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|標語 = «Завжди — перші!»<br/>(いつも最初!) |
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|主な戦歴 = [[ハンガリー動乱]]<br />[[プラハの春]]<br />[[アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)|アフガニスタン紛争]]<br />[[ナゴルノ・カラバフ戦争]]<br />[[イラク戦争]]<br />[[国際連合平和維持活動]]<br />[[ドンバス戦争]]<br />[[2022年ロシアのウクライナ侵攻|ロシアのウクライナ侵攻]] |
|主な戦歴 = [[ハンガリー動乱]]<br />[[プラハの春]]<br />[[アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)|アフガニスタン紛争]]<br />[[ナゴルノ・カラバフ戦争]]<br />[[イラク戦争]]<br />[[国際連合平和維持活動]]<br />[[ドンバス戦争]]<br />[[2022年ロシアのウクライナ侵攻|ロシアのウクライナ侵攻]] |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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=== ソ連空挺軍 === |
=== ソ連空挺軍 === |
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1955年 |
1955年5月3日、[[ロシア空挺軍|ソ連空挺軍]][[第7親衛空挺師団 (ロシア空挺軍)|第7親衛空挺師団]]隷下の'''第80親衛落下傘連隊'''として[[リトアニア・ソビエト社会主義共和国]](現[[リトアニア]])で創設された<ref name="UA">[https://web.archive.org/web/20160131185748/http://www.usva.org.ua/mambo3/index.php?option=com_content&task=view&id=2515 第80独立空挺連隊の歴史] ウクライナ空中機動軍</ref>。 |
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1956年11月、[[ハンガリー動乱]]に投入された<ref name="UA"/>。 |
1956年11月、[[ハンガリー動乱]]に投入された<ref name="UA"/>。 |
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1990年1月、[[ナゴルノ・カラバフ戦争]]に投入され、治安維持軍として[[ナゴルノ・カラバフ]]に駐留した<ref name="UA"/>。 |
1990年1月、[[ナゴルノ・カラバフ戦争]]に投入され、治安維持軍として[[ナゴルノ・カラバフ]]に駐留した<ref name="UA"/>。 |
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1990年6月、部隊 |
1990年6月、部隊解隊に伴い、'''第224空挺訓練センター'''に改編された。 |
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=== ウクライナ陸軍 === |
=== ウクライナ陸軍 === |
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1992年1月1日、[[ソビエト連邦の崩壊]]と[[ウクライナ]]の独立に伴い、創設された[[ウクライナ陸軍]]に編入した。 |
1992年1月1日、[[ソビエト連邦の崩壊]]と[[ウクライナ]]の独立に伴い、創設された[[ウクライナ陸軍]]に編入した。 |
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1995年11月1日、第224空挺訓練センター隷下の3個空中機動大隊を基幹に、'''第6独立空中機動旅団'''に改編 |
1995年11月1日、第224空挺訓練センター隷下の3個空中機動大隊を基幹に、'''第6独立空中機動旅団'''に改編された。 |
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1999年12月、部隊 |
1999年12月、部隊縮小に伴い、'''第80独立空中機動連隊'''に改編された<ref name="UA"/>。 |
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2004年12月、[[イラク戦争]]に派遣され、[[イラク駐留軍]]として[[イラク]]に駐留した<ref name="UA"/>。 |
2004年12月、[[イラク戦争]]に派遣され、[[イラク駐留軍]]として[[イラク]]に駐留した<ref name="UA"/>。 |
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2013年11月25日、部隊 |
2013年11月25日、部隊増強に伴い、'''第80独立空中機動旅団'''に改編された。 |
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=== ドンバス戦争 === |
=== ドンバス戦争 === |
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2015年8月24日、[[ペトロ・ポロシェンコ]]大統領から、[[軍旗]]を授与された。 |
2015年8月24日、[[ペトロ・ポロシェンコ]]大統領から、[[軍旗]]を授与された。 |
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2016年、新設された[[ウクライナ空中機動軍]]に編入され、戦車中隊を新編し、'''第80独立空中強襲旅団'''に改編 |
