長岡市
ながおかし 長岡市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 |
中部地方、北陸地方 甲信越地方 | ||||
都道府県 | 新潟県 | ||||
市町村コード | 15202-1 | ||||
法人番号 | 7000020152021 | ||||
面積 |
891.05km2 (境界未定部分あり) | ||||
総人口 |
255,833人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 287人/km2 | ||||
隣接自治体 |
新潟市、燕市、三条市、見附市、 魚沼市、小千谷市、十日町市、柏崎市、 佐渡市、三島郡出雲崎町、 刈羽郡刈羽村、西蒲原郡弥彦村 | ||||
市の木 | ケヤキ | ||||
市の花 | ツツジ | ||||
市の魚 | 錦鯉 | ||||
長岡市役所 | |||||
市長 | 磯田達伸 | ||||
所在地 |
〒940-8501 新潟県長岡市大手通1丁目4番地10 北緯37度26分46.3秒 東経138度51分4.5秒 / 北緯37.446194度 東経138.851250度座標: 北緯37度26分46.3秒 東経138度51分4.5秒 / 北緯37.446194度 東経138.851250度 | ||||
外部リンク | 長岡市 | ||||
ウィキプロジェクト |
長岡市(ながおかし)は、新潟県の中部(中越地方)に位置する市である。新潟県下第2位の人口を擁する市で、国から特例市に指定されている。
概要
長岡地方中核都市圏を形成する、中越地方および長岡都市圏の中心都市である。都市圏人口としては栃木県の小山市中核都市圏に次いで全国39位に位置する。
従来の長岡市は内陸の都市であったが、平成の市町村大合併以降、日本海に面する都市となった。かつての古志郡、三島郡の大部分を占める他、蒲原郡、魚沼郡、刈羽郡の一部にも跨る市域を持つ。
江戸時代には長岡藩の城下町として栄えた。戊辰戦争と第二次世界大戦(長岡空襲)の二度にわたって市街は壊滅的被害を受けるが、不撓不屈の精神により復興を遂げ、現在に至る。それに因み、市の紋章は不死鳥をイメージして、「長」の文字を図案化したものになっている。参考
花火王国として有名であり、市の中心を流れる信濃川では、毎年8月1~3日に長岡まつり(うち大花火大会は2、3日)が開かれ、正三尺玉花火も上がる。また2005年(平成17年)の長岡まつりでは、市民などからの協賛金を募って、新潟県中越地震からの復興祈願花火「フェニックス」を打ち上げ喝采を浴びた。この「フェニックス」は、同年10月23日の中越地震からの「復興の集い」や年末年始のカウントダウンイベントでも打ち上げられ、長岡を象徴する花火になった。この花火は、翌年以降の長岡まつりでも継続して打ち上げられている。
地理
上越新幹線で東京から約80分、関越自動車道で東京から約3時間の位置にあり、特に経済面において関東地方との結びつきが強い。
南北に信濃川が縦断し、川の両岸に市街地が発展している。
元来の長岡市は内陸の都市であったが、平成の市町村大合併以降、日本海に面する自治体となっている。
気象
長岡(1981年 - 2010年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 15.0 (59) |
18.9 (66) |
23.3 (73.9) |
30.4 (86.7) |
32.8 (91) |
34.3 (93.7) |
38.3 (100.9) |
39.3 (102.7) |
38.3 (100.9) |
32.1 (89.8) |
26.5 (79.7) |
19.2 (66.6) |
39.3 (102.7) |
平均最高気温 °C (°F) | 4.3 (39.7) |
4.7 (40.5) |
8.7 (47.7) |
16.4 (61.5) |
21.6 (70.9) |
25.3 (77.5) |
28.6 (83.5) |
30.8 (87.4) |
26.2 (79.2) |
20.1 (68.2) |
13.7 (56.7) |
7.7 (45.9) |
17.3 (63.1) |
平均最低気温 °C (°F) | −1.2 (29.8) |
−1.4 (29.5) |
0.7 (33.3) |
5.8 (42.4) |
11.6 (52.9) |
16.6 (61.9) |
20.7 (69.3) |
22.1 (71.8) |
17.9 (64.2) |
11.4 (52.5) |
5.6 (42.1) |
1.3 (34.3) |
9.3 (48.7) |
最低気温記録 °C (°F) | −9.7 (14.5) |
−11.8 (10.8) |
−6.3 (20.7) |
−2.8 (27) |
2.9 (37.2) |
9.0 (48.2) |
13.0 (55.4) |
14.1 (57.4) |
8.1 (46.6) |
2.5 (36.5) |
−1.9 (28.6) |
−8.4 (16.9) |
−11.8 (10.8) |
