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経営数値および会社基礎情報は[http://info.edinet-fsa.go.jp/ EDINET]全日本空輸有価証券報告書から。
経営数値および会社基礎情報は[http://info.edinet-fsa.go.jp/ EDINET]全日本空輸有価証券報告書から。
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'''全日本空輸株式会社'''(ぜんにっぽんくうゆ<ref>読み方は、公式Webサイトの会社概要にも、[[会社四季報]]にも、「ぜんにっぽんくうゆ」と記載されている。</ref>、[[英語|英称]]:''<span lang="en" xml:lang="en">All Nippon Airways Co., Ltd.</span>''、[[略語|略称]]:'''全日空'''(ぜんにっくう)、''ANA'')とは、[[日本]]の[[航空会社]]である。
[[ファイル:Narita International Airport, Terminal 1.JPG|thumb|240px|[[成田国際空港]]第1旅客ターミナル]]
'''全日本空輸株式会社'''(ぜんにっぽんくうゆ<ref>読み方は、公式Webサイトの会社概要にも、[[会社四季報]]にも、「ぜんにっぽんくうゆ」と記載されている。一方、[[民事法務協会]]の登記情報提供サービスでは「ゼンニホンクウユ」でのみヒットするため、登記上「ぜんにほんくうゆ」が正式であるとの主張もあるが、登記簿そのものに特に読み方が明記されている訳ではない。</ref>、[[英語|英称]]:''<span lang="en" xml:lang="en">All Nippon Airways Co., Ltd.</span>''、[[略語|略称]]:'''全日空'''(ぜんにっくう)、''ANA'')とは、[[日本]]の[[航空会社]]である。


== 概 ==
== 概要と沿革 ==
国内線では最大の路線網を持ち、国内線乗客数では日本最大級の航空会社である<ref>[[IATA]]発表の2007年の国内線の旅客キロ数では世界第10位 ([http://www.iata.org/ps/publications/wats-passenger-km.htm Scheduled Passenger - Kilometres Flown]) </ref>。国際線では[[アジア]]諸国と[[ヨーロッパ]]諸国、[[アメリカ合衆国]]のみに運航している。[[航空連合|航空会社連合]]「[[スターアライアンス]]」のメンバー。[[東京証券取引所|東証]]一部上場企業。[[コーポレートカラー]]はトリトンブルー。[[航空会社コード|2レターコード]]"'''NH'''"は、元の社名「日本ヘリコプター輸送 (Nippon Helicopter) 」に由来。本社は[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]東新橋 [[汐留シティセンター]]。
国内線では最大の路線網を持ち、国内線乗客数では日本最大級の航空会社である<ref>[[IATA]]発表の2007年の国内線の旅客キロ数では世界第10位 ([http://www.iata.org/ps/publications/wats-passenger-km.htm Scheduled Passenger - Kilometres Flown]) </ref>。国際線では[[アジア]]諸国と[[ヨーロッパ]]諸国、[[アメリカ合衆国]]のみに運航している。[[航空連合|航空会社連合]]「[[スターアライアンス]]」のメンバー。[[東京証券取引所|東証]]一部上場企業。[[コーポレートカラー]]はトリトンブルー。[[航空会社コード|2レターコード]]"'''NH'''"は、元の社名「日本ヘリコプター輸送 (Nippon Helicopter) 」に由来。本社は[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]東新橋 [[汐留シティセンター]]。


== 沿革 ==
=== 前身 ===
=== 前身 ===
全日本空輸の前身は日本ヘリコプター輸送株式会社と極東航空株式会社である。両社は[[第二次世界大戦]]後、[[連合国軍最高司令官総司令部]] (GHQ) の命令により、全ての日本国籍の航空機の運航が停止していたが、[[1952年]]に運航禁止期間の解除の決定が下されたことを受けて同年設立された。
全日本空輸の前身は日本ヘリコプター輸送株式会社と極東航空株式会社である。両社は[[第二次世界大戦]]後、[[連合国軍最高司令官総司令部]] (GHQ) の命令により、全ての日本国籍の航空機の運航が停止していたが、[[1952年]]に運航禁止期間の解除の決定が下されたことを受けて同年設立された。
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極東航空株式会社は、日ペリより1日早い1952年12月26日に、第二次世界大戦前に[[関西]]で航空事業を行っていた関係者により[[大阪]]で設立。大阪を拠点として、大阪-[[四国]]・大阪-[[九州]]といった[[西日本]]方面の航空路線を運営していた。
極東航空株式会社は、日ペリより1日早い1952年12月26日に、第二次世界大戦前に[[関西]]で航空事業を行っていた関係者により[[大阪]]で設立。大阪を拠点として、大阪-[[四国]]・大阪-[[九州]]といった[[西日本]]方面の航空路線を運営していた。


=== 設立 ===
その後乱立した国内ローカル航空輸送を一本化するという運輸省の方針に基づき、両社は[[合併]]されることとなる。合併に先立ち、[[1957年]](昭和32年)12月、日本ヘリコプター輸送は'''全日本空輸株式会社'''に商号変更し、同時に極東航空の路線運営を引き継ぐ。
その後乱立した国内ローカル航空輸送を一本化するという運輸省の方針に基づき、両社は[[合併]]されることとなる。合併に先立ち、[[1957年]](昭和32年)12月、日本ヘリコプター輸送は'''全日本空輸株式会社'''に商号変更し、同時に極東航空の路線運営を引き継ぐ。


さらに翌[[1958年]](昭和33年)3月には、同じくローカル線を運航していた極東航空を合併し、両社は完全に統合<ref>当初、{{要出典範囲|合併後の社名は「''全日本航空''」を予定|date=2009年10月}}していたが、[[日本航空株式会社法]](1987年廃止)第15条に「''(日本航空)会社以外の者は、その商号中に日本航空株式会社という文字を使用してはならない''」と規定されており、これに{{要出典範囲|抵触すると[[日本航空]](現:[[日本航空インターナショナル]])から指摘され再検討|date=2009年10月}}となる。結果、{{要出典範囲|「全日航空」、「全日本空輸」、「日本空輸」、「全日空輸」、「[[日東航空]]」(当時存在し、[[1964年]]発足の[[日本エアシステム|日本国内航空]]前身の1社)、「[[遠東航空]]」(遠東は極東の同義語。当時より[[中華民国]][[台北市]]に同名航空会社が存在、2008年活動停止)が候補に挙がり|date=2009年10月}}、結局「全日本空輸」が採用されることになったという{{誰|date=2009年10月}}</ref>した。なお初代社長には、元[[朝日新聞社]]役員で日本ヘリコプター創設者の[[美土路昌一]]が就任した
さらに翌[[1958年]](昭和33年)3月には、同じくローカル線を運航していた極東航空を合併し、両社は完全に統合した。なお初代社長には、元[[朝日新聞社]]役員で日本ヘリコプター創設者の[[美土路昌一]]が就任。


=== 墜落事故と政府の援助による経営再建 ===
=== 墜落事故と政府の援助による経営再建 ===
[[File:Douglas DC-3D OO-AUM Sabena Ringway 08.07.49 edited-3.jpg|right|thumb|ダグラスDC-3(同型機)]]
統合完了直後の1958年8月には[[全日空下田沖墜落事故|下田沖でダグラスDC-3の墜落事故]]を起こし、整備や運行安全面の不備を国会やマスコミで追及された結果、業績が大きく悪化し一時は全路線を休止するなど企業存亡の危機に陥った。しかし、その後政府(運輸省)からの資金援助を得て保有する全てのDC-3の操縦系統を改修・統一した上で、翌[[1959年]][[4月1日]]に運行を再開し企業存亡の危機を乗り越えた<ref>[http://ksa.axisz.jp/DC-3-5045.htm 「日本におけるDC-3」]</ref>。
統合完了直後の1958年8月には[[全日空下田沖墜落事故|下田沖でダグラスDC-3の墜落事故]]を起こし、整備や運行安全面の不備を国会やマスコミで追及された結果、業績が大きく悪化し一時は全路線を休止するなど企業存亡の危機に陥った。しかし、その後政府(運輸省)からの資金援助を得て保有する全てのDC-3の操縦系統を改修・統一した上で、翌[[1959年]][[4月1日]]に運行を再開し企業存亡の危機を乗り越えた<ref>[http://ksa.axisz.jp/DC-3-5045.htm 「日本におけるDC-3」]</ref>。


墜落事故による経営危機を、政府からの支援を受けて乗り越えることが出来た全日空は、その後[[高度経済成長]]下で成長を続け、[[藤田航空]]などの中小航空会社の合併を繰り返し、その路線網を拡張し全国規模の航空網を持つに至った。
墜落事故による経営危機を、政府からの支援を受けて乗り越えることが出来た全日空は、その後[[高度経済成長]]下で成長を続け、[[藤田航空]]などの中小航空会社の合併を繰り返し、その路線網を拡張し全国規模の航空網を持つに至った。

=== 成長期 ===
なお全日空の成長の過程で特徴的な事として、総代理店制度の採用が挙げられる。これは、日本の航空輸送事業の黎明期に、各就航地の運輸系列企業と提携し、航空会社の業務のうち、市内業務(営業活動)と[[空港]]業務(ハンドリング業務)を委託するという制度であった。委託業務は、市内では[[航空券]]販売・[[電話予約]]センター・また代理店販売促進活動や団体営業、空港では[[旅客]]ハンドリング・[[貨物]]ハンドリングから、機側における各種業務や機内清掃まで、幅広い業務があり<ref>総代理店の主な会社は、「[[北海道地方|北海道地区]]」では、三ツ輪運輸([[釧路空港|釧路]]・[[女満別空港|女満別]])、[[道北バス]]([[旭川空港|旭川]])、函館エアサービス([[函館空港|函館]])、「[[東北地方|東北地区]]」では[[日本通運]]([[仙台空港|仙台]]・[[秋田空港|秋田]]・[[山形空港|山形]])、[[庄交コーポレーション]](当初は庄交航空、[[庄内空港|庄内]])、「[[中部地方|中部地区]]」では[[北陸鉄道]]([[小松空港|小松]])、[[富山地方鉄道]]([[富山空港|富山]])、[[新潟交通]]([[新潟空港|新潟]])、「[[中国地方|中国]]・[[四国|四国地区]]」では[[両備ホールディングス]]([[岡山空港|岡山]])・中国ターミナルサービス (CTS)([[広島空港|広島]])、[[サンデン交通]]([[山口宇部空港|山口宇部]])、[[日ノ丸自動車]]([[鳥取空港|鳥取]]・[[米子空港|米子]])、高松商運([[高松空港|高松]])、[[土佐電気鉄道]]([[高知空港|高知]])、「[[九州地方|九州地区]]」では[[九州産業交通ホールディングス|九州産交ツーリズム]]([[熊本空港|熊本]])、長崎空港ビル([[長崎空港|長崎]])、大分航空ターミナル([[大分空港|大分]])、[[宮崎交通]]([[宮崎空港|宮崎]])、[[南国交通]]([[鹿児島空港|鹿児島]])等が挙げられる。就航当初は、[[大阪国際空港|大阪]]([[阪神電気鉄道]])・[[福岡空港|福岡]]([[西日本鉄道]])・[[松山空港|松山]]([[伊予鉄道]]、2005年度まで)・[[名古屋飛行場|名古屋]]([[名古屋鉄道]]、2007年6月まで)も総代理店地区であった。名古屋地区に関しては、名古屋鉄道との総代理店契約終了後も2008年6月まで名鉄駅構内([[名鉄名古屋駅]]、[[金山駅 (愛知県)|金山駅]])に全日空の自動チェックイン機が設置されていた。松山地区は伊予鉄道がカード事業で日本航空との提携を進めた事で総代理店契約を解除となった。総代理店は大口の[[株主]]にもなり、その関係で[[名古屋鉄道]]と[[宮崎交通]]は全日空の[[社外取締役]]を輩出、名鉄は現在まで継続している。名古屋鉄道は、現在も全日空の筆頭株主で、日本ヘリコプター輸送時代から経営に関与している。全日空と総代理店が共同で航空需要の開拓をしてきたが、昨今では予約の[[インターネット]]への移行等で総代理店の業務も変わってきている</ref>、営業拡大のみならず経営効率の向上に大きく寄与した。

なおこの頃は、各社が運航していたものと中古機として購入したものを含め最大15機の[[ダグラス]][[DC-3]]を運航していたほか、全日空や[[日本国内航空]]、東亜航空や富士航空などの航空会社を保護するために国内線路線の運航を制限されおり、ローカル線の運航の許可が下りなかった[[フラッグキャリア]]の日本航空から譲り受けた[[デ・ハビランド DH.114 ヘロン]]を導入した。さらに新鋭機の[[コンベア440]]を運航するとともに、ヘリコプター事業も継続して行っていた。

===朝日新聞社との関係===
[[1960年代]]に入ると経営状況も安定し、初代社長の美土路は[[1961年]]に会長に退き、美土路の同郷出身の元[[大東亜省]][[官僚]]で、[[LT貿易]]の締結を行うなど日中経済交流を推進した[[岡崎嘉平太]]に社長の座を譲った。その後美土路は全日空の相談役と朝日新聞社の顧問を兼任していたものの、[[1964年]]に朝日新聞社の社内抗争を受けて全日空の相談役を退任し、同社の社長に就任した。

なお、美土路の退任後も全日空と朝日新聞社は密接な関係を保ち、朝日新聞社は現在に至るまで全日空の主要大株主の1社となっている<ref>「会社四季報」2007年度版</ref><ref>[http://www.ullet.com/%E5%85%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A9%BA%E8%BC%B8/%E5%A4%A7%E6%A0%AA%E4%B8%BB ULLET]</ref>。


=== 政府と日本航空の支援下での経営再建 ===
=== 政府と日本航空の支援下での経営再建 ===
[[File:MyPhotoYS11-2.jpg|thumb|right|全日空のYS-11(現行塗装)]]
[[1965年]][[2月1日]]には[[中日本航空]]の定期航空部門を吸収するなど、その後も高度経済成長とともに事業規模の拡大を続け、運輸省からの「指導」を受けて国内線路線の運航を制限されていた日本航空や、同じく運輸省の「指導」を受けてローカル線を中心に運行していた日本国内航空や東亜航空を上回る、国内線最大の路線網と日本最大の乗客数を持つ航空会社となった。さらに[[ヴィッカース・バイカウント]]や[[フォッカー F27]]、[[日本航空機製造]][[YS-11]]や[[ボーイング727]]型機などの当時の最新鋭機を精力的に導入していった。
[[1965年]][[2月1日]]には[[中日本航空]]の定期航空部門を吸収するなど、その後も高度経済成長とともに事業規模の拡大を続け、運輸省からの「指導」を受けて国内線路線の運航を制限されていた日本航空や、同じく運輸省の「指導」を受けてローカル線を中心に運行していた日本国内航空や東亜航空を上回る、国内線最大の路線網と日本最大の乗客数を持つ航空会社となった。さらに[[ヴィッカース・バイカウント]]や[[フォッカー F27]]、[[日本航空機製造]][[YS-11]]や[[ボーイング727]]型機などの当時の最新鋭機を精力的に導入していった。


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そのような状況下にあった[[1966年]]に起きた、[[東京国際空港|羽田空港]]沖でのボーイング727型機の[[全日空羽田沖墜落事故|墜落事故]]や、[[全日空松山沖墜落事故|松山沖墜落事故]]をはじめとする[[1960年代]]に起きた一連の連続墜落事故では、1機あたりの整備員の数が日本航空の3分の1に満たないこと<ref>「1機当たりの整備員が、日航の51. 7人に対して全日空は14.4人しかいず」『田中角栄研究』P.119 [[立花隆]]著 1982年 講談社文庫</ref>をはじめとする整備や安全運航面における不備を指摘された上に、事故を受けた営業面での打撃や遺族への慰謝料支払いによる出費<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/058/1388/05804121388003a.html 第58回国会・予算委員会・第三分科会 第3号1968年4月12日]</ref>により経営面でも苦境に立たされた。
そのような状況下にあった[[1966年]]に起きた、[[東京国際空港|羽田空港]]沖でのボーイング727型機の[[全日空羽田沖墜落事故|墜落事故]]や、[[全日空松山沖墜落事故|松山沖墜落事故]]をはじめとする[[1960年代]]に起きた一連の連続墜落事故では、1機あたりの整備員の数が日本航空の3分の1に満たないこと<ref>「1機当たりの整備員が、日航の51. 7人に対して全日空は14.4人しかいず」『田中角栄研究』P.119 [[立花隆]]著 1982年 講談社文庫</ref>をはじめとする整備や安全運航面における不備を指摘された上に、事故を受けた営業面での打撃や遺族への慰謝料支払いによる出費<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/058/1388/05804121388003a.html 第58回国会・予算委員会・第三分科会 第3号1968年4月12日]</ref>により経営面でも苦境に立たされた。


この様な惨状を受けても社長の座に残ろうと画策した岡崎は、政財界の一部から「社長が日中問題に首を突っ込んで、社業に専念しないから安全対策が疎かになるのだ」との批判を受けるようになり、さらに[[経団連]]会長の[[石坂泰三]]からも辞任勧告を受けるに至り辞任した。
この様な惨状を受けても社長の座に残ろうと画策した岡崎は、政財界の一部から「社長が日中問題に首を突っ込んで、社業に専念しないから安全対策が疎かになるのだ」との批判{{要出典}}を受けるようになり、さらに[[経団連]]会長の[[石坂泰三]]からも辞任勧告{{要出典}}を受けるに至り辞任した。


その後は政府主導で経営再建がすすめられ、[[1967年]]にはかねてから全日空を整備や運行安全面で支援していた日本航空も、政府からの依頼を受けて全日空の経営立て直しのために多額の資金と人員を投ずることとなった。その後日本航空は全日空の第2位の大株主になり、日本航空から派遣された大庭哲夫副社長(その後[[1969年]]5月に社長に就任)<ref>[http://dictionary.nifty.com/word/%E5%A4%A7%E5%BA%AD%E5%93%B2%E5%A4%AB nifty辞書]</ref>の下で、整備や運航安全面の見直しと拡充を進めた。様な日本航空のによる運行安全面の拡充の一環として、[[1968年]]には日本航空と同じ[[アメリカ合衆|アメリカ]]の[[カリフォルニア州]]にサンディエゴ・ブラウンフィルド空港での乗員訓練も開始した<ref>「モさんの世界乗り物狂走曲」P.62 [[斎藤茂太]]著 角川地球人Books</ref>
その後は政府主導で経営再建がすすめられ、[[1967年]]にはかねてから全日空を整備や運行安全面で支援していた日本航空も、政府からの依頼を受けて全日空の経営立て直しのために多額の資金と人員を投ずることとなった。その後日本航空は全日空の第2位の大株主になり、日本航空から派遣された大庭哲夫副社長(その後[[1969年]]5月に社長に就任)<ref>[http://dictionary.nifty.com/word/%E5%A4%A7%E5%BA%AD%E5%93%B2%E5%A4%AB nifty辞書]</ref>の下で、整備や運航安全面の見直しと拡充を進めた。後全日空は、政府と日本航空の支援、社長以下幹部の指のもとで整備や運行安全面の拡充を進めた上に[[45/47体制]]より内線における安定的な地位を得られた結果、[[1970年代]]にと国際線チャーターに進出するなど経営状況は改善に向かった

その後全日空は、政府と日本航空の支援、そして日本航空から派遣された大庭社長以下の幹部の指導のもとで整備や運行安全面の拡充を進めた上に、「[[45/47体制]]」により国内線における安定的な地位を得られた結果、[[1970年代]]に入ると国際線チャーターに進出するなど経営状況は改善に向かった。

=== 社内抗争と大型機の導入 ===
経営状況は改善しつつあったものの、大庭社長とともに日本航空から派遣され再建と社内の改革を進める幹部と、全日空生え抜きの幹部の対立が進み<ref>『田中角栄研究』P.121 [[立花隆]]著 1982年 講談社文庫</ref>、「『日航進駐軍』と『民族派』の対立」とまで言われるようになった。

この様な社内の不協和音はあったものの、[[札幌オリンピック]]などの特需を受けた乗客の増加を予想した全日空は、大庭のもとで次期大型機の導入を進め、[[ロッキード L-1011 トライスター]]や[[マクドネルダグラス]][[DC-10]]、[[ボーイング747]]SRなどの導入を検討した。その結果、ボーイング747SRは当時の全日空の規模に比べ大きすぎると評価され退けられ、全日空生え抜き幹部の推すロッキード L-1011は、エンジン開発の遅れによる導入時期延期などを理由に退けられ、最終的に大庭の推すマクドネルダグラスDC-10の発注を決定した。

しかし、同機の導入を推進していた大庭が、[[1970年]]に「[[M資金]]関連の詐欺事件に巻き込まれた」という趣旨の怪文書を大物[[右翼]]の[[児玉誉士夫]]傘下の[[総会屋]]に流された挙句、株主総会の直前に不可解な形で社長の座を追われることとなり、全日空生え抜き幹部や児玉と関係が深く<ref>『田中角栄研究』P.121 [[立花隆]]著 1982年 講談社文庫</ref>、前年に全日空に[[天下り]]役員となっていた元[[運輸省]][[事務次官]]の[[若狭得治]]が副社長に就任した。その後若狭は副社長を経て、[[1972年]]に社長に就任する。その後若狭の指導のもとにマクドネルダグラスDC-10の発注は取り消され、代わりにロッキード L-1011 トライスターの発注が決定された。

=== ロッキード事件 ===
[[ファイル:MyPhotoAna-14.jpg|thumb|right|全日空のL-1011トライスター(現行塗装)]]
ロッキード L-1011 トライスターの導入が進んでいた[[1976年]]に行われた[[アメリカ合衆国上院|アメリカ上院]]における[[公聴会]]において、ロッキード副会長のアーチボルド・カール・コーチャンと元東京駐在事務所代表のジョン・ウイリアム・クラッターが、全日空がマクドネルダグラスDC-10の発注を取り消し、L-1011 トライスターを導入するように働きかけるために、日本においてロッキード社の裏の代理人的役割をしていた児玉誉士夫に対し、1972年10月に「(全日空へL-1011 トライスターを売り込むための)コンサルタント料」として21億円あまりを渡したこと、次いで児玉から、[[政商]]の[[小佐野賢治]]やロッキード社の日本における販売代理店の[[丸紅]]などを通じ、当時の[[首相]]である[[田中角栄]]に対して5億円が密かに渡されたことを証言した。

その後捜査が進められ、マクドネルダグラスDC-10型機の導入を進めた大庭社長を「M資金」に絡むスキャンダルをでっち上げて追い落した若狭社長と複数の全日空幹部が、全日空から政界への贈賄工作を行ったとして[[逮捕]]された上に、政界工作の謝礼として、ロッキードから児玉や小佐野を通じて流れ込んだ5億円を受け取った容疑で田中元首相他多数の政財界人が逮捕され、さらに数人の不審死者や自殺者を出すなど、「[[ロッキード事件]]」と呼ばれる大疑獄事件となった。

=== 全日空疑獄 ===
[[ファイル:Kasumigaseki Building.jpg|thumb|right|旧本社の入居していた[[霞が関ビル]]。全日空疑獄の際に捜査を受けた]]
さらにその後の「ロッキード事件」の捜査の過程で、若狭の意を受けた全日空の生え抜き組の幹部が、ロッキードから受け取った工作資金の一部の40万ドルを裏金として処理し、さらにこの中から、国際チャーター便枠の拡大や全日空が就航する地方空港の整備など全日空に有利な政策を勝ち取り、事業拡大を図るために「航空族」の政治家や運輸[[官僚]]へ渡す[[賄賂]]をねん出していたことが明らかになった<ref>『田中角栄研究 全記録(下)』P.336 [[立花隆]]著 1982年 講談社文庫</ref>。

この証言を受けて、[[7月7日]]に経営管理室長が外為法違反で逮捕され、続く8日には若狭社長が外為法違反と[[偽証罪]]で逮捕された。9日には、渡辺尚次副社長が偽証罪で逮捕され、さらに13日には3名の幹部が逮捕され、[[霞が関ビル]]の全日空本社が捜索を受けた。その後「ロッキード事件」の捜査の過程で明らかになった一連の全日空による政治家と官僚に対する贈賄事件は「[[全日空疑獄]]」と呼ばれることになった<ref>『田中角栄研究 全記録(下)』P.336 [[立花隆]]著 1982年 講談社文庫</ref>。

