竹嶌藤次郎
大日本帝国陸軍軍人
竹嶌 藤次郎(たけしま とうじろう、1881年(明治14年)11月23日 - 1929年(昭和4年)6月13日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。子息は二・二六事件に参加した竹嶌継夫 歩兵中尉(陸士40期次席)。
竹嶌 藤次郎 | |
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生誕 |
1881年11月23日 日本 滋賀県 |
死没 | 1929年6月13日(47歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1902年 - 1929年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集滋賀県出身[1][2]。1902年(明治35年)陸軍士官学校第14期卒業[1][2]。1908年(明治41年)陸軍砲工学校高等科第14期を優等で卒業[2]。
1924年(大正13年)5月に陸軍工兵大佐・工兵第9大隊長、1926年(大正15年)3月に陸軍省兵器局器材課長を経て、1929年(昭和4年)6月13日に没し、陸軍少将に特進した[1][2]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。