磯風型駆逐艦
磯風型駆逐艦(いそかぜかたくちくかん)は、大日本帝国海軍の駆逐艦の艦級[12]。日本海軍の正式類別は天津風型駆逐艦(あまつかぜがたくちくかん)[13][14]。
磯風型(天津風型)駆逐艦 | |
---|---|
天津風(推定1927年10月[1]) | |
基本情報 | |
種別 | 一等駆逐艦[2] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
同型艦 | 天津風、磯風、濱風、時津風[2] |
前級 | 浦風型駆逐艦 |
次級 | 江風型駆逐艦 |
要目 (計画) | |
基準排水量 | 公表値 1,105トン[3] |
常備排水量 | 1,227トン[4] |
全長 | 326 ft 6 in (99.52 m)[5] |
水線長 | 317 ft 0 in (96.62 m)[5][注釈 1] |
垂線間長 | 310 ft 0 in (94.49 m)[4] |
最大幅 |
28 ft 0 in (8.53 m)[4] または 8.52m[6] |
深さ | 18 ft 5 in (5.61 m)[5] |
吃水 | 9 ft 3+1⁄2 in (2.83 m)[4] |
ボイラー | ロ号艦本式缶 重油専焼3基、同混焼2基[7] |
主機 | 直結タービン(高圧低圧低圧、減速ギア連結巡航タービン2基[8])[9] 1組 |
推進器 |
3軸[4] x 750rpm[9] 直径6 ft 6 in (1.98 m)、ピッチ6 ft 2 in (1.88 m)(磯風)[10] |
出力 | 27,000馬力[4] |
速力 | 34.0ノット[4] |
航続距離 |
2,800カイリ / 14ノット[5] または 3,360カイリ / 14ノット[6] |
燃料 |
重油297トン、石炭147トン[4] または 重油220トン、石炭220トン[5] または 重油297トン、石炭92トン[要出典] |
乗員 | 竣工時定員 145名[11][4] |
兵装 |
40口径四一式12cm単装砲 4門[4] 三年式機砲 2挺[4] 四四式45cm連装水上発射管[9] 3基6門[5] 四四式二号魚雷12本[5] |
搭載艇 | 4隻[4] |
トンは英トン |
計画
編集天津風型駆逐艦4隻(天津風、磯風、浜風、時津風)は[15]、海風型駆逐艦につぐ国産一等駆逐艦で[16]、八四艦隊案の第一歩となる大正4年度成立した軍備補充費の予算追加要求で計画された[17]。予算は大正5年度と同6年度の新造艦艇製造費から、4隻合計8,113,660万円と説明されている[18]。呉海軍工廠で2隻、三菱長崎造船所で1隻、川崎造船所で1隻が建造され、4隻とも1917年(大正6年)に竣工した[19]。起工から5カ月ほどで竣工した樺型に対し、「浜風」で進水から竣工まで5カ月掛かっていて、より慎重に工事が進められたことを示している[20][注釈 2]。
艦型
編集基本計画番号F24[21]、海風型の拡大型といえる艦級である[22]。
船体は海風型に引き続き船首楼型。艦首はいわゆるスプーン型で[23]、日本海軍では大正4年度計画の駆逐艦から採用されており、一等駆逐艦には本型から採用された[24]。凌波性はまだ十分でなく[20]、1919年(大正8年)の大演習で「浜風」が波浪によって艦橋破壊の被害を受けている[25]。船体構造は重量軽減策として縦通構造としたが、工作が面倒で以後の駆逐艦には採用されなかった[26]。
砲は40口径12cm砲に統一し(海風型は12cmと8cm砲の混載)、4門全てを中心線上に配置した[26]。魚雷発射管は連装3基6門として海風型(連装2基4門)より強化された[20][注釈 3]。
ボイラーは海風型と同じ重油専焼缶と石炭重油混焼缶を搭載、前部2基が小型の混焼、後部3基が重油専焼のロ号艦本式ボイラー計5基(海風型はイ号艦本式計8基[27])となり、煙突も3本(同4本[27])となった[16]。