しかし「ロッキード事件」という大きな枠の中で、平常時なら大きな事件となるはずの全日空による贈賄と、政治家や運輸官僚の収賄に対する追及は尻すぼみになり、数十人程度いたと言われる収賄側への追及はなされないままとなってしまった<ref>『田中角栄研究 全記録(下)』P.320 [[立花隆]]著 1982年 講談社文庫</ref>。

なお全日空はこの事件によって、「日本の航空会社で唯一、[[航空事故]]以外で社長が逮捕された」という特異な経歴を有する会社になってしまったが、若狭はその後[[1976年]]に会長に就任し「全日空のドン」として居座り続けたために社会的に大きな非難を浴びた。


=== 国際線への進出 ===
=== 国際線への進出 ===
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同年に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]本土の[[ロサンゼルス]]線と[[ワシントンDC]]線を[[ボーイング747|ボーイング747-200B]]型機で就航させた。翌年は[[中華人民共和国]]の[[北京市|北京]]と[[大連市|大連]]、[[イギリス]]の[[植民地]]であった[[香港]]線を開設、同年10月には[[シドニー]]線を開設した(その後撤退)。1988年には[[大韓民国|韓国]][[ソウル特別市|ソウル]]線、1989年にはイギリスの[[ロンドン]]線を開設して初のヨーロッパ進出となった。[[1990年]]11月には国際線の拡張に合わせて[[ボーイング747-400]]を導入した。
同年に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]本土の[[ロサンゼルス]]線と[[ワシントンDC]]線を[[ボーイング747|ボーイング747-200B]]型機で就航させた。翌年は[[中華人民共和国]]の[[北京市|北京]]と[[大連市|大連]]、[[イギリス]]の[[植民地]]であった[[香港]]線を開設、同年10月には[[シドニー]]線を開設した(その後撤退)。1988年には[[大韓民国|韓国]][[ソウル特別市|ソウル]]線、1989年にはイギリスの[[ロンドン]]線を開設して初のヨーロッパ進出となった。[[1990年]]11月には国際線の拡張に合わせて[[ボーイング747-400]]を導入した。

また1990年6月29日には、先に日本航空が設立した[[JALウェイズ]]同様に、外国人客室乗務員を多数採用しコストを削減し、[[リゾート]]路線やチャーター便を中心に運航することを目的とした子会社である[[エアージャパン|ワールドエアーネットワーク]]を設立し、成田-[[シンガポール]]線のウエットリースなどの運航を行うこととなった。

=== 特別塗装機 ===
[[ファイル:ANA marinjambo&jr. 95-5-21 kmi.jpg|thumb|right|ボーイング747-400D「マリンジャンボ」(右)とボーイング767-300「マリンジャンボJr.」(左)]]
1993年には、国内線で運航するボーイング747-400D型機に特別塗装を施した「[[マリンジャンボ]]」導入し人気を呼んだ。同種の塗装はボーイング767-300にも施された。

また、「マリンジャンボ」を皮切りに現在の「[[ポケモンジェット]]」にいたる特別塗装機の就航などのアイデアは、現在も継続的に実施され人気を呼んでいる。


=== 国際線の拡大と縮小 ===
=== 国際線の拡大と縮小 ===
1994年の[[関西国際空港]]開港後は、中華人民共和国や北東アジア線だけでなく、[[デンパサール]]、[[ヤンゴン]]、[[ムンバイ]]、[[ホノルル]]、[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]、[[ブリスベン]]、[[ローマ]]など関西国際空港からの中・長距離の路線の開設を積極的に行った。同時期には[[名古屋飛行場|名古屋]]からホノルルへの便や[[福岡空港|福岡]]からバンコクや上海、大連等への路線も開設していた。更にアメリカ線の強化で成田からの[[シカゴ]]や[[サンフランシスコ]]線を開設したほか、[[ジャカルタ]]、デンパサール、ムンバイ線を毎日運航で就航させた。
1994年の[[関西国際空港]]開港後は、中華人民共和国や北東アジア線だけでなく、[[デンパサール]]、[[ヤンゴン]]、[[ムンバイ]]、[[ホノルル]]、[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]、[[ブリスベン]]、[[ローマ]]など関西国際空港からの中・長距離の路線の開設を積極的に行った。同時期には[[名古屋飛行場|名古屋]]からホノルルへの便や[[福岡空港|福岡]]からバンコクや上海、大連等への路線も開設していた。更にアメリカ線の強化で成田からの[[シカゴ]]や[[サンフランシスコ]]線を開設したほか、[[ジャカルタ]]、デンパサール、ムンバイ線を毎日運航で就航させた。


しかし、「国際的に飛躍を続ける」という自らが望んだ企業イメージとは裏腹に、海外における知名度が低く集客力がなかったことや、日本航空をはじめとする競合他社がすでに就航している路線を中心に新規就航するなど、市場規模のみならず、企業体力をも無視した急激な拡張が足を引っ張る形になり国際線単体での[[赤字]]が続き、当初目指していた総花的な路線ネットワークから採算性重視のネットワークへの再構築をせざるを得なくなった。
しかし、「国際的に飛躍を続ける」という自らが望んだ企業イメージとは裏腹に、海外における知名度が低く集客力がなかったことや、日本航空をはじめとする競合他社がすでに就航している路線を中心に新規就航するなど、市場規模のみならず、企業体力をも無視した急激な拡張が足を引っ張る形になり国際線単体での[[赤字]]が続き、当初目指していた総花的な路線ネットワークから採算性重視のネットワークへの再構築をせざるを得なくなった{{要出典}}

結果として、デンパサールやヤンゴン、ムンバイ、バンクーバー、ブリスベン、ローマ線から撤退し、関西国際空港からの国際線が大幅に縮小されたほか、名古屋や福岡発の国際線も縮小され、ビジネス客が多く高収益を見込める成田重視のネットワークに集約されたが、同時に成田からのシドニーや[[ウィーン]]、[[クアラルンプール]]、ジャカルタ、デンパサール、グアム線からの撤退、シカゴとムンバイ線からの一時撤退も余儀なくされた。

さらに[[1995年]][[9月1日]]には、[[マレーシア]]人を中心とした外国人客室乗務員を多数採用しコストを削減し、リゾート路線やチャーター便を中心に運航することを目的として1990年6月に設立したワールドエアーネットワークが事業休止に追い込まれる等、急激な国際線の拡張は短期間で幕を閉じることとなった。


その後[[1999年]][[10月]]に、[[航空連合]]の1つである[[スターアライアンス]]に加盟し、国際線路線網の少なさをリカバーする方向性に転換するとともに、海外での知名度も向上させるなど、航空連合に加盟することで自社の弱点を補うという戦略への転換を図ることとなる。なお加盟後は機体に「STAR ALLIANCE」のマークと[[ロゴタイプ]]を追加している。
その後[[1999年]][[10月]]に、[[航空連合]]の1つである[[スターアライアンス]]に加盟し、国際線路線網の少なさをリカバーする方向性に転換するとともに、海外での知名度も向上させるなど、航空連合に加盟することで自社の弱点を補うという戦略への転換を図ることとなる。なお加盟後は機体に「STAR ALLIANCE」のマークと[[ロゴタイプ]]を追加している。

=== 若狭による再びの社内抗争 ===
ロッキード事件と全日空疑獄で逮捕、起訴された若狭元社長は、その後も会長として君臨し続けた上に、「国際線進出を実現した[[中興の祖]]」と称賛し続けられ、[[1991年]]には、[[刑事被告人]]の立場のまま[[名誉会長]]に就任した(なお若狭の後釜には、若狭と同じく運輸省からの「天下り」である[[杉浦喬也]]が就任した)。若狭はその翌年の[[1992年]]9月に[[最高裁判所]]から[[懲役]]3年・[[執行猶予]]5年の有罪判決が出て「犯罪者」となったにもかかわらず、全日空は「利用価値」がある若狭をその後も名誉会長として擁き続けていた。

さらに若狭は、執行猶予が[[恩赦]]により終了した[[1996年]]には、全日空からの全面的な支援を受けて[[日本航空協会]]会長に就任した。執行猶予期間が終わった上に、日本航空協会会長という要職に就いたことで全日空社内における権力を回復した若狭は、杉浦会長と共謀し、1997年5月に当時社長であった[[普勝清治]]の後継人事を普勝の承諾なしに行った。これに抗議して普勝社長が辞表を提出し、それを契機に若狭名誉会長と杉浦会長ら天下り組と、普勝社長ら生え抜きの幹部との社内を二分する社内抗争が発生した<ref>「全日空は病んでいる―“ザ・ファースト・チョイス”の勘違い」田中康夫著 ダイヤモンド社 1997年</ref>。

その後社内抗争は激化し、ロッキード事件の時と同様に社内外に怪文書が飛び交うなどの異常な事態に陥ったために、社内外から多くの批判を浴びたことを受けて、同年6月に若狭名誉会長と杉浦会長、普勝社長が同時に辞任し、普勝社長の後継には生え抜きの[[野村吉三郎 (経営者)|野村吉三郎]]専務が昇格し、社内抗争はひとまず終結することとなった。

しかし若狭は、その後も同じく会長を辞任した杉浦とともに[[相談役]]として全日空に居残った上に、[[1998年]]には常勤顧問に就任し、[[2005年]]12月に[[肺炎]]で東京都内の病院で死ぬまで、全日空から給与や専用車、個室をあてがわれ続けるなど厚遇を受け続けた<ref>「全日空は病んでいる―“ザ・ファースト・チョイス”の勘違い」田中康夫著 ダイヤモンド社 1997年</ref>。

=== 連続事故 ===
[[2002年]][[1月21日]]にエアバスA321型機が[[函館空港]]で着陸失敗事故を起こしたこと([[全日空391便函館空港着陸失敗事故]])を皮切りに、同年[[6月26日]]には、[[沖縄県]][[下地島空港]]でタッチ・アンド・ゴーの訓練中に[[ボーイング767]]-200型機が操縦ミスにより滑走路をオーバーランする事故を起こし([[全日空機下地島オーバーラン事故]])、さらに翌[[2003年]][[1月27日]]にはボーイング767-300型機が成田空港でオーバーラン事故を起こす([[全日空機成田空港オーバーラン事故]])など、わずか1年ほどの間に3回の着陸時の事故を起こすこととなった。

これらの事故ではいずれも機体を破損し、特に下地島空港の事故はボーイング767型機の日本における初めての全損事故となったが、乗務員に負傷者を出したものの幸いなことに死者は出なかった。


===政府の援助による経営再建===
===政府の援助による経営再建===
[[2001年]]9月に発生した[[アメリカ同時多発テロ事件]]による世界規模での航空需要の落ち込みを受けて業績が低迷し、国土交通省の助けを受けて日本航空や日本エアシステムとともに政府系金融機関の[[日本政策投資銀行]]から無利子融資を受け、経営の再建を図ることとなった<ref>[http://www.as777.com/bn/2003q4/20031006.htm 「国内大手2社 日本政策投資銀行が緊急融資を実行」2003年10月6日 読売新聞]</ref>。しかし、[[2003年]]度と[[2004年]]度にも[[重症急性呼吸器症候群|SARS]]渦などにより再度世界規模での航空需要の落ち込みが起きたことで業績が低迷し、リストラを行うことを条件に政府系金融機関の[[日本政策投資銀行]]から合計500億円に上る無利子融資を受けた<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/business/news/20040331i306.htm 「日航と全日空に緊急融資、リストラ条件に…政策投資銀」2004年3月31日 読売新聞]</ref>。
[[2001年]]9月に発生した[[アメリカ同時多発テロ事件]]による世界規模での航空需要の落ち込みを受けて業績が低迷し、国土交通省の助けを受けて日本航空や日本エアシステムとともに政府系金融機関の[[日本政策投資銀行]]から無利子融資を受け、経営の再建を図ることとなった<ref>[http://www.as777.com/bn/2003q4/20031006.htm 「国内大手2社 日本政策投資銀行が緊急融資を実行」2003年10月6日 読売新聞]</ref>。しかし、[[2003年]]度と[[2004年]]度にも[[重症急性呼吸器症候群|SARS]]渦などにより再度世界規模での航空需要の落ち込みが起きたことで業績が低迷し、リストラを行うことを条件に政府系金融機関の[[日本政策投資銀行]]から合計500億円に上る無利子融資を受けた<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/business/news/20040331i306.htm 「日航と全日空に緊急融資、リストラ条件に…政策投資銀」2004年3月31日 読売新聞]</ref>。この結果2003年度は[[黒字]]を計上。悲願であった[[配当|復配]]も達成した。併せて[[2004年]]4月には[[ボーイング]]社が開発している[[ボーイング787]](開発名称7E7)を50機発注{{要出典}}し、開業後初の[[ローンチカスタマー]]となった

この結果2003年度は[[黒字]]を計上。悲願であった[[配当|復配]]も達成した。併せて[[2004年]]4月には[[ボーイング]]社が開発している[[ボーイング787]](開発名称7E7)を50機発注し、開業後初の[[ローンチカスタマー]]となった。[[ジェットエンジン|エンジン]]はかつて保有していた[[ロッキード L-1011 トライスター]]以来の[[ロールスロイス|ロールス・ロイス]]製を搭載する。


=== 呼称変更 ===
=== 呼称変更 ===
2003年に、公式の呼称を慣れ親しまれてきた「'''全日空'''」から「'''ANA'''(エー・エヌ・エー)」へ変更・統一してイメージ転換を図り、ロゴも「全日空」や「All Nippon Airways」から「ANA」に変更し、グループ航空会社運航機を含めて機体塗装もロゴ部分を変更している(DHC-8-300型などを除く)。しかし、一般的には引き続き「全日空」もしくは「アナ」と呼ばれることも多い。また、各局・各紙の報道などでは「全日空」の呼称が現在も使われている<ref>ただし、WEBサイトでの[[プレスリリース]]では、2003年以降もしばらくは「全日空ニュース」と記されており、略称として使用されていた。また、機内のオーディオプログラムの[[落語]]チャンネルは「全日空寄席」であるほか、関連会社の[[全日空商事]]等も社名を変更しておらず、グループとして全く使用していない訳ではない。</ref>。また、同時期にグループ航空会社便を「ANA」便名へ変更している。
2003年に、公式の呼称を慣れ親しまれてきた「'''全日空'''」から「'''ANA'''(エー・エヌ・エー)」へ変更・統一してイメージ転換を図り、ロゴも「全日空」や「All Nippon Airways」から「ANA」に変更し、グループ航空会社運航機を含めて機体塗装もロゴ部分を変更している(DHC-8-300型などを除く)。しかし、一般的には引き続き「全日空」もしくは「アナ」と呼ばれることも多い。また、各局・各紙の報道などでは「全日空」の呼称が現在も使われている。また、同時期にグループ航空会社便を「ANA」便名へ変更している。

[[ファイル:Utility Center Building 01.jpg|thumb|right|[[羽田空港]]内のユーティリティセンタービル - 全日本空輸の旧本社]]
呼称の変更については、海外における知名度が[[フラッグ・キャリア]]の日本航空に比べて圧倒的に低い中で、国際的企業イメージの構築と海外における知名度向上をふまえる上で、「All Nippon Airways」という英語社名における「全」を「All-」とする[[直訳]]がいわゆる「[[和製英語]]」的であることや(諸外国の航空会社の社名において「All-」という英語社名を使用している航空会社はほとんど存在しない)、中国語圏において「全日空」が、[[中国語]]で「一日中空っぽ」という意味で縁起が良くないからという(なお、[[卓球]]の中国スーパーリーグで[[福原愛]]選手が所属する[[遼寧省]]チームの[[ユニフォーム]]や[[北京国際マラソン|ANA北京国際マラソン]]の[[ゼッケン]]には[[漢字]]で「全日空」の文字が入っている)説がある。さらにグループ会社との便名統一をふまえて「ANA」へと呼称変更されたとする意見もある。

これらのイメージ転換の一環として、[[2005年]]5月には1990年以来15年ぶりに[[客室乗務員]]、地上職員などの[[制服]]を一新した。この制服の一新は数年前に一度企画されたものの、経営状況の悪化から一旦中止されていた。なお、この制服更新に合わせテレビCMを行おうとしたものの、CMの撮影時に広告代理店の電通の管理不行き届きにより制服を多数盗難されるという不祥事が起きたため、このテレビCMはお蔵入りすることになった<ref>[毎日新聞 2005年6月8日]</ref>。しかし制服の更新は予定通り行われた。また、「あんしん、あったか、明るく元気!」をスローガンに社内全体の環境をよりよいものにしようという運動を実施した。

=== 新興航空会社への「支援」 ===
[[ファイル:Haneda Bigbird Tarminal 2.jpg|thumb|right|羽田空港第2ターミナル]]
経営不振により、[[2002年]]6月に東京地方裁判所に民事再生法適用を申請した新興航空会社の[[北海道国際航空]]の経営再建支援を行い、同社の大株主となり整備や販売システム提供を支援するなど包括提携契約を結んだ他、同社と全便をコードシェア運航することとなった。なお同時期には、アメリカ同時多発テロ事件後に深刻な経営不振に陥った[[日本エアシステム]]との統合を大手銀行の仲介で模索したが、同社はこれを拒否し、後に同社は日本航空と経営統合することになった<ref>[http://www.watanabeyukio.com/zihyou/zihyou58.html 渡邉幸雄]</ref>。

さらに、経営不振により[[2004年]]6月に[[産業再生機構]]の経営支援を受け再建を図ることとなった[[スカイネットアジア航空]]に対しても経営再建支援を行い、同社の大株主となり整備や販売面で支援するなど包括提携契約を結んだ他、同社と全便をコードシェア運航することとなった。

しかし、これらの新興航空会社とコードシェア運航を行うことにより、新興航空会社向け優先枠が設けられている[[羽田空港発着枠]]の優先枠の半分が自動的に全日空に付与される形になることから、新興航空会社最大手の[[スカイマーク]]などから「実質的に全日空の傘下にある北海道国際航空とスカイネットアジア航空に(他の新興航空会社と同様の数の)新興航空会社向け優先枠を与えることはおかしい」との批判を受けている<ref>[http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-13112320091225 「羽田発着枠確保できれば最大7機材増強=スカイマーク」2009年12月25日 ロイター]</ref>。

なお、2004年12月1日の[[東京国際空港]](羽田)第2ターミナル供用開始に伴い全日空グループは全て第2ターミナルからの発着となり、ボーディングブリッジでの乗降便数が増加したが、北海道国際航空とスカイネットアジア航空も同じく第2ターミナルからの発着となる。

=== 再びの国際線の拡大と縮小 ===
2005年2月に開港した[[中部国際空港]]においては、[[トヨタ自動車]]関係者などによる需要を見込み、同空港発着の国際線や貨物事業の拡大を行い、その一環として2005年12月には、国際線・国内線兼用機として日本で初めて[[ボーイング737|ボーイング737-700]]型機を導入し、2006年に名古屋-台北(その後廃止)・関西-アモイ(その後廃止)・青島に就航させた。

さらに、2005年度の決算では過去最高となる660億円の[[経常利益]]を計上したこともあり、[[2006年]]の冬季スケジュールからシンガポール線、バンコク線、台北線、広州線(2007年夏ダイヤより)のダブルデイリー化を行ったほか、アメリカ同時多発テロ事件の影響による航空需要の落ち込みで数年にわたり運休していたシカゴ線を再開した<ref>シカゴはスターアライアンスメンバーである[[ユナイテッド航空]]のハブ空港でもある</ref>等国際線の拡大を進め、これまで長年アメリカの[[ノースウェスト航空]]に次いで3位であった成田国際空港の発着便数が2位になった。なお同年[[6月2日]]には、[[成田国際空港]]第1旅客ターミナル南ウィング新装開業により、[[ニュージーランド航空]]を除く[[スターアライアンス]]加盟会社を同ウィングに集結させ、世界初となるクラス別に[[チェックイン]]カウンターを配置した「ゾーン・チェックイン」やスターアライアンス加盟会社の相互利用による[[空港ラウンジ]]と専用到着ラウンジを開業させるなど、新サービスを導入した。

[[2007年]][[3月25日]]には、ローンチカスタマーとなった[[ボーイング737|ボーイング737-700ER]]「ANAビジネスジェット」による中部-広州路線の運航を開始し、同年9月には同機材を成田-ムンバイ線にも就航させた<ref>[http://www.ana.co.jp/pr/07-0103/07-006.html 「2007年度 ANAグループ航空輸送事業計画を策定」全日空プレスリリース]</ref><ref>なお、この機体は[[ヘッドアップディスプレイ|HUD]]を装備しているが、日本の航空会社では初めての導入そして運航となった</ref>。しかし、中部-広州線の同機材による運航は、乗客数が伸びないことを理由に1年も経たずに機材変更を余儀なくされた上に<ref>[http://qa.fresheye.com/qa/view.php?qid=1315325538&kw=%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%88 広州ー名古屋間の便でANAだとビジネスジェットと…]</ref>、下記のように2年を経た時点での路線撤退を余儀なくされた。また、成田-ムンバイ線も就航後1年半も経たないうちに減便を余儀なくされている<ref>[http://www.his-j.com/tyo/corp/btc/news/20090120jlnh.html HIS海外出張ニュース 2009年1月20日]</ref>。

さらに、中部国際空港の開港後わずか2年半弱の2007年6月には、他社との競争などにより需要予想を大きく下回ったことを受けて同空港の貨物事業からの大幅撤退を発表し、ソウル、青島、台北、香港、シカゴなどへ向かう国際貨物便を天津線を残してすべて休止した。さらに2008年3月には天津線も休止し、中部国際空港における貨物機による運航から全面撤退した<ref>[http://www.chunichi.co.jp/article/economics/news/CK2008030602093180.html 中日新聞2008年3月6日] 本記事の「貨物」の項も参照。</ref>


=== 現在 ===
=== 現在 ===
[[File:All Nippon Airways Boeing 787 Dreamliner two.jpg|thumb|right|全日空塗装のボーイング787原型2号機 (ZA002)]]
[[File:All Nippon Airways Boeing 787 Dreamliner two.jpg|thumb|right|全日空塗装のボーイング787原型2号機 (ZA002)]]
2007年[[10月11日]]には、ボーイング787の開発スケジュールの遅れが発表され、初飛行は2008年第1四半期末、引渡しも当初の予定から6ヶ月ほど遅れるとした<ref>[http://www.boeing.com/news/releases/2007/q4/071010d_nr.html Boeing Reschedules Initial 787 Deliveries and First Flight]</ref>が、更に2008年第4四半期へと初飛行の延期、引き渡しは2009年第3四半期への遅延が発表されている<ref>[http://www.boeing.com/news/releases/2008/q2/080409b_nr.html Boeing Revises 787 First Flight and Delivery Plans; Adds Schedule Margin to Reduce Risk of Further Delays]</ref>。全日空では2008年6月に国内線に投入、8月の[[北京オリンピック]]開催時には羽田 - 北京間のチャーター便に使用すると発表していた<ref>{{cite news |title=米ボーイング新中型旅客機「B787」 ANA、来年6月路線投入へ |newspaper=フジサンケイビジネスアイ |date=2007-07-09 |url=http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200707090015a.nwc}}</ref>が、就航計画の変更を余儀なくされ、北京線のオリンピック時就航は不可能となった。その後もさらに開発が遅延したことから、路線投入は[[2010年]]後半以降となる予定である。この年には、エアー・トランスポート・ワールド (ATW) 誌上で「エアライン・オブ・ザ・イヤー」に初めて選ばれた。なお、日本の航空会社として選ばれたのは[[1980年]]と2002年の2度選ばれた日本航空に次いで2社目となる<ref>[http://www.atwonline.com/events/awards_describe.html#AIRLINE ATW AWARD WINNERS FROM 1974 TO PRESENT]</ref>。
2007年[[10月11日]]には、ボーイング787の開発スケジュールの遅れが発表され、初飛行は2008年第1四半期末、引渡しも当初の予定から6ヶ月ほど遅れるとした<ref>[http://www.boeing.com/news/releases/2007/q4/071010d_nr.html Boeing Reschedules Initial 787 Deliveries and First Flight]</ref>が、更に2008年第4四半期へと初飛行の延期、引き渡しは2009年第3四半期への遅延が発表されている<ref>[http://www.boeing.com/news/releases/2008/q2/080409b_nr.html Boeing Revises 787 First Flight and Delivery Plans; Adds Schedule Margin to Reduce Risk of Further Delays]</ref>。全日空では2008年6月に国内線に投入、8月の[[北京オリンピック]]開催時には羽田 - 北京間のチャーター便に使用すると発表していた<ref>{{cite news |title=米ボーイング新中型旅客機「B787」 ANA、来年6月路線投入へ |newspaper=フジサンケイビジネスアイ |date=2007-07-09 |url=http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200707090015a.nwc}}</ref>が、就航計画の変更を余儀なくされ、北京線のオリンピック時就航は不可能となった。その後もさらに開発が遅延したことから、路線投入は[[2010年]]後半以降となる予定である。この年には、エアー・トランスポート・ワールド (ATW) 誌上で「エアライン・オブ・ザ・イヤー」に初めて選ばれた。なお、日本の航空会社として選ばれたのは日本航空に次いで2社目となる<ref>[http://www.atwonline.com/events/awards_describe.html#AIRLINE ATW AWARD WINNERS FROM 1974 TO PRESENT]</ref>。