降水量 mm (inch) | 299.7 (11.799) |
168.8 (6.646) |
144.4 (5.685) |
96.8 (3.811) |
109.0 (4.291) |
132.2 (5.205) |
225.5 (8.878) |
148.4 (5.843) |
173.8 (6.843) |
194.5 (7.657) |
291.7 (11.484) |
340.1 (13.39) |
2,324.8 (91.528) |
降雪量 cm (inch) | 236 (92.9) |
189 (74.4) |
80 (31.5) |
4 (1.6) |
- | - | - | - | - | - | 2 (0.8) |
89 (35) |
595 (234.3) |
出典1:気象庁 | |||||||||||||
出典2:観測史上1 - 10位の値(年間を通じての値) |
世界的に見ても珍しい程の豪雪地帯であり、1981年(昭和56年)1月21日の212cmなど過去に記録的な豪雪を何度も経験している。近年は暖冬化により積雪は減少しており、2mを超える積雪は1986年(昭和61年)2月9日に記録された206㎝が最後であるが、2012年(平成24年)2月10日には久々に170cmの豪雪を記録した。市街には雁木(がんぎ)が整備されているほか、市では「無雪都市」を宣言し、長岡駅前大手通り(旧国道8号等)には、雁木を改造した大規模なアーケードが設置されている。また、道路には地下水源を利用した消雪パイプが設置され、国道・県道・市道や公共施設の敷地内に至るまで広い範囲で散水消雪を行っている。なお、寺泊地域や和島地域は、海岸部または海岸に近いため比較的積雪が少ない。
地理的に、大部分が盆地で占められており、冬は寒く、夏は暑い傾向がある。信濃川流域には遮蔽物が少なく、夏ごろは突風が吹くことがある。
隣接している自治体・行政区
※北から東回りに
※この他、佐渡市とは海を隔てて接しており、航路により結ばれている。
人口
長岡市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
行政
- 長岡市役所
- 支所
- 小国支所
- 越路支所
- 寺泊支所
- 栃尾支所
- 中之島支所
- 三島支所
- 山古志支所
- 与板支所
- 和島支所
- 川口支所
2000年代から進められた周辺市町村の編入合併により、市域が拡大。編入市域の行政区域には合併前の市町村名を冠して「○○地域」と称している(例:山古志地域、寺泊地域など)。旧市域もこれに合わせ「長岡地域」としているが、特に信濃川右岸側は「川東地域」、左岸側は「川西地域」と称している。
2007年(平成19年)4月1日に特例市に移行し、国や県からの権限移譲が行われた。更に今後、周辺市町村との合併によって中核市への移行をも視野に入れている。
歴代市長
氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
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牧野忠篤 | 1906年8月29日 | 1908年5月22日 |
河島良温 | 1908年6月23日 | 1919年7月10日 |
豊島愿 | 1919年8月7日 | 1926年11月16日 |
岩田衛 | 1927年1月28日 | 1929年10月26日 |
木村清三郎 | 1929年12月26日 | 1937年12月25日 |
松田耕平 | 1938年3月17日 | 1944年7月31日 |
鶴田義隆 | 1944年10月12日 | 1945年8月1日 |
田村文吉 | 1945年9月29日 | 1947年3月31日 |
松田弘俊 | 1947年4月9日 | 1951年4月4日 |
1951年4月28日 | 1955年1月3日 | |
内山由蔵 | 1955年1月25日 | 1959年1月21日 |
1959年1月22日 | 1962年12月2日 | |
上村清五郎 | 1962年12月21日 | 1966年11月25日 |
小林孝平 | 1966年11月26日 | 1970年11月25日 |
1970年11月26日 | 1974年11月25日 | |
1974年11月26日 | 1978年11月25日 | |
1978年11月26日 | 1982年11月25日 | |
1982年11月26日 | 1984年5月31日 | |
日浦晴三郎 | 1984年6月11日 | 1988年6月9日 |
1988年6月10日 | 1992年6月9日 | |
1992年6月10日 | 1996年6月9日 | |
1996年6月10日 | 1999年10月20日 | |
森民夫 | 1999年11月22日 | 2003年11月20日 |
2003年11月21日 | 2007年11月20日 | |
2007年11月21日 | 2011年11月20日 | |
2011年11月21日 | 2015年11月20日 | |
2015年11月21日 | 現職 |
立法
市議会
会派名 | 議員数 |
---|---|
市民クラブ | 16 |
しん長岡クラブ | 5 |