主機は海風型同様、直結タービンを搭載した3軸艦で中央軸に高圧タービン、両舷軸に低圧タービン各1基を接続した。 更に減速ギア接続の巡航タービンが各1基ずつ搭載され、両舷軸に接続された[28]。巡航タービンは「浦風」(竣工後に装備)に先駆けて装備された[9]。タービン用減速ギアは日本海軍で初めての採用で、これは呉海軍工廠と三菱で製造した[28]。ギアの騒音が危惧されたが竣工後の問題は特に無かった[28]。またタービン形式は「天津風」「時津風」にはブラウン・カーチス式、「磯風」「浜風」にはパーソンズ式を採用、燃料消費量などの成績はパーソンズ式の方が良好だった[28]。
スクリューは「天津風」「磯風」が直径6ft6in・ピッチ6ft2in、「時津風」が同6ft6in・6ft0in、「浜風」が同6ft4in・5ft10in1/4と異なり、それぞれの比較実験を行った結果、「天津風」のそれが一番推進効率が良く、「浜風」のが最低だった[10]。また公試後の検査ではスクリューに最大で1/2インチ(約13mm)の腐食が見つかり、一時的ではあるが、連続航行で7,000馬力、短時間で6/10全力(16,200馬力程度)に出力が制限された[10]。代艦の「時津風」(後述)は公試で32ノットに届かず、推進器の交換でようやく33ノットを超える速力となった[29]。新造時の同艦(速力は35.56ノット)のスクリュー翼の厚さは3インチ3/4で代艦のそれは5インチと4インチとなっていて、翼の厚さが速力に大きく影響することが判明した[29]。
運用
編集4番艦時津風は竣工翌年に九州で座礁し船体破壊、代艦を建造している。ただし名目上は大修理とされて新艦とされなかった[12]。
同型艦
編集磯風(いそかぜ)
編集- 1915年(大正4年)7月10日、一旦「時津風」と命名後、同年8月25日に「磯風」と改名[32][33]。呉海軍工廠において1916年(大正5年)4月5日起工、同年10月5日進水(天津風と同日)[34]、1917年(大正6年)2月28日竣工[35][36][37]。天津風型2番艦[13]。1935年(昭和10年)4月1日、除籍[14][38]。
浜風(はまかぜ)
編集- 1915年(大正4年)7月10日、濱風と命名[32]。三菱長崎造船所において1916年(大正5年)4月1日起工、同年10月30日進水[39]、1917年(大正6年)3月28日竣工[40][41][42][37]。天津風型3番艦[13]。1919年(大正8年)、大演習時に波浪により艦橋破壊事故を起こす。この事故で笹尾源之丞司令が負傷し、その後この傷が元で殉職する。1935年4月1日、除籍[14][43]。
天津風(あまつかぜ)
編集- 1915年(大正4年)7月10日、「天津風」と命名[32]。天津風型駆逐艦のネームシップ[13]。呉海軍工廠で1916年(大正5年)4月5日起工(磯風と同日)、同年10月5日進水(磯風と同日)[34]、1917年(大正6年)4月14日竣工[44][37]。1935年4月1日、除籍[14][45]。
時津風(ときつかぜ)
編集駆逐隊の変遷
編集磯風型は4隻そろって1個駆逐隊を編成した。
第一駆逐隊→第三十三駆逐隊→第十八駆逐隊
編集大正6年4月1日、横須賀鎮守府籍の磯風・浜風・天津風・時津風の4隻で編成。同日に春雨型駆逐艦、神風型駆逐艦からなる先代の第一駆逐隊が第四駆逐隊にスライドし、二代目の第一駆逐隊となる。大正7年10月13日には舞鶴鎮守府に転籍、第三十三駆逐隊となった[52]。大正11年12月1日には呉鎮守府に転籍[53]、大正7年4月1日に春雨型駆逐艦、白雲型駆逐艦からなる先代が第二十七駆逐隊となって以来の二代目第十八駆逐隊となった。所属部隊と所属駆逐艦の変遷は以下のとおり。各艦の艦歴は各艦の項目を参照。
- 1917年(大正6年)4月1日:磯風、浜風で編成[54]。第二艦隊第二水雷戦隊[55]。
- 1917年(大正6年)4月14日:竣工した天津風を編入[56]。
- 1917年(大正6年)5月31日:竣工した時津風を編入[57]。