一方、国内外路線の縮小が引き続き行われている。

* [[2009年]]2月:関空-大連線と関空-大連-瀋陽線から撤退<ref>[http://www.his-j.com/tyo/corp/btc/news/20090120jlnh.html HIS海外出張ニュース 2009年1月20日]</ref>
* 2009年3月:中部-天津と中部-広州路線を撤退(なお中部-広州路線は、上記のようにトヨタ自動車関係者によるビジネスクラス需要を見込んで「ANAビジネスジェット」で2007年3月から就航したものの、その後1年も経たずに機材を一部変更した上に、わずか2年という早期での撤退となった)
* 2010年6月:エアーニッポンネットワークの拠点の一つである[[丘珠空港]]からグループとして全面撤退<ref>[http://www.hokkaido-365.com/news/2009/12/post-630.html ANA丘珠撤退で市民説明会 札幌市の対応に批判続出「もっと真剣に考えて」] BNN+北海道365・2009年12月10日</ref><ref>[http://www.hokkaido-np.co.jp/news/economic/158849.html 2009年4月14日北海道新聞]</ref>
* 2010年5月:伊丹-石見、中部-米子、中部-徳島、伊丹-佐賀、伊丹-大館能代などの不採算路線から[[2011年]]1月に同時撤退することを決定<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=ind_30&k=2010053100779 伊丹・中部発着の5路線廃止=全日空、来年1月に] 時事通信 2010年5月31日</ref>

この様に路線網の急激な縮小を中心とした国内線、国際線ともに路線網の縮小による経営合理化を進めたものの、「[[リーマンショック]]」後の世界的な不況を受けて国内線、国際線ともに収益が悪化し、2009年9月中間期連結決算の最終損益が282億7000万円の赤字になった上に、1000人の人員削減を含めたリストラを行うと発表した<ref>[http://www.afpbb.com/article/economy/2658242/4830797 「ANA9月中間期決算、30年ぶりの赤字 1000人削減へ」AFP 2009年10月31日]</ref>。さらに2010年3月期の最終損益も573億円の赤字となり、全日空が2001年3月期に連結決算の公表を開始してから最大の赤字幅となった<ref>[http://www.nikkei.com/news/special/related-article/g=96958A9C9381949EE1E2E2EAEA8DE1E2E2E6E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2;q=9694E0E0E2E6E0E2E3E2EBEBE2E3;p=9694E0E0E2E6E0E2E3E2EBEAEBE4;o=9694E0E0E2E6E0E2E3E2EBEAEBE7 全日空、最終赤字573億円 10年3月期 11年3月期は3期ぶり黒字見込む] 日本経済新聞 2010年4月30日</ref>。

この様な状況を受けた更なるコスト削減の一環として、2010年[[4月1日]]より、海外の[[格安航空会社]]同様に国内線普通席の飲料を[[水]]とお[[茶]]以外は全て有料とした上に<ref>[http://news.biglobe.ne.jp/social/444/jc_100216_4446438129.html ジュースとビール500円 ANAが水・お茶以外 有料化] - J-CASTニュース 2010年2月16日</ref>、機内のオーディオプログラムを聞くためのヘッドホンが申告制となるなどのサービス削減を行った。なお、このような形での大幅な機内サービス削減は現在日本の大手航空会社としては唯一のものであり、各種マスコミで大きな話題を呼んだ<ref>http://www.sankeibiz.jp/business/news/100416/bsd1004161742031-n1.htm 「全日空 国内線の水とお茶以外が有料化…日航は子ども向けに新サービス」SankeiBiz 2010年3月31日]</ref>。

== 今後の事業計画 ==
=== 機材 ===
* 2008年7月に導入予定であったものの、開発の大幅遅延により導入が遅れていたボーイング787型機の導入が2011年第1四半期半ばに開始される予定である。

* 国際線用機材は[[フラグシップ機|フラッグシップ]]として、[[ボーイング777#777-300ER(773B)|777-300ER]]の導入予定数であった19機の導入が完了した。この導入完了に伴い、これまでフラッグシップであった[[ボーイング747-400|747-400]]が、初号機導入後21年経った2011年3月を以て全機退役となった。2011年4月より777-300ERが、747-400の担当していた路線を主に運航している<ref name="08-11">[http://www.ana.co.jp/pr/08-0103/08-014.html ANAグループ2008~11年度中期経営計画]</ref>。一方で国内線用機材の[[ボーイング747-400|ボーイング747-400D]]は、初号機導入後23年を経た[[2015年]]に退役する予定である<ref>月刊エアライン(2010年3月号),p106「ANAグループ」,イカロス出版</ref>。

* 現有の6種類のジェット機材を、将来的には機体サイズ別に大型機(未定)、中型機 (787) 、小型機 (737NG) の3機種に統一し、整備を含めた効率化を図ろうとしている<ref>http://jwing.com/w-daily/bn2007/0216.htm</ref>。また、これらに加えてリージョナルジェットとして[[MRJ]]を導入する。
<!-- * 中期的には747-400の退役をすすめ777シリーズに統一する動きはあるが<ref>http://jwing.com/w-daily/bn2007/0125.htm</ref>、2007年11月には「777-300(ER)が将来構想に組み込まれており、エアバスA380の導入も検討している」と報じられ<ref>http://jwing.com/w-daily/bn2007/1128.htm</ref>、2008年7月4日には新機種選定委員会を立ち上げ、エアバスA380型機導入に向けて本格的な検討に入ったと報じられた。しかしそのわずか5カ月後の[[12月19日]]には世界経済の停滞に伴う経営状況の悪化を受けて導入検討自体が延期となった<ref>[http://www.47news.jp/CN/200812/CN2008121901000963.html 「47News」2008年12月19日]</ref>。新機種選定委員会は廃止せずに、時期をみて選定作業を再開させるとなっている。<ref>[http://www.47news.jp/CN/200812/CN2008121901000963.html 全日空、A380購入判断を延期 導入計画見直しも](2008年12月19日 [[共同通信]])</ref>。 -->

=== 路線 ===
==== 国内線 ====
* [[2012年]]に、岩国市にあるアメリカ軍[[岩国基地]]が軍民共用化されるのに合わせ羽田-岩国線を開設する予定である。1日4往復を予定している<ref>[http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010021701000412.html 47news 2010年2月17日]</ref>。

==== 国際線 ====
* 2011年2月27日より成田-マニラ線を新たに開設する<ref>[http://www.ana.co.jp/ana-info/ 成田=ジャカルタ線再開、成田=マニラ線開設を決定]</ref>。

===グループ系列会社===
==== グループ系列会社の再編 ====
2010年6月現在、全日空本体のほかに、中近距離国際線を運航する「[[エアージャパン]]」と、地方路線を中心に小型ジェット機を運航する「[[エアーニッポン]]」、九州を中心に国内線で小型ジェット機を運航する「[[エアーネクスト]]」、[[中部国際空港]]を中心に小型プロペラ機を運航する「[[エアーセントラル]]」、札幌[[丘珠空港]]・[[東京国際空港]]・[[大阪国際空港]]を拠点に小型プロペラ機を運航する「[[エアーニッポンネットワーク]]」、貨物運送事業を行う「[[ANA&JPエクスプレス]]」の6つの子会社が存在し、全日空本体と共にANAブランドで運航されている。

しかし、多くの子会社を抱える状況はコスト効率を悪化させるのみならず、グループ各社で採用された乗員は原則として他社へ移ることができないことから、機種移行を望む乗員の不満は強く、[[ストライキ]]の原因の一つとなっていた<ref>[http://www.apu.or.jp/topics/090415_press.pdf エアーニッポン乗員組合経緯詳細]</ref><ref>[http://www.apu.or.jp/topics/090415_handbill.pdf エアーニッポン乗員組合]</ref>。

このため、2010年3月発表の経営戦略において、グループ航空会社を3社に再編することを明らかにした。まず、2010年7月1日に、エアージャパンがANA&JPエクスプレスを吸収合併した。続いて、2010年10月1日に、エアーニッポンネットワークが、エアーネクスト、エアーセントラルを吸収合併して、「[[ANAウイングス]]株式会社」と社名変更した。さらに、2011年度には、全日空がエアーニッポンを合併する予定である。これらの合併を経て、全日空、エアージャパン、ANAウイングスの3社体制とし、これに伴い、間接業務に携わる人員も約1000人削減し、効率化とコスト削減を図る方針であると発表された<ref>[http://sankei.jp.msn.com/economy/business/100319/biz1003191242026-n1.htm 「全日空、グループ7社を3社に再編 間接部門1000人削減 23年度までに」MSN産経ニュース 2010年3月19日]</ref>。

==== 格安航空会社の設立計画 ====
山元峯生前社長は、2010年に予定されている羽田空港の再拡張・国際化と成田空港のB滑走路延長を契機に大幅な国際線拡大を模索し、2009年度までに[[格安航空会社]] (LCC) を設立し、国際線を運航させる方針を発表していた<ref name="LCC">[http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20080326AT1D2506R25032008.html 全日空が格安航空会社 近距離国際線、合弁で設立へ](日本経済新聞)</ref>。またこれらの運航について、自社での単独運航でなく既存のアジア系格安航空会社との提携の可能性も示唆していたが<ref name="LCC"/>、「価格競争を自らに持ち込むことになるため安売り競争に拍車がかかる上、本来の顧客も格安航空会社子会社に流れてしまう」懸念が払拭できなかったという理由で白紙撤回された。

その後2010年6月に2011年にLCCを設立する予定だと報じられ<ref>[http://www.sankeibiz.jp/business/news/100621/bsg1006211217009-n1.htm 全日空、格安航空参入へ 関空拠点、11年度にも運航] SankeiBiz</ref>、9月には中華人民共和国の[[ファンド]]からの出資を受けて格安航空会社を立ち上げることを発表した。全日空とは別ブランドで、[[関西国際空港]]を拠点とし中・小型機で国内線や飛行時間が4時間以内の近距離国際線を運航し、パイロットや客室乗務員は全日空とは別の賃金体系としたうえで外国人を雇用し、機内サービスも簡素化することでコストを下げ運賃は自社の5-7割を目指すとされる<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=ind_30&k=2010090900756 『全日空、格安航空会社設立へ=来年度下期から関空拠点に運航』2010年9月10日 時事通信]</ref>。

しかしこれに対して、上記のように「価格競争を自らに持ち込むことになるため安売り競争に拍車がかかる上、本来の顧客も子会社に流れてしまう」という懸念や、「全日空本体がすでに普通席の飲料有料化など、格安航空会社同様のサービスに簡素化しているのにどう差別化するのか」、「人員不足の一層の深刻化で全日空グループ全体のサービスが崩壊する」とする意見もある<ref>[http://www.sentaku.co.jp/category/economies/v.php 『「V字回復」にほど遠い全日空』- 顧客サービスの崩壊も 選択 2010年7月]</ref>。
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== 事故・トラブル ==
''全日空機が墜落、全損した事故については[[全日空機事故]]を、ハイジャック事件については[[全日本空輸ハイジャック事件]]を参照。''

[[1960年代]]には多くの[[航空事故]]を起こしたほか、その後もオーバーラン事故など全損事故や乗客に負傷者を出す事故を数多く起こしてきたものの、[[1971年]][[7月30日]]に起きた[[全日空機雫石衝突事故|雫石事故]]以降は、自社の責任による乗客の死亡事故を起こしていない(雫石事故は過去のマスコミの報道から一般的に自衛隊機側に全責任があると思われがちであるが、事故調査報告書や裁判では全日空機側にも事故の責任があることが認定されている)。なお、[[1990年代]]には[[ハイジャック]]事件が2件発生し、そのうち1件では[[機長]]が殺害されるという痛ましい事件も起きている。

しかし、2002年から2003年にかけては、[[下地島空港]]で訓練中のボーイング767による全損事故([[全日空機下地島オーバーラン事故]])や、同じくボーイング767によるオーバーラン事故([[全日空機成田空港オーバーラン事故]])をはじめとする離着陸時の事故を連続して起こしている上に、2007年[[3月13日]]には、[[大阪国際空港|伊丹]]発[[高知空港|高知]]行きのプロペラ機([[ボンバルディア・エアロスペース|ボンバルディア]][[ボンバルディア Q400|DHC-8-400]]型)が前輪が出なかったために高知空港に胴体着陸する事故を起こしている([[全日空機高知空港胴体着陸事故]])。その後エアーセントラルの乗務員[[労働組合]]など4労働組合は、資格取得制度の充実などのほかに、安全問題も理由として[[ストライキ]]を行った。

さらに近年は、[[操縦士|パイロット]]や[[客室乗務員]]の飲酒後の乗務と、それに起因した運航遅延が連続して報告されている上に、飛行中の操縦士の居眠りまで起きている<ref>2004年[[3月23日]]に、国土交通省の航空従事者試験官が同乗しているにもかかわらず、羽田空港発山口宇部行きの機長が2度に渡り飛行中に居眠りをし[[国会 (日本)|国会]]で問題になった [http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/159/0064/15905180064016a.html 第159回国会 国土交通委員会 第16号 2004年5月18日]</ref>他、国土交通省により「インシデント」に指定されたり、監督当局からの改善命令を受けるような重大な運航トラブルや整備ミス、運航や搭乗手続きシステムのトラブルなどによる運休や運休遅延も相次いで起きている。

この様な状況下にあるにもかかわらず、[[広報]]部や広報担当者による発表遅延や<ref name="sankei20100825">{{cite news |title= 全日空機で逆噴射働かないまま着陸 整備時にロック解除忘れ |newspaper=産経新聞 |date=2010-08-25 |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110125/dst11012514150081-n1.htm |accessdate=2011-04-08}}</ref>、トラブル原因がわからない時点での原因の外部への押し付けなど<ref>[http://azarashi.exblog.jp/6331213/ 「すっかりANAに騙されてしまった」]</ref>、「トラブル隠し」とも言えるような事例が頻発している上に、一部の大手マスコミにおいて記事の扱いが小さかったり報道すらされないケースや、[[ニュースサイト]]上からトラブル報道の記事が早急に消去されるケース、さらに[[伊東信一郎]]社長が、影響下にあるマスコミを使って競合他社の批判を行うなどの[[ネガティブキャンペーン]]を繰り広げるなど<ref>[http://www.sentaku.co.jp/category/economies/v.php 『「V字回復」にほど遠い全日空』選択]</ref><ref>文藝春秋 2010年6月号</ref>、マスコミを使った「[[プロパガンダ|情報操作]]」とも取られる事例が多いという批判がある。 

=== 2005年以降のトラブル一覧 ===
====2005年====
* [[2005年]][[5月27日]]:同月4日の羽田-秋田便に乗務して秋田市内に宿泊したパイロットや[[客室乗務員]]計8人が、翌日折り返し便の乗務が控えていたのに規定の時間を超えて飲酒していたとして、[[機長]]や客室乗務員ら13人を処分したと発表された。なぜ発表が遅れたのかは不明である。
* 2005年6月:[[テレビ]][[コマーシャルメッセージ|CM]]撮影中に、[[広告代理店]]の[[電通]]のミスで、5月に更新したばかりの客室乗務員・地上職員の制服10セットが[[エキストラ]]として出演した[[ファッションモデル|モデル]]や[[コンパニオン]]に持ち去られた。この事件は現在全日空の[[広告]]活動を全て請け負っている電通の責任であって全日空の責任ではないにもかかわらず、なぜか全日空関係者のみによる謝罪会見が行われ、電通関係者はまったく列席しないという不可解な事があったため、両社の関係をいぶかしむ者もいる。

====2006年====
*[[2006年]]2月9日:松山空港への着陸体勢に入った1823便(乗客乗員25人、ボンバルディアDHC-8-Q400型機)で、3つある車輪全てが出なくなったため、手動操作で車輪を出して約10分遅れて着陸した。全日空では同機の運航トラブルは[[2003年]]以降23件目で、全車輪が出ないケースは初めてだったが、翌年3月には主輪が下りずに[[高知空港]]で[[全日空機高知空港胴体着陸事故|胴体着陸事故]]を起こすこととなった。

====2007年====
* [[2007年]][[3月4日]]:[[天津濱海国際空港|天津国際空港]]で、出発のため動き始めた114便(乗客乗員99人、[[ボーイング737]]型機)の右主翼端が、現地地上係員の操作ミスのために、隣接して駐機していた日本航空の[[ボーイング767]]型機の左主翼端に衝突する事故が発生した。
* 2007年[[3月15日]]:[[アメリカ連邦捜査局]] (FBI) がロサンゼルス郊外にあるアメリカ本社を家宅捜索したため、アメリカ国内における予約業務が停止する事態になった。捜索の目的は不明だが、航空貨物運賃をめぐる[[カルテル]]疑惑などに絡む調査の可能性があるが、捜査の理由などの詳細は公表されていない。
* 2007年[[5月27日]]:国内線用のシステムのソフトの更新及び[[サーバ]]の一部を更新をしたところ、システム障害が発生。6基のサーバシステムのうち旧来のシステム3基で運用して復旧した。新システムにおいて大量の滞留データが発生してしまったことが障害の原因。この結果、[[搭乗手続き]]などが通常通り出来なくなってしまい、合わせて126便が欠航し、機材繰りの関係で翌日の午前中の便まで遅れや欠航が相次いだ。また、[[北海道国際航空|AIRDO]]などシステム共有している航空各社でも遅れが出るなど影響を受けた他、他社の発着便にも影響が出た。なお全日空は、[[2003年]]3月にも同様のトラブルを起こしている。
* 2007年[[10月17日]]:長崎空港発羽田行き662便(ボーイング767-300型機)が誘導路を走行中に、操縦室の3系統の無線がいずれも使えなくなり、離陸を中断しターミナルに戻ったために出発が大幅に遅延するトラブルが発生した。全日空の広報部は当初「乗客の1人が[[携帯電話]]の電源を入れていたことを申し出て来て、電源を切ったところ無線が戻ったために再出発した」と発表していたが<ref>中日新聞 2007年10月18日</ref> 、翌日には「機体を点検した結果、機長席の交信用ハンドマイクのコードが亀裂していたことが原因」と前日の内容とは正反対の発表をした。これに対して「整備不良の末の運航トラブルの原因を、きちんとした点検、確認もせずに安易に乗客に押し付け運航を続けた」との批判が上がり<ref>[http://azarashi.exblog.jp/6331213/ 「すっかりANAに騙されてしまった」]</ref>、さらに[[総務省]]は同月29日に同社に対して再発防止や点検業務の改善を行うように指示した。しかしこれに対して全日空の広報部は「トラブルの原因とは別に、機内での携帯電話使用は航空法で禁止されており、周知に努めていく」とコメントしたため、「開き直り」、「反省していない」とさらに批判を浴びた。

