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'''小林 倫子'''(こばやし りんこ、小林グルジンスカ倫子(Kobayashi Grudzińśka Rinko)、[[1951年]][[2月19日]] - )は、[[兵庫県]]生まれの日本[[ピアニスト]]。1977年から[[ポランド]][[ワルシャワ]]に在住。夫はワルシャワショパン協会とショパン国際ピアノコンクールの事務総長を長年務めたAlbert Grudzińśki (アルベルト・グルジンスキ)。
'''小林 倫子'''(こばやし りんこ、本名:小林グルジンスカ倫子(Kobayashi  Grudzińśka Rinko)、[[1951年]][[2月19日]] - )は、[[兵庫県]]生まれの[[日本]]の[[ピアニスト]]。1977年から[[ポランド]][[ワルシャワ]]に在住。夫はワルシャワショパン協会と[[ショパン国際ピアノコンクール]]の事務総長を長年務めたアルベルト・グルジンスキ (Albert Grudzińśki)。ポーランドでは、[[フレデリック・ショパン]]作品の演奏家として知られる


== 人物 ==
== 来歴・人物 ==
2から本を読み始め、[[サトウハチロ]]の詩にメロディをつけて童謡を作曲していた[[山田耕筰]]が新聞記事でそれを知り、山田は詩を持参して曲を作るように話し。小林によるメロディは、冒頭末尾山田が付けた曲とよく似ていたという。山田自筆でそれぞれを楽譜に写し後に遠山音楽財団付属図書館が出版した山田耕筰作品資料目録』載された。
3から歌を、4歳から内田聆子の下でピアノを始め5歳から歌ピアノでラジオ・TV度々出演し、子供のためのミュージカルで主演。小から中までは福岡にて佐藤博子・原田吉雄に師事。


3から歌を、4歳から内田聆子の下でピアノを始める。5歳から唱やピアノ演奏テレビ出演も複数回出演したほか、子供むけ[[ミュージカル]]主演経験もあった。小学校5年生から中学3年生までは[[福岡県]]で佐藤博子・原田吉雄に師事した
桐朋学園音楽高校・大学、[[井口基成]]・小島準子に師事[[齋藤秀雄]]にも個人的に師事を受け。[[別宮貞雄]]歌曲の作曲を師事。卒業時「音楽賞」を受賞。卒業後、東京音楽大学・高校で講師を務める


[[桐朋女子中学校・高等学校|桐朋女子高等学校]]音楽科を経て[[桐朋学園大学]]に進みこの間に[[井口基成]]・小島準子に師事したほか、[[齋藤秀雄]]にも個人的に指導を受けまた、[[別宮貞雄]]からは作曲を学ぶ。卒業時「音楽賞」を受賞した
第39回第40回日本音楽コンク-ルで連続入選し、第18回海外派遣コンク-ルで特別表彰を受賞。1980年、第10回ショパン国際ピアノコンクルでディプロマと特別賞を得る。


大学卒業後、[[東京音楽大学]]と[[東京音楽大学付属高等学校]]で講師を務める。
アンジェイ・ヤシンスキ(Andrzej Jasiński)の日本人唯一の弟子である。


第39回第40回日本音楽コンク-ルで連続入選し、第18回海外派遣コンク-ルで特別表彰を受賞した。1980年、第10回[[ショパン国際ピアノコンク]]でディプロマと特別賞を得る。{{仮リンク|アンジェイ・ヤシンスキ|PL|Andrzej Jasiński}}に指導を受け、日本人では唯一の弟子となった
1987年からオケストラ解散時まで数年間, ワルシャワラジオTV室内オ-ケストラのソリストを務めた。


1987年からワルシャワラジテレビ室内オーケストラ解散時まで数年間, ソリストを務めた。
ニュクのカネギ-リサイタルル、ロンドンウィグモアホ-ル、ウィ-ン国際マイスタ-コンチェルトシリズを始め、ヨ-ロッパ・アメリカ・日本・台湾で、リサイタルオ-ケストラとの共演、又数々の国際フェスティヴァルに出演。1995年にデンマク女王マルIIランド公式訪問の折も演奏。ヨ-ロッパ・アメリカ・日本TV・ラジオに出演し、ポ-ランドもショパニスト(ショパン弾き)として知られている。演奏活動のピーク時は年間50回以上のコンサートをていが、近年はコンサートよりもCD制作に力を入れている


[[ニュ]][[ネギー・]]、ロンドンウィグモアホ-ル、ウィ-ン国際マイスタ-コンチェルトシリズを始め、ヨ-ロッパ・アメリカ・日本・台湾で、リサイタルオ-ケストラとの共演をおこない、国際フェスティルに出演している。1995年に[[デンマ]]女王の[[マル2 (デンマーク女王)|マルグレーテ2世]]がランド訪問した際、臨席で演奏した。
== ディスコグラフィ ==
1. メンデルスゾ-ン集


