・蛸島彰子が相談役に就任。 5月30日 - 「
- 2007年日本将棋連盟へ移籍届を提出し、女流棋士会からも退会。 6月 7日 - LPSA所属の女流棋士が
- 2007年 7月28日 - 設立記念パーティー開催。
- 2007年11月石橋幸緒が第18期女流王位戦で清水市代に勝利し、タイトル獲得。LPSAへ初のタイトルをもたらした。 5日 -
- 2008年12月公益法人制度改革関連3法の施行に伴い、一般社団法人となる。法人名も同日付で「一般社団法人 日本女子プロ将棋協会」に変更。 1日 -
- 2008年12月北尾まどか考案・藤田麻衣子デザインのどうぶつ将棋を、LPSAオンラインショップで販売開始。 日 - 所属棋士の
- 2009年 3月 6日 - 『LPSA公認プロ制度概要と応募要項』発表。
- 2009年 3月 7日・8日 - 受験者一般公募に先駆けてGSP中井塾生を対象としたツアーライセンス取得試験実施。
- 2009年渡部愛が理事会の最終的な承認を受けLPSA初のツアー女子プロに登録される。 4月 1日 - ツアーライセンス取得試験に合格しGSPで既に研修を受けていた
- 2009年北尾まどかがLPSAを退会。組織に所属しないフリー女流棋士となる(後に日本将棋連盟に再入会)。 6月15日 -
- 2010年藤田麻衣子が現役引退と同時にLPSAを退会して、将棋界を去る。 3月31日 -
石橋代表理事
編集- 2010年石橋幸緒が代表理事(2代目)に就任。 5月27日 -
- 2010年10月東京都港区芝浦に移転。 - LPSAサロン・事務局が
- 2011年[13]。 1月26日 - 日本女子プロ将棋協会設立記念日にあたる5月30日を「女子将棋の日」と制定することを発表
- 2012年公益社団法人となる[14]。法人名も同日付で「公益社団法人 日本女子プロ将棋協会」に変更。公益社団法人認定に伴い、LPSA独自の「公益社団法人 日本女子プロ将棋協会 棋士規程」が制定され[15][16]、渡部愛ツアー女子プロが同規定により女流棋士(女流3級)に認定された[16]。 7月 1日 -
- 2013年マイナビ女子オープンの契約問題及び、渡部愛の女流棋士認定問題を巡り、代表理事である石橋幸緒が第6期マイナビ女子オープン準決勝里見香奈戦をボイコット。 1月30日 -
- 2014年中井広恵がLPSAを退会。組織に所属しないフリー女流棋士となる。 1月23日 - 初代代表理事だった
- 2014年石橋幸緒が1月31日付で引退し、2月25日の理事任期満了をもって退会することが発表された。 1月28日 - 代表理事の
中倉代表理事
編集- 2014年中倉宏美が代表理事(3代目)に就任。 2月25日 -
- 2014年[17]。 5月30日 - 「公益社団法人日本女子プロ将棋協会 棋士規程」を改定(後述)
- 2014年[18]。 7月 1日 - 事務局を東京都港区芝へ移転
- 2015年[19]。 4月13日 - ツアー女子プロ制度を廃止し、新たにLPSAプロ制度を設立
- 2017年 5月21日 - 設立10周年記念パーティー開催。
- 2018年[20]。日本将棋連盟所属の女流棋士も多数参加した[20]。 5月27日 - 同年2月に引退した蛸島彰子女流六段引退記念パーティー「歩みを語り感謝する会」を開催
- 2018年渡部愛が第29期女流王位戦で里見香奈に勝利し、タイトル獲得。LPSA所属女流棋士がタイトル保持者となるのは、2009年に石橋幸緒が失冠して以来9年ぶり。 6月13日 -
日本将棋連盟との対立
編集2007年の発足以来、日本将棋連盟会長の米長邦雄との軋轢や仕事の斡旋での度重なるトラブルがホームページ上等で取り沙汰されていた[21][22][23]。
石橋幸緒を代表理事とするLPSAは、2012年7月1日付で、それまではLPSA所属のツアープロであった渡部愛を、独自の規定(女流棋士認定基準)により女流棋士(女流3級)と認定した[16]。
その後、渡部を日本将棋連盟の運営する女流公式戦に女流棋士として出場させるよう連盟に求めるLPSAと、連盟の定めた女流棋士認定基準は曲げられず、LPSAの要求は受け入れられないとする、連盟(並びに女流公式戦スポンサー)との対立が深刻化した[24]。
2013年1月28日、LPSAは、1月30日に予定されていた第6期マイナビ女子オープン準決勝の里見香奈女流四冠 - 石橋幸緒女流四段戦について「対局を断念する」と発表した[25]。同日、LPSAは「第6期マイナビ女子オープンに関する、マイナビ、連盟、LPSAの三者間における契約解除の通知書」を連盟に送付した[26]。1月30日、石橋は里見との対局を放棄した[26]。