2016年、新設された[[ウクライナ空中機動軍]]に編入され、戦車中隊を新編し、'''第80独立空中強襲旅団'''に改編された。 |
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=== ロシアのウクライナ侵攻 === |
=== ロシアのウクライナ侵攻 === |
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==== 北部キーウ |
==== 北部・キーウ戦線 ==== |
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{{seealso|アントノフ国際空港の戦い|イルピンの戦い}} |
{{seealso|チェルノブイリの戦い|アントノフ国際空港の戦い|ホストメリの戦い|ブチャの戦い|イルピンの戦い}} |
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2022年2月24日、[[ベラルーシ]]と国境を接する北部[[キーウ州]][[チェルノブイリ]]に配備されていたが、団員がタバコを吸うため外出したときにロシア軍のロケット弾攻撃が始まり、[[2022年ロシアのウクライナ侵攻|ロシアのウクライナ侵攻]]は開戦した。ロシア軍の10個[[大隊戦術群]]がウクライナ領に侵入し、進軍を遅延させるためチェルノブイリとイヴァンキウを結ぶ橋を爆破して戦わずに撤退した。戦わなかった理由を問われ団員は「敵のことを知る必要があった。それでそうした」と述べた<ref>[https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-64755894 侵攻直後のロシア軍の大失態、なぜ起きたのか 56キロの車列が動けず] BBC</ref>。夕方には友軍と合同で[[ホストーメリ空港|アントノフ国際空港]]を解放して[[ブチャ地区]]を防御し、3月にロシア軍の進軍は停止([[キーウのロシア軍車列]])した<ref>[https://lb.ua/society/2023/02/24/546992_bitva_gostomel_yak_zaznav_krahu.html Битва за Гостомель. Як зазнав краху план російського бліцкригу] LB.ua</ref>。 |
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2022年2月24日から、[[2022年ロシアのウクライナ侵攻|ロシアのウクライナ侵攻]]では、北部[[キーウ州]]に配備され、4月上旬にロシア軍は[[キーウ州]]から撤退した<ref>{{Cite web |author=Carbonaro |first=Giulia |date=2022-05-12 |title=Ukrainian soldier reveals how he secretly blew up Russian bridge |url=https://www.newsweek.com/ukrainian-soldier-reveals-how-he-secretly-blew-russian-bridge-1706083 |access-date=2022-05-17 |website=Newsweek |language=en}}</ref>。 |
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==== 南部 |
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2022年3月、南部[[ムィコラーイウ州]]ボズネセンスクに配 |
2022年3月、南部[[ムィコラーイウ州]]ボズネセンスクに再配置され、迂回して[[ムィコラーイウ]]包囲を狙うロシア軍を撃退して3月中旬にロシア軍はボズネセンスクから撤退した<ref>{{cite news |last1=Trofimov |first1=Yaroslav |date=16 March 2022 |title=A Ukrainian Town Deals Russia One of the War's Most Decisive Routs |website=The Wall Street Journal |url=https://www.wsj.com/articles/ukraine-russia-voznesensk-town-battle-11647444734 |access-date=16 March 2022}}</ref>。 |
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==== 東部セベロドネツク |
==== 東部・セベロドネツク戦線 ==== |
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2022年5月、激戦地 |
2022年5月、激戦地の東部[[ルハーンシク州]][[セヴェロドネツィク地区]]に再配置され、7月上旬に[[リシチャンシク]]が陥落してロシア軍はルハーンシク州を全面占領した<ref>{{Cite web |author=Carbonaro |first=Giulia |date=2022-05-12 |title=Ukrainian soldier reveals how he secretly blew up Russian bridge |url=https://www.newsweek.com/ukrainian-soldier-reveals-how-he-secretly-blew-russian-bridge-1706083 |access-date=2022-05-17 |website=Newsweek |language=en}}</ref><ref>[https://vikna.tv/istorii/rozpovidi/dmytro-koczyubajlo-zagynuv-pid-bahmutom-shho-vidomo/ Я на війні з 18 років: історія військового Да Вінчі, який брав участь у звільненні Балаклії] ヴィクナTV</ref>。 |