== ディスコグラフィ ==
2. ショパンの曲を題材にした色々な作曲家の作品集「Chopiniana」。録音時ほぼ全部が世界初録音
演奏CD・LP、Warner Music Poland・Poskie Nagrania・[[ニーキャニオン]]・ZPR Records・Polskie Nagrania Edition・Audiostaxなどからヨ-ロッパ・アメリカ・日本でリリースされている。また[[YouTube]]の他、Spotify,  Apple Music, Deezer, Amazon Music Unlimited, Tidal、Wynk Musicなどのストリ-ミングにアップされている。


1998年リリ-スの「Chopin Forever」は、99年にポ-ランドでのクラシックピアノ部門で初めてのゴ-ルドCD(1万枚)を、また翌年にはポ-ランドのクラシックソロピアノ(協奏曲部門ではクリスティアン・ツィメルマンが受賞)で初めてのプラチナCD(2万枚)を獲得した
3. 「パデレフスキピアノ曲集」


1999年に国立ポ-ランドラジオシンフォニ-オ-ケストラと世界初録音したRinko Kobayashi plays Roman Maciejewskiは、第6回フレデリク賞の現代音楽部門にノミネートされた。
4. 「ショパン Forever」: ショパン作品集

5. モ-ツアルトピアノ協奏曲KV37:ヴォィチェフ・ライスキ指揮、ポ-ランドチェンバ-フィルハ-モニック(自作カデンツ)

6. 「The Chopin I love」: ショパン作品集

7. 「ロマンティックポ-ランドピアノ曲集」

8. 「デュオピアノ名作集」ハリナ・チェルニ-・ステファインスカとの制作。

9. 「Rinko Kobayashi plays Roman Maciejewski」:ロマン・マチェイェフスキ作品集。国立ポ-ランドラジオシンフォニ-オ-ケストラ(ミロスワフ・ブワシチク指揮)

10. 「Hommage à Chopin」

11. 「LOVE 愛 MIŁOŚĆ」: Beethoven, Fauré, Rachmaninow

12. 「PRAYER 祈り MODLITWA」:ショパン夜想曲全集

13. 「Yearning 郷愁  TĘSKNOTA 」: ショパンマズルカ全集

などのCD・LP、Warner Music Poland・Poskie Nagrania・ポ二- キャニオン・ZPR Records・Polskie Nagrania Edition・Audiostaxなどからヨ-ロッパ・アメリカ・日本でリリースされており多くのアルバムがYou Tube の他、Spotify,  Apple Music, Deezer, Amazon Music Unlimited, Tidal、Wynk Musicなどのストリ-ミングにアップされている。

1998年リリ-スの「Chopin Forever」は、99年にポ-ランドでのクラシックピアノ部門で初めてのゴ-ルドCD(1万枚)を、また翌年にはポ-ランドのクラシックソロピアノ(協奏曲部門ではクリスティアン・ツィメルマンが受賞)で初めてのプラチナCD(2万枚)を獲得。

1999年に国立ポ-ランドラジオシンフォニ-オ-ケストラと世界初録音したRinko Kobayashi plays Roman Maciejewskiは、第回フレデリク賞(ポーランドのアカデミー賞に当たる)の現代音楽部門にノミネートされた。


== 出版物 ==
== 出版物 ==
世界子供ののピアノ曲集ポ-ランド編を夫、アルベルト・グルジンスキと監修・出版。ま、彼祖父音楽院で教えていたニェヴィアドムスキ(ショパンの孫弟子)からグルジスキ家伝わっているショパン自身の演奏解釈についての講演を日本。フランスなどで行っている。夫とその兄の共著で、彼女が翻訳したショパン愛と追憶のポランド」は日本の公共図書館の多くに所蔵されている
世界子供のためのピアノ曲集ポ-ランド編を夫と監修・出版。夫とそ共著『ショパン、愛と追憶ポ-ラド』を松本照男 とともに日本語に翻訳して2006年に刊行した<ref>[https://www.chopin.co.jp/products/book/ChopinloveandreminiscenceofPoland.html ショパン愛と追憶のポランド] - 月刊ショパン</ref>


== 賞歴 ==
=== 映画・TV ドラマの中での演奏 ==
1988年、ショパンの作品を国際的に広めた功績を認められて文化大臣からポ-ランド人民共和国文化功労賞を受ける。
* 1995年、オ-ストリア・NHK共同制作のドキュメンタリ-映画「ショパンの心臓」(Piotr Szalsza監督)で映画の中の大部分の曲を演奏。
* 1999年、TVドラマ「ノ-アンの夏」(イワシキェヴィチ)で、隣室で作曲中のショパンの設定で全シ-ンで演奏。
* 2000年、「パリのアメリカ人とポーランドの問題」(Stefan Szlachtycz監督)でMaciejewskiのマズルカ数曲が使用されている。


2002年、ポ-ランド大統領より「ポ-ランド共和国功労騎士十字勲章」を受章。
== 賞歴 ==
* 1988年、ショパンの作品を国際的に広めた功績を認められて文化大臣からポ-ランド人民共和国文化功労賞を受ける。
* 2002年、ポ-ランド大統領より「ポ-ランド共和国功労騎士十字勲章」を受章。


