津川 イネ(つがわ イネ、1875年〈明治8年〉4月3日 - 1986年〈昭和61年〉5月21日)は、長寿日本一であった徳島県女性

来歴

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1875年、徳島県麻植郡木屋平村の農林業を営む津川国三郎・マス夫婦の長女として生まれる[1]

9歳の時、村に小学校が設立され入学したが、入学時の生徒はイネただひとりだけだったという[2]

永らく独身を貫いていたが、39歳の時に15歳年下の男性(婿養子)と結婚。当時としてはかなりの晩婚であった[3]

75歳頃まで、木綿の入手が難しかったこともあり、現在徳島県那賀郡那賀町木頭でしか織られていない、太布織っていたという[4]

100歳頃に孫から止められるまで、自宅より300m山上にある畑で農作業をしていたという[3]

111歳の時、報道陣から長生きの秘訣を聞かれ「みんなが大事にしてくれるから長生きできた。元気なのはよく働き、食べ物の好き嫌いがないから。」と答えている[5]

存命中は泉重千代の長寿記録が認定されており、1986年2月21日に泉が死去したことにより長寿日本一となったとされていたが、泉の長寿記録は2012年に取り消されており、実際には大熊モムが1984年2月10日に110歳と29日で死去した時点で108歳の津川が長寿日本一となっていた[6]。1986年5月21日に111歳と48日で死去。

脚注

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  1. ^ 労働の科学 = Digest of science of labour 41(7)」国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ よぼういがく 21(3)」国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ a b よぼういがく 21(3)」国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 百万塔 (62)」国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 金融事情研究会資料 no.51-100」国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ Deaths In The 1980s (in Chronological Order) (as of May 1, 2014)” (英語). ジェロントロジー・リサーチ・グループ. 2015年1月3日閲覧。