====2008年====
* [[2008年]][[8月21日]]:関空発大連行き945便の機長が、乗務前アルコール検査で規定を上回る値が検出されたため搭乗できず、出発が約30分遅れていたことが分かった。搭乗開始1時間20分前の検査で1リットル当たり0.25ミリグラムのアルコール値を検出し、その後繰り返し検査をした結果規定値を下回ったため乗務させたが、結果的に遅延した<ref>2008年[[8月22日]] 産経新聞</ref>。なおこのアルコール値は[[道路交通法]]では「酒気帯び運転」で摘発対象になる(1リットルあたり0.15ミリ以上)数値であった。
* 2008年[[8月25日]]:国内線プレミアムクラスを利用すると新型座席が利用できるかのような誇大広告を行っていたとして、[[公正取引委員会]]が景品表示法違反(優良誤認)で再発防止を求める排除命令を出した<ref>[http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-33430120080825 「全日空に景品表示法違反で排除命令=公正取引委員会」
[[トムソンロイター]] 2008年8月25日]</ref>。なおこの広告は2005年6月の制服盗難事件と同じ[[電通]]が制作したものであった。
* 2008年[[9月14日]]:東京都[[大田区]]にあるデータセンターの管理サーバの認証機能が期限切れになり、搭乗手続きをするシステムの端末約1千台に不具合が発生したために、国内便で欠航や遅れが相次ぎ約7万人に影響が出た。2年連続のシステムトラブルの責任を取り山元峯生社長ら10人を減給処分にしたが、同様のトラブルは2003年にも起きている。
* 2008年[[10月22日]]:同日午前に出発予定だった那覇発羽田行き120便の副操縦士が、乗務前アルコール検査で規定を上回る値が検出されたため搭乗できず、出発が1時間30分遅れていたことが分かった。搭乗開始1時間前の検査で、副操縦士から1リットル当たり0.327ミリグラムのアルコール値を検出したにもかかわらず、全日空沖縄空港支店は当初「体調不良」と説明し、[[琉球新報]]の取材に対しては酒酔いの可能性を否定していたが、同日午後に行われた全日空本社の調査で酒酔いの事実が判明した。なおこのアルコール値は道路交通法では「酒気帯び運転」で摘発対象になる数値であった<ref>2008年10月23日 琉球新報</ref>。
* 2008年[[11月10日]]:全日空グループのエアーニッポンが、国土交通省が指示した点検期間を過ぎたボーイング737-500型機3機を運航させていたことが分かったため、同社は3機の運航を中止し、同日の福岡発中部行きなど全日空の計5便が欠航した<ref>[2008年11月11日 時事通信]</ref>。
* 2008年[[12月4日]]:新千歳空港発羽田空港行き62便が、[[SMAP]]のメンバーやその関係者を特別な入り口から搭乗させた際に人数の集計ミスが起きたために、再確認のため再び出発ゲートに戻り出発が48分遅れた。
* 2008年[[12月7日]]:羽田空港発能登空港行き749便に乗務予定であった機長が離陸前の検査で社内基準を上回るアルコールを検知され、同便は機長を交代し出発した。
* [[2009年]][[8月21日]]:前年[[12月6日]]に運行された全日空の高知発大阪行きと大阪発大館能代行きの2便の離着陸の際に、機外の風景を撮影したとして、同機を委託運航していたエアーニッポンネットワークのアメリカ人機長が国土交通省航空局より航空業務停止20日間の処分を受けた。
====2009年====
* 2009年[[10月8日]]:全日空の国内線機内誌「ANA スカイショップ (ANA SKY SHOP) 」において、子会社の[[全日空商事]]が「銀座エンゼルブランド」として財布やバッグなど9種類の革製品を販売していたものの、同ブランドをつくっていた東京都中央区の店舗は[[1998年]]に閉店し一切生産していなかった上に、製品を日本製と偽って販売していた。このために公正取引委員会は景品表示法違反で排除命令を出した<ref>[http://www.jftc.go.jp/pressrelease/09.january/090108-01-haijo.pdf 公正取引委員会 排除命令書]</ref>
====2010年====
* [[2010年]][[2月17日]]:3機のボンバルディアQ300がプロペラ部品の点検、交換時期を最長で約1年間超過したまま飛行していたと発表した<ref>[http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/153140 全日空、部品1年超点検せず飛行 ボンバル機] [[西日本新聞]]・2010年2月17日</ref>。最悪の場合、推力の調整が困難になった可能性があるという。その後緊急点検を行った結果結果計10便が運休することとなった<ref>[http://www.oita-press.co.jp/worldSociety/2010/02/2010021701000884.html 全日空、部品1年超点検せず飛行] [[大分合同新聞]]・2010年2月17日</ref>が、なぜかこの記事は全国紙などの大手メディアでは全く報道されなかった。
* 2010年[[2月20日]]:この日より就航予定のボーイング777-300ER型機の新造機が、プレミアムエコノミーシートの開発遅延により就航日が同年[[4月19日]]に遅れることとなるほか、座席仕様が変更されることとなった<ref>[http://www.ana.co.jp/int/svc/jp/info/info_02/ 新造機ボーイング777-300ER型機の就航時期延期に伴う欧米線の新ブランド及び新サービス導入時期の変更について]</ref>。
*2010年[[3月25日]]:日本航空の内部書類を装った「日本航空の販売施策の現状」と銘打った事実無根の内容の書かれている「[[怪文書]]」を、全日空の関係者が政界筋に流したのではないかと一部マスコミが報じた。同文書は「日本航空の内部文書」とされているにもかかわらず、実際には全日空の社内用語が多数使用されていた<ref>[http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20100325/dms1003251601006-n2.htm 『JALたたき、永田町では怪文書も…いったい誰が!?』ZakZak 2010年3月25日]</ref>。
* 2010年3月25日:福岡発羽田行き240便の機長が乗務前のアルコール検査で規定を上回る値が検出されたため乗務できず、その後複数回に渡り検査を行った結果、規定値を下回ったために22分遅延して出発したことが明らかになった。
* 2010年[[5月5日]]:ホノルル発成田行き1051便のエコノミークラスで提供された機内食の[[そうめん]]の汁が賞味期限切れであったトラブルが起きたものの、大手マスコミでの報道はおろか、ウェブサイトでの謝罪すら行わなかった<ref>[http://enough-to-make-a-cat.blog.so-net.ne.jp/2010-05-05 grin like a Cheshire cat]</ref>。
* 2010年[[5月19日]]:4月19日より成田-ニューヨーク線に就航したボーイング777-300ERの新造機のファーストクラス及びビジネスクラスに、タッチパネル式スクリーンでの機内食オーダー機能をはじめとするサービスを導入したものの運用に失敗し、頼んだ食事が出てくるまで数時間を要するケースもあるなど乗客からのクレームが殺到したために<ref name="zak20100602">{{cite news |title=ANAの目玉サービス、クレームの殺到で中止のトホホ |author= |newspaper=ZAKZAK |date=2010-06-02 |url=http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20100602/dms1006021647015-n2.htm |accessdate=2011-04-08}}</ref>、改善されるまでの間使用を中止することを発表した。なお、全日空のウェブサイト上には問題の内容や使用再開の期日は明記されていない上に、今後同型機が他の路線に導入される場合も同様に使用できないとされている<ref>[http://www.ana.co.jp/int/svc/jp/new_brand_2010/info_02/ タッチパネル式スクリーンでの食事・飲み物のオーダー機能の一時運用休止について]</ref>。なお同型機は2月20日に就航する予定だったが、座席開発の遅延で就航が4月19日にずれ込むなど就航以前からトラブルが起きていた。
* 2010年[[7月20日]]:ロンドン発成田行き202便(ボーイング777-300ER)が、[[ロシア]]上空を飛行中に左エンジンの燃料の減りが早かったため、左エンジンを止め、右エンジンのみで6時間以上飛行し成田へ緊急着陸した。その後左エンジンから燃料が漏れていたことが確認された。大惨事にも繋がりかねない運航トラブルであるにもかかわらず、全日空の[[広報]]担当者は謝罪することもなく「エンジン1基を止めて飛行するのは珍しいことではない。消防車が待機するのもたまに見かける光景です」と説明した<ref>{{cite news |title=エンジン止まった…遼くん、全英から恐怖の帰国 |newspaper=スポーツニッポン |date=2010-07-21 |url=http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2010/07/21/01.html |accessdate=2011-04-08}}</ref>。ちなみに全日空のイメージキャラクターである[[石川遼]]が当該便に乗っていた<ref>{{cite news |title=石川選手ら搭乗機緊急着陸=燃料漏れ、けが人なし―全日空 |newspaper=時事通信 |date=2010-07-20 |url=http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010072000642}}</ref>。
* 2010年[[7月29日]]:成田国際空港の国際線の搭乗手続きシステムにトラブルが発生し、同空港発の国際線9便に最大で約1時間15分の遅れが出ており、約1800人に影響が出た。さらに中部国際空港と香港国際空港、サンフランシスコ国際空港でも搭乗手続きシステムにトラブルが発生していた<ref>{{cite news |title=全日空でシステムトラブル 成田で1時間の出発遅れ |agency=産経新聞 |newspaper=イザ! |date=2010-07-29 |url=http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/accident/421663/ |accessdate=2011-04-08}}</ref>。なお全日空は2003年と2007年、2008年にも搭乗手続きシステムのトラブルを起こし、多くの便が遅延したために、2008年のトラブルの際は山元峯生社長らが減給処分を受けていた。
* 2010年[[8月6日]]:羽田発松山行き593便で、国の規定で禁止される身体検査で「不適合」とされたパイロット2人の組み合わせで運航していた。運航した59歳と58歳の男性パイロットはいずれも航空身体検査の一部の項目で「不適合」と判定され、経過報告などの条件付きで身体検査証明の交付を受けていた。ともに「不適合」とされた2人がペアになって、同便を運航することは、国土交通省の定める規定で禁止されている。管理システムの登録に不備があったことが原因とみられる。7日朝にこの2人の組み合わせで、松山発羽田行き582便を運航しようとした際の検査で発覚。代わりのパイロットの手配のため、同便の出発が約1時間50分遅れた<ref>{{cite news |title=身体検査で「不適合」パイロット2人で運航 全日空 |agency=産経新聞 |newspaper=イザ! |date=2010-08-07 |url=http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/accident/425401/ |accessdate=2011-04-08}}</ref>。
* 2010年[[8月18日]]:同社のグループ会社・『[[ANA長崎エンジニアリング]]』が、[[ボーイング737]]型機38機について、前脚部分の[[軸受|ベアリング]]を交換する際、周辺部材を変形加工していないなど、マニュアルに反した作業を行っていたことが判明し、[[国土交通省]][[大阪航空局]]から厳重注意処分を受けた<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100818-OYT1T00905.htm ANA系会社、整備一部怠る…国交省が厳重注意] 読売新聞 2010年8月18日</ref>。
* 2010年[[8月20日]]:同社のグループ会社・『[[エアーニッポンネットワーク]]』が、同社の航空機5機について、[[国土交通省]]から定められた期間内に[[垂直尾翼]]を点検していなかったとして、国交省から厳重注意を受けた<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100820-OYT1T00908.htm 垂直尾翼の点検怠る、国交省が厳重注意] 読売新聞 2010年8月20日</ref>。
*2010年[[8月25日]]:[[8月17日]]に運航された羽田発神戸行き411便エアバスA320-200型機が、整備担当者が逆噴射装置上部の油圧バルブのロックを戻し忘れたために逆噴射装置が作動しないまま神戸空港に着陸し、車輪の[[ブレーキ]]などのみを使って減速していたことがこの日わかった。国土交通省はこのトラブルを重く見て、全日空に再発防止策の提出を求めたにもかかわらず、全日空の広報部は7月20日に起きた燃料漏れの運航トラブルの際と同様に「天候状況にもよるが、作動しなくても安全性に問題はない」と、事態を軽視するような発言を行った<ref name="sankei20100825">{{cite news |title=逆噴射作動せず着陸=整備でミス、けが人なし―全日空 |newspaper=時事通信 |date=2010-08-25 |url=http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010082500394}}</ref>。さらになぜ公表が1週間以上遅れたかについて全日空の広報部からの発表はなかった。
* 2010年[[9月25日]]:羽田発ソウル行き1291便(ボーイング777-200)が、羽田空港を離陸後に左エンジンにトラブルを起こし、大きな衝撃が起きるとともに排気温度の上昇やオイルが無くなったことが確認されたために、左エンジンを止め右エンジンのみで飛行し羽田空港へ緊急着陸した<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100925-OYT1T00421.htm 『全日空ソウル便がトラブル、羽田に引き返す』読売新聞 2010年9月25日]</ref>。なお全日空機が運航トラブルを起こしたのは過去3カ月で3回目、同社のボーイング777型機がエンジントラブルで緊急着陸したのは過去3カ月で2回目となった。
*2010年[[11月7日]]:羽田発ソウル行き1163便(ボーイング767-300)が、羽田空港を離陸後[[福井県]]の[[越前岬]]上空を飛行中に操縦室内で煙が発生するトラブルが起きた。これを受けて同機は関西国際空港に緊急着陸したにもかかわらず、なぜか複数のマスコミは広報発表を受けてこれを「目的地変更」と偽って報道した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20101107035.html 「全日空機操縦室から煙モクモク…目的地を関空に変更」スポニチ2010年11月7日]</ref><ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/101107/dst1011071555007-n1.htm 「羽田発ソウル行き全日空機の操縦室で煙 関空に目的地変更
」産経新聞 2010年11月7日]</ref>。なお全日空の羽田空港発ソウル行きの便では9月にも緊急着陸するトラブルを起こしている。
*2010年[[12月3日]]:[[徳島空港|徳島]]発羽田行282便(ボーイング737-800)が、離陸後、一時的にではあったが、徳島からの南東約10キロ地点で指定高度の3,000[[フィート]](約914メートル)を超えて飛行していた。機長らによる人為的ミスの可能性が指摘されている<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101204-OYT1T00382.htm 全日空機、指定高度外れ飛行…機長らミスか] 読売新聞 2010年12月4日</ref>。


== 機材 ==
== 機材 ==
=== 運航機材 ===
=== 運航機材 ===
全日空の機材は以下の航空機で構成される。なお、この中にはグループ共用、グループ会社向け機材を含む。なお、ANAグループは全日空本体が機体所有してグループ各社が運用している機体が多い。また、増大した機種のスリム化と機体更新を進めており、ジェット機について、将来的には、777シリーズ、787シリーズ、737NGシリーズ、MRJに機種をまとめ整備の効率性を向上させる計画である。
全日空の機材は以下の航空機で構成される。なお、この中にはグループ共用、グループ会社向け機材を含む。

なお、[[ボーイング]]における全日空のカスタマーコードは「81」。たとえば全日空本体がボーイング777-300ER型機を発注した場合、正式な型式は「ボーイング777-381ER」になる。なお、[[ボーイング737|ボーイング737-500]]型機は[[エアーニッポン]]が自社で導入したため「737-581」は存在せず、エアーニッポンが発注した「737-54K」、G.P.Aグループが発注したものを中古導入した「737-5Y0」、マースク航空が発注したものを中古導入した「737-5L9」の3つの型式を運航している。


* [[エアバスA320|エアバスA320-200]]型機:スピードは緩やかであるが順次退役中。
* [[エアバスA320|エアバスA320-200]]型機:スピードは緩やかであるが順次退役中。
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|ファイル:ANA BOEING777 JA710A.JPG|ボーイング777-200ER
|ファイル:ANA BOEING777 JA710A.JPG|ボーイング777-200ER
|ファイル:Ana-773erーnarita.jpg|ボーイング777-300ER
|ファイル:Ana-773erーnarita.jpg|ボーイング777-300ER
|ファイル:anabigoidinwikipediajet.jpg|ボーイング747-400(現在退役)
|ファイル:ANA BOEING747-400 JA8961.JPG|ボーイング747-400D
|ファイル:ANA BOEING747-400 JA8961.JPG|ボーイング747-400D
|ファイル:ANA BOEING767 JA8256.JPG|ボーイング767-300
|ファイル:ANA BOEING767 JA8256.JPG|ボーイング767-300
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}}

2006年3月にANA保有では最後の3人乗務機である[[ボーイング747|ボーイング747-100SR]]<!--ボーイングの公式ホームページでは747-100SRとなっている-->が退役し、現在の保有機材はすべて2人乗務機となっている。


=== 新規導入予定機材 ===
=== 新規導入予定機材 ===
* [[ボーイング787|ボーイング787-8・9]]型機(ローンチカスタマー)<2011年就航予定>
* [[ボーイング787|ボーイング787-8・9]]型機(ローンチカスタマー)<2011年就航予定>{{要出典}}
* [[MRJ|MRJ(三菱リージョナルジェット)MRJ90]]型機<2013年就航予定>
* [[MRJ|MRJ(三菱リージョナルジェット)MRJ90]]型機<2013年就航予定>{{要出典}}


=== 退役済機材 ===
=== 退役済機材 ===
352行目: 157行目:
* [[エアバスA321|エアバスA321-100]]型機(2008年2月29日退役)
* [[エアバスA321|エアバスA321-100]]型機(2008年2月29日退役)


=== 契約のみ未導入 ===
; [[DC-10 (航空機)|マクドネルダグラス DC-10]]
: 3機仮発注をし引き渡し機材が完成していたものの、社内における勢力争いや、マクドネルダグラスのライバルのロッキードと全日空、政界、官僚を巻き込んだ疑獄事件が起きた挙句にキャンセルした。詳細は''「[[ロッキード事件]]」''及び''「[[全日空疑獄]]」''を参照。
; [[エアバスA340|エアバスA340-300]]型
: 長距離国際線用として導入が検討され塗装された想像図まで発表されていたが、ボーイング社から日本企業も多く参加した777型機の開発時における「ワーキング・トゥゲザー」に招聘され、他10社などと共に意見提供者となったためキャンセル、A321に変更された。

== 塗装 ==
一貫して[[コーポレートカラー]]を[[青]]系としており、機体塗装も青系で統一している。モヒカン塗装(後述)の頃までは、[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]が構想した[[ヘリコプター]]の図の周りに、英字社名を配したマーク(現在でも正式な同社の社章である<ref>ANA公式サイトの「モヒカンジェット」のプロモーション([http://www.ana.co.jp/dom/promotion/mohican-jet/])でも、2009年11月26日更新の記述に「レオナルド・ダ・ヴィンチの図案をモチーフにしたANAの社章」と書かれている。また、環境活動を紹介する[http://www.ana.co.jp/pr/06-1012/06-129.html e-flight]のロゴにはダ・ヴィンチのヘリコプターが使われていたりする。</ref>)が[[垂直尾翼]]に描かれていた。このマークは日本ヘリコプター輸送以来のものであり、前身がヘリコプターの会社であることを示していた。
* 初代:白をベースに窓のラインに紺色の線を引き、その上下に細い赤線を配したもの。
* 2代目:[[1969年]]の737-200を導入した時に登場。白地は変わらないが、窓のラインはスカイブルーになり、垂直尾翼もスカイブルーに塗られた。また、[[垂直尾翼]]から機首に向かって屋根の部分にスカイブルーのラインが延びており、これが髪型の[[モヒカン刈り]]を思わせることから、通称「'''モヒカン塗装'''」と呼ばれた。747-100SRでは大きな垂直尾翼に、ひときわ大きなダ・ヴィンチ・ヘリのマークが描かれ、側面のこれまた大きな【全日空 ALL NIPPON AIRWAYS】(近年まで使われていたものとは英字の書体が異なる)の文字と共に、見るものに大きなインパクトを与えていた。[[2009年]][[12月1日]]より2013年までの期間限定で、[[ボーイング767|ボーイング767-300]]にこの塗装を復刻させた「ANAモヒカンジェット」が就航する予定<ref>[https://www.ana.co.jp/dom/promotion/mohican-jet/index.html 復刻!ANAモヒカンジェットが12月1日に就航](全日本空輸公式サイト)</ref>。なお、ボーイング767は1983年にB767-200が初就航した時から現在のトリトンブルー塗装で導入されており、モヒカン塗装になるのは今回が初めてである<ref>[[ルフトハンザドイツ航空]]や[[エールフランス]]などでも旧塗装の復刻塗装機が就航しているが、[[エアバスA321]]のような、その塗装が現役だった時代には就航していなかった機種であり、ANAの今回の復刻塗装は特殊な例ではない。</ref>。
* 3代目:現行の塗装。[[1982年]]の会社設立30周年を機に現在のトリトンブルーに変更したが、この塗装自体は前年あたりから登場し始めていた。2005年5月現在、両側面の社名タイトル【全日空 (All Nippon Airways) 】が【ANA】へと順次変更され、機体前部にはスターアライアンスのマークも随時追加された。
{{Gallery
|ファイル:MyPhotoOldANA.jpg|「モヒカン塗装」の[[ボーイング737|ボーイング737-200型機]]
|ファイル:ANA Boeing767 300ER Kobe.jpg|3代目全日空ロゴのボーイング767-300ER型機
|ファイル:Haneda second teminal and air plane 200603.JPG|3代目ANAロゴの[[ボーイング747-400|ボーイング747-400D型機]]
}}

=== トリトンブルー塗装の細部の変更 ===
* 社名タイトルの変更は、ANA本体にとどまらず、ANAグループの航空会社全てに適用され、垂直尾翼および機体側面にあったグループ会社のロゴもANAロゴに統一された。また、社名ロゴ変更と同時に側面後方に書かれていた機種名(例:【BOEING 767-300】)も消されている。全日空以外の航空会社の機体には ANA// の付近に「AIR NIPPON」などとオペレーターの会社名を小さく表記している。複数のオペレーター名が表記されている機もある。なお、グループ内での機材の共通化および共用化に積極的で、グループ会社共用機材にはANA//ロゴのみでオペレーター名も表記しない機材が複数登場している。
* 上記の変更が始まった当初、子会社専用機材(ボーイング737-500やボンバルディアQ400など)には、全便がANA (NH) 便として運航されているにもかかわらず、[[スターアライアンス]]のロゴが入っておらず、新たに塗装しなおされた機材にもロゴは入れられていない。ただし、2005年末から納入されるようになったエアーニッポン用機材 737-700, -700ER, -800 にはアライアンスロゴが入った状態でデリバリーされている。

=== 特別塗装機一覧 ===
[[ファイル:Pokemon jet 99 JA8288.jpg|thumb|right|230px|ポケモンジェット99 ボーイング767-300 JA8288]]
[[ファイル:PokemonJA8956.JPG|thumb|right|230px|お花ジャンボ・JA8956]]
[[ファイル:ANA -73ER StarAlliance.jpg|thumb|230px|全日空スターアライアンス塗装 ボーイング777-300ER JA731A]]
[[ファイル:B737-700nh.jpg|thumb|230px|ボーイング737-700特別塗装(ゴールドジェット)]]
[[ファイル:NH A321-131 JA102A.jpg|thumb|right|230px|エアバスA321-100特別塗装(日本の風景)・JA102A]]
[[ファイル:ANA JA602A B767-381 mohican-revival.jpg|thumb|right|230px|モヒカンジェット ボーイング767-300 JA602A]]

'''[[ボーイング747-400]]'''
* YOKOSO! JAPAN [[ビジット・ジャパン・キャンペーン]] {{Color|#ff0000|JA8958}}<ref>同社最後の国際線用747-400となった。</ref>
* [[ポケモンジェット]]USA {{Color|#ff0000|JA8962}}
* [[1998年]][[FIFAワールドカップ]] GOAL!GOAL!GOAL! {{Color|#ff0000|JA8962}}

'''[[ボーイング747-400|ボーイング747-400D]]'''
* [[マリンジャンボ]] {{Color|#ff0000|JA8963}}
* [[スヌーピー]]号96 {{Color|#ff0000|JA8961}}
* スヌーピー号97(羽田 - 新千歳線用) {{Color|#ff0000|JA8965}}
* [[ポケモンジェット]]98 {{Color|#ff0000|JA8965}}
* ポケモンジェット99 {{Color|#ff0000|JA8964}}
* お花ジャンボ JA8956 : [[ポケモンジェット]]を参照。
* ピカチュウジャンボ JA8957 : ポケモンジェットを参照。

'''[[ボーイング747|ボーイング747-100SR]]'''
* スヌーピー号97 (伊丹・関西 - 新千歳線用) {{Color|#ff0000|JA8139}} : 全日空クラシック747唯一のキャンペーン運航による特別塗装
* 「ありがとう、SR」{{Color|#ff0000|JA8157}} : スーパージャンボ退役記念(2006.3.4~10の1週間限定)。ノーズ部分にペイントされた。

'''[[ボーイング777|ボーイング777-300]]'''
* 風 {{Color|#ff0000|JA751A}}、{{Color|#ff0000|JA752A}} : 導入記念として導入1号機と2号機に施した。
* [[北京オリンピック]] がんばれ!ニッポン! {{Color|#ff0000|JA757A}}
* ANA×[[ガンダム|GUNDAM]]ジェット JA755A
* 心をひとつに、がんばろう{{Color|#ff0000|●}}ニッポン JA751A : [[東日本大震災]]復興応援メッセージ(日本語)

'''[[ボーイング777|ボーイング777-300ER]]'''
* [[スターアライアンス]]塗装 JA731A
* スターアライアンス10周年記念ステッカー {{Color|#ff0000|JA731A}}
* Forward together as one{{Color|#ff0000|●}}Japan JA786A : [[東日本大震災]]復興応援メッセージ(英語)

'''[[ボーイング777|ボーイング777-200]]'''
* 垂直尾翼「777」 {{Color|#ff0000|JA8197}}、{{Color|#ff0000|JA8198}}、{{Color|#ff0000|JA8199}} : 導入記念として導入1号機から3号機までに施した。垂直尾翼にANAロゴのかわりに「777」の文字を入れたもの。
* スターアライアンス塗装 JA711A、JA712A
* スターアライアンス10周年記念ステッカー {{Color|#ff0000|JA711A}}

''' [[ボーイング767|ボーイング767-300]] '''
* [[マリンジャンボ]]Jr. {{Color|#ff0000|JA8579}}
* [[ポケモンジェット]]98 {{Color|#ff0000|JA8569}}、{{Color|#ff0000|JA8578}}
* ポケモンジェット99 {{Color|#ff0000|JA8288}}、{{Color|#ff0000|JA8357}}
* スターアライアンス塗装 {{Color|#ff0000|JA8290}}
* [[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン|USJ]] [[ウッドペッカー]]塗装 {{Color|#ff0000|JA8357}}
* OPEN[[神戸空港|神戸]] {{Color|#ff0000|JA8578}} : 神戸空港開港に際し、記念ステッカーが貼られた。
* 北京オリンピック がんばれ!ニッポン! {{Color|#ff0000|JA8324}}
* [[2016年東京オリンピック構想|2016年 東京オリンピック]]誘致塗装 {{Color|#ff0000|JA8285}}、{{Color|#ff0000|JA8287}}、{{Color|#ff0000|JA8324}}、{{Color|#ff0000|JA8567}}、{{Color|#ff0000|JA602A}}(JA602Aは漢字ロゴ)
* [[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]][[龍馬伝|「龍馬伝」]]ラッピンクジェット {{Color|#ff0000|JA8322}}
* [[日本放送協会|NHK]]スペシャルドラマ[[坂の上の雲 (テレビドラマ)|「坂の上の雲」]]ラッピンクジェット {{Color|#ff0000|JA8342}}(第1弾)、JA601A(第2弾)
* ANAモヒカンジェット JA602A
* 心をひとつに、がんばろう{{Color|#ff0000|●}}ニッポン JA8275

''' [[ボーイング767|ボーイング767-300ER]] '''
* スターアライアンス塗装 JA614A
* スターアライアンス10周年記念ステッカー {{Color|#ff0000|JA614A}}
* Fly!パンダ JA606A : 中国線就航20周年記念。機体を大きな[[パンダ]]に見立てた塗装。
* YOKOSO! JAPAN ビジット・ジャパン・キャンペーン {{Color|#ff0000|JA8358}}、{{Color|#ff0000|JA8664}}
* Japan. endless Discovery ビジット・ジャパン・キャンペーン JA610A、JA613A
* Forward together as one{{Color|#ff0000|●}}Japan JA611A

''' [[ボーイング767|ボーイング767-300F]] '''
* [[海外新聞普及|OCS]]ブランドロゴ JA604F

''' [[ボーイング767|ボーイング767-300BCF]] '''
* [[海外新聞普及|OCS]]ブランドロゴ JA8970
* [[オールエクスプレス|ALLEX]]ブランドロゴ JA8286、JA8356、JA8362