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2022年6月28日、[[ウォロディミル・ゼレンスキー]]大統領から、[[勇気と勇敢さに対する栄誉賞]]を授与された<ref>[https://www.president.gov.ua/documents/4502022-43053 ウクライナ大統領令 No. 450/2022] ウクライナ大統領府</ref>。 |
2022年6月28日、[[ウォロディミル・ゼレンスキー]]大統領から、[[勇気と勇敢さに対する栄誉賞]]を授与された<ref>[https://www.president.gov.ua/documents/4502022-43053 ウクライナ大統領令 No. 450/2022] ウクライナ大統領府</ref>。 |
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2022年9月上旬、[[第25独立空挺旅団 (ウクライナ空中機動軍)|第25独立空挺旅団]]、[[第92独立機械化旅団 (ウクライナ陸軍)|第92独立機械化旅団]]と合同 |
2022年9月上旬、北東部[[ハルキウ州]][[イジューム]]地区に再配置され、[[第25独立空挺旅団 (ウクライナ空中機動軍)|第25独立空挺旅団]]、[[第92独立機械化旅団 (ウクライナ陸軍)|第92独立機械化旅団]]と合同で攻勢を開始し、ハルキウ州の大部分を解放した<ref>[https://militaryland.net/news/invasion-day-196-summary/ 侵略196日目 – まとめ] ミリタリー・ランド</ref><ref>[https://lb.ua/society/2022/09/14/529296_ukrainskiy_nastup_shcho_stalosya.html Український наступ. Що сталося на Слобожанщині?] LB.ua</ref><ref>[https://www.cnn.co.jp/world/35193092.html ウクライナ軍、北東部ハルキウ州で30超の集落を掌握 ゼレンスキー氏] CNN</ref>。 |
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==== 東部 |
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2022年9月上旬、1個空中強襲大隊が東部[[ドネツィク州]][[バフムート]]地区[[シヴェルシク]] |
2022年9月上旬、1個空中強襲大隊が東部[[ドネツィク州]][[バフムート]]地区に配備され、ロシア軍の攻勢を[[シヴェルシク]]で撃退した<ref>[https://militaryland.net/news/invasion-day-196-summary/ 侵攻196日目 – まとめ] ミリタリー・ランド</ref>。 |
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2023年2月、全隊が東部ドネツィク州バフムート地区に再配置され、旅団が補給拠点のチャシウ・ヤール、第57独立歩兵大隊はバフムート郊外のイヴァニウスケ(バフムート・フロマーダ)に配置されて後方連絡線を防御した<ref>[https://militaryland.net/news/invasion-day-368/ 侵攻368日目 – まとめ] ミリタリー・ランド</ref><ref>[https://molbuk.ua/chernovtsy_news/285165-vybyly-rosiiskykh-soldativ-iz-posadok-na-trasi-80-ta-brygada-u-iakii-bagato-bukovynciv-dopomogla-z-uspishnym-nastupom-na-bakhmutskomu-napriamku.html Відкинули ворога від "дороги життя": 80-та бригада, в якій багато буковинців, громить окупантів під Бахмутом] チェルニウツィー州公式サイト</ref>。激戦地となっており第3大隊戦術群のアンドリー・ルカニウク大隊長が戦死した<ref>[https://www.facebook.com/80brigade/posts/567843175378220/ ポスト] 第80独立空中強襲旅団 Facebook</ref>。 |
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==== 東部バフムートの戦い ==== |
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⚫ | 2023年3月、第3大隊戦術群({{仮リンク|第87独立空中機動大隊 (ウクライナ空中機動軍)|label=第87独立空中機動大隊|uk|87-й окремий аеромобільний батальйон (Україна)}})を基幹に、[[第82独立空中強襲旅団 (ウクライナ空中機動軍)|第82独立空中強襲旅団]]が創設された<ref>[https://militaryland.net/ukraine/air-assault-forces/82nd-airassault-brigade/ 第82独立空中強襲旅団] ミリタリー・ランド</ref>。 |
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2023年3月、東部[[ドネツィク州]][[バフムート]]に配備されている<ref>[https://jp.reuters.com/video/watch/idOWjpvC6DHYCZ8PNWT03CXF1I5SU5CVK ポーランドがウクライナにミグ戦闘機を供与へ] ロイター</ref>。 |
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2023年7月下旬、[[第5独立強襲旅団 (ウクライナ陸軍)|第5独立強襲旅団]]、[[リュート旅団]]と合同で攻勢を開始し、クリシチウカ(バフムート・フロマーダ)を解放した<ref>[https://militaryland.net/news/invasion-day-574-summary/ 侵攻574日目 – まとめ] ミリタリー・ランド</ref><ref>[https://jp.reuters.com/world/ukraine/P3F5HUK4HBO3JNZ7XXZFYV3ZKU-2023-09-18/ ウクライナ軍、バフムト近郊の村また奪還 ゼレンスキー氏称賛] ロイター</ref>。 |
