譚 峭(たん しょう、生没年不詳)は、代末期・五代十国時代道士・道教学者。は景升。泉州仙游県花亭(現在の福建省莆田市城廂区華亭鎮)の人。

譚峭

生涯

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咸通年間に国子監司業中国語版の譚洙の子として生まれた[1]

幼い頃から黄老・諸子や列仙伝記が好きで、仙人になるよう道教を修めるという志をもった。終南山太白山太行山王屋山中国語版華山泰山嵩山などの名山を歩き回り、その後、嵩山で道士として十年余り過ごした。そこで、穀物を食べず、寒暑を耐える術を得た。その後、衡山に住み、錬丹術を成しとげて、形を隠したり変化させられるようになったことで、青城山に入って隠居したという。

譚峭は『化書中国語版』(『譚子化書』)六巻百十二篇を記している。万事万物はみな虚から生まれ、「虚が神となり、神が気となり、気が形となり」、その後また虚に戻るとし、「その変化は無窮である」という。

『泉州府志』によると、南唐の後主李煜が譚峭に「紫霄真人」の称号を与えたとある。福建では多くの人から神として奉られ、譚仙あるいは譚公とも呼ばれるが、恵州香港では譚公(元の名前は譚徳)を拝むとはいえ、神祇と同一視はしていない。それについては南唐の沈汾の『続僊伝』に記載してある。

参考資料

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  1. ^ 泉州市地方志編纂委員会 (2000-5). 泉州市志. 北京: 中国社会科学出版社. pp. 第一章 人物伝. ISBN 7-5004-2700-X. オリジナルの2009-09-15時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090915195631/http://www.fjsq.gov.cn:88/showtext.asp?ToBook=3222&index=4402&