日本共産党長岡市議会議員団 | 4 |
民成クラブ | 3 |
長岡市公明党 | 3 |
無所属 | 3 |
新潟県議会(長岡市・三島郡選挙区)
- 定数:6名
- 任期:2015年(平成27年)4月30日~2019年(平成31年)4月29日
議員名 | 会派名 | 備考 |
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星野伊佐夫 | 自由民主党 | |
柄沢正三 | 自由民主党 | |
安沢峰子 | 公明党 | |
長部登 | 社会民主党県民連合 | |
西川洋吉 | 自由民主党 | |
佐藤伸広 | 民主党新潟県議団 |
姉妹都市・友好都市
日本国内
長岡市は2012年(平成24年)12月現在、国内には姉妹友好都市として盟約締結のもと交流を実施している都市は存在しないものの、県内外の多くの都市と災害時の事務協力などに関する連携協定を締結している。
- 災害時相互応援協定都市
- 長岡市・高岡市災害時相互応援協定:高岡市(富山県)と1996年(平成8年)5月9日締結、2006年(平成18年)1月4日改訂
- 長岡地域災害時相互応援協定:見附市、小千谷市、出雲崎町、川口町の4市町と1996年(平成8年)6月12日締結(川口地域の編入合併後は3市町との協定)
- 長岡市・会津若松市災害時相互応援協定:会津若松市(福島県)と1996年(平成8年)10月15日締結
- 災害時における近隣市町村相互援助協定:新潟市ほか11市町村と2005年(平成17年)10月17日締結、2006年8月1日改訂
- 災害時広域相互応援に関する協定書:中津川市(岐阜県)と2007年(平成19年)3月7日締結
- 特例市災害時相互応援に関する協定書:国内すべての特例市と2007年4月1日締結
- ほか多数
また2005年(平成17年)以降に編入合併した10地域では、編入前の旧市町村時代に国内の市町村と姉妹友好都市を締結している例があるが、編入合併後には各地域の盟約として引き続き存続している。
- 編入10地域の国内姉妹友好都市
- 白鷹町(山形県) - 1972年(昭和47年)5月11日、旧栃尾市と締結
- 伊勢崎市(群馬県) - 1986年(昭和61年)11月15日、旧寺泊町と締結
- 武蔵野市(東京都) - 1989年(平成元年)9月、旧小国町と締結
海外
2005年以降の編入10地域が海外の市町村と締結していた姉妹友好都市との関係は、編入合併後も長岡市が継承して交流事業が継続されている。
- 姉妹都市
- フォートワース市(アメリカ合衆国 テキサス州) - 1987年11月9日姉妹都市締結
- トリアー市(ドイツ連邦共和国) - 1995年10月12日友好都市締結、2006年4月1日姉妹都市締結
- ロマンモティエ町(スイス連邦) - 1986年6月4日、旧小国町と姉妹都市を締結し、編入合併後に締結関係を継承
- 西タイアラプ連合村(フランス領ポリネシア) - 1991年8月29日、旧和島村と姉妹都市を締結し、編入合併後に締結関係を継承
- ホノルル市(アメリカ合衆国 ハワイ州) - 2012年3月3日姉妹都市締結[1]
- 友好都市
沿革
明治維新以前の長岡の歴史については、越後長岡藩を参照。
長岡市に編入合併した旧市町村の歴史については、各旧市町村のページを参照。
明治期
- 明治2年(1869年)5月1日 長岡藩が四郎丸村の昌福寺に国漢学校を開校。
- 明治2年(1869年)6月22日 版籍奉還し、藩主の牧野忠毅が長岡藩知事になる。
- 明治3年(1870年)5月 長岡藩に支藩の三根山藩から100俵の救援米(米百俵)が送られる。
- 明治3年(1870年)6月15日 三根山藩から送られた米を売却して得た資金などをもとに、国漢学校を昌福寺から坂ノ上町(当時の表記)に移設。洋学局と医学局を新設。
- 明治3年(1870年)10月22日 廃藩置県に1年先立ち牧野忠毅が藩知事を辞任。長岡藩は廃藩となり、柏崎県に編入される。
- 明治4年(1871年)5月 長岡藩の廃藩により国漢学校が柏崎県に移管され、分黌長岡小学校となる。
- 明治5年(1872年)11月23日 坂ノ上町(当時の表記)に長岡洋学校(新潟県立長岡高等学校の前身)開校。
- 1873年(明治6年)6月 坂ノ上町に長岡会社病院(長岡赤十字病院の前身)が開院。
- 1873年6月10日 柏崎県が廃止され、新潟県に合併。
- 1876年(明治9年)10月20日 信濃川最初の有料橋として木製の長生橋が完成。
- 1878年(明治11年) 三島億二郎、岸宇吉らによって第六十九国立銀行が設立される。
- 1879年(明治12年) 士族や有志により長岡城跡が整地され、城跡公園となる。
- 1879年 郡区町村編制法により、越後国古志郡の領域は新潟県古志郡の管轄となり、長岡町の国漢学校跡に古志郡役所が置かれた。初代郡長は三島億二郎。
- 1884年(明治17年)4月4日 太平洋戦争初期の連合艦隊司令長官となる山本五十六が、現在記念公園となっている長岡市内の生家で産まれる。
- 1888年(明治21年)4月 小坂松五郎が北越石油会社を設立。東山油田の開発が始まる。これによって新潟は秋田と並び石油・天然ガスの国内参出地となる。