''' [[ボーイング737|ボーイング737-700]] '''
* ゴールドジェット JA01AN、JA02AN : 導入記念として導入1号機と2号機に施した。基本塗装の白以外の部分を金色に変更した塗装。

''' [[ボーイング737|ボーイング737-700ER]] '''
* ANA Business Jet JA10AN、JA13AN

''' [[ボーイング737|ボーイング737-800]] '''
* スターアライアンス塗装 JA51AN
* 心をひとつに、がんばろう{{Color|#ff0000|●}}ニッポン JA55AN

''' [[エアバスA320|エアバスA320-200]] '''
* 心をひとつに、がんばろう{{Color|#ff0000|●}}ニッポン JA8392

''' [[エアバスA321|エアバスA321-100]] '''
* 日本の風景 {{Color|#ff0000|JA101A}}、{{Color|#ff0000|JA102A}} : 導入記念として導入1号機と2号機に施した。

''' [[デ・ハビランド・カナダ DHC-8|DHC-8-300]]'''
* つばき {{Color|#ff0000|JA801K}}
* ひまわり {{Color|#ff0000|JA802K}}
* すずらん {{Color|#ff0000|JA803K}}
* こすもす {{Color|#ff0000|JA804K}}
* はまなす {{Color|#ff0000|JA805K}}
: 花柄塗装を存続するための活動が行われたが、CI統一のため、2009年末までに全て通常塗装へ変更された。

''' [[デ・ハビランド・カナダ DHC-8|DHC-8-Q400]]'''
* EcoBon JA856A : エコ・ファースト企業として、環境に配慮した運航をしていることをアピールするため、ブルー基調の塗装を緑基調に変更している。

なお、[[機体記号|登録記号]]が<span style="color:#f00">赤字</span>で表されるのはすでに塗装を変更済みである。

== 旅客サービス(空港・機外) ==
=== プライオリティ・ゲスト対応 ===
[[身体障害者]]やけが人、病人などのために、用途や体格差に合わせた空港用[[車椅子]]や機内用車椅子がある。また車椅子対応の機内[[便所|トイレ]]や[[点字]]案内、簡易[[筆談]]ボードや特別チェックインカウンター、ストレッチャーや医療用酸素ボンベなども提供されている。なお、一部のサービスは事前予約が必要である他、単独歩行のできない人の搭乗を認めていないことを明示していないために、トラブルが発生したことがある<ref>[http://www.kijikiji.com/self/ana.htm Travel For All 「歩けない人は乗せれません!」]</ref><ref>日本航空では、[[琉球エアコミューター|RAC]]便、及び一部の[[ジェイエア]]運航の日本航空便については、機材構造上搭乗を断ることがある旨明示している</ref>。

=== 空港ラウンジ ===
[[ファイル:ANA LONGE Narita1.jpg|thumb|230px|成田国際空港のANA LOUNGE]]
国際線では、[[ファーストクラス]]・[[ビジネスクラス]]・[[プレミアムエコノミークラス]]・[[エコノミークラス]]普通運賃利用者、及びマイレージクラブ上級会員・[[スターアライアンス]]ゴールドメンバーが[[空港ラウンジ]]を利用出来る。国内線では、上級会員のほか[[#プレミアムクラス|プレミアムクラス]]利用者(千歳、羽田、伊丹、福岡の4ヶ所に限る)が空港ラウンジを利用できる。なお、上記以外の国際線の成田空港出発便または国内線の羽田空港出発便利用者利用者に対して、空港ラウンジを1人1回3000円で提供している。なお、時間帯の制限がある他、オンラインでの事前申し込みが必要である。

空港ラウンジ名は、「signet」が共通の名称であったが、[[関西国際空港]]には「[[CLUB ANA]]ラウンジ」、[[成田国際空港]]の[[2006年]]6月に新装オープンしたラウンジには「ANA LOUNGE」の名称が付けられている。また、「プレミアムクラス」のサービス開始後に改装された[[東京国際空港]]、[[大阪国際空港]]、[[福岡空港]]、[[新千歳空港]]のラウンジは「ANA LOUNGE」の名称になっている。成田空港の「ANA LOUNGE」は、暖かい[[蕎麦|そば]]を提供する「ヌードルバー」などのミールサービスの充実が図られた他、当時最先端の設備とデザインが採用され2006年[[グッドデザイン賞]]も受賞している。なおスターアライアンス加盟会社と共用化している。また成田空港には、上記新ラウンジと同時に自社路線のファーストクラスと[[CLUB ANA]]利用者、スターアライアンスゴールドメンバーを対象とした到着ラウンジ(ただしこのラウンジは国内線出発ラウンジも兼用する)を設置している。

=== マイレージサービス ===
全日空の[[マイレージサービス]]については、「[[ANAマイレージクラブ]] (AMC) 」を参照。

==== クレジットカード ====
{{Main|ANAカード}}

=== Edyとの提携 ===
[[2003年]]より[[ビットワレット]]社が運営する[[電子マネー]][[Edy]]と提携しており、[[マイレージサービス]]である「[[ANAマイレージクラブ]]」の会員証にEdyカード機能を追加した「ANAマイレージクラブEdyカード」やEdy機能付きの「[[ANAカード]]」を発行し、原則としてEdyを200円使用するごとに1マイルが加算されるサービスを実施している。なお、[[おサイフケータイ]]でも専用[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]「モバイルAMCアプリ」をダウンロードし、「ケータイdeEdyマイル」サービスへの登録をすることで同様のサービスが受けられる。これによって航空機に搭乗する機会がなくとも無料航空券などの景品を獲得することが容易になったため、会員獲得の一助となっているという評価もある。

自社航空券の支払いや、グループ会社の全日空商事が運営する空港内売店「ANA FESTA」での支払いでもEdyが使える。また、10000マイル単位でマイレージのEdyへの交換(1マイル=1edy)も行っている。

なお、「ANAマイレージクラブEdyカード」やEdy機能付き「ANAカード」は[[Skipサービス]]の認証カードとしても使う。

=== JR東日本との提携 ===
2007年12月に[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)と包括提携を結んだ<ref>[http://www.ana.co.jp/pr/07-1012/07-ana-jr1206.html JR東日本とANAの包括提携について](全日本空輸プレスリリース、2007年12月6日)</ref>。2009年4月現在、以下の事業を行っている。
* 相互の旅行会員向けに、ANA便とJR東日本の列車を用いた旅行商品の販売
* ANAマイルと[[Suicaショッピングサービス#Suicaポイントサービス|Suicaポイント]]の交換
* [[ANAカード]]・[[Skipサービス|Skip]]・[[Suica]]機能を統合した提携クレジットカード「ANA-Suicaカード」の発行(発行元は三井住友カード、国際ブランドはVISA)
* 両者ウェブサイトの提携

=== エアレール ===
後述する[[全日本空輸#超割|超割]]または[[全日本空輸#旅割|旅割]]利用者が、目的地のJR路線のフリー区間を格安で利用できる[[特別企画乗車券]]。
{{Main|エアレール}}

== 旅客サービス(運航・機内) ==
=== 機内食・飲料 ===
==== 国内線 ====
普通席では、コスト削減のために海外の多くの[[格安航空会社]]同様に無料提供の飲物は[[ミネラルウォーター]]と[[日本茶]]のみ(2011年4月からは、キャンペーンなどで無料提供していたアップルジュースも正式に無料メニューに追加。)に限定されており、他の大手航空会社では無償で提供されているコーラやジュース、コーヒーやスープは有料での提供となる<ref name="ana_my_choice">[http://www.ana.co.jp/dom/inflight/ana_my_choice/ ANA My Choice│ANA国内線]</ref> <ref name="47news-100129">[http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012901001059.html 47news(共同通信) 2010年1月29日]</ref>。なお、ミネラルウォーターと日本茶(現在はアップルジュースも)は、乗客自ら客室乗務員に申し出ない限り提供されない。

このような海外の格安航空会社同様のサービス形態は、日本の大手航空会社としては全日空が初めてかつ<!-- 事実が確認できる場合のみ更新すること -->2010年8月現在唯一であり、有償提供の飲み物の価格が地上での数割増しから3倍程度であることもあり、「乗客への負担を強いる形での機内サービスの低下、削減だ」と旅行業界や旅行関係掲示板などで議論と批判を呼んだ<ref>[http://www.travelvision.jp/modules/news1/article.php?storyid=43772 『全日空の飲み物有料化が1位-消費者の反応やいかに』トラベルビジョン 2010年2月6日
]</ref><ref>[http://news.biglobe.ne.jp/social/444/jc_100216_4446438129.html 『ジュースとビール500円 ANAが水・お茶以外有料化』 J-CASTニュース 2010年2月16日]</ref><ref>[http://tabidigi.at.webry.info/201001/article_16.html 『全日空「水とお茶以外は有料」・・・こんな飛行機に乗りたいですか?』旅するデジカメ 2010年1月31日]</ref>。

なお、有料提供の飲料は、300ミリリットル入りの[[コカ・コーラ]]が300円で用意される他、350ミリリットル入りのビール・チューハイがおつまみとセットで500円で用意されている<ref>[http://news.biglobe.ne.jp/social/444/jc_100216_4446438129.html 『ジュースとビール500円 ANAが水・お茶以外有料化』 J-CASTニュース 2010年2月16日]</ref>。なお、ビールについては一部路線では2010年7月から[[ホシザキ電機]]と共同開発した[[ディスペンサ]]による提供に変更され、おつまみとセットで1杯1000円で用意されることとなった<ref>[http://www.ana.co.jp/dom/inflight/ana_my_choice/drink.html ANA My Choice]</ref>。また、一部路線ではおにぎりが300円-500円で、コロッケバーガーが1000円など有料で用意される。

「プレミアムクラス」では、飲料は無料で提供されるほか、時間帯や路線によって異なる機内食メニューを用意している。また、羽田・大阪(伊丹)・福岡・札幌発路線では、有名料亭とコラボレーションした「匠」を用意している<ref>[http://www.ana.co.jp/dom/inflight/ana_my_choice/meal.html ANAマイチョイス]</ref>。

==== 国際線 ====
[[ファイル:ANA C class meal1.jpg|thumb|230px|New Style,CLUB ANA機内食(一例)]]
[[ファイル:Tobikkiri Oudon.jpg|thumb|230px|right|とびっきりおうどん]]
[[機内食]]は国際線の全便で提供されているが、内容はクラスや路線によってメニューが異なる。なおホノルル線のエコノミークラスでは軽食を1食1000円で提供しているほか、エコノミークラスの一部路線では、ビジネスクラスの機内食を1食8000円で提供している<ref>[http://www.ana.co.jp/int/promotion/ana_my_choice/mealdrink.html ANAマイチョイス]</ref>。一部の東南アジア線・ホノルル線・欧米線では「ハーゲンダッツ」のアイスクリームが提供されている。

ビジネスクラスでは、2008年12月より、料理家の[[栗原はるみ]]監修の機内食が日本発の中華民国線と中華人民共和国線全便(香港線含む)と羽田→ソウル(金浦)に登場した。なお、2010年4月19日より成田―ニューヨーク線に就航したボーイング777-300ERの新造機に、タッチパネル式スクリーンでの機内食オーダー機能をはじめとするサービスを導入したものの運用に失敗し、頼んだ食事が出てくるまで数時間を要するケースもあるなど乗客からのクレームが殺到したために<ref name="zak20100602" />5月19日に使用が中止された。今後同型機が他の路線に導入される場合も同様に使用できないとされている<ref>[http://www.ana.co.jp/int/svc/jp/new_brand_2010/info_02/ タッチパネル式スクリーンでの食事・飲み物のオーダー機能の一時運用休止について]</ref>。路線によってはカップ麺「[[とびっきりおうどん]]」(日本航空と[[日清食品]]が共同開発した「[[うどんですかい]]」の成功を見て、[[東洋水産]]と開発したもの)も出される。

その他、国際線では他の航空会社同様に、通常の機内食の他に[[アレルギー]]対応ミール(5大アレルギー/25種アレルギー)・ベビーミール・[[チャイルド]]ミール・[[インド]]系[[ベジタリアン]]ミール・ベジタリアンミール・[[ヒンドゥー教|ヒンズー]]ミール・[[イスラム教|イスラム]]ミール・[[カシュルート|コーシャ]]ミール・[[糖尿病]]ミール・低塩ミール・低[[コレステロール]]ミール・低[[脂肪]]ミール・低[[カロリー]]ミールなどの特別機内食が用意されており、これらは事前予約(アレルギー対応ミールは96時間前、その他は2~1日前まで)が必要となる。特別機内食も、クラスによって内容が異なる。

=== 機内搭載誌など ===
==== 機内誌など ====
全日空の[[機内誌]]は『翼の王国』『WING SPAN』。日常的な話題を極力廃し、読者を旅行という非日常時間へ誘うというコンセプトの紙面構成になっている。搭乗者は自由に持ち帰る事が出来、定期購読者も可能である。なお、国際線版は従来から英語のページがあったが、2007年から中国語のページも登場している。

[[機内販売]]品のカタログ『ANA Sky Shop』も搭載している他、[[情報誌]]([[フリーペーパー]])『SORANA』や『出張研究所』を発行しており空港や一部の飲食店内などに置いている。また、2008年2月からANAマイレージクラブ上級会員を対象とした「AZURE」も発行されている。

==== 雑誌 ====
国内線の場合は、飛行時間が短いことや経費削減もあり、機内誌以外の雑誌の搭載は行われていない(子供向けの[[絵本]]や子供向けの[[漫画]][[単行本]]のみ)。

国際線の場合は[[経済誌]]・[[週刊誌]]、[[ファッション雑誌]]など数十種類の雑誌が搭載されている。また英語誌や出発地の地元有力誌も搭載されており、クラスを問わず多種多様の雑誌を用意している。

==== 新聞 ====
国内線普通席と国際線エコノミークラスでは2010年1月4日で新聞の提供を終了したが、国内線プレミアムクラスでは、[[日本経済新聞]]、[[産経新聞]]、[[読売新聞]]、[[朝日新聞]]、[[毎日新聞]]などの全国紙と、[[ジャパンタイムス]]などの英字紙、[[スポーツ新聞|スポーツ紙]]、出発地の[[地方紙|地元有力紙]]も搭載されている。国際線のビジネスクラスとファーストクラスでは、場合は、上記に併せて国際経済紙の他、出発地の地元言語の有力紙や出発国の日本語紙なども搭載されている。

=== 機内でのエンターテイメント(国内線・国際線) ===
==== スカイオーディオ ====
* 機内音楽・落語プログラムの総称を「スカイオーディオ」と呼んでいる。
* ボンバルディア機と一部のボーイング737-500を省く機種で利用出来る。なお2005年より、国内線・国際線を問わず全クラスで電子式ヘッドホンが備え付けられているものの、国内線普通席では自分から申し出ない限りヘッドホンの提供を受けることはできない。
* J-POPのセレクションでは、人気アーティストのアルバムが発売された際にはアーティスト特集で放送するケースも多い。
* 「全日空寄席」と呼ばれる落語の公開収録もあるが、ANAカード会員で収録に見学できるチャンスもある。

==== スカイビジョン ====
* ボーイング747、777、767、一部のエアバス320型機ではスカイビジョンで[[ビデオ]]プログラムを上映している。
* 国内線では「[[NHKニュース]]」や「[[私的チャイナビ]]」等を放映している。一部の番組は自社[[ウェブサイト]]で放送されている<ref>https://www.ana.co.jp/anafan/inflight/</ref>。

==== パーソナルTV ====
* 一部の[[ボーイング767-300]]ER型機を除く国際線専用機の機内クラスの全座席において、[[AVOD]]対応のシートテレビが装備されている。シートテレビがない機材には、[[ハードディスクドライブ|HDD]]式のポータブルプレーヤーを装備している。
* 国内線専用機及び一部のボーイング777・767-300ER・エアバス320型機を除く国内国際兼用機には、シートテレビは装備されていない。
* シートTVとHDDプレーヤーは国際線は全てパナソニックアビエーション社製で、シートテレビは「ワイズメン3000」と呼ばれている。HDDプレーヤーは「Portable」と呼ばれるもの<ref>http://www.mascorp.com/portables.html</ref>。

==== スカイマップ ====
* 国際線機材とボーイング737-700・700ER・800(国際・国内共用機)には目的地までの飛行航路の現在地を紹介する「スカイマップ」(ロックウエルコリンズ社製 Airshow)が搭載されている。ボーイング777-300ER/200ER(New Style仕様)・ボーイング737-700/700ER/800が同社最新バージョンの「Airshow4200」と呼ばれるもので、通常の飛行マップや現在地を紹介するだけでなく、3Dでの表示が可能になっている<ref>http://www.rockwellcollins.com/products/cs/at/cabin-systems/moving-map/airshow4200/index.html</ref>。
* 従来のスカイマップ (Airshow420) でボーイング747-400・777-200ER(Club・ANA Asia仕様)・767-300ER・エアバス320(国際線専用機材)に搭載されている<ref>http://www.rockwellcollins.com/products/cs/at/cabin-systems/moving-map/airshow420/index.html</ref>。
尚2010年以降に導入されたB777-300ER(262席・212席仕様)とB767-300ER(202席仕様)はロックウエルコリンズ社がパナソニック社にOEM供給された「Voyager(Interactive Map)」と呼ばれるものは2Dマップの解析度や地図データはは従来のAirshow4200と同様だが、3D表示が無くなっている。その代わりにタッチスクリーンで「見たい地図」を乗客自身が選べる事が選べるのが特徴である。

=== 客室乗務員 ===
国内線には日本採用の[[客室乗務員]]のみが乗務している。国際線では、[[ロンドン]]などの[[ヨーロッパ]]採用の乗務員の他、中華人民共和国線を中心に同国人の客室乗務員が乗務している。最近では、総合職採用やヨーロッパ採用の男性客室乗務員も乗務し始めている。

=== 定時運行 ===
アメリカの調査会社「Conducive Technology」社が、2009年1月から12月までの世界の主要航空会社40社の定時到着率を調べたところ、日本航空に次いで世界第2位となった<ref>[http://www.news24.jp/articles/2010/04/15/10157419.html 「定時到着率、トップは日本航空~米調査会社」日テレ24 2010年4月15日]</ref>。


== 国際線 ==
== 国際線 ==
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* スターアライアンス加盟各社との共同運航では、[[シンガポール航空]]や[[ルフトハンザドイツ航空]]、[[ユナイテッド航空]]と相互コードシェアを行っている。また、[[南アフリカ航空]]や[[トルコ航空]]、[[TAM航空]]などとのコードシェア便の運航も開始した。
* スターアライアンス加盟各社との共同運航では、[[シンガポール航空]]や[[ルフトハンザドイツ航空]]、[[ユナイテッド航空]]と相互コードシェアを行っている。また、[[南アフリカ航空]]や[[トルコ航空]]、[[TAM航空]]などとのコードシェア便の運航も開始した。
* アライアンス外では、[[カタール航空]]や[[マカオ航空]]、[[ヴァージン・アトランティック航空]]などとのコードシェア便の運航や提携を行っている。
* アライアンス外では、[[カタール航空]]や[[マカオ航空]]、[[ヴァージン・アトランティック航空]]などとのコードシェア便の運航や提携を行っている。
* [[2010年]][[3月1日]]より国際線の中型機と大型機に女性専用のトイレを設置すると発表した。なお「体調不良時」には男性も使用できるとされているが、男性向けのトイレを設置していなかったため[[男性差別]]に当たるとの指摘もある。そのために現在では男性専用のトイレも設置することとなった<ref>{{cite news |title=国際線に女性専用化粧室=全日空 |newspaper=時事通信 |date=2010-02-23 |url=http://www.jiji.com/jc/c?g=ind_30&k=2010022300948}}</ref>。


=== 就航地 ===
=== 就航地 ===
631行目: 219行目:
</div><br style="clear: both;" />
</div><br style="clear: both;" />


==== 過去の就航地 ====
<div style="float: left; margin-right: 1em; vertical-align:top;">
* {{CHN}}:アモイ
* {{VIE}}:ハノイ
* {{MAL}}:クアラルンプール
* {{IDN}}:デンパサール
* {{MYA}}:ヤンゴン
* {{RUS}}:モスクワ
</div>
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
* {{AUT}}:ウィーン
* {{ITA}}:ローマ、ミラノ
* {{CAN}}:バンクーバー
* {{USA}}: グアム
* {{MNP}}:サイパン
* {{AUS}}:シドニー、ブリスベーン
</div><br style="clear: both;" />


=== 機内クラス ===
=== 機内クラス ===
==== ファーストクラス ====
*ファーストクラス
[[ファイル:ANA F class seat1.jpg|thumb|120px|right|New First Classシート]]
[[ファイル:ANA F class seat1.jpg|thumb|120px|right|New First Classシート]]
国際線就航時から長距離便を中心に設定されており、新しいコンセプトの[[ファーストクラス]]は、777-200ERのスーパースタイルと同時に導入され、炊き立てご飯サービスや「ザ・快食」(好きなときに好きな食事をとれる[[アラカルト]]サービス)、フルフラットシートの導入が開始されたのもこの頃である。
国際線就航時から長距離便を中心に設定されており、新しいコンセプトの[[ファーストクラス]]は、777-200ERのスーパースタイルと同時に導入され、炊き立てご飯サービスや「ザ・快食」(好きなときに好きな食事をとれる[[アラカルト]]サービス)、フルフラットシートの導入が開始されたのもこの頃である。
656行目: 227行目:
2002年には「New Style,CLUB ANA」実施と同時に導入された「New First Class」が採用され、747-400と777-300ERに装備され、全席ソロシート、フルフラットシートとなっている。大型の[[枕]]や[[羽毛布団]]・ベットパッドが用意され、快適な睡眠を行えるよう配慮されている。
2002年には「New Style,CLUB ANA」実施と同時に導入された「New First Class」が採用され、747-400と777-300ERに装備され、全席ソロシート、フルフラットシートとなっている。大型の[[枕]]や[[羽毛布団]]・ベットパッドが用意され、快適な睡眠を行えるよう配慮されている。


*ビジネスクラス
2010年に導入された新型777-300ERでは、新ブランド「inspiration of japan」導入とともに、新シート「ANA FIRST SQUARE」を採用。周辺に壁を作った半個室型の座席が採用された。

マイレージ加算や各種優先サービス、ファーストクラス[[空港ラウンジ|ラウンジ]]利用、専用ポーチやアメニティのサービスが行われる。機内食は、「New Style」導入時の大型の食器にサーブされ、[[キャビア]]をはじめとする豪華な食事が提供されている。

==== ビジネスクラス ====
[[ファイル:ANA C class seat1.jpg|thumb|230px|ANA BUSINESS (747-400) キャビン]]
[[ファイル:ANA C class seat1.jpg|thumb|230px|ANA BUSINESS (747-400) キャビン]]
ビジネスクラス導入時には、他社がボーイング747-200で横7列、もしくは8列が標準であったが、世界的にも数少ない横6列で運航を始め好評を得たものの、1991年に導入した本格的なビジネスクラス「CLUB ANA」では、ボーイング747-200/-400で横7列と競合他社と同じものに戻した。同時に50[[インチ]]のシートピッチや、AVOD対応のシートテレビ、[[ビジネス]]コーナーの設置などサービス拡充を進めた。
ビジネスクラス導入時には、他社がボーイング747-200で横7列、もしくは8列が標準であったが、世界的にも数少ない横6列で運航を始め好評を得たものの、1991年に導入した本格的なビジネスクラス「CLUB ANA」では、ボーイング747-200/-400で横7列と競合他社と同じものに戻した。同時に50[[インチ]]のシートピッチや、AVOD対応のシートテレビ、[[ビジネス]]コーナーの設置などサービス拡充を進めた。