連盟は2月22日に記者会見を開き「LPSA及び石橋がマイナビへの謝罪を行い、さらに女流棋士認定基準について協議に応じるなら渡部への特例を認める」という妥協案をLPSAに提示したが拒否されたことを明らかにした上で、今後について「LPSAとは新規の棋戦契約を行わない」「石橋については連盟主催の棋戦への出場を最低1年間禁止する」等の方針を発表した[24]。LPSAは連盟の会見内容に対して反発し[27]、対立は泥沼化した。
その後、LPSAは6月19日に「株式会社マイナビ様への謝罪」という文章を公式サイトに掲載し[28]、LPSAに一定の非があることを認めた。これを受けて、連盟は7月1日付で渡部の女流3級扱いを特例として認めた[29]。しかし、LPSAの謝罪文が1か月程度で取り下げられたこと、また8月に石橋が『週刊新潮』誌上[30] で連盟・マイナビを批判する発言を行ったことなどから、10月2日に連盟は (1)従来LPSAとの間で締結していた棋戦運営に関する合意書を9月30日の期限切れをもって更新しないこと、(2)現在のLPSAとは一切の契約・交渉を行わないことを発表した[31]。
2014年1月28日、LPSAは、石橋が1月末で現役を引退し、理事の任期が満了する2月25日に代表理事を退任し、同日付でLPSAを退会することを発表した[32]。2月25日に開かれたLPSAの定時総会で、中倉宏美が代表理事に就任した[33]。同日、記者会見を行った中倉は、連盟や女流公式戦スポンサーに対して「迷惑をかけてきたことをおわびし、関係を修復していきたい」と述べ、これまでの路線を転換する方針を打ち出した[34]。4月19日、中倉は連盟・女流公式戦スポンサーへの謝罪文を公表した[35]。5月30日、LPSAは「公益社団法人日本女子プロ将棋協会 棋士規程」を改定し、LPSAの女流棋士認定基準を、連盟の女流棋士認定基準([29][36][37])と事実上同一とした[17]。6月1日、連盟はLPSAと改めて「棋戦運営に関する合意書」を締結した[38]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 名称は公募したものの中から採られた。その他寄せられた案には「なでしこ将棋会」「プロメテウス」「女流棋士会 未来22」などがあったと「Positive de Go!」2007年5月24日配信分で紹介されている。
出典
編集- ^ a b “公益社団法人 日本女子プロ将棋協会 定款” (PDF). 日本女子プロ将棋協会. 2018年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月29日閲覧。
- ^ 公益社団法人日本女子プロ将棋協会 定款 第1章第1条
- ^ “2009年度GSP基金のご報告”. 日本女子プロ将棋協会(LPSA). (2010年5月20日) 2011年3月13日閲覧。
- ^ “ファンクラブイベント”. あっこ&ひろみオフィシャルブログ. (2010年9月27日) 2011年3月14日閲覧。
- ^ LPSA将棋フェス2018「プロアマ混合ペアマッチ」
- ^ LPSA公式ファンクラブ
- ^ 令和3年度定時総会終了のご報告 - LPSA・2022年2月22日
- ^ 中倉宏美 (2018年7月21日). “(交遊抄)手際のいい女性”. 日本経済新聞. 2018年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月29日閲覧。
- ^ 女流棋士新法人設立準備委員会ブログ「女流棋士新法人 女流将棋協会(仮称)設立にむけてご寄付のお願い」(記事不在のため Internet Archive も参照)。
- ^ 同「「理事会の見解」文書について」(記事不在のため Internet Archive も参照)。
- ^ 「女流棋士独立問題について」『日本将棋連盟』2007年4月24日。オリジナルの2019年9月8日時点におけるアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
- ^ “女流棋士新法人の正式名称”. 日本女子プロ将棋協会. 2008年5月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月29日閲覧。
- ^ “「女子将棋の日」制定及び記念イベント開催のお知らせ”. 日本女子プロ将棋協会(LPSA). (2011年1月26日) 2011年3月13日閲覧。