- 1889年(明治22年)町村制の施行により、古志郡が51町村、三島郡が43町村となる。
- 1891年(明治24年)12月19日 長生橋の所有が県に移り、無賃橋となる。
- 1892年(明治25年)6月23日 松田周平、小坂松五郎、殖粟順平、山田又七が長岡鉄管会社を設立。山田又七は、現在「ENEOS」ブランドを展開しているJXエネルギー株式会社となる前身会社も興した人物で「日本における石油の父」と呼ばれている。
- 1893年(明治26年) 山田又七、殖粟順平らが宝田石油株式会社を設立。
- 1894年(明治27年)長岡鉄管会社により、東山油田(浦瀬)と中島の精油所を結ぶ送油用パイプライン完成。
- 1898年(明治31年)6月16日 北越鉄道(現信越本線)が延伸し、長岡停車場(長岡駅)開業。
- 1899年(明治32年)10月 反町新作商店(現岡三にいがた証券)が創業。
- 1901年(明治34年)11月1日 長岡本町・長岡町・千手町・草生津町・新町・王内村の6町村が合併し、新しい長岡町となる。
- 1903年(明治36年)5月1日 長岡町大字新町(現新町1丁目)に古志郡立長岡高等女学校(新潟県立長岡大手高等学校の前身)開校。
- 1906年(明治39年)4月1日 古志郡長岡町が市制施行により長岡市となる。
- 1906年12月 長岡郵便局内に電話交換局を設置、長岡市内に電話開通。
- 1907年(明治40年)4月27日 田村文四郎、覚張治平らが稲わらを原料としたボール紙の生産を目的として北越製紙を設立。現在「北越紀州製紙」となり、高度のエアフィルター製造技術を持つ企業となっており、世界各地で使用されている。
- 1908年(明治41年)4月 古志郡上組村大字宮内に古志郡立上組農学校(新潟県立長岡農業高等学校の前身)開校。
- 1909年(明治42年)4月1日 中蒲原郡村松町から長岡市東千手町(現南町)に新潟県立工業学校(新潟県立長岡工業高等学校の前身)が移設。
- 1910年(明治43年)4月 長岡市立長岡商業学校(新潟県立長岡商業高等学校の前身)開校。
大正期
- 1915年(大正4年)11月28日 二代目の長生橋が完成。当時、木製の橋としては日本一の長さの約872.73メートル。
- 1916年(大正5年)1月 長岡鉄道の西長岡~寺泊間が開通。
- 1916年12月 栃尾鉄道の長岡~栃尾間が開通。
- 1917年(大正6年)5月20日 長岡開府三百年祭が行なわれる。
- 1919年(大正8年)5月24日 悠久山公園完成。
- 1921年(大正10年)10月 宝田石油が日本石油と合併、本社跡地と10万円を長岡市に寄付。本社跡地を宝田公園とする。
- 1921年12月1日 古志郡四郎丸村を編入。
- 1924年(大正13年)4月 四郎丸町(現学校町)に長岡高等工業学校(新潟大学工学部の前身)開校。
- 1924年5月1日 栃尾鉄道の長岡~悠久山間が開通。
- 1926年(大正15年) 古志郡役所廃止。
- 1926年4月1日 市制20周年を記念し、長岡市歌を制定[注 1]。
- 1926年8月 大野甚松が長岡市に公会堂を寄付。
- 1926年9月14日 中川繁治により、長岡大花火大会で初めて正三尺玉が打ち上げられる。
昭和・戦前戦中期
- 1927年(昭和2年)10月27日 関原地震が発生、マグニチュード5.2。負傷者2人、家屋半壊23戸。
- 1931年(昭和6年)7月11日 長岡操車場が開業。
- 1931年8月21日 上越線全線開通を記念して、上越線全通記念博覧会が開催される。
- 1931年9月1日 上越線(宮内~高崎)が全通。
- 1934年(昭和9年)2月 工業の強化を目的とした「長岡市工業5ヵ年計画」をまとめる。
- 1936年(昭和11年)12月31日 馬高遺跡で火焔土器が発掘される。
- 1937年(昭和12年)6月11日 ヘレン・ケラー、長岡聾唖学校を訪問。
- 1937年10月20日 三代目の長生橋(鉄橋)が完成。
- 1945年(昭和20年)8月1日 長岡空襲により市中心部被災。空襲被害では甲信越地方で最大規模。
昭和・戦後期
- 1946年(昭和21年)12月24日 日本機械製作所内の精密機械部が独立し、日本精機となる。
- 1948年(昭和23年)4月1日 三島郡深才村の一部(大字大島)を編入。
- 1948年7月1日 山通村の一部(大字長倉・鉢伏・大町・高畑・柿)を編入。
- 1950年(昭和25年)12月1日 古志郡栖吉村を編入。
- 1951年(昭和26年)1月1日 古志郡富曽亀村を編入。
- 1951年8月1日 悠久山公園に長岡市立科学博物館が開館。
- 1953年(昭和28年)3月3日 長岡教育放送が放送開始。
- 1954年(昭和29年)2月1日 古志郡上川西村を編入。
- 1954年3月1日 古志郡宮内町(旧上組村)を編入。
- 1954年5月1日 三島郡深才村を編入。
- 1954年9月15日 ラジオ新潟(現新潟放送)長岡放送局開局。
- 1954年11月1日 三島郡日越村、王寺川村、古志郡十日町村、山本村、黒条村、新組村、福戸村、下川西村及び六日市村の一部を編入。
