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美術モデル

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1915年アメリカ製のサイレント映画『Inspiration (en)』の1シーン/左が、美術モデルで女優のオードリー・マンソン絵画モデルを務めている。

美術モデル(びじゅつモデル、: art model)とは、美術作品に資するための人体モデルである。絵画彫刻版画素描、クロッキーなど、あらゆるタイプの作品のモデルを含む。

概要

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アルベルト・バルガスによるモデル、オリーヴ・トーマスの肖像(1920年)

美術モデルは、デッサン[1]モデル、クロッキー[2]モデルなどと分類されることがある。美術モデルから彫刻のモデルなどを除いた際には、絵画モデルと呼ぶ。日本の美術モデルは、20分間ポーズをとり、5~10分間の休憩を挟むのが一般的である。20分間のポーズを6回とし、ポーズと休憩の合計時間は2~3時間で仕事を行うことが多い。「立ちポーズ」「座りポーズ」「寝ポーズ」といった「基本的ポーズ」をとる。(仮に20分間のポーズの仕事と5~10分間の休憩を合わせたものを「1ターン」と呼ぶ)何ターンでも同じポーズをとりつづける場合と、毎ターン違うポーズをとる場合がある。前者は「固定ポーズ」、後者は「クロッキー」と呼ばれることが多い。クロッキーの場合は短時間でモチーフの形状をつかむことを主眼に行われる為、順次ポーズを変えることもしばしば行われる。その他に、静止せずにずっと動き続けている、「ムービング」と呼ばれるものもある。美術史上の有名なモデルには、モンパルナスのキキ、オードリー・マンソンらがいる。

美術モデルとして求められる重要なことはポーズ中は動かないこととされている。固定ポーズの場合は、休憩をはさんでも同じポーズを取らなければならない。また、制作者からの要望に応じて臨機応変に、的確にポーズが取れるモデルが優れたモデルとされる。とはいえ、ポーズはモデルに任せられることも多い。画学生や画家の要望に応じ、ポージングしていく能力があれば、さらに評価が高くなる。最初はうまくポーズがとれないモデルでも、たいていは経験を積むにつれ制作者が一般的に望むポーズというものが理解できるようになり、経験し記憶に残ったポーズをまるで「引き出し」から出すように、自発的にとれるように大抵の人はなる。モデルの中には既存の美術書を見てポーズのとりかたを勉強する人もいる。

美術モデルとは、「芸術の分野に於ける創作活動に従事するモデル」であり、芸能関係やファッション関係のモデルとは異なる職業である。外国の例についていえば、熱心なキリスト教徒の場合、ヌードを嫌い着衣モデルを起用することもあるが、裸体がアートの基礎であると考えるクリスチャンは、ヌード・モデルを起用することもある。[3]


美術解剖学モデルの場合、長時間の勤務となり、男女両方のモデルが少数存在する。女性モデルの身体は、筋肉の上の脂肪の層が厚く曲線に満ちていて男性モデルを描くのとは別の難しさがある。身体の表面の陰影も明らかに男性モデルとは異なっている。男性モデルの身体は、骨格や筋肉の描写を習得するのに適している。美術学生は、男性・女性の両方、さまざまな体型・年齢のモデルを描き、その違いを知ることができれば、意義ある学習となる。

ポージング

ポーズをとることをポージングと言う。 一般論を言うと、まずモデルは講師などの大まかな指示に従いポーズをとり、その次に姿勢の微修正の要望などが講師や生徒などから出るなどして少し試行錯誤が入ることがあるが、ポーズに関して「OK」を出され各制作者が描き始めたら、もう動いてはならず、一定のポーズを約20分間とり続けなければならない。

美術モデルの事務所として、美術モデルの雇用及び派遣のみを専門に行う事務所の他、美術モデルの雇用及び派遣を事業の一環として行う芸能事務所や美術団体が存在する。美術モデルの雇用形態は、事務所に所属していないフリーモデル、事務所に所属している所属モデル、特定の学校や団体のみで美術モデルの仕事を行う専属モデルがいる。

美術モデルには、芸術家又は芸術関連の仕事に従事しながら美術モデルを兼ねている者、ダンサーなど他ジャンルのモデルが美術モデルを兼ねている者、主婦や学生がアルバイトで美術モデルを行う者、美術モデルの仕事だけを専業として行う者がいる。衣服を着ない仕事のみを行う美術モデルは「ヌードモデル又は裸婦モデル」に分類され、衣服を着た仕事のみを行う美術モデルはコスチュームモデル又は「着衣モデル」に分類されるが、裸婦・着衣両方の仕事を行う美術モデルも存在する。