- ^ “公益社団法人認定取得のお知らせ”. 日本女子プロ将棋協会(LPSA). (2012年7月1日) 2012年7月14日閲覧。
- ^ “公益社団法人 日本女子プロ将棋協会 棋士規程”. 日本女子プロ将棋協会. 2012年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月30日閲覧。
- ^ a b c 「LPSA公認 初の女流プロ」『朝日新聞』2012年7月10日。オリジナルの2018年9月29日時点におけるアーカイブ。2018年9月29日閲覧。
- ^ a b “公益社団法人日本女子プロ将棋協会 棋士規程”. 日本女子プロ将棋協会. 2014年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月30日閲覧。
- ^ “日本女子プロ将棋協会事務所 移転のお知らせ”. 日本女子プロ将棋協会(LPSA). (2014年6月25日)
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- ^ a b “5/27(日)女流棋士第一号 蛸島彰子さんの歩みを語り感謝する会”. 日本女子プロ将棋協会 (2018年5月30日). 2018年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月29日閲覧。
- ^ 中井広恵LPSA代表理事への公開質問状
- ^ 三浦支部について
- ^ 公開質問状についてのファンへの説明
- ^ a b 「LPSAによる一方的な契約解除通知と、石橋女流四段の マイナビ女子オープン対局放棄についての記者会見」『日本将棋連盟』2013年2月22日。オリジナルの2018年9月8日時点におけるアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
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- ^ “2月22日の日本将棋連盟会見と声明について弊協会の見解”. 日本女子プロ将棋協会. 2013年3月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
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- ^ 『週刊新潮』2013年8月15・22日合併号「大和なでしこ血風録」
- ^ 「日本女子プロ将棋協会(LPSA)への対応について」『日本将棋連盟』2013年10月2日。オリジナルの2018年9月8日時点におけるアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
- ^ “将棋の石橋女流四段、現役を引退へ 女子プロ協会も退会” (日本語). 日本経済新聞. (2014年1月28日). オリジナルの2018年9月30日時点におけるアーカイブ。 2018年9月30日閲覧。
- ^ “代表に中倉宏美女流二段 日本女子プロ将棋協会” (日本語). 日本経済新聞. (2014年2月25日). オリジナルの2018年9月30日時点におけるアーカイブ。 2018年9月30日閲覧。
- ^ “女子プロ将棋協、中倉新体制発足 連盟と関係改善へ”. 北海道新聞 (2014年2月25日). 2014年2月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
- ^ “代表理事ごあいさつ”. 日本女子プロ将棋協会. 2014年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
- ^ 「山根ことみ研修会員が女流棋士3級の資格を取得|将棋ニュース|日本将棋連盟」『』2013年9月10日。オリジナルの2018年3月23日時点におけるアーカイブ。2018年9月29日閲覧。
- ^ 「女流棋士仮会員(女流3級)資格付与規程」『日本将棋連盟』2013年10月2日。オリジナルの2018年3月23日時点におけるアーカイブ。2018年9月29日閲覧。
- ^ 「日本女子プロ将棋協会(LPSA)と合意書締結」『日本将棋連盟』2014年6月2日。オリジナルの2018年9月8日時点におけるアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 日本女子プロ将棋協会|LPSA
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