- 1955年(昭和30年)8月1日 長岡駅に地下道が完成、開通式が行なわれる。
- 1956年(昭和31年)9月1日 古志郡山古志村のうち、旧太田村の一部(大字蓬平・濁沢)を編入。
- 1957年(昭和32年)10月1日 三島郡関原町を編入。
- 1958年(昭和33年)8月1日 表町に「まいまいひめの像」完成。
- 1958年10月18日 大和デパート 長岡店 初代店舗が開業する。屋上には遊園地があるなど市内外から多くの人が訪れた。なお、この店舗は1991年の2代目店舗の建て替えまで33年間に渡って使われた。
- 1958年11月3日 玉蔵院町(現坂之上町3丁目)に山本記念公園開園。
- 1958年11月20日 大手通1丁目に長岡市厚生会館竣工。
- 1959年(昭和34年)11月21日 信越本線浦鉄橋を改修した越路橋有料道路(片田町~来迎寺間)が開通。
- 1960年(昭和35年)日産化学工業長岡工場(現長岡市営陸上競技場周辺)が操業開始(1972年3月撤退)。
- 1960年4月1日 三島郡二和村(大積村と宮本村が合併した村)、与板町の一部(大字成沢)を編入。
- 1960年12月15日 大手通に丸専デパートが開店。
- 1960年12月(~1961年年1月) 三六豪雪で交通機関が麻痺、新潟県は自衛隊に救援を要請。
- 1961年(昭和36年)2月2日 長岡地震が発生、マグニチュード5.2。被害は死者5人、負傷者30人、家屋全壊220戸。
- 1961年4月1日 国立長岡工業短期大学(長岡工業高等専門学校の前身)開校。
- 1962年(昭和37年)7月13日 悠久山に県営長岡水泳競技場(のちの長岡市悠久山プール屋外水泳場)完成。
- 1963年(昭和38年)1月 記録的豪雪(昭和38年1月豪雪、サンパチ豪雪)。
- 1967年(昭和42年)2月1日 越路橋有料道路が一般県道区間として無料開放される。
- 1967年5月31日 長岡市悠久山野球場竣工。
- 1968年(昭和43年)4月20日 悠久山に長岡市郷土史料館開館。
- 1968年12月16日 新潟総合テレビ開局。1991年10月まで長岡に演奏所(長岡放送センター)が置かれる。
- 1969年(昭和44年)2月12日 浪花屋製菓の創業者今井與三郎から譲渡された消雪パイプの特許を長岡市が公開。
- 1970年(昭和45年)11月3日 長岡セントラルパークが完成。
- 1970年11月16日 長岡大橋開通。
- 1971年(昭和46年)7月1日 市内電話の局番が2桁になる。
- 1972年(昭和47年)10月7日 長生橋に歩道橋を設置。
- 1973年(昭和48年)10月24日 幸町2丁目に長岡市立劇場オープン。
- 1973年12月1日 長岡市営スキー場オープン。
- 1975年(昭和50年)3月31日 越後交通長岡線旅客営業廃止(貨物輸送は1995年3月31日廃止)。
- 1975年8月24日 「米百俵之碑」除幕式が行われる。
- 1976年(昭和51年)6月6日 緑町1丁目に長岡市営陸上競技場オープン。
- 1976年10月1日 長岡技術科学大学開学。
- 1977年(昭和52年)9月30日 幸町2丁目に新市庁舎竣工。
- 1977年10月11日 新市庁舎で業務開始。
- 1978年(昭和53年)2月20日 新潟県陸運事務所長岡支所(現新潟運輸支局長岡自動車検査登録事務所)が設置され、長岡ナンバー誕生し県内の上越・中越ではこのナンバーが採用されることとなった。
- 1978年6月26日 6・26梅雨前線豪雨で災害発生。
- 1978年6月27日 信濃川河川敷地域を「千秋が原」と命名。
- 1978年9月21日 北陸自動車道、長岡―新潟間開通。翌日より高速バス長岡 - 新潟線運行開始。
- 1980年(昭和55年)3月31日 学校町にあった新潟大学工学部が新潟市へ移転。
- 1980年4月17日 長岡駅新駅オープン。
- 1980年7月2日 長岡駅に駅ビル「セゾン・ド・ナガオカ」(現CoCoLo長岡)オープン。
- 1980年7月3日 西津町に長岡市営希望が丘プールオープン。
- 1981年(昭和56年)6月 通商産業省(現在の経済産業省)による「テクノポリス建設構想」の一環で、長岡市が建設調査地点に選定。
- 1982年(昭和57年)10月 長岡東バイパスが暫定2車線で全線開通。
- 1982年11月15日 長岡駅に上越新幹線開通。
- 1983年(昭和58年)3月 県・長岡市の出資による「長岡テクノポリス開発機構」が発足。
- 1983年4月1日 喜多町に新潟県立長岡向陵高等学校開校。
- 1984年(昭和59年)3月 「長岡テクノポリス計画」が、国の承認を受ける。
- 1985年(昭和60年)7月23日 大手大橋開通。
- 1986年(昭和61年)3月9日 厚生会館脇広場にて「第1回ながおか100だるま大会」開催。
- 1986年11月11日 長岡バイパスが暫定2車線で開通。
- 1987年(昭和62年)3月6日 学校町の新潟大学工学部跡地に長岡市立中央図書館が開館。
- 1988年 長岡市初の郊外型店舗 ジャスコ長岡店 ( 2011年よりイオン長岡店へ名称変更 ) が完成し営業を始める。