歴史

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モデルのポストカード Carl Larsson (1906)英語版より
テルアビブでの彫刻学習, 1946.英語版より

ルーブル美術館の入館案内書の記述によれば、美術モデルは紀元前からその存在は確認されているとあり、モデルと呼ばれるものの中では最古の存在であるとの説もある。

日本

日本では、江戸時代の浮世絵春画にも裸婦像がみられる。春画の場合、上半身には着物を着ている場合も多い。

明治時代1889年東京美術学校が開校し、1896年には黒田清輝の帰国により西洋画科を設置した。ヌード・モデルを必要としたが、モデルの女性がなかなか見つからなかったが学校に勤めていた女性が、私ではいかがでしょう?と申し出て、美術学校初のヌード・モデル・デッサンが実現した[4]。宮崎菊という女性が裸婦モデルをしたのが最初とされ、彼女はその後「宮崎モデル屋」を開設し、運営したという[5]。日本では、明治時代には芸用モデルなどとも呼ばれた。

美術界では衣服を着用していない女性を裸婦と言う。尚、洋画家・黒田清輝は「裸婦デッサンは絵画制作の基本である」と述べた。
ギュスターヴ・クールベ『画家のアトリエ』/1854-1855年。オルセー美術館所蔵。
男性美術モデル(中央上部:19世紀・フランス)
制作者側から見た手配

モデルを確保するのは大都市部の美術系大学や絵画教室では比較的容易である。だがそれ以外の地方都市ではかなり困難である(心理的な抵抗を感じる人々が多い)。中高年のモデル希望者も減っており、標準体型か痩せ型の若いモデルが増加している。

需要のある場所、種類別の需要

モデルの需要としては、現在ではモデルを使用するのが絵画系の美大や絵画教室だけでなく、デザイン系、マンガ系、服飾系など様々な学校から個人的なサークル、事業所まである。ヌードモデルから、民族衣装・バレエ衣装などの舞踊衣装・職業制服・ドレス・平服(カジュアルな服装)等の様々な衣装を着用する着衣モデルまで、業務内容も多様である。

プロの美術モデルの場合は、ヌードモデルのみを専門にしているモデルも、着衣モデルのみを専門にしているモデルも存在している。女性ヌードモデルの需要が圧倒的に多い。着衣のモデルの場合、自前の民族衣装やバレエの衣装を用いることも多い。男性モデルの需要はきわめて少なく、女性モデルの需要が圧倒的に大きい。学校によっては女性モデルしか使用しないが、男性を雇用する施設もあり、要は講師の考え方しだいである。

報酬額

美術モデルの謝礼報酬は、大都市部の裸婦モデルで1時間3,000円、地方で1時間2,500円に交通費を加えた額を支払う場合が多い。美術モデル事務所等に所属している美術モデルの場合には、各々の事務所規定の報酬となる。

ルール、暗黙のルール

クロッキー会や絵画教室、美術大学では、裸婦モデルがポーズ中は室内へ入らないことがルールである。エチケットを守って、裸婦モデルに気持ち良く仕事をしてもらうことを心掛けたい。また、ヌードモデル・着衣モデルに関わらず、モデルへのプライベートな質問をしない、というのが暗黙の了解である。

主な美術モデル

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アリス・プランオードリー・マンソンオリーヴ・トーマスらが特に有名である。生年、没年は不要。モデルのリストが必要な研究者は、

。著名な美術モデルとしては、オードリー・マンソン[6]やモンパルナスのキキ[注 1]などがいた。オードリー・マンソンは美術モデルの他に女優や作家も兼業していた。オードリーは1915年11月18日公開のアメリカサイレント映画『Inspiration (en)』で、映像作品で初めてヌードになった女優とも言われている[6]

脚注

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注釈

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  1. ^ キキは美術モデルだけでなく、女優、歌手としても活動した。

出典

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参考文献

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  • 若林利重、藤田恒夫『裸婦ポーズ集―Let’sダ・ヴィンチ』六耀社、2002年10月1日。OCLC 166705955 ISBN 4-89737-449-9ISBN 978-4-89737-449-9

推薦書

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英語で書かれた書籍

関連項目

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外部リンク

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