2002年には「New Style,CLUB ANA」を導入、電動ライフラットシートや一皿一皿サーブする[[コース]]スタイルの機内食の採用を行い、これを機に、機内食の食器を全て一新し、プラスチック製ではなく[[レストラン]]や[[料亭]]でみられるような陶器の物へとなった。また同じ2002年には、近・中距離路線に就航するボーイング767-300ER型機に「CLUB ANA Asia」を導入した。好評を受けて現在では777-200ERの一部とA320にも導入されている。2007年には、全席をビジネスクラス仕様、もしくはビジネスクラス・プレミアムエコノミーのみの仕様とした「ANA Business Jet」の運航が開始された。
2002年には「New Style,CLUB ANA」を導入、電動ライフラットシートや一皿一皿サーブする[[コース]]スタイルの機内食の採用を行い、これを機に、機内食の食器を全て一新し、プラスチック製ではなく[[レストラン]]や[[料亭]]でみられるような陶器の物へとなった。

競合他社のビジネスクラス同様に、[[ラウンジ]]の利用・専用チェックインカウンターの利用・優先搭乗などの各種優先サービス・アメニティーの配布などのサービスが行われ、空港外でも欧米線利用者などを対象とした空港と市内間の送迎サービスなども行われている。


詳細は[[全日本空輸#ANA国際線サービスの変化|ANA国際線サービスの変化]]および[[CLUB ANA]]を参照。
詳細は[[全日本空輸#ANA国際線サービスの変化|ANA国際線サービスの変化]]および[[CLUB ANA]]を参照。


==== プレミアムエコノミー ====
*プレミアムエコノミー
[[ファイル:ANA Premium Economy seat1.jpg|thumb|230px|プレミアムエコノミーキャビン]]
[[ファイル:ANA Premium Economy seat1.jpg|thumb|230px|プレミアムエコノミーキャビン]]
2002年に「New Style」のサービスと同時に導入された。世界でも[[プレミアムエコノミークラス|プレミアムエコノミー]]の導入例が少ない中での導入だった。現在では、ボーイング747-400・777-300ER・777-200ER(一部)・737-700・737-700ER(1機)型機に24~36席設置されている。主に、[[エコノミークラス]][[普通運賃]]利用者や、マイレージ上級会員が対象となる。機内食はエコノミー同様だが、空港では優先チェックインやラウンジ利用、機内ではパソコン電源付きの大型シートやアメニティーのサービスが行われている。
2002年に「New Style」のサービスと同時に導入された。世界でも[[プレミアムエコノミークラス|プレミアムエコノミー]]の導入例が少ない中での導入だった。現在では、ボーイング747-400・777-300ER・777-200ER(一部)・737-700・737-700ER(1機)型機に24~36席設置されている。主に、[[エコノミークラス]][[普通運賃]]利用者や、マイレージ上級会員が対象となる。機内食はエコノミー同様だが、空港では優先チェックインやラウンジ利用、機内ではパソコン電源付きの大型シートやアメニティーのサービスが行われている。


*エコノミークラス
なお、ボーイング737-700型機のプレミアムエコノミーは、「Premium Economy Asia」として通常のエコノミークラスの座席の横列のうちの一席(横3席のうちの中間1席)をテーブルとして利用しており、エコノミーより若干シート幅が広くなっている。但し「Premium Economy Asia」は全て国内線プレミアムクラスに改造されるために廃止される。
**[[キャセイパシフィック航空]]や[[シンガポール航空]]同様に1990年後半からエコノミークラスにもシートテレビを搭載するようになった。現在ではボーイング777 (-200ER・-300ER) とボーイング747-400、ボーイング767-300ER等の国際線機材には全席シートテレビが搭載されている。更に2009年以降新造機のボーイング777-300ERやボーイング767-300ERにはシートテレビ (AVOD) だけでなく、パソコン電源・iPod接続端子・USB接続端子が全席に搭載されている{{要出典}}。

==== エコノミークラス ====
*[[キャセイパシフィック航空]]や[[シンガポール航空]]同様に1990年後半からエコノミークラスにもシートテレビを搭載するようになった。現在ではボーイング777 (-200ER・-300ER) とボーイング747-400、ボーイング767-300ER等の国際線機材には全席シートテレビが搭載されている。更に2009年以降新造機のボーイング777-300ERやボーイング767-300ERにはシートテレビ (AVOD) だけでなく、パソコン電源・iPod接続端子・USB接続端子が全席に搭載されている。また機内食も欧米線とバンコク・シンガポール線は「J-Menu」と呼ばれるように日本料理で日本の家庭料理が提供されるようになれ完全な和食と洋食のチョイスになった。





詳細は、[[全日本空輸#ANA国際線サービスの変化|ANA国際線サービスの変化]]参照。
詳細は、[[全日本空輸#ANA国際線サービスの変化|ANA国際線サービスの変化]]参照。


== ボーイング787の導入 ==
==== シートスペック(ビジネスクラス・プレミアムエコノミー) ====
{| class="wikitable" style="text-align:center"
! 機能\タイプ !! New Style CLUB ANA !! CLUB ANA Asia !! CLUB ANA BJ !! Premium Economy !! Economy BJ
|-
! シートピッチ (in/cm)
| 65/165 || 50~61/127~155 || 61/155 || 38/97 || 38/97
|-
! シート幅 (in/cm)
| 20/約51 || 20/約51<br/>A320は20.6/約52 || 20.6/約52 || /約60 || 20.5/約52
|-
! リクライニング角度
| 180°<br/>(ライフラット) || 139~152° || 152° || 130° || 130°
|-
! 可動式ヘッドレスト
| ○ || ○ || ○ || ○ || ○
|-
! フット・レッグレスト
| ○ || ○ || ○ || ○ || ○
|-
! ランバーサポート
| ○ || ○ || ○ || ○ || ×
|-
! シェル
| ○ || × || × || × || ×
|-
! 電動アシスト
| ○ || ○ || × || × || ×
|-
! ハイポジションテーブル
| ○ || ○ || ○ || × || ×
|-
! パーティション
| △<br/>(777型のみ) || × || × || × || ×
|-
! PC電源(コンセント)
| ○ || ○ || ○ || ○ || ○
|-
! [[AVOD]]
| ○ || ○ (※1) || ○<br/>(HDD式) || ○ || ○<br/>(HDD式)
|-
! 肘掛下収納
| ○ || ○ || × || ○ || ×
|-
! パーソナル読書灯
| ○ || ○ || ○ || × || ×
|-
! LAN接続
| ○<br/>(現在不可) || × || × || ○<br/>(現在不可) || ×
|-
! 装備機種
| 744/777 || 767/777/320 || 737ER || 744/777 || 737ER (※2)
|-
|}
(○:可 ×:不可)
※機種略称は、744:747-400、777:777-300 (ER) /-200 (ER) 、767:767-300 (ER) 、320:A320、737:737-700
* ※1 A320は[[ハードディスクドライブ|HDD]]式(AVOD対応)
* ※2 1号機JA10ANのみ
* Premium Economy Asiaは、エコノミーシートの3列の中間席にテーブルを設置し物置として利用


==== 国際線サービスの変化 ====
===== スーパービジネスクラス =====
国際線進出した1986年に、成田-ワシントン線などに導入したボーイング747-200に、後発航空会社のハンディを克服するため、他社の横7列 (2-3-2) に対して、横6列 (2-2-2) のスーパービジネスクラスを導入した。しかし間もなくその後他社と同じ横7列に戻す。

===== CLUB ANA =====
1991年に[[ニューヨーク]]に進出した際には、従来のスーパービジネスクラスを「CLUB ANA」と進化させ、シートの充実だけでなく、全席にTVモニター・TVゲームを導入した。乗客が自由に[[軽食|スナック]]を食べることを可能にするようなサービスや、炊きたての[[飯|ご飯]]を提供するなどのサービスも、この時期に初めて導入された。1996年には「CLUB ANA」のシートピッチを50インチ(標準より25%拡大)にした。

1999年にシカゴ線を開設した際には、[[ボーイング747-400]]にバーカウンターを設け乗客が自由にくつろげる空間や、ビジネスサポート空間を設けた。それと同時に、世界で初となる[[ビデオ・オン・デマンド|AVODシステム]]を導入した。2000年には「シカゴスタイル」のサービスをそのほかの北米線へと拡大し「スーパースタイル」のサービスを開始した。2002年には、「ニュースタイル」のサービスも開始している(「New Style,CLUB ANAやPremium Economyの誕生」参照)。

===== New Style,CLUB ANAやPremium Economy =====
2002年に、[[ビジネスクラス]]と[[エコノミークラス]]の[[プレミアムエコノミークラス|中間クラス]]である「Premium Economy」を導入し、それと同時に「CLUB ANA」をライフラット電動シートへと進化させた「New Style CLUB ANA」をボーイング747-400に設定し、東京-ロンドン線に就航させた。また当時は、ファーストとビジネスにしかAVODシステム対応のシートテレビが搭載されていなかったが、エコノミークラスにも導入された。

その後、全欧米線への導入が進み、2004年には[[ボーイング777#777-300ER型機(773B)|ボーイング777-300ER]]型機にも導入した。ボーイング777-300ERは通常であれば300席~350席設けることが可能であるが、4クラスで247席となっている。2008年現在では機材更新に伴い、本来導入・設定されていない多くの路線でも「New Style,CLUB ANA」や、「Premium Economy」を装備した機材に搭乗できる機会も多くなっている。

===== CLUB ANA Asia =====
[[ファイル:ANA C class seat2.jpg|thumb|230px|767-300ERのCLUB ANA Asia]]
2002年から[[ボーイング767|ボーイング767-300ER]]に、エコノミーを含めた全席にオンデマンド対応の個人テレビを設置したうえ、「CLUB ANA Asia」と題し新設したビジネスクラスは、これまでは2-2-2の6列配置のところを2-1-2の5列とし、ゆとりのある座席配置とした。「CLUB ANA Asia」はボーイング767-300ERだけでなく[[エアバスA320]]にも設置されるようになった(成田-アモイ・青島)。但しボーイング767-300ERとは違ってビジネスクラスのシートテレビがポータブル式であり、エコノミークラスにはシートテレビが搭載されていない(通常のスカイビジョンのみ)。2008年現在は、多くのボーイング767-300ERが「CLUB ANA Asia」となっており、主に成田-シンガポール・香港・中国・東南アジア・ホノルル線・関西→北京・上海線に就航している。

2001年~2004年にサンフランシスコ・ロサンゼルス・ワシントン線に導入された「Super Style」機(ボーイング777-200ER)は、ボーイング777-300ERの導入が進んだことで余剰が発生した。そこで、ファーストクラスを廃止し、ビジネスクラスを「CLUB ANA Asia」に改修を進めている。エコノミーを含めて306席(ClubANA・Asiaは35席・エコノミークラス271席)で全席にシートテレビを装備する。元々はソウル(金浦)線、成田-北京線と国内線の一部に就航していたが、現在は成田-上海・バンコク線や一部国内線に就航している。もともと、短距離路線への投入を意図したシート配置のため、バンコクなどの中距離路線への就航に際しては、トイレの数が国内線機材並みに少ないことに加え、ビジネスクラスが35席と少ない(NewStyleと比較すると半減)。

2008年4月から、[[ボーイング737#737NG(Next-Generation)737-600/-700/-800/-900(第3世代)|ボーイング737-700]]にプレミアムクラスを導入するのを契機に2クラス化し、「Club ANA Asia」として50インチピッチのシートが8席設置され[[中部国際空港|中部]]-広州線(その後運休)に導入された(Club ANA Asia8席・エコノミークラス112席 合計120席)。パソコン電源と読書灯は設置しているがパーソナルTVはHDDポータブルプレーヤーによるものである。また、同年6月からはボーイング737-800でもサービスを開始している。

===== 737の国際線進出とANA Business Jetの登場 =====
2006年1月にボーイング737-700を中部-台北線(その後運休)に投入した。国内線との兼用機材であるが、国際線では前方部分9列の中央座席をテーブルとし2-2配列として「Premium Economy Asia」のブランド名でプレミアムエコノミークラスにできる。従来運航していたボーイング737-500とキャビンで大きく違う点は、天井に収納式の小型ディスプレイを搭載している(スカイマップ・スカイビジョン・離陸前のセーフティーインストラクション上映)点と、ホットミールを提供することが可能なギャレイを設置している点が挙げられる。ボーイング737-700の全機が内際共用機で、国際線到着後、国内線にチェンジが出来る。

また、45機発注していた737-700型から2機を発注変更し、全日空が[[ローンチカスタマー]]となって[[ボーイング737#737NG(Next-Generation)737-600/-700/-800/-900(第3世代)|737-700ER]]型を導入した。2007年3月、「ANA Business Jet」(ボーイング737-700ER)一号機 (JA10AN) を中部-広州線(その後運休)に投入。通常エコノミー140席程度配置可能な機体を、ビジネスクラスの「CLUB ANA BJ」とプレミアムエコノミークラスの「Economy BJ」(どちらも2-2の4列配置)の各24席、合計48席という仕様にしている。

なお、ボーイング767-300ERなど他の国際線用機材であれば座席にシートテレビがあるが、737においてはHDD内蔵のポータブルテレビがエンターテイメントの役割を果たしている。さらに、同年9月に6年ぶりに運航を再開する成田-ムンバイ線に2号機 (JA13AN) を投入。こちらは「CLUB ANA BJ」が36席(加えて同スペックのシート2席をクルーレストとして設置し、実際は38席)という、全席ビジネスクラスのみの仕様になっている。運航に関しては全日空便(広州・アモイ・青島・ムンバイ)、[[エアーニッポン]]便(台北)を問わず全てエアーニッポンの運航乗務員と客室乗務員が担当している。

『[[エアライン (雑誌)|月刊エアライン]]』([[イカロス出版]])の記事によると、「ANA Business Jet」は「あくまでも市場調査の意味合いを兼ねて小型機を投入するもので、需要があれば中型機や大型機にシフトする」ことを明言しているが、その後まもなく中部-広州線は運休を余儀なくされたほか、成田-ムンバイ線も大型化されずに運航され続けている。

===== エコノミークラスのサービス強化 =====
上級クラスのシートの充実に合わせ、エコノミークラスにも[[ヘッドレスト]]や[[フットレスト]]、シートテレビの導入など、シート周りのサービス強化を行ってきた。また最近では、エコノミークラスの[[機内食]]改善に取り組み、2006年11月より[[ノリタケカンパニーリミテド|ノリタケ]]と共同開発した機内食食器での機内食サービスを導入した。

===== ANA BUSINESS =====
2010年からは「inspiration of japan」という新ブランドの導入に伴い、新型ボーイング777-300ERでは「My Style, My Space」をコンセプトに、全席が通路側となる1-2-1配列の「ANA BUSINESS STAGGERED」を採用するなど、新しいビジネスクラスのサービスを展開・導入し、「inspiration of japan」の実施に伴い、ブランド名である「CLUB ANA」の名称利用は終了し、「ANA BUSINESS」の名称に変更された。

これに伴い、2010年4月19日より成田―ニューヨーク線に就航したボーイング777-300ERの新造機のファーストクラス及びビジネスクラスに、タッチパネル式スクリーンでの機内食オーダー機能をはじめとするサービスを導入したが運用に失敗し、頼んだ食事が出てくるまで数時間を要するケースもあるなど乗客からのクレームが殺到したために<ref name="zak20100602" />、[[5月19日]]から「改善されるまでの間」使用を中止することを発表した。なお、全日空のウェブサイト上には問題の内容や使用再開の期日は明記されていない上に、今後同型機が他の路線に導入される場合も同様に使用できないとされている<ref>[http://www.ana.co.jp/int/svc/jp/new_brand_2010/info_02/ タッチパネル式スクリーンでの食事・飲み物のオーダー機能の一時運用休止について]</ref>。

===== ボーイング787の導入 =====
{{現在進行|section=1}}
{{現在進行|section=1}}
[[ローンチカスタマー]]として発注した[[ボーイング787]]を、[[2011年]]以降に世界で最初に導入する予定である。{{要出典}}[[ボーイング767|ボーイング767-300/300ER]]の後継に位置づけられる機種だが、230席~250席規模で767より[[航続距離]]が長いので、現在767-300ERを投入しているアジアへ向けた路線だけでなく、767-300ERでは航続距離が足りない欧米線を787で新たに開設したり、[[ボーイング777|777-200ER/300ER]]と平行してダブルデイリー化を進める見込みがある。
[[ファイル:Boeing 787 Roll-out.jpg|thumb|230px|left|ボーイング787型機]]
[[ローンチカスタマー]]として発注した[[ボーイング787]]を、[[2011年]]以降に世界で最初に導入する予定である。[[ボーイング767|ボーイング767-300/300ER]]の後継に位置づけられる機種だが、230席~250席規模で767より[[航続距離]]が長いので、現在767-300ERを投入しているアジアへ向けた路線だけでなく、767-300ERでは航続距離が足りない欧米線を787で新たに開設したり、[[ボーイング777|777-200ER/300ER]]と平行してダブルデイリー化を進める見込みがある。このうちボーイング787-3は元々国内線向け<ref>世界でも全日空と日本航空のみが発注しており、事実上日本国内線専用モデルである</ref>だが、航続距離が5,000km以上あるため、国内線および短・中距離国際線の兼用になる公算が大きかったが、度重なる納入延期で開発も遅滞が続き全日空と日本航空共にボーイング787-8に発注を変更し、キャンセルとなった。尚2010年9月に15機を787-9に変更した
このうちボーイング787-3は元々国内線向け<ref>世界でも全日空と日本航空のみが発注{{要出典}}しており、事実上日本国内線専用モデルである</ref>だが、航続距離が5,000km以上あるため、国内線および短・中距離国際線の兼用になる公算が大きかったが、度重なる納入延期で開発も遅滞が続き全日空と日本航空共にボーイング787-8に発注を変更し、キャンセルとなった{{要出典}}
なお2010年9月に15機を787-9に変更した。{{要出典}}

エンジンはトライスター以来の[[ロールス・ロイス]]社製の[[ロールス・ロイス トレント|トレント1000]]を選定。なお、現時点でトレント1000の大量発注企業は全日空だけである。詳しいキャビンの中身などは発表されていないが、エンターテイメントシステムは[[パナソニック]]製で現在ボーイング767-300ERとボーイング777-300ERの新造機に搭載されている「eX2」を搭載予定である<ref>http://www.mascorp.com/press/pr012907.html</ref>。エコノミークラスのシートはシクマ社製のシートが採用される。シェル型のシートでありリクライニングをしても後部座席には影響を受けない事や、ヘッドレストが大きくなっている等、今までの同社のエコノミークラスの座席のデザインを変え、快適性が改善される見込みである<ref>http://www.rockwellcollins.com/products/cs/br/cabin_electronics/moving_map/airshow4000/index.html</ref><ref>http://www.rockwellcollins.com/products/cs/at/cabin_electronics/airshow4200/index.html</ref>。ボーイング787は[[旅客機のコックピット#EFB|エレクトロニック・フライト・バッグ (EFB) ]]が標準装備であり、同社ではシステムの習熟を図るため、オプション装備となっている777-300ERの2007年5月納入分から日本の航空会社で初めてEFBを導入した。

なお、2007年10月以降二度にわたってボーイング社が787の納入延期を発表した。機材の引渡しが早くとも2010年以降へと延期されたことにより、予定していた2008年の[[北京オリンピック]]に合わせて初号機を羽田~[[北京首都国際空港|北京]]で運航する計画は不可能になった。また、新機材導入を見越して、ボーイング747-400や一部の[[ボーイング767|767-300ER]]の退役を進めていることから、機材、路線計画の変更を余儀なくされている。

== 国内線 ==
=== 機内クラス ===
==== 普通席 ====
2004年からは、後述するスーパーシートプレミアムと同時に、ボーイング737-700等から導入された新型エコノミーシートを導入している。新シートの構造部材は、従来の[[アルミニウム合金]]に替えて、新しく[[繊維強化プラスチック|炭素繊維強化プラスチック]] (CFRP) を活用し、また、シートの構造や形状も従来より大きく変更するなど、デザインを通じて軽量化への新しい取り組みを実践した。炭素繊維強化プラスチックは最新の航空機の機体構造部材にも使用されており、安全性や強度はそのままに軽量化を実現した。機内雑誌や[[ポータブルトイレ#エチケット袋|エチケット袋]]が入っているシートポケットは従来足元部分にあったが収納式テーブルの後部に移されたため、足元部分の空間が拡大された。

2010年4月1日より、普通席の無料提供の飲物をミネラルウォーターと[[日本茶]]のみ(2011年4月以降は、これに加えてアップルジュースも無料提供メニューに追加。)に限定することとなり、他の大手航空会社では無償で提供されているジュースやコーヒー、スープは有料での提供となる他、自分から申し出ない限りヘッドホンの提供を受けることはできないなど、コスト削減のために大幅な機内サービスの簡素化、省略化を行っている<ref>[http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012901001059.html 47news(共同通信) 2010年1月29日]</ref><ref>読売新聞 2010年1月30日朝刊</ref>。その代わりに有料メニューを増やして「プレミアムクラスの機内食を1800円で食べる事が出来る」「スターバックスのコーヒーを有料で飲む事が出来る」等機内食やドリンク等付加価値を付けたでANA My Choiceを展開した。

==== スーパーシート・プレミアムクラス ====
; スーパーシートプレミアム (2004年12月1日~2008年3月31日)
[[2004年]][[12月1日]]よりそれまでの「[[スーパーシート]]」をリニューアルし、「スーパーシートプレミアム」としてサービス内容・運賃体系に大きな変更が行われた。また[[2005年]]からはボーイング767にも「スーパーシートプレミアム」が導入された。日本航空が導入した、わずかな追加料金(通常料金にプラス1000円)で広い座席にアップグレードできることを売りにした「[[スーパーシート|クラスJ]]」の戦略を事前に察知できず、全日空としては既存のスーパーシートをより高価格に設定することで差別化を図るしかなかったため、急遽登場した苦肉の策であった。しかし、団体客や家族連れなどを避けたい富裕層や[[ビジネスマン]]には好評を博したが、その後日本航空は2007年12月に「クラスJ」のさらに上級クラスとなる国内線「ファーストクラス」を導入することになった。

; プレミアムクラス(2008年4月1日~)
2008年4月から、現行の「スーパーシートプレミアム」のサービス内容を見直し「プレミアムクラス」を導入した。
「スーパーシートプレミアム」はボーイング747-400・777シリーズ・767-300に設定されているが、「プレミアムクラス」はそれらに加え、ボーイング737NG(ボーイング737-700/800)にも導入される。2009年までに全路線の70%に設定させるなど、さまざまな機材で多くの路線に設定させると発表されている。なお、これらの機種でも国際線用機材を使用する便では設定がない。
シートピッチはスーパーシートプレミアムの38インチから50インチに拡大され、国際線のCLUB ANA並となる。さらに、ビジネス客に配慮してパソコン電源が導入される。ただし、ボーイング737以外の機材は順次改修予定であり、それまでの間は2種類のシート/シートピッチが混在することとなる。
機内食では、従来は羽田発便のみの提供だった[[料亭]]との[[タイアップ]]の[[重箱]][[弁当]]等を伊丹・札幌・福岡発便でも提供する。従来茶菓を提供していた時間帯には、軽食として[[サンドイッチ]]・[[おにぎり]]・生菓子等をボックスに詰めたボックスミールが出される。また、ドリンクメニューも拡充され、「ニコラ・フィアット」のシャンパンなどが加わる。
空港でのサービスとして、新たに一部空港の[[空港ラウンジ]]の利用、<ref>先立って12月1日からスーパーシートプレミアム利用者も空港ラウンジが利用可となるキャンペーンを行った</ref>預け手荷物の重量緩和<ref>35kgまで、これ上級会員に対する許容量優待と同じ扱いである</ref>、優先搭乗、手荷物の優先受け取り、一部空港での専用チェックインカウンターと専用保安検査場の利用のサービスが付帯されている。ボーナスマイルは区間マイルの50%加算となる<ref>ただし当日アップグレードの場合において、元の運賃種別がマイル積算付加運賃の場合はボーナスマイルが付与されない</ref>。

なお、料金設定は以前のスーパーシートプレミアムよりも1000~2000円程度高く設定されたが、プレミアムクラス運賃以外でも当日に空港で空席があれば、7000円の追加料金で利用が出来る(2009年3月31日までは5000円の追加料金で利用ができるキャンペーンが行われていた)。