- 1988年 長岡駅東口に ダイエー長岡店が完成し営業を始める。( ダイエー長岡店は2005年8月31日に閉店し2008年にE‐PLAZAとして再オープンする )
- 1988年(昭和63年)5月 長岡テクノポリス計画の事業圏域が長岡市周辺の15市町村に拡大され「信濃川テクノポリス計画」に改称。
- 1988年11月25日 城内町2丁目に城内地区再開発ビル(イトーヨーカドー丸大長岡店)が完成し営業を始める。
平成期
- 1989年(平成元年)10月31日 長岡駅東口と大手口を結ぶ地下通路にて営業していた地下街が、この日をもって営業を終了した。( 現在この地下通路は地下自転車駐輪場の連絡通路としてその姿を残している )
- 1989年12月31日 長岡大橋4車線化完成。
- 1991年 初代店舗の老朽化に伴い、大和デパートの建て替工事が行われていたがこの年に完成し、再オープンする。
- 1991年(平成3年)10月5日 旧 寺島町に元井達夫 氏がデザインを手掛けた 米百俵の群像が完成する。なお、この群像のモデルになったミニサイズの群像は 長岡市立 阪之上小学校 にて展示されている。
- 1991年10月16日 旧 寺島町 に 長岡市産業交流会館 ( 通称:ハイブ長岡 )が開館する。
- 1992年(平成4年)2月14日 千秋が原にて第1回長岡雪しかまつりを開催。
- 1993年(平成5年)7月15日 宮関町(当時)に新潟県立近代美術館オープン。
- 1994年(平成6年)4月 宮関町(当時)に長岡造形大学開学。
- 1996年(平成8年)9月16日 日浦晴三郎市長宅に男が侵入し、市長夫妻を刃物で脅して13時間にわたり監禁、約4000万円を脅し取る事件発生。
- 1998年(平成10年)7月29日 76.4Mhz FMながおか開局。( 現在は周波数を 80.7Mhz に変更して放送されている )
- 1998年7月30日 国営越後丘陵公園オープン。
- 1998年10月18日 三島億二郎像除幕。
- 1999年(平成11年)4月18日 呉服町1丁目に山本五十六記念館開館。
- 2000年(平成12年)8月1日 関原町に新潟県立歴史博物館オープン。
- 2001年(平成13年)10月1日 大手通2丁目にながおか市民センターオープン。
- 2002年(平成14年)10月5日 第1回米百俵まつりを開催。
- 2002年12月22日 ながおか市民センター ( 旧 ザ・プライス・旧々 スーパー丸大 ) 内に「まちなか花火ミュージアム」オープン。
- 2003年(平成15年)2月1日 長岡市役所がメールマガジン 「米百俵メール」配信開始。
- 2003年7月12日 大手通2丁目の「まちなか・考房」内に長岡戦災資料館オープン。
- 2003年11月19日 長町1丁目に河井継之助史跡広場オープン。
- 2004年(平成16年)7月12~13日 平成16年7月新潟・福島豪雨(7.13水害)が発生、中之島地域(当時中之島町)を中心に大きな被害。
- 2004年10月23日 午後5時56分頃、新潟県中越地震(新潟県による呼称は「新潟県中越大震災」)が発生、当時の長岡市では震度6弱、小国地域(当時小国町)では震度6強を記録。南部を中心に被災。
- 2005年(平成17年)2月 北陸地方で19年ぶりの記録的豪雪。
- 2005年4月1日 南蒲原郡中之島町、三島郡越路町、三島町、古志郡山古志村、刈羽郡小国町を編入。当初は合併と同時に組織改編を行う予定であったが、前年の地震の影響でしばらく事実上の合併前の体制を続けた。
- 2005年8月2日 新潟県中越大震災 復興祈願花火「フェニックス」誕生。
- 2006年(平成18年)1月1日 栃尾市、三島郡寺泊町、与板町、和島村を編入。編入時の人口は283,392人。
- 2006年4月1日 市制施行100周年。2代目市歌「笑顔いきいき」を制定[3]。
- 2006年12月27日 長町1丁目に河井継之助記念館開館。
- 2007年(平成19年)4月1日 長岡市は「特例市 」に移行。
- 2007年4月20日 千秋エリアに中越大震災の教訓を生かした免震構造を取り入れた アピタと120の専門店 「 リバーサイド千秋 」 がオープンする。これに合わせて最寄のバス乗り場も設置された。 ( センタープラザ前・旧 アピタ前 )
- 2007年7月16日 午前10時13分頃、新潟県中越沖地震が発生、小国地域では震度6強を記録。西部を中心に被災。
- 2007年11月23日 千秋エリアに T-JOY長岡 がオープンする。リバーサイド千秋とは連絡通路で行き来することが出来る。
- 2010年(平成22年)3月31日 北魚沼郡川口町を編入し、長岡市川口となる。長岡市では唯一の飛び地となった。
- 2012年(平成24年)4月1日 市役所本庁舎を幸町2丁目から、大手通1丁目の シティホールプラザ アオーレ長岡(長岡市厚生会館跡地)へ移転。
- 2013年(平成25年)11月24日 長岡東西道路フェニックス大橋 と 左岸バイパスが開通する。
- 2014年(平成26年)10月23日 中越大震災からの復興の象徴として小千谷市と同時に錦鯉を市の魚に制定。
経済