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2023年11月21日、[[ウォロディミル・ゼレンスキー]]大統領から、名誉称号「[[ガリツィア]]」を授与された<ref>[https://www.president.gov.ua/news/desantno-shturmovi-vijska-ce-horobrist-yaka-vplivaye-na-vsyu-87197 Десантно-штурмові війська – це хоробрість, яка впливає на всю битву заради нашої незалежності – Володимир Зеленський на урочистостях до Дня ДШВ] ウクライナ大統領府</ref>。 |
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== 編制 == |
== 編制 == |
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* [[File:80_ОДШБр_к.svg|25px]] 旅団司令部([[リヴィウ]]) |
* [[File:80_ОДШБр_к.svg|25px]] 旅団司令部([[リヴィウ]]) |
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* [[File:НЗ_ВДВ_Р.svg|25px]] 第1空中強襲大隊 |
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* [[File: |
* [[File:НЗ_ВДВ_Р.svg|25px]] 第2空中強襲大隊 |
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* [[File:НЗ_ВДВ_Р.svg|25px]] 第4空中強襲大隊 |
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* [[File:НЗ_РВтА_СВ.svg|25px]] 旅団砲兵群 |
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** 指揮情報中隊 |
** 指揮情報中隊 |
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** 自走砲大隊 |
** 自走砲大隊 |
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** 榴弾砲大隊 |
** 榴弾砲大隊 |
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** ロケット砲大隊 |
** ロケット砲大隊 |
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* [[File: |
* [[File:НЗ ППО СВ.svg|25px]] 対空ミサイル大隊 |
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* [[File: |
* [[File:НЗ_ТВ_СВ.svg|25px]] 戦車中隊 |
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* [[File:80_ОДШБр_к.svg|25px]] 偵察中隊 |
* [[File:80_ОДШБр_к.svg|25px]] 偵察中隊 |
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* [[File: |
* [[File:НЗ_ІВ.svg|25px]] 工兵中隊 |
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* [[File:80_ОДШБр_к.svg|25px]] 化学防護中隊 |
* [[File:80_ОДШБр_к.svg|25px]] 化学防護中隊 |
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* [[File:80_ОДШБр_к.svg|25px]] 着陸支援中隊 |
* [[File:80_ОДШБр_к.svg|25px]] 着陸支援中隊 |
2023年12月22日 (金) 12:08時点における版
第80独立空中強襲旅団 | |
---|---|
創設 | 1955年5月3日 |
所属政体 |
ソビエト連邦 → ウクライナ |
所属組織 | ウクライナ空中機動軍 |
部隊編制単位 | 旅団 |
兵科 |
空挺兵 機械化歩兵 |
兵種/任務 | 空中強襲作戦 |
所在地 | リヴィウ州リヴィウ |
愛称 | ガリツィア |
標語 |
«Завжди — перші!» (いつも最初!) |
上級単位 | 空中機動軍司令部 |
戦歴 |
ハンガリー動乱 プラハの春 アフガニスタン紛争 ナゴルノ・カラバフ戦争 イラク戦争 国際連合平和維持活動 ドンバス戦争 ロシアのウクライナ侵攻 |
指揮官 | イホール・スカイビュク大佐 |
第80独立空中強襲旅団(だい80どくりつくうちゅうきょうしゅうりょだん、ウクライナ語: 80-та окрема десантно-штурмова бригада)は、ウクライナ空中機動軍の旅団。空中機動軍司令部隷下。
概要
ソ連空挺軍
1955年5月3日、ソ連空挺軍第7親衛空挺師団隷下の第80親衛落下傘連隊としてリトアニア・ソビエト社会主義共和国(現リトアニア)で創設された[1]。
1960年、アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国(現アゼルバイジャン)に移駐した[1]。
1968年8月、プラハの春に投入された。