- 1918年(大正7年)3月25日:宮崎県折生迫(おりうざこ)海岸で時津風座礁[58]。30日放棄。
- 1918年(大正7年)4月17日:時津風、駆逐隊から離脱[59]。
- 1919年(大正8年)10月24日:浜風、八丈島東方で波浪により艦橋破壊。第一駆逐隊司令笹尾源之丞中佐(海兵28期)負傷(11月20日殉職)。
- 1920年(大正9年)2月19日:時津風、駆逐隊に復帰[60]。
- 1920年(大正9年)5月1日:横須賀鎮守府予備艦[61]。
- 1920年(大正9年)10月13日:舞鶴鎮守府に転籍、第三十三駆逐隊に改称[52]。舞鶴鎮守府予備艦。
- 1922年(大正11年)12月1日:呉鎮守府に転籍、第十八駆逐隊に改称[53]。舞鶴要港部部隊[62]。
- 1923年(大正12年)12月1日:呉鎮守府予備艦[63]。
- 1924年(大正13年)4月1日:大湊要港部部隊[64]。
- 1925年(大正14年)4月1日:呉鎮守府予備艦[65]。
- 1927年(昭和2年)2月5日:第一遣外艦隊[66]。
- 1927年(昭和2年)9月20日:呉鎮守府予備艦[67]。
- 1935年(昭和10年)4月1日:所属艦の除籍を機に解隊[68]。
脚注
編集注釈
編集- ^ #軍艦基本計画資料Sheet15によると天津風の完成常備状態で水線長96.676m
- ^ #日本駆逐艦物語pp.70では『第一次世界大戦における駆逐艦のいちじるしい不足に際し、樺型の急造についで、二等駆逐艦桃型と併行して建造された』とある。
- ^ #海軍造船技術概要(1987)p.380では3連装2基としているが誤り。
出典
編集- ^ #日本海軍全艦艇史下巻p.556、No.1482の写真解説
- ^ a b #海軍制度沿革8(1971)pp.88-92『大正十五年十一月二十九日(内令二三八) 艦艇類別等級別表ノ通定ム(別表省略)』| 驅逐艦 | 一等 | 天津風型 | 天津風、磯風、濱風、時津風 |
- ^ #海軍制度沿革巻11-2(1972)pp.1068-1069、昭和3年2月14日(内令43)、艦船要目公表範囲。
- ^ a b c d e f g h i j k l #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その二「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」
- ^ a b c d e f g #海軍造船技術概要p.388
- ^ a b #昭和造船史1pp.788-789、附表第2 艦艇要目表
- ^ #帝国海軍機関史(1975)下巻p.546(第三巻、四五六頁)
- ^ #帝国海軍機関史(1975)別冊表20、『(第一一表)』
- ^ a b c d #帝国海軍機関史(1975)下巻p.544(第三巻、四五四頁)
- ^ a b c #帝国海軍機関史(1975)下巻pp.549-550(第三巻、四五九-四六〇頁)、五 推進器。
- ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.567-568、大正5年10月12日内令223、「天津風、磯風」の定員制定。將校、機關將校8人、特務士官、准士官3人、下士37人、卒97人。同書p.568、大正6年1月20日内令5で「、濱風」追加、同日内令9で「、時津風」追加。
- ^ a b #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.95『磯風型(四隻) 艦種一等驅逐艦 磯風(いそかぜ) 昭和10年4月除籍 濱風(はまかぜ) (同上) 天津風(あまつかぜ) (同上) 時津風(ときつかぜ) 大正7年3月九州宮崎沖に坐礁、舞鶴にて大修理。昭和10年4月除籍』
- ^ a b c d e #海軍制度沿革(巻8、1940)p.64『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|天津風型|天津風、磯風、濱風、時津風』
