リック・カーライル
リチャード・プレストン・カーライル (Richard Preston Carlisle、通称:リック・カーライル、Rick Carlisle 1959年10月27日 - )はアメリカ合衆国ニューヨーク州オグデンズバーグ出身のバスケットボール指導者である。現在はNBAのインディアナ・ペイサーズのヘッドコーチ。
選手時代
大学
メイン大学で2年間過ごした後、ヴァージニア大学に転校しキャプテンのひとりとしてチームをNCAAベスト4まで進出させた。
NBA
1986年卒業し、ラリー・バードを擁するボストン・セルティックスにドラフト指名され入団。その年のNBAチャンピオンシップを獲得するが、カーライル自身はあまり活躍できず、1試合平均2.2得点、1.0アシスト、0.8リバウンドに留まり、1年で放出させられてしまう。1987年にニューヨーク・ニックスで2年間過ごした後、ビル・フィッチ、チャック・デイリーのもとニュージャージー・ネッツで5年間プレーした。
コーチキャリア
1994年にポートランド・トレイルブレイザーズのP・J・カーリシモのもとアシスタントコーチとしてコーチキャリアをスタートさせ、1997年に元チームメイトであったラリー・バードのアシスタントコーチとしてインディアナ・ペイサーズに加わった。その年のペイサーズはチーム史上最多の58勝を挙げ、カーライルはオフェンシブ・コーディネーターとしてチームが躍進した要因となった。翌年の2000年、ペイサーズは初めてNBAファイナルに進出。しかしロサンゼルス・レイカーズに2-4で敗れた。その年ラリー・バードは辞任し後継者としてカーライルを選ぶようチームに要請したが、チームはCBAのオーナーであったアイザイア・トーマスをヘッドコーチに任命した。
2001年、カーライルはヘッドコーチとしてデトロイト・ピストンズに迎え入れられる。ピストンズを2年連続でプレイオフ出場に導き、2001-2002シーズンのNBA最優秀コーチ賞に選ばれた。しかしピストンズは、カーライルとの契約があと1年残っているにも関わらずカーライルを解雇し、新たにラリー・ブラウンと契約してしまう。
ピストンズを追い出されたカーライルは、2004年にアイザイア・トーマスが抜けたペイサーズとヘッドコーチとして契約する。その年のペイサーズは全リーグ中レギュラーシーズン最高記録の61勝21敗(.744)を記録。イースタン・カンファレンス決勝に導いたが、前年まで指揮を執っていたピストンズに敗れてしまった。
2005年ペイサーズは11月19日に起こったザ・パレス・オブ・オーバンヒルズでの騒乱(詳細はロン・アーテスト#パレスでの騒乱を参照)で主力選手のアーテスト、レジー・ミラー、ジャーメイン・オニール、スティーブン・ジャクソン、アンソニー・ジョンソン、デヴィッド・ハリソンを欠いてしまう。さらにオニールとジャマール・ティンズリーが怪我を負いまともに戦える状態ではなかった。それでもなんとか第6シードとしてプレイオフに進出し1回戦でセルティックスに勝利。しかしカンファレンス準決勝でまたもピストンズに敗れてしまった。