1979年11月、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国(現ウクライナ)リヴィウ州に移駐し、部隊の増強に伴い、第39独立空中強襲旅団に改編した[1][3]。
1986年4月、チェルノブイリ原子力発電所事故に災害派遣された[1]。
1990年1月、ナゴルノ・カラバフ戦争に投入され、治安維持軍としてナゴルノ・カラバフに駐留した[1]。
1990年6月、部隊解隊に伴い、第224空挺訓練センターに改編された。
ウクライナ陸軍
1992年1月1日、ソビエト連邦の崩壊とウクライナの独立に伴い、創設されたウクライナ陸軍に編入した。
1995年11月1日、第224空挺訓練センター隷下の3個空中機動大隊を基幹に、第6独立空中機動旅団に改編された。
1999年12月、部隊縮小に伴い、第80独立空中機動連隊に改編された[1]。
2004年12月、イラク戦争に派遣され、イラク駐留軍としてイラクに駐留した[1]。
2013年11月25日、部隊増強に伴い、第80独立空中機動旅団に改編された。
ドンバス戦争
2014年4月から、ドンバス戦争に投入され、東部ドネツィク州、ルハーンシク州の前線に配置された。
2015年8月24日、ペトロ・ポロシェンコ大統領から、軍旗を授与された。
2016年、新設されたウクライナ空中機動軍に編入され、戦車中隊を新編し、第80独立空中強襲旅団に改編された。
ロシアのウクライナ侵攻
北部・キーウ戦線
2022年2月24日、ベラルーシと国境を接する北部キーウ州チェルノブイリに配備されていたが、団員がタバコを吸うため外出したときにロシア軍のロケット弾攻撃が始まり、ロシアのウクライナ侵攻は開戦した。ロシア軍の10個大隊戦術群がウクライナ領に侵入し、進軍を遅延させるためチェルノブイリとイヴァンキウを結ぶ橋を爆破して戦わずに撤退した。戦わなかった理由を問われ団員は「敵のことを知る必要があった。それでそうした」と述べた[4]。夕方には友軍と合同でアントノフ国際空港を解放してブチャ地区を防御し、3月にロシア軍の進軍は停止(キーウのロシア軍車列)した[5]。
南部・ムィコラーイウ戦線
2022年3月、南部ムィコラーイウ州ボズネセンスクに再配置され、迂回してムィコラーイウ包囲を狙うロシア軍を撃退して3月中旬にロシア軍はボズネセンスクから撤退した[6]。
東部・セベロドネツク戦線
2022年5月、激戦地の東部ルハーンシク州セヴェロドネツィク地区に再配置され、7月上旬にリシチャンシクが陥落してロシア軍はルハーンシク州を全面占領した[7][8]。
2022年6月28日、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領から、勇気と勇敢さに対する栄誉賞を授与された[9]。
北東部・イジューム戦線
2022年9月上旬、北東部ハルキウ州イジューム地区に再配置され、第25独立空挺旅団、第92独立機械化旅団と合同で攻勢を開始し、ハルキウ州の大部分を解放した[10][11][12]。
東部・バフムート戦線
2022年9月上旬、1個空中強襲大隊が東部ドネツィク州バフムート地区に配備され、ロシア軍の攻勢をシヴェルシクで撃退した[13]。
2023年2月、全隊が東部ドネツィク州バフムート地区に再配置され、旅団が補給拠点のチャシウ・ヤール、第57独立歩兵大隊はバフムート郊外のイヴァニウスケ(バフムート・フロマーダ)に配置されて後方連絡線を防御した[14][15]。激戦地となっており第3大隊戦術群のアンドリー・ルカニウク大隊長が戦死した[16]。
2023年3月、第3大隊戦術群(第87独立空中機動大隊)を基幹に、第82独立空中強襲旅団が創設された[17]。
2023年7月下旬、第5独立強襲旅団、リュート旅団と合同で攻勢を開始し、クリシチウカ(バフムート・フロマーダ)を解放した[18][19]。
2023年11月21日、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領から、名誉称号「ガリツィア」を授与された[20]。
編制
- 旅団司令部(リヴィウ)
- 第1空中強襲大隊
- 第2空中強襲大隊
- 第57独立歩兵大隊
- 第4空中強襲大隊
- 旅団砲兵群
- 指揮情報中隊
- 自走砲大隊
- 榴弾砲大隊
- ロケット砲大隊
- 対空ミサイル大隊
- 戦車中隊
- 偵察中隊
- 工兵中隊
- 化学防護中隊
- 着陸支援中隊
- 整備中隊
- 補給中隊
- 衛生中隊
- 通信中隊
- 狙撃小隊
ギャラリー
出典
- ^ a b c d e f g h i 第80独立空挺連隊の歴史 ウクライナ空中機動軍
- ^ 第80親衛落下傘連隊 The Luftwaffe, 1933-45
- ^ 第39独立空中強襲旅団 The Luftwaffe, 1933-45
- ^ 侵攻直後のロシア軍の大失態、なぜ起きたのか 56キロの車列が動けず BBC
- ^ Битва за Гостомель. Як зазнав краху план російського бліцкригу LB.ua
- ^ Trofimov, Yaroslav (16 March 2022). “A Ukrainian Town Deals Russia One of the War's Most Decisive Routs” 16 March 2022閲覧。
- ^ Carbonaro (2022年5月12日). “Ukrainian soldier reveals how he secretly blew up Russian bridge” (英語). Newsweek. 2022年5月17日閲覧。
- ^ Я на війні з 18 років: історія військового Да Вінчі, який брав участь у звільненні Балаклії ヴィクナTV
- ^ ウクライナ大統領令 No. 450/2022 ウクライナ大統領府
- ^ 侵略196日目 – まとめ ミリタリー・ランド
- ^ Український наступ. Що сталося на Слобожанщині? LB.ua
- ^ ウクライナ軍、北東部ハルキウ州で30超の集落を掌握 ゼレンスキー氏 CNN
- ^ 侵攻196日目 – まとめ ミリタリー・ランド
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