- ^ a b c d e #海軍制度沿革(巻8、1940)p.69『昭和十年四月一日(内令一三六) 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 軍艦、海防艦ノ項中「日進、」ヲ削ル|驅逐艦、一等ノ部中天津風型及谷風ノ項ヲ削リ、同二等ノ部中椿ノ項ヲ削ル|潜水艦、二等ノ部中海中三型ノ項中「呂號第二十三、呂號第二十四、ヲ削ル』
- ^ #土国駆逐艦本邦注文(2)p.2『駆逐艦|天津風型|4|(以下略)』
- ^ a b #日本駆逐艦物語pp.70-71
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.242-243
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.244
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.244-245
- ^ a b c #日本駆逐艦史1992p.48
- ^ #日本駆逐艦物語p.284
- ^ 『駆逐艦の系譜1』p.28
- ^ 『駆逐艦の系譜1』p.29、艦型図
- ^ #日本駆逐艦史2012p.56
- ^ #銘銘伝2014pp.325
- ^ a b #海軍造船技術概要(1987)上巻p.380
- ^ a b #日本駆逐艦物語p.68
- ^ a b c d #帝国海軍機関史(1975)下巻pp.545-546(第三巻、四五五-四五六頁)、二 主機械ノ制式
- ^ a b #帝国海軍機関史(1975)下巻pp.552-553(第三巻、四六二-四六三頁)
- ^ #S9恩給叙勲調査(下)/除籍艦艇/駆逐艦(1)画像3-5
- ^ #銘銘伝2014pp.300-302,303-304,318-319,325-326
- ^ a b c d #海軍制度沿革(巻8、1940)p.206『◎驅逐艦天津風時津風磯風濱風桃柳柳樫檜命名ノ件 大正四年七月十日(達九七)軍備補充費ヲ以テ製造スヘキ驅逐艦八隻左ノ通命名ス|呉海軍工廠ニ於テ製造 一等驅逐艦二隻{
天津風 時津風 |神戸川崎造船所ニ於テ製造 一等驅逐艦一隻磯風 |長崎三菱造船所ニ於テ製造 一等驅逐艦濱風 |佐世保海軍工廠ニ於テ製造 二等驅逐艦二隻{桃 柳 |舞鶴海軍工廠ニ於テ製造 二等驅逐艦二隻{樫 檜 』 - ^ a b #海軍制度沿革(巻8、1940)p.206『大正四年八月二十五日(達一一三)本達九十七號ヲ以テ命名シタル驅逐艦中呉海軍工廠ニ於テ製造ノ「時津風」ヲ「磯風」ニ川崎造船所ニ於テ製造ノ「磯風」ヲ「時津風」ニ改ム』
- ^ a b #磯風浜風天津風時津風(1)p.43『天津風磯風勝力本日無事進水セリ 十月五日 呉鎮守府司令長官』
- ^ #磯風浜風天津風時津風(2)p.8『磯風竣工本日授受結了 二月廿八日 呉鎮長官』
- ^ #海軍制度沿革(巻11、1940)p.560『磯風|一等驅逐艦|全長(米)94.49|幅(米)8.53|吃水(米)2.83|排水量(噸)常備12,227/基準1,105|速力(節)34|定員數145|短艇數-|造船所 呉工廠|竣工年月日 大正5-4-5|進水年月日 大正5-10-5|竣工年月日 大正6-2-28|大砲12c/m 4|機銃2|發射管6|探照燈4|(機関)種類タービン/數3|(罐)種類 艦本式/數3|推進器數3|備考』
- ^ a b c d e #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.95『磯風(起工)大正5-4-5 (進水)大正5-10-5 (竣工)大正6-2-28 (建造所)呉工廠|濱風(起工)同5-4-1 (進水)同6-10-30 (竣工)同6-3-28 (建造所)三菱造船所|天津風(起工)同5-4-5 (進水)同5-10-5 (竣工)同6-4-14 (建造所)呉工廠|時津風(起工)同5-3-10 (進水)同5-12-27 (竣工)同6-5-31 (建造所)川崎造船所』