長岡市の中心市街地は長岡駅周辺を中心に形成されており、特に同駅大手口側にはオフィスやホテル、総合スーパーなどが軒を連ねている。新潟県のほぼ中部に位置し、周辺市町村を含めた商圏人口は約65万人を有し、商圏は新潟市、三条市、柏崎市、十日町市などと一部重複している。
商業
長岡市の商業施設は全国的に近年見られる傾向と同様、郊外型商業施設の進出が顕著な半面、中心市街地の空洞化が深刻となっている。
1988年のジャスコ長岡店 ( 2011年より イオン長岡店 ) の開店を皮切りに、郊外への店舗の出店が相次ぎ、現在は郊外に展開する大型ショッピングセンターやロードサイド型店舗には、市内や周辺市町村から連日多くの買い物客が訪れる。一方、長岡駅大手口周辺の中心地では、2010年(平成22年)4月25日に中越地方最後の百貨店で、リバーサイド千秋に次いで二番目に ( 店舗が完成してから ) 新しかった「大和長岡店」が閉店するなど、かつて地区の核店舗としての役割を担っていた百貨店や総合スーパーなどの大型店などが次々と撤退し、加えて個店舗の閉店も相次ぎ、空洞化が進んでいる。これは全国各地の地方都市でも同様に見られる傾向でもある。
長岡市では近年、中心市街地の活性化を目的として、郊外にあった市役所の駅前移転や駅前の利便性を高めようとぺデストリアンデッキ「大手スカイデッキ」などを設置したほか、大手通りに地下駐車場の建設、市営駐車場の設置のほか、市街地再開発など様々な施策を現在も進めている。
金融機関
(長岡市に本店(※印)、支店を置くもの。保険会社 および 貸金業等を除く。)
- 日本政策金融公庫
- 商工組合中央金庫
- 越後ながおか農業協同組合(※)
- 越後さんとう農業協同組合(※)
- にいがた南蒲農業協同組合
- 柏崎農業協同組合
- 北魚沼農業協同組合
- ゆうちょ銀行
- 岡三にいがた証券 (2014年以前は マルフク証券 として営業していた)
- この他東京スター銀行、セブン銀行、イオン銀行、新潟県信用農業協同組合連合会が市内にATMを設置している。
- かつては 新潟中央銀行 の支店も 旧 長岡市内にも多数営業していたが、2001年3月に 大光銀行・北越銀行・第四銀行 の三行にそれぞれが業態転換をしている。
- 長岡市内には「りそな銀行」( 大和銀行 もしくは 協和銀行 の流れをもつ あさひ銀行 ) 以外の都市銀行は、現在に至るまで出店していない。( かつて存在した 三菱銀行・住友銀行・第一勧業銀行・富士銀行・三井銀行 などの財閥系 もしくは 大銀行 などは 長岡市内には戦後になってからも進出してこなかったことから、現在に至るまで店舗 並びに ATM も市内あらゆる場所にも設置されておらず、必要な場合は 60キロ以上も離れている新潟市内の支店まで出向く必要がある )
物流
書籍・雑誌といった出版物は、(中央での)発売日より1日遅れて店頭に並ぶ物が多いが、物によっては発売日あるいは発売日前日に店頭に並ぶ物もある。音楽CDは通常、発売日前日には店頭に並ぶ。
企業
明治20年頃の石油採掘にともない、機械産業が発達し、現在も精密機械や工作機械を生産している企業が多い。鉄道と河川を備え、古くから交通の要衝であったことから卸売業などの商業活動も栄えている。また、米菓の生産などを主とする食品製造業も盛んである。
- 長岡市に本社を置く主な企業
- アクシアル リテイリング(スーパーマーケット「原信」「ナルス」「フレッセイ」の持株会社)
- 丸大(スーパーマーケット)
- 日本精機(自動車計器類の製造)
- 岩塚製菓(米菓などの製造)
- 越後製菓(米菓などの製造)
- 浪花屋製菓(柿の種本舗)
- 味のれん本舗(米菓などの製造)
- 朝日酒造(清酒の製造)
- 岡三にいがた証券
- 第四証券
- フレンド(イタリアン販売。フレンドは日本で初めてドライブスルーのファーストフード店舗を導入した企業。)
- ピーコック(冷凍食品の製造、ファーストフード事業)
- 倉敷機械(工作機械製造)
- 太陽工機(工作機械製造)
- 北越メタル(鋼材、鋳鋼製造)
- コープビル(ホテルニューオータニ長岡)
- メディック太陽(調剤薬局チェーン)
- 角上魚類(鮮魚小売チェーン)
- スプリックス(個別指導塾森塾の運営)
- 橘工芸(フォークリフト用除雪バケットの製造)
- 長岡市に業務拠点などを置く主な企業
鉱業
天然ガスの産出量が日本一であり、越路地域を中心とした地域には、埋蔵量が日本屈指の南長岡ガス田がある。明治20年代から大正期にかけては、東山地区で産出した石油の採取が盛んに行われ、長岡は日本有数のオイルタウンとして知られていた[5]。
長岡の石油産出は記紀の頃(奈良時代)から記録があるが、本格的な生産は1882年(明治15年)頃に出雲崎町尼瀬で石油掘削が盛んになったことに触発されたのが始まりである[5]。1889年(明治22年)に北越石油会社(東山油田)、1893年(明治26年)に宝田石油株式会社が地元資本で設立され、中小の石油会社も300社以上相次いで創業した[5]。1908年(明治41年)の宝田石油の納税額は長岡市の市税収入の1割強に上った[6]。石油産業の隆盛は各方面に波及し、機械工業、電灯・ガス産業、証券業(石油関連企業の設立の際に、株式発行による資金調達が行われたため)の発達につながった[6]。
