落合寛茂
落合 寛茂(おちあい かんも、1897年(明治30年)11月5日[1] - 1972年(昭和47年)4月15日[2])は、明治末から昭和期の僧、政治家。衆議院議員(1期)、天台宗大僧正。
経歴
編集長野県[2]小県郡傍陽村[3](真田町[3]を経て現上田市真田町傍陽)出身。12歳で得度受戒[3]。天台宗中学(現駒込中学校・高等学校)を経て[3]、1919年(大正8年)天台宗大学(現大正大学)専門部を卒業した[2][注釈 1]。その後、東京美術学校(現東京芸術大学)日本画科で学んだ[2][注釈 2]。
実相院(上田市)住職に就任[3]。天台宗宗務庁教学部で勤務し、信濃毎日新聞社客員として漫画、漫文などを掲載した[3]。1935年(昭和10年)茨城県結城郡大花羽村大輪(水海道市を経て現常総市大輪町)の安楽寺特命住職に転任[3]。1956年(昭和31年)大僧正に任職した[3]。
1963年(昭和38年)11月の第30回衆議院議員総選挙で茨城県第3区から日本社会党公認で出馬して当選し[3][4]、衆議院議員に1期在任した[2]。この間、社会党茨城県本部顧問、同水海道支部顧問などを務めた[2]。次の第31回総選挙に立候補したが次点で落選した[4]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 『読売年鑑 昭和42年版』読売新聞社、1966年。
- 赤羽篤外編『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。