- ^ #S9恩給叙勲調査(下)/除籍艦艇/駆逐艦(1)画像4
- ^ #磯風浜風天津風時津風(2)p.2『大正五年十月三十一日(略)濱風午前十時無事進水セリ。(了)』
- ^ #磯風浜風天津風時津風(2)p.14『大正六年三月十八日(略)本日午前十時造船所ヨリ本艦ヲ受領ス』
- ^ #磯風浜風天津風時津風(2)p.45『大正六年三月十二日(略)濱風来ル二八日引渡ノ予定』
- ^ #海軍制度沿革(巻11、1940)p.560『濱風(艦要目略)|三菱長崎造船所|大正5-4-1|大正5-10-30|大正6-3-28|(武装略)』
- ^ #S9恩給叙勲調査(下)/除籍艦艇/駆逐艦(1)画像5
- ^ #海軍制度沿革(巻11、1940)p.560『天津風(艦要目略)|呉工廠|大正5-4-5|大正5-10-5|大正6-4-14|(武装略)』
- ^ a b #S9恩給叙勲調査(下)/除籍艦艇/駆逐艦(1)画像3
- ^ #磯風浜風天津風時津風(2)p.5『大正五年十二月二十七日(略)時津風無事進水セリ』
- ^ #磯風浜風天津風時津風(2)p.46『大正六年五月廿九日(略)時津風三十一日受領ノ予定御届ス』
- ^ #磯風浜風天津風時津風(2)p.48『大正七年十二月二日舞鶴海軍工廠長(略)時津風起工ノ件 一等驅逐艦時津風本日起工右報告ス』
- ^ 「進水 p.2」 アジア歴史資料センター Ref.C08021315200 『大正八年三月六日 舞鶴鎮守府司令長官 野間口兼雄 海軍大臣加藤友三郎殿 驅逐艦時津風進水ノ件 驅逐艦時津風大正八年三月三十一日進水ノ豫定 右報告ス』
- ^ #磯風浜風天津風時津風(2)p.49『大正九年月二月十七日舞工廠長』
- ^ #海軍制度沿革(巻11、1940)p.560『時津風(艦要目略)|神戸川崎造船所|大正7-12-2|大正8-3-31|大正9-2-17|(武装略)』
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- ^ a b #海軍制度沿革4-1(1971)p.81-82、大正11年内令82『驅逐隊編成本表ノ通リ改定セラル』
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- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.87、昭和2年内令45『第十八驅逐隊ノ所属ヲ第一遣外艦隊トス』
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.88、昭和2年内令307『第十八驅逐隊ノ所属第一遣外艦隊ヲ削ル』
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.100、昭和10年4月1日附内令122『第十八驅逐隊ノ項ヲ削ル』
参考文献
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- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻11(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886713』海軍大臣官房、1940年。
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- 『磯風、浜風、天津風、時津風(1)』。ref.C08020923000。
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- 堀元美『駆逐艦 その技術的回顧』(原書房、1969年)ISBN 4-562-01873-9
- 牧野茂、福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4。
- 艦船模型スペシャル No.17 日本海軍 駆逐艦の系譜 1
- 『官報』