; プレミアムパス
: プレミアムクラスへのリニューアルを記念して、[[プレミアムパス]]と称する高頻度利用者向けの条件付き乗り放題パスが1回当たり限定100枚、1枚300万円で販売された。
: 発売期間:第1回(追加販売分を含む):2008年3月1日から5月31日まで
: 第2回:2008年6月1日から8月31日まで
: 有効期間:第1回(追加販売分を含む):2008年4月1日から2009年3月31日まで
: 第2回:2008年7月1日から2009年6月30日までのそれぞれ1年間<ref>{{Cite web
|url=http://www.ana.co.jp/dom/inflight/promotion/premium/detail.html
|title=プレミアムパスの発売について
|publisher=全日本空輸
|accessdate=2008-1-23
}}
</ref>プレミアムクラスが乗り放題になるもので、100%ボーナスマイルや旅行券10万円分などの特典も付属する。ただし、同一区間の同一方向を同一日に複数回搭乗することは出来ない。

=== 主な割引運賃 ===
; 超割
: [[2000年]]の[[航空法]]改正に伴い、日本の国内線でも[[格安航空券]]の販売が出来るようになった。[[スカイマーク]]などの新規航空会社の割安な運賃を除くと、大手航空会社で最初の大規模な格安航空券となったのが全日空の「超割」である。期間限定ながら、国内どこに行くにも1万円(開始当初、離島地方路線は一律7000円)の設定は当時衝撃的で、予約開始と同時にインターネットや電話での予約がつながりにくい状況が発生するなど、かなりの人気であった。また、当時の新聞やテレビなどのマスコミでも取り上げられた。この超割は、その後も一部ルールと運賃を変えながらも、基本的形態をそのまま残して続けられている([[2007年]]10月現在)。日本航空や[[日本エアシステム]](当時)もこれに追随し、「バーゲンフェア」と称した同様のサービスを開始するなど、その後の航空運賃多様化の大きなきっかけとなっているという評価もある<ref>超割は全日本空輸の登録商標(第4478706号)他社も同じ商標で登録されている</ref>。

; 旅割
: 従来のバースデイ割引に代わり[[2006年]]に登場した。「一年中割引運賃」が謳い文句。ただし、「一年中」といいつつも、お盆や年末年始など設定がない日もある。[[2007年]]9月以降の運賃は、それまでより若干安めの価格設定となっている<ref>登録商標日本第4959610号</ref>。

; 特割
: いわゆる早期購入割引運賃の一つ。路線により1,7やプレミアムクラスに対しても割引となるプレミアム特割の設定も存在する。登録商標日本第3363747号ほか。
: ANAがかつて発売していた「早割」は早期購入割引の先駆けでもあり、同業他社のみならず他交通機関にも波及した<ref>早割も商標登録(日本第3363739号)されている</ref>。

; 特定便乗継割引・乗継旅割
: 2008年まで設定されていた「ルートきっぷ」を引き継ぐ形で、直行便のない遠距離について、特定の便の組合せで乗り継ぐことを条件に大幅に割引をした「特定便乗継割引」が設定された。また、離島区間や札幌那覇間など直行便がない区間の一部に、事前購入割引となる「乗継旅割」が設定されている。

; アイきっぷ
: [[長崎県]]と[[沖縄県]]の離島居住者向けの割引運賃である。長崎県向けの「長崎アイきっぷ」と沖縄県向けには「沖縄アイきっぷ」「乗継アイきっぷ」がある。いずれも各県の離島振興協議会が発行するカードが必要で、チェックインの際に提示が求められる。よって、自動チェックイン機やスキップサービスは利用できない。

; シニア空割
: 2009年に登場した、今までの「シニア65割引」をさらに一歩推し進めた運賃。言い換えれば「シニアのスカイメイト運賃」。当日空港で空席があれば全区間9000円(空港施設利用料等除く)で利用できる。空席待ちにおいては、空席待ち種別C(スカイメイトと同格)として扱われる<ref>登録商標日本第5263702号</ref>。

=== 自動チェックイン機・自動券売機・SKiPサービス・電子航空券 ===
[[ファイル:ANA ticketing and check-in machines HKD 20080114-001.jpg|thumb|230px|自動チェックイン・購入機(オレンジ)と自動チェックイン機(スカイブルー)]]
[[横浜シティエアターミナル]]でのシティチェックイン(自動チェックイン機能)を日本航空とともに実施しているなど、利便性の高いサービスの導入を行うことで顧客の取り込みを図っている。

; 自動チェックイン機(''QSU'' 〈現行機種の前世代の名称:自動チェックイン機 ''Self Check-in Machine''、''SCM''〉)
: 筐体の色はスカイブルーを基調とする。ANAマイレージクラブの会員は、事前にウェブサイト上でチェックインを行っておくことでIC ([[FeliCa]]) 付きのマイレージカードや携帯電話([[おサイフケータイ]])、[[2次元バーコード]]が記載された航空券引換証をかざすことにより、特別な操作をせずに航空券の発券と領収書の発券、席の指定などができる。
; 自動チェックイン・購入機 (''ASU'' 〈現行機種の前世代の名称:自動券売機''Auto Ticket Vendor''、''ATV''〉)
: 筐体の色はオレンジ系を基調、航空券を買うことができる。マイレージ追加([[マイレージサービス|マイレージカード]]挿入が必要)や席の指定ができ、現金はもちろん[[デビットカード]]や[[クレジットカード]]、[[株主優待券]]での決済が可能である。
; [[グッドデザイン賞]]受賞
: GUIにおける[[ユニバーサルデザイン]]<ref>[http://www.hitachi.co.jp/universaldesign/products/business/asuqsu/ 日立のユニバーサルデザイン (全日本空輸株式会社殿向け 自動チェックイン・購入機)]</ref>、新機種移行に伴う環境負荷・作業工数縮減(前世代機の設置スペースの互換性、紙資源の縮減)が評価され、2008年度グッドデザイン賞を受賞した(全日空、[[全日空システム企画]]、[[日立製作所]]、[[日立オムロンターミナルソリューションズ]]との共同受賞) <ref>[http://www.g-mark.org/search/Detail?id=34440&sheet=outline&lang=ja 2008年度グッドデザイン賞受賞 空港の自動機器[自動チェックイン・購入機(ASU)HT-5998-B01、 自動チェックイン機(QSU)HT-5998-B02]</ref>。

==== 設置状況 ====
: 全日空が就航しているほとんどの空港と、主要空港の交通アクセスの起点や中継地点などに設置されている。最低自動チェックイン機が1台以上設置されている。ただし、現場でのメンテナンスの可否(故障した際の部品のやりくりの関係による)や運航便数の数により(費用対効果の問題)設置されていない場合や設置台数が少ない空港がある。ちなみに、両機種とも[[日立オムロンターミナルソリューションズ]]で製造し[[日立製作所]]が納入したもの<ref>機器下部右側面に白い銘版</ref>である。なお、成田空港などに設置されているANA国際線・スターアライアンス共用の自動チェックイン機は[[沖電気工業]]製である。全日空及びスターアライアンスエリア以外の成田空港内に設置されている自動チェックイン機(黒い自動チェックイン機)は全て同じ仕様のチェックイン機で[[沖電気工業]]が製作し[[:en:ARINC|ARINC]]が納入したものである。

==== SKiPサービス ====
[[ファイル:ANA E-ticket.JPG|thumb|right|200px|eチケットお客様控え、搭乗案内書と改札機で発行される搭乗券]]
: 保安検査場・搭乗口でのチケットレス化は、日本航空の「[[日本航空インターナショナル#IC|JAL ICチェックインサービス]]」に対して遅れをとっていたが、[[2006年]]に「[[SKiPサービス]]」が開始され、日本航空と同様にIC (FeliCa) 付きのマイレージカードや携帯電話機(おサイフケータイ)で入場できるようになった。印刷されたり、携帯電話の液晶画面に表示された2次元バーコードでも通過できる。また「スキップ」の導入に伴い、代理店の端末の更新が行われ、「チケット」ではなく「航空券ご利用案内書(二次元バーコード入り)」が発行されるようになった。なお、サービス開始当初のスキップは、荷物を預ける必要のある場合や利用する運賃によっては利用できなかった(現在も一部の運賃では利用できない)。ちなみに、[[コマーシャルメッセージ|TVCM]]ではその簡単さをアピールすることを主眼にしたため、携帯電話で通話しながら搭乗するシーンを前面に押し出し、機内まで電源を切らなくてもよいかのような、安全性に支障を与えるような印象を残してしまったという評価もある(おサイフケータイは「felicaロック」を解除していれば電源を切っていてもIC機能を利用でき、電源を切ったうえでタッチすれば搭乗時も問題は無い)。
[[ファイル:Ana Airticket01.JPG|thumb|right|200px|廃止された磁気テープ式航空券]]
: [[2007年]][[8月29日]]には、2007年内に全日空が就航している国内の全50空港で「スキップサービス」が利用できるように設備を設置して、従来の紙の[[航空券]]を国内線で全廃することが発表された。従来のスキップサービスは手荷物を預けたい利用客は対象外で、これらの利用者は航空券を発行する必要があったが、専用の読み取り機を導入することで、手荷物を預ける場合もスキップサービスが利用可能になった。航空券の完全電子化は実現すれば「世界初」となる。[[国際航空運送協会]]が打ち出している、[[2008年]]5月までの「[[電子航空券|航空券電子化]]」の方針を受けたもので、紛失防止などの利用客の利便性向上や、航空券の用紙代・印刷代、チェックイン機・自動改札機の維持管理費(特に航空券を切り取り半券を取り出し口まで搬送させるために必要な駆動部分のメンテナンス)、人件費といった経費の削減などを目的としている。カードや対応する携帯電話を持っていなかったり証明書の必要な運賃を利用する利用客は、空港などで発行される2次元バーコードが印刷された「航空券ご利用案内書」や「搭乗案内書」で搭乗手続きを行う。これにより、従来から発行されてきた、磁気ストライプ付きの航空券は全廃されることとなった。2007年9月4日より先行試験的に[[松山空港]]で導入されていたもので、[[2007年]][[12月20日]]までに国内線が乗り入れるすべての空港で導入された。


== 貨物・郵便 ==
== 貨物・郵便 ==
'''ANAカーゴ''' (''ANA Cargo'') は全日空グループの[[航空貨物]]サービスのブランドである。2007年6月現在、旅客便のベリースペース(床下貨物室)と6機の[[貨物機|貨物専用機]]を合わせて、国内線は135路線に1日あたり937便を運航する(エアーセントラルは貨物搭載を行わない)。<ref>http://www.ana.co.jp/cargo/index.html, 2007-01-13閲覧。</ref>国際線は28都市に週あたり704便を運航する<ref>2006年度には、国内線の貨物は30,574百万円、郵便は8,936百万円、国際線の貨物は62,915百万円、郵便3,438百万円の実績を残した</ref>。貨物専用機は[[ボーイング767]]-300ERFを4機保有し、<ref>http://www.ana.co.jp/cp/index.html, 2009-01-13閲覧。</ref>[[:en:ABX Air|ABX Air]]社のボーイング767-200を2機ウェット[[リース]]利用している<ref>''月刊ANA Cargo'' 2007年10月号、http://www.ana.co.jp/cargo/information/bimonth/crg102007/pdf/cargo_no93.pdf, 2009-01-13閲覧。</ref>。
'''ANAカーゴ''' (''ANA Cargo'') は全日空グループの[[航空貨物]]サービスのブランドである。2007年6月現在、旅客便のベリースペース(床下貨物室)と6機の[[貨物機|貨物専用機]]を合わせて、国内線は135路線に1日あたり937便を運航する(エアーセントラルは貨物搭載を行わない)。<ref>http://www.ana.co.jp/cargo/index.html, 2007-01-13閲覧。</ref>国際線は28都市に週あたり704便を運航する<ref>2006年度には、国内線の貨物は30,574百万円、郵便は8,936百万円、国際線の貨物は62,915百万円、郵便3,438百万円の実績を残した</ref>。貨物専用機は[[ボーイング767]]-300ERFを4機保有し、<ref>http://www.ana.co.jp/cp/index.html, 2009-01-13閲覧。</ref>[[:en:ABX Air|ABX Air]]社のボーイング767-200を2機ウェット[[リース]]利用している<ref>''月刊ANA Cargo'' 2007年10月号、http://www.ana.co.jp/cargo/information/bimonth/crg102007/pdf/cargo_no93.pdf, 2009-01-13閲覧。</ref>。

なお[[1978年]]9月に、全日本空輸と[[日本郵船]]を主導とする海運各社(日本郵船、[[山下新日本汽船]]、[[川崎汽船]]、[[商船三井]])、[[日本通運]]の共同出資の国際線貨物専門航空会社である[[日本貨物航空]]を設立し([[1983年]]に日本通運が離脱)、[[1985年]]5月より運行していたものの、2005年8月に全日空所有の持ち株27.5%を日本郵船に売却することで全日空が共同経営体制より離脱し、日本郵船単独経営体制に移行するとともに、自社単独による貨物事業展開を選択することとなった。

2007年[[7月5日]]に、[[沖縄県]]と全日空は国際物流拠点形成に関する合意を行った<ref>http://www.qab.co.jp/01nw/07-07-05/index5.html</ref><ref>http://www.ana.co.jp/pr/07-0709/pdf/07-ana-okinawa0705.pdf</ref>。[[2009年]]以降を目途に全日空では[[那覇空港]]を[[アジア]]向け貨物輸送の[[ハブ空港]]にすることを検討している。2007年12月18日に、日本通運、[[近鉄エクスプレス]]、全日本空輸の3社で、「国際エクスプレス事業会社」設立に対する基本合意がなされ、その後[[ANA&JPエクスプレス]]が設立された。2008年4月に新事業会社を設立し、サービス対象地域をアジア域内として営業する予定である。その中でANAは、中部空港から国際線貨物便を全面撤退し、沖縄県と共同で那覇空港に国際小口貨物基地を設置し、那覇空港が同社におけるアジア向けの貨物輸送のハブ空港として、成田・羽田・関空の国内3拠点とソウル・上海・香港・バンコク・台北のアジア5拠点を中継する路線網を構築した。
<ref>全日空2009年9月29日プレスリリース 沖縄貨物ハブに、新・航空ネットワーク&新商品が誕生 及び添付資料http://www.ana.co.jp/pr/09-0709/pdf/09-ana-ocs0929-1.pdf</ref>


== 全日本空輸(ANA)グループ企業 ==
== 全日本空輸(ANA)グループ企業 ==
=== 航空運送事業者 ===
* [[エアージャパン]] (AJX)
* [[エアージャパン]] (AJX)
* [[エアーニッポン]] (ANK)
* [[エアーニッポン]] (ANK)
* [[ANAウイングス]]
* [[ANAウイングス]]
* [[オールニッポンヘリコプター]] (ANH) :[[日本放送協会|NHK]]取材ヘリ運用専業の会社。
* [[オールニッポンヘリコプター]] (ANH) :[[日本放送協会|NHK]]取材ヘリ運用専業の会社。
* [[Peach Aviation]] - 2012年就航予定の格安航空会社

=== 空港地上支援事業者 ===
{|
|
* [[エーエヌエースカイパル]]
* [[ANA中部空港]]
* [[ANAエアサービス佐賀]]
* [[新関西エアポートサービス]]
* [[ANAエアサービス東京]]
* [[ANAエアサービス松山]]
|
* [[ANAエアポートサービス]]
* [[国際空港事業]]
* [[ANA千歳空港]]
* [[新東京空港事業]]
* [[ANAエアサービス福岡]]
* [[ANAエアサービス福島]]
* [[ANAグランドサービス]]
|}

=== 車両整備事業者 ===
{|
|
* [[全日空モーターサービス]]
* [[ANAエンジニアリング成田]]
|
* [[千歳空港モーターサービス]]
|}

=== 航空機整備事業者 ===
{|
|
* [[ANAアビオニクス]]
* [[ANAエンジンサービス]]
* [[ANA長崎エンジニアリング]]
* [[ANAフライトラインテクニクス]]
* [[ANAエアロサプライシステム]]
|
* [[ANAエアロテック]]
* [[ANAテクノアビエーション]]
* [[ANAエアクラフトテクニクス]]
* [[ANAワークス]]
* [[全日空整備]]
* [[全日空整備]]
|}

=== 商社・旅行事業者 ===
{|
|
* [[ANAセールス]]
* [[全日空商事]]
* [[全日空商事]]
|
* [[航空食品]]
* [[日本フレッシュフーズ]]
|}

=== 情報関連事業者 ===
{|
|
* [[インフィニ トラベル インフォメーション]]
* [[ANAテレマート]]
* [[全日空システム企画]]
|
* [[ANAコミュニケーションズ]]
* [[ANAビジネスクリエイト]]
* [[ANA総合研究所]]
|}

=== その他 ===
{|
|
* [[ANAケータリングサービス]]
* [[ANA・ウイング・フェローズ]]
* [[ANAラーニング]]
|
* [[ANAファシリティーズ]]
* [[ANAビジネスクリエイト]]
|}


== 業務提携航空会社 ==
== 業務提携航空会社 ==
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* {{Flagicon|JPN}} [[日本貨物航空]](日本郵船の連結子会社になったため)
* {{Flagicon|JPN}} [[日本貨物航空]](日本郵船の連結子会社になったため)


== 事件・事故 ==
== 事件・事故・トラブル関連 ==
過去に全日空が起こした墜落事故や、全日空が遭遇したハイジャック事件、また経営幹部が起こした[[疑獄]]事件は下記のリンクを参照。
過去に全日空が起こした墜落事故や、全日空が遭遇したハイジャック事件、また経営幹部が起こした[[疑獄]]事件は下記のリンクを参照。
=== [[ロッキード事件]] ===
ロッキード L-1011 トライスターの導入が進んでいた[[1976年]]に行われた[[アメリカ合衆国上院|アメリカ上院]]における[[公聴会]]において、ロッキード副会長のアーチボルド・カール・コーチャンと元東京駐在事務所代表のジョン・ウイリアム・クラッターが、全日空がマクドネルダグラスDC-10の発注を取り消し、L-1011 トライスターを導入するように働きかけるために、日本においてロッキード社の裏の代理人的役割をしていた児玉誉士夫に対し、1972年10月に「(全日空へL-1011 トライスターを売り込むための)コンサルタント料」として21億円あまりを渡したこと、次いで児玉から、[[政商]]の[[小佐野賢治]]やロッキード社の日本における販売代理店の[[丸紅]]などを通じ、当時の[[首相]]である[[田中角栄]]に対して5億円が密かに渡されたことを証言{{要出典}}した。

その後捜査が進められ、マクドネルダグラスDC-10型機の導入を進めた大庭社長を「M資金」に絡むスキャンダルを捏造しておい落した若狭社長と複数の全日空幹部{{要出典}}が、全日空から政界への贈賄工作を行ったとして[[逮捕]]された上に、政界工作の謝礼として、ロッキードから児玉や小佐野を通じて流れ込んだ5億円を受け取った容疑で田中元首相他多数の政財界人が逮捕され、さらに数人の不審死者や自殺者を出すなど、「[[ロッキード事件]]」や[[全日空疑獄]]と呼ばれる大疑獄事件となった。


* [[全日空機墜落事故]](全件記載)
* [[全日空機墜落事故]](全件記載)
** [[全日空機雫石衝突事故]]
* [[全日空機雫石衝突事故]]
* [[全日本空輸ハイジャック事件]](全件記載)
* [[全日本空輸ハイジャック事件]](全件記載)
* [[ロッキード事件]]
* [[ロッキード事件]]
** [[全日空疑獄]]
* [[全日空疑獄]]


==映画・ドラマ==
==映画・ドラマ==
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
=== 広告宣伝関係 ===
* [[横浜フリューゲルス]]
* [[横浜F・マリノス]]
* [[鹿島アントラーズ]](サプライヤー。[[カシマサッカースタジアム]]のLED帯状映像装置にて広告活動)
* [[茨城ゴールデンゴールズ]](ユニフォームのロゴ提供・ボーイング737-700(ゴールデンジェット)就航時に名古屋→宮崎間の選手のチケットを提供)
* [[キッザニア東京]](テナント参加企業)
* [[全日空横浜クラブ]](横浜フリューゲルスの前身)
* [[北京国際マラソン]](ANA北京国際マラソン)
* [[ANAオープンゴルフトーナメント]]
* [[日本プロバスケットボールリーグ]](bjリーグ)
* [[華麗なる一族 (テレビドラマ 2007年)]](ドラマ中、万俵鉄平が東京 - 大阪間の移動の際に使用された航空機として、何度か全日空機の飛行シーンが使用された)
* [[アメリカ横断ウルトラクイズ]](同番組が放送された枠『[[木曜スペシャル]]』のスポンサーでもあった)
* [[日立 世界・ふしぎ発見!]](放送によってはスターアライアンス加盟会社と同じように取材協力会社になっている)

==== 広告出演 ====
2000年代に入り、担当広告代理店が[[電通]]1社に代わって以降、芸能人やスポーツ選手を大量に採用した広告キャンペーンが急増した。

* [[森繁久弥]](1970年代)
* [[スヌーピー]](ANA'S SKI北海道イメージキャラクター)
* [[石田ゆり子]](1987年沖縄キャンペーンガール)
* [[フランク・シナトラ]](1990年 - 1991年)
* [[KinKi Kids]](1998 - 1999年イメージキャラクター)
* [[本上まなみ]](2000年沖縄・北海道イメージキャラクター)
* [[SMAP]](2001年 - 2002年イメージキャラクター)
* [[山田優]](沖縄キャンペーン)
* [[松坂大輔]](ハンバーガーキャンペーン)
* [[伊東美咲]](2004年沖縄・北海道イメージキャラクター・2005年 - 2006年イメージキャラクターCM出演)
* [[森光子]](スキップサービスCM出演)
* [[石坂浩二]](スキップサービスCM出演)
* [[長嶋茂雄]](2003年 - イメージキャラクターCM出演)
* [[長嶋一茂]]((長嶋茂雄の代理)2004年 - イメージキャラクターCM出演)
* [[速水もこみち]](2006年 - イメージキャラクターCM出演)
* [[沢村一樹]](「エコ割」CM出演)
* [[高見盛精彦|高見盛]](「エコ割」CM出演)
* [[把瑠都凱斗|把瑠都]](「エコ割」CM出演)
* [[白露山佑太|白露山]](「エコ割」CM出演)
* [[葉加瀬太郎]](グループイメージテーマ「Another Sky」を作曲)
** [[WORLD AIR CURRENT|ANA WORLD AIR CURRENT]] (彼がパーソナリティをつとめるラジオ番組)
* [[渡辺美里]](“'86 夏の北海道”キャンペーンソング「[[Teenage Walk]]」)
* [[Crystal Kay]](1998~1999年頃CMソング「Fly Away」を歌う)
* [[柴咲コウ]](「旅割」CM出演・2007年冬季北海道・沖縄ツアーキャンペーン)
* [[妻夫木聡]](「旅割」CM出演)
* [[トータス松本]](「旅割」ナレーター)
* [[今井美樹]](「旅割」CMソング)
* [[内田恭子]](中国定期便就航20周年記念、LIVE中国線就航20周年記念公式レポーターCM出演)
* [[夏川りみ]]([[2006年]]の沖縄線キャンペーンである「マッタリーナ→ ホッコリーナ→ 沖縄」で[[涙そうそう]]がCMソングとして使用される)
* [[森高千里]]([[1993年]]の沖縄キャンペーンソング「[[私の夏]]」、“ラ・九州”キャンペーンソング「[[風に吹かれて (森高千里の曲)|風に吹かれて]]」を歌う)
* [[福原愛]](全日空に所属する[[卓球]]選手)
* [[伊原剛志]](2006年3月 - スーパーシートプレミアムCM出演)
* [[いとうあいこ]](2007年12月 - 企業CM「夢見るヒコーキ。ANA」出演)
* [[三國連太郎]](2008年2月 - プレミアムクラスCM出演)
* [[佐藤浩市]] (2008年2月 - プレミアムクラスCM出演)
* [[皆藤愛子]](2008年2月 - 「旅割」CM出演)
* [[石原良純]](2008年2月 - 「旅割」CM出演)
* [[八田亜矢子]](2008年2月 - 「旅割」CM出演)
* [[和田アキ子]] (2008年11月 - ANA旅割)
* [[北川景子]] (2008年11月 - )「2008年沖縄ツアーキャンペーン」
* [[石川遼]] (2009年2月 - )「旅割CM」(全日空に所属する[[プロゴルフ]]選手)