== エピソ-ド ==
== 脚注 ==
<references />
2から本を読み始め、[[サトウハチロ]]の詩にメロディをつけて童謡を作曲していたが、当時[[相愛女子短期大学]]音楽科長であった[[山田耕筰]]がそれを新聞記事で知り、彼が持参した詩[1]にその場で曲するように言われて作ったメロディは、最初最後の部分彼の作したものていた。この時両方のメロディを書き取った山田耕作の自筆楽譜、遠山音楽財団付属図書館が出版した山田耕筰作品資料目に載っている。遠山音楽財団付属図書館の資料は。2010年にすべての資料が明治学院大学遠山一行記念日本近代音楽館に寄贈された。


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2024年4月24日 (水) 13:22時点における版

小林 倫子(こばやし りんこ、本名:小林グルジンスカ倫子(Kobayashi  Grudzińśka Rinko)、1951年2月19日 - )は、兵庫県生まれの日本ピアニスト。1977年からポーランドワルシャワに在住。夫はワルシャワショパン協会とショパン国際ピアノコンクールの事務総長を長年務めたアルベルト・グルジンスキ (Albert Grudzińśki)。ポーランドでは、フレデリック・ショパン作品の演奏家として知られる。

来歴・人物

2歳から本を読み始め、サトウハチローの詩にメロディをつけて童謡を作曲していた。山田耕筰が新聞記事でそれを知り、山田は詩を持参して曲を作るように話した。小林によるメロディーは、冒頭と末尾が山田が付けた曲とよく似ていたという。山田は自筆でそれぞれを楽譜に写し、後に遠山音楽財団付属図書館が出版した『山田耕筰作品資料目録』に掲載された。

3歳から歌を、4歳から内田聆子の下でピアノを始める。5歳からは歌唱やピアノ演奏でテレビ出演にも複数回出演したほか、子供むけミュージカルでの主演経験もあった。小学校5年生から中学3年生までは福岡県で佐藤博子・原田吉雄に師事した。

桐朋女子高等学校音楽科を経て桐朋学園大学に進み、この間に井口基成・小島準子に師事したほか、齋藤秀雄にも個人的に指導を受けた。また、別宮貞雄からは作曲を学ぶ。卒業時に「音楽賞」を受賞した。

大学卒業後、東京音楽大学東京音楽大学付属高等学校で講師を務める。

第39回と第40回の日本音楽コンク-ルで連続入選し、第18回海外派遣コンク-ルで特別表彰を受賞した。1980年、第10回ショパン国際ピアノコンクールでディプロマと特別賞を得る。アンジェイ・ヤシンスキポーランド語版に指導を受け、日本人では唯一の弟子となった。

1987年からワルシャワラジオテレビ室内オーケストラで解散時まで数年間, ソリストを務めた。

ニューヨークカーネギー・ホール、ロンドンのウィグモアホ-ル、ウィ-ン国際マイスタ-コンチェルトシリーズを始め、ヨ-ロッパ・アメリカ・日本・台湾で、リサイタルやオ-ケストラとの共演をおこない、国際フェスティバルにも出演している。1995年にデンマーク女王のマルグレーテ2世がポーランドを訪問した際に、臨席の場で演奏した。

ディスコグラフィ

演奏CD・LPは、Warner Music Poland・Poskie Nagrania・ポニーキャニオン・ZPR Records・Polskie Nagrania Edition・Audiostaxなどからヨ-ロッパ・アメリカ・日本でリリースされている。また、YouTubeの他、Spotify,  Apple Music, Deezer, Amazon Music Unlimited, Tidal、Wynk Musicなどのストリ-ミングにアップされている。

1998年リリ-スの「Chopin Forever」は、99年にポ-ランドでのクラシックピアノ部門で初めてのゴ-ルドCD(1万枚)を、また翌年にはポ-ランドのクラシックソロピアノ(協奏曲部門ではクリスティアン・ツィメルマンが受賞)で初めてのプラチナCD(2万枚)を獲得した。

1999年に国立ポ-ランドラジオシンフォニ-オ-ケストラと世界初録音した『Rinko Kobayashi plays Roman Maciejewski』は、第6回フレデリク賞の現代音楽部門にノミネートされた。

出版物

『世界子供のためのピアノ曲集ポ-ランド編』を夫と監修・出版した。夫とその兄の共著『ショパン、愛と追憶のポ-ランド』を松本照男 とともに日本語に翻訳して2006年に刊行した[1]

賞歴

1988年、ショパンの作品を国際的に広めた功績を認められて文化大臣から「ポ-ランド人民共和国文化功労賞」を受ける。

2002年、ポ-ランド大統領より「ポ-ランド共和国功労騎士十字勲章」を受章。

脚注

  1. ^ ショパン愛と追憶のポーランド - 月刊ショパン