=== その他 ===
* [[名古屋鉄道]](筆頭株主 - 注:信託口を除いた場合)
* [[朝日新聞社]](主要株主の一社)
* [[東京海上日動]](主要株主の一社)
* [[三井住友銀行]](大株主の一つ。ANAの融資先の一つである)
* [[東海大学]](工学部航空操縦学専攻に協力)
* [[モハーヴェ空港]]
* [[カルテル]]
* [[マイレージサービス]]
** [[ANAマイレージクラブ]]
* [[スルガ銀行]]ANA支店
* [[PiTaPa]]
* [[私の青空 八百津の森づくり]]
* [[内田幹樹]] - 小説家、元教官機長。機長としての経験を基にした航空小説やエッセイを遺している。
* [[西E田]]
* [[エンプロイド・フリーチケット]]


== 脚注 ==
== 脚注 ==
1,129行目: 361行目:
[[Category:大証一部上場企業]]
[[Category:大証一部上場企業]]
[[Category:ロンドン証券取引所上場企業]]
[[Category:ロンドン証券取引所上場企業]]
[[Category:横浜フリューゲルス]]
[[Category:日経平均株価]]
[[Category:日経平均株価]]



2011年5月30日 (月) 12:02時点における版

全日本空輸
All Nippon Airways
IATA
NH
ICAO
ANA
コールサイン
All Nippon
法人番号 1010401099027 ウィキデータを編集
設立 1952年12月27日
マイレージサービス ANA Mileage Club
会員ラウンジ signet Lounge
ANA Lounge
CLUB ANA LOUNGE
航空連合 スターアライアンス
保有機材数 約209機
就航地 77都市
本拠地 日本の旗 日本 東京都港区東新橋一丁目5番2号
代表者 伊東 信一郎(代表取締役社長)
外部リンク http://www.ana.co.jp
テンプレートを表示
全日本空輸株式会社
All Nippon Airways Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報
東証1部 9202
1975年7月21日上場
大証1部(廃止) 9202
1975年7月21日上場
LSE ANA
1991年10月上場
略称 全日空
ANA(エー・エヌ・エー)
本社所在地 日本の旗 日本
105-7133
東京都港区東新橋一丁目5番2号
汐留シティセンター
設立 1920年(大正9年)2月9日(注)
業種 空運業
法人番号 1010401099027 ウィキデータを編集
事業内容 航空運送事業
旅行事業
代表者 伊東信一郎(代表取締役社長)
資本金 2,313億8,178万4,228円(2010年3月31日現在)
発行済株式総数 25億2,495万9,257株(2010年3月31日現在)
売上高 連結:1兆3,925億81百万円
単独:1兆2,486億47百万円
(2009年3月期)
純利益 連結:-42億60百万円
単独:-18億32百万円
(2009年3月期)
純資産 連結:3,257億97百万円
単独:2,963億76百万円
(2009年3月31日現在)
総資産 連結:1兆7,610億65百万円
単独:1兆6,971億88百万円
(2009年3月31日現在)
従業員数 連結:33,045人 単独:14,179人
(2009年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 日本トラスティ・サービス信託銀行(株)(信託口) 2.96%
名古屋鉄道株式会社 2.85%
(2010年3月31日現在)
主要子会社 ANAセールス(株) 97.5%
エアーニッポン(株) 100%
ANAウイングス 100%
エアージャパン 100%
オールニッポンヘリコプター75%
全日空商事(株) 80.2%(間接所有も含めると100%)
他(2009年3月31日現在)
関係する人物 普勝清治橋本登美三郎
外部リンク www.ana.co.jp
特記事項: 株式額面変更のため、1975年(昭和50年)4月1日に(旧)全日本空輸株式会社を吸収合併し、旧会社は消滅した。旧会社の設立日は1952年(昭和27年)12月27日である。
経営数値および会社基礎情報はEDINET全日本空輸有価証券報告書から。
テンプレートを表示

全日本空輸株式会社(ぜんにっぽんくうゆ[1]英称All Nippon Airways Co., Ltd.略称全日空(ぜんにっくう)、ANA)とは、日本航空会社である。

概要と沿革

国内線では最大の路線網を持ち、国内線乗客数では日本最大級の航空会社である[2]。国際線ではアジア諸国とヨーロッパ諸国、アメリカ合衆国のみに運航している。航空会社連合スターアライアンス」のメンバー。東証一部上場企業。コーポレートカラーはトリトンブルー。2レターコード"NH"は、元の社名「日本ヘリコプター輸送 (Nippon Helicopter) 」に由来。本社は東京都港区東新橋 汐留シティセンター

前身

全日本空輸の前身は日本ヘリコプター輸送株式会社と極東航空株式会社である。両社は第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の命令により、全ての日本国籍の航空機の運航が停止していたが、1952年に運航禁止期間の解除の決定が下されたことを受けて同年設立された。

日本ヘリコプター輸送株式会社は、1952年(昭和27年)12月27日に、東京を拠点にヘリコプターでの宣伝活動を目的として設立された会社で、通称は「日ペリ」、「日ペリ航空」であった。当初はヘリコプターによる宣伝事業のみを行っていたが、航空機による事業にも参入し、1953年12月15日に貨物航空事業を開始し、1954年2月1日には旅客航空事業も開始した。

極東航空株式会社は、日ペリより1日早い1952年12月26日に、第二次世界大戦前に関西で航空事業を行っていた関係者により大阪で設立。大阪を拠点として、大阪-四国・大阪-九州といった西日本方面の航空路線を運営していた。

その後乱立した国内ローカル航空輸送を一本化するという運輸省の方針に基づき、両社は合併されることとなる。合併に先立ち、1957年(昭和32年)12月、日本ヘリコプター輸送は全日本空輸株式会社に商号変更し、同時に極東航空の路線運営を引き継ぐ。

さらに翌1958年(昭和33年)3月には、同じくローカル線を運航していた極東航空を合併し、両社は完全に統合した。なお初代社長には、元朝日新聞社役員で日本ヘリコプター創設者の美土路昌一が就任。

墜落事故と政府の援助による経営再建

統合完了直後の1958年8月には下田沖でダグラスDC-3の墜落事故を起こし、整備や運行安全面の不備を国会やマスコミで追及された結果、業績が大きく悪化し一時は全路線を休止するなど企業存亡の危機に陥った。しかし、その後政府(運輸省)からの資金援助を得て保有する全てのDC-3の操縦系統を改修・統一した上で、翌1959年4月1日に運行を再開し企業存亡の危機を乗り越えた[3]

墜落事故による経営危機を、政府からの支援を受けて乗り越えることが出来た全日空は、その後高度経済成長下で成長を続け、藤田航空などの中小航空会社の合併を繰り返し、その路線網を拡張し全国規模の航空網を持つに至った。

政府と日本航空の支援下での経営再建

1965年2月1日には中日本航空の定期航空部門を吸収するなど、その後も高度経済成長とともに事業規模の拡大を続け、運輸省からの「指導」を受けて国内線路線の運航を制限されていた日本航空や、同じく運輸省の「指導」を受けてローカル線を中心に運行していた日本国内航空や東亜航空を上回る、国内線最大の路線網と日本最大の乗客数を持つ航空会社となった。さらにヴィッカース・バイカウントフォッカー F27日本航空機製造YS-11ボーイング727型機などの当時の最新鋭機を精力的に導入していった。

しかし、企業体力を大きく超えた経営規模の拡大に整備や運行安全面の拡充が追いつかず、日本航空から整備や運行安全面において様々な支援を受けざるを得ない状況になっていた[4]

そのような状況下にあった1966年に起きた、羽田空港沖でのボーイング727型機の墜落事故や、松山沖墜落事故をはじめとする1960年代に起きた一連の連続墜落事故では、1機あたりの整備員の数が日本航空の3分の1に満たないこと[5]をはじめとする整備や安全運航面における不備を指摘された上に、事故を受けた営業面での打撃や遺族への慰謝料支払いによる出費[6]により経営面でも苦境に立たされた。

この様な惨状を受けても社長の座に残ろうと画策した岡崎は、政財界の一部から「社長が日中問題に首を突っ込んで、社業に専念しないから安全対策が疎かになるのだ」との批判[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。を受けるようになり、さらに経団連会長の石坂泰三からも辞任勧告[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。を受けるに至り辞任した。

その後は政府主導で経営再建がすすめられ、1967年にはかねてから全日空を整備や運行安全面で支援していた日本航空も、政府からの依頼を受けて全日空の経営立て直しのために多額の資金と人員を投ずることとなった。その後日本航空は全日空の第2位の大株主になり、日本航空から派遣された大庭哲夫副社長(その後1969年5月に社長に就任)[7]の下で、整備や運航安全面の見直しと拡充を進めた。その後全日空は、政府と日本航空の支援、社長以下幹部の指導のもとで整備や運行安全面の拡充を進めた上に、「45/47体制」により国内線における安定的な地位を得られた結果、1970年代に入ると国際線チャーターに進出するなど経営状況は改善に向かった。

国際線への進出

設立当初より国内線が主軸であったが、当時の運輸省の指導によりフラッグキャリアの日本航空は国際線と国内線幹線を、全日空は国内線幹線とローカル線・国際線チャーターに、東亜国内航空は国内ローカル線の運航を担当し将来的には幹線に参入する、というように運航を制限された「45-47体制」の崩壊を契機に、1986年より国際線定期便の運航を開始した。最初の路線はL-1011トライスター機の運航による成田国際空港-グアム線だった(その後撤退)。

同年にアメリカ本土のロサンゼルス線とワシントンDC線をボーイング747-200B型機で就航させた。翌年は中華人民共和国北京大連イギリス植民地であった香港線を開設、同年10月にはシドニー線を開設した(その後撤退)。1988年には韓国ソウル線、1989年にはイギリスのロンドン線を開設して初のヨーロッパ進出となった。1990年11月には国際線の拡張に合わせてボーイング747-400を導入した。

国際線の拡大と縮小

1994年の関西国際空港開港後は、中華人民共和国や北東アジア線だけでなく、デンパサールヤンゴンムンバイホノルルバンクーバーブリスベンローマなど関西国際空港からの中・長距離の路線の開設を積極的に行った。同時期には名古屋からホノルルへの便や福岡からバンコクや上海、大連等への路線も開設していた。更にアメリカ線の強化で成田からのシカゴサンフランシスコ線を開設したほか、ジャカルタ、デンパサール、ムンバイ線を毎日運航で就航させた。

しかし、「国際的に飛躍を続ける」という自らが望んだ企業イメージとは裏腹に、海外における知名度が低く集客力がなかったことや、日本航空をはじめとする競合他社がすでに就航している路線を中心に新規就航するなど、市場規模のみならず、企業体力をも無視した急激な拡張が足を引っ張る形になり国際線単体での赤字が続き、当初目指していた総花的な路線ネットワークから採算性重視のネットワークへの再構築をせざるを得なくなった[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。

その後1999年10月に、航空連合の1つであるスターアライアンスに加盟し、国際線路線網の少なさをリカバーする方向性に転換するとともに、海外での知名度も向上させるなど、航空連合に加盟することで自社の弱点を補うという戦略への転換を図ることとなる。なお加盟後は機体に「STAR ALLIANCE」のマークとロゴタイプを追加している。

政府の援助による経営再建

2001年9月に発生したアメリカ同時多発テロ事件による世界規模での航空需要の落ち込みを受けて業績が低迷し、国土交通省の助けを受けて日本航空や日本エアシステムとともに政府系金融機関の日本政策投資銀行から無利子融資を受け、経営の再建を図ることとなった[8]。しかし、2003年度と2004年度にもSARS渦などにより再度世界規模での航空需要の落ち込みが起きたことで業績が低迷し、リストラを行うことを条件に政府系金融機関の日本政策投資銀行から合計500億円に上る無利子融資を受けた[9]。この結果2003年度は黒字を計上。悲願であった復配も達成した。併せて2004年4月にはボーイング社が開発しているボーイング787(開発名称7E7)を50機発注[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。し、開業後初のローンチカスタマーとなった。

呼称変更

2003年に、公式の呼称を慣れ親しまれてきた「全日空」から「ANA(エー・エヌ・エー)」へ変更・統一してイメージ転換を図り、ロゴも「全日空」や「All Nippon Airways」から「ANA」に変更し、グループ航空会社運航機を含めて機体塗装もロゴ部分を変更している(DHC-8-300型などを除く)。しかし、一般的には引き続き「全日空」もしくは「アナ」と呼ばれることも多い。また、各局・各紙の報道などでは「全日空」の呼称が現在も使われている。また、同時期にグループ航空会社便を「ANA」便名へ変更している。

現在

全日空塗装のボーイング787原型2号機 (ZA002)

2007年10月11日には、ボーイング787の開発スケジュールの遅れが発表され、初飛行は2008年第1四半期末、引渡しも当初の予定から6ヶ月ほど遅れるとした[10]が、更に2008年第4四半期へと初飛行の延期、引き渡しは2009年第3四半期への遅延が発表されている[11]。全日空では2008年6月に国内線に投入、8月の北京オリンピック開催時には羽田 - 北京間のチャーター便に使用すると発表していた[12]が、就航計画の変更を余儀なくされ、北京線のオリンピック時就航は不可能となった。その後もさらに開発が遅延したことから、路線投入は2010年後半以降となる予定である。この年には、エアー・トランスポート・ワールド (ATW) 誌上で「エアライン・オブ・ザ・イヤー」に初めて選ばれた。なお、日本の航空会社として選ばれたのは日本航空に次いで2社目となる[13]

機材

運航機材

全日空の機材は以下の航空機で構成される。(なお、この中にはグループ共用、グループ会社向け機材を含む。)

(2011年5月末現在)

新規導入予定機材

  • ボーイング787-8・9型機(ローンチカスタマー)<2011年就航予定>[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。
  • MRJ(三菱リージョナルジェット)MRJ90型機<2013年就航予定>[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。

退役済機材


国際線

就航地

現在の路線

2011年1月7日現在。コードシェア便は含まない。

大韓民国の旗 韓国
中華人民共和国の旗 中国



機内クラス

  • ファーストクラス
ファイル:ANA F class seat1.jpg
New First Classシート

国際線就航時から長距離便を中心に設定されており、新しいコンセプトのファーストクラスは、777-200ERのスーパースタイルと同時に導入され、炊き立てご飯サービスや「ザ・快食」(好きなときに好きな食事をとれるアラカルトサービス)、フルフラットシートの導入が開始されたのもこの頃である。

2002年には「New Style,CLUB ANA」実施と同時に導入された「New First Class」が採用され、747-400と777-300ERに装備され、全席ソロシート、フルフラットシートとなっている。大型の羽毛布団・ベットパッドが用意され、快適な睡眠を行えるよう配慮されている。

  • ビジネスクラス
ファイル:ANA C class seat1.jpg
ANA BUSINESS (747-400) キャビン

ビジネスクラス導入時には、他社がボーイング747-200で横7列、もしくは8列が標準であったが、世界的にも数少ない横6列で運航を始め好評を得たものの、1991年に導入した本格的なビジネスクラス「CLUB ANA」では、ボーイング747-200/-400で横7列と競合他社と同じものに戻した。同時に50インチのシートピッチや、AVOD対応のシートテレビ、ビジネスコーナーの設置などサービス拡充を進めた。

2002年には「New Style,CLUB ANA」を導入、電動ライフラットシートや一皿一皿サーブするコーススタイルの機内食の採用を行い、これを機に、機内食の食器を全て一新し、プラスチック製ではなくレストラン料亭でみられるような陶器の物へとなった。

詳細はANA国際線サービスの変化およびCLUB ANAを参照。

  • プレミアムエコノミー
ファイル:ANA Premium Economy seat1.jpg
プレミアムエコノミーキャビン

2002年に「New Style」のサービスと同時に導入された。世界でもプレミアムエコノミーの導入例が少ない中での導入だった。現在では、ボーイング747-400・777-300ER・777-200ER(一部)・737-700・737-700ER(1機)型機に24~36席設置されている。主に、エコノミークラス普通運賃利用者や、マイレージ上級会員が対象となる。機内食はエコノミー同様だが、空港では優先チェックインやラウンジ利用、機内ではパソコン電源付きの大型シートやアメニティーのサービスが行われている。

  • エコノミークラス
    • キャセイパシフィック航空シンガポール航空同様に1990年後半からエコノミークラスにもシートテレビを搭載するようになった。現在ではボーイング777 (-200ER・-300ER) とボーイング747-400、ボーイング767-300ER等の国際線機材には全席シートテレビが搭載されている。更に2009年以降新造機のボーイング777-300ERやボーイング767-300ERにはシートテレビ (AVOD) だけでなく、パソコン電源・iPod接続端子・USB接続端子が全席に搭載されている[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。

詳細は、ANA国際線サービスの変化参照。

ボーイング787の導入

ローンチカスタマーとして発注したボーイング787を、2011年以降に世界で最初に導入する予定である。[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。ボーイング767-300/300ERの後継に位置づけられる機種だが、230席~250席規模で767より航続距離が長いので、現在767-300ERを投入しているアジアへ向けた路線だけでなく、767-300ERでは航続距離が足りない欧米線を787で新たに開設したり、777-200ER/300ERと平行してダブルデイリー化を進める見込みがある。 このうちボーイング787-3は元々国内線向け[16]だが、航続距離が5,000km以上あるため、国内線および短・中距離国際線の兼用になる公算が大きかったが、度重なる納入延期で開発も遅滞が続き全日空と日本航空共にボーイング787-8に発注を変更し、キャンセルとなった[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。。 なお2010年9月に15機を787-9に変更した。[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。

貨物・郵便

ANAカーゴ (ANA Cargo) は全日空グループの航空貨物サービスのブランドである。2007年6月現在、旅客便のベリースペース(床下貨物室)と6機の貨物専用機を合わせて、国内線は135路線に1日あたり937便を運航する(エアーセントラルは貨物搭載を行わない)。[17]国際線は28都市に週あたり704便を運航する[18]。貨物専用機はボーイング767-300ERFを4機保有し、[19]ABX Air社のボーイング767-200を2機ウェットリース利用している[20]

全日本空輸(ANA)グループ企業

業務提携航空会社

外部コードシェア便提携先航空会社

国内線

国際線

スターアライアンスに加盟している会社が多い。以下、※の付いている会社はスターアライアンスメンバー


過去に共同運航をしていた会社

事件・事故・トラブル関連

過去に全日空が起こした墜落事故や、全日空が遭遇したハイジャック事件、また経営幹部が起こした疑獄事件は下記のリンクを参照。

ロッキード L-1011 トライスターの導入が進んでいた1976年に行われたアメリカ上院における公聴会において、ロッキード副会長のアーチボルド・カール・コーチャンと元東京駐在事務所代表のジョン・ウイリアム・クラッターが、全日空がマクドネルダグラスDC-10の発注を取り消し、L-1011 トライスターを導入するように働きかけるために、日本においてロッキード社の裏の代理人的役割をしていた児玉誉士夫に対し、1972年10月に「(全日空へL-1011 トライスターを売り込むための)コンサルタント料」として21億円あまりを渡したこと、次いで児玉から、政商小佐野賢治やロッキード社の日本における販売代理店の丸紅などを通じ、当時の首相である田中角栄に対して5億円が密かに渡されたことを証言[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。した。

その後捜査が進められ、マクドネルダグラスDC-10型機の導入を進めた大庭社長を「M資金」に絡むスキャンダルを捏造しておい落した若狭社長と複数の全日空幹部[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。が、全日空から政界への贈賄工作を行ったとして逮捕された上に、政界工作の謝礼として、ロッキードから児玉や小佐野を通じて流れ込んだ5億円を受け取った容疑で田中元首相他多数の政財界人が逮捕され、さらに数人の不審死者や自殺者を出すなど、「ロッキード事件」や全日空疑獄と呼ばれる大疑獄事件となった。

映画・ドラマ

  • ハッピーフライト」(2008年秋公開の映画。実際の飛行機の貸し出し等の映画製作に全面協力・協賛)。
  • 花より男子F・ファイナル」(特別協賛。出演者全国行脚の際には同社の飛行機をチャーター)。
  • 「戦後最大の疑獄事件 ロッキード事件〜その真実とは〜」(2003年に、当時ロッキード事件の取材に当たった毎日新聞記者の目線からこの事件を描いたドキュメンタリードラマとして日本テレビにより制作され、同年12月29日に放送される予定だった。しかし、「編成戦略上の理由」として放送延期となり、それ以後現在に至るまで未放送となっている。この背景には、大広告主である全日空による圧力〈メインキャストの1人である長嶋一茂は、その後全日空の広告に出演している〉や、当時与党であった自由民主党による圧力が噂されている。
  • GOOD LUCK!!」(全日空のパイロットと整備員の恋愛を中心にしたTBSテレビドラマ)。
  • ルビコンの決断」(2010年8月19日に「日本の空を取り戻せ! 〜全日空創業 “民”の力を信じた飛行機野郎たち〜」としてドキュメンタリードラマを放送)。

関連項目

脚注

  1. ^ 読み方は、公式Webサイトの会社概要にも、会社四季報にも、「ぜんにっぽんくうゆ」と記載されている。
  2. ^ IATA発表の2007年の国内線の旅客キロ数では世界第10位 (Scheduled Passenger - Kilometres Flown)
  3. ^ 「日本におけるDC-3」
  4. ^ 第46回国会・運輸委員会・航空、海難、路面事故防止対策に関する小委員会 第3号 1964年6月17日 福本柳一取締役副社長の発言
  5. ^ 「1機当たりの整備員が、日航の51. 7人に対して全日空は14.4人しかいず」『田中角栄研究』P.119 立花隆著 1982年 講談社文庫
  6. ^ 第58回国会・予算委員会・第三分科会 第3号1968年4月12日
  7. ^ nifty辞書
  8. ^ 「国内大手2社 日本政策投資銀行が緊急融資を実行」2003年10月6日 読売新聞
  9. ^ 「日航と全日空に緊急融資、リストラ条件に…政策投資銀」2004年3月31日 読売新聞
  10. ^ Boeing Reschedules Initial 787 Deliveries and First Flight
  11. ^ Boeing Revises 787 First Flight and Delivery Plans; Adds Schedule Margin to Reduce Risk of Further Delays
  12. ^ “米ボーイング新中型旅客機「B787」 ANA、来年6月路線投入へ”. フジサンケイビジネスアイ. (2007年7月9日). http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200707090015a.nwc 
  13. ^ ATW AWARD WINNERS FROM 1974 TO PRESENT
  14. ^ a b c d e f g h i エアーニッポン (ANK) の機材・乗務員で運航。
  15. ^ a b c エアージャパンの機材・乗務員で運航
  16. ^ 世界でも全日空と日本航空のみが発注[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。しており、事実上日本国内線専用モデルである
  17. ^ http://www.ana.co.jp/cargo/index.html, 2007-01-13閲覧。
  18. ^ 2006年度には、国内線の貨物は30,574百万円、郵便は8,936百万円、国際線の貨物は62,915百万円、郵便3,438百万円の実績を残した
  19. ^ http://www.ana.co.jp/cp/index.html, 2009-01-13閲覧。
  20. ^ 月刊ANA Cargo 2007年10月号、http://www.ana.co.jp/cargo/information/bimonth/crg102007/pdf/cargo_no93.pdf, 2009-01-13閲覧。
  21. ^ ANAとコンチネンタル航空がコードシェアを開始 ANAプレスリリース・2010年3月16日
  22. ^ ANAとUSエアウェイズのコードシェア開始について ANAプレスリリース・2009年8月5日
  23. ^ ANAとスカンジナビア航空が、コードシェアを開始 ANAプレスリリース・2011年4月27日
  24. ^ ANAとエジプト航空がコードシェアを開始 ANAプレスリリース・2010年12月13日
  25. ^ ANAとヴァージンアトランティック航空コードシェア提携~2009年8月より、東京・ロンドン間のコードシェア運航開始~ ANAプレスリリース・2009年6月2日
  26. ^ ANA公式サイト・ANA歴史年表

外部リンク