特産
教育
小学校
- 国立大学法人
- 市立
- 阪之上小学校
- 中島小学校
- 表町小学校
- 神田小学校
- 新町小学校
- 川崎小学校
- 四郎丸小学校
- 千手小学校
- 富曾亀小学校
- 黒条小学校
- 新組小学校
- 桂小学校
- 浦瀬小学校
- 柿小学校
- 栖吉小学校
- 前川小学校
- 宮内小学校
- 上組小学校
- 石坂小学校
- 太田小学校
- 寺泊小学校
- 大河津小学校
- 与板小学校
- 上塩小学校
- 下塩小学校
- 栃尾東小学校
- 栃尾南小学校
- 中野俣小学校
- 西谷小学校
- 東谷小学校
- 川口小学校
中学校
- 国立大学法人
- 市立
- 私立
高等学校
- 県立
- 新潟県立長岡高等学校
- 新潟県立長岡大手高等学校
- 新潟県立長岡向陵高等学校
- 新潟県立長岡農業高等学校
- 新潟県立長岡工業高等学校
- 新潟県立長岡商業高等学校
- 新潟県立長岡明徳高等学校
- 新潟県立正徳館高等学校
- 新潟県立栃尾高等学校
- 私立
県教育委員会指定技能教育施設
- 私立
- 長岡凛晴学院(科学技術学園高等学校の卒業)
大学・短期大学・高等専門学校
- 国立大学法人
- 公立大学法人
- 私立
- 独立行政法人国立高等専門学校機構
特別支援学校
- 新潟県立長岡聾学校
- 新潟県立柏崎特別支援学校のぎく分校
- 長岡市立総合支援学校
- 長岡市立高等総合支援学校
学校教育以外の施設
社会基盤
都市ガス
市域内で都市ガスの供給が行われているのは長岡、越路、三島、栃尾、与板、中之島、川口の計7地域である。山古志、小国、和島、寺泊の計4地域では都市ガスの供給は行われていない。
中之島を除く6地域では北陸ガスが、中之島地域では見附市ガス上下水道局が供給を行っている。
北陸ガスの供給区域のうち長岡を除く5地域では、旧各市町による公営ガス事業が行われていた。これら編入市域の公営ガス事業は合併の際に長岡市水道局の管轄下としたのち、川口を除く4地域は2009年10月1日付で、川口地域は2014年4月1日付で北陸ガスへ譲渡・継承された。
下水道
長岡市の汚水処理人口普及率は96.4%(2012年(平成24年)度末現在)である。普及率は都市部等の下水道設備や農村部等の集落排水施設が整備された区域の人口と、合併処理浄化槽の利用者数に基づくもので、新潟県内の全30市町村では14番目と中位に位置する[7]。また下水道処理人口普及率は89.7%(同年度末現在)で、新潟県内では共に99%以上を有する弥彦村と聖籠町に次ぎ3番目に高い普及率を有している。
このうち下水道事業は、市街地の浸水防止と生活衛生の向上を目的として、1903年(明治36年)に整備計画が策定されたのが端緒で、1924年(大正13年)1月、上水道の整備と併せて上下水道の整備に同時着手した。下水道事業は全国で7番目の整備着手、上下水道の同時整備着手は全国初であった。
事業は第1期が1924年から1927年(昭和2年)にかけ、長岡駅を中心とした川東地域の市街地238haを対象に、第2期が1960年(昭和35年)から1967年(昭和42年)にかけ、第1期と合わせて計336haを対象に進められた。第3期は川西地域も対象として1971年(昭和46年)から整備が開始され、のちに編入市域となる各市町村でも相次いで下水道整備が進められた。
なお合併前の旧市域にあたる長岡地域(川東・川西両地域)の下水道普及率(総人口に対する下水道の利用可能人口の割合)は96.1%、水洗化率(下水道利用可能人口に対する下水道接続人口)は95.7%(2003年3月時点)であった。
電線地中化
国土交通省と新潟県、県内各市町村では、幹線道路沿線の景観向上やバリアフリー化を目的として電線地中化(電線共同溝の新設による無電柱化)に取り組んでおり、長岡市内では、国土交通省が国道8号・長岡バイパス沿線の神田、蓮潟などで、県と長岡市が長岡駅周辺など川東地域中心部の他、郊外部では長岡ニュータウンの一部などで無電柱化事業を実施している。
長岡市内では2004年(平成16年)の新潟県中越地震と、2007年(平成19年)の新潟県中越沖地震で地中化の予定地域が被災し、また既設歩道内への電線地中化が水道管・下水道管といった支障物件の移設に時間がかかるなどしたため、無電柱化率が当初の目標値を一時下回った。
電線類の地中化は、耐震性のある樹脂管等で保護したケーブルを地中の共同溝に埋設するもので、災害時には電柱の倒壊による様々なリスクが回避できる反面、仮に共同溝に被害が及んだ場合には電力・通信などライフラインの復旧が大幅に遅延する可能性がある。なお中越地震の際、地中化が行われていない地域では電力の復旧に7~10日間を要した。
バイオマスタウン構想
長岡市では2010年(平成22年)に「長岡市バイオマスタウン構想」を策定し[8]、廃棄物を活用したバイオマスの利活用に向けた取り組みを進めている。
これに先立って、長岡市と市域内の主な企業は2008年(平成20年)に越後ながおかバイオマス地域協議会を設立し、菜の花やエゴマなどの作物を活用した資源循環の実証実験を3箇年にわたって実施した。
またバイオマス構想策定後の2011年(平成23年)春には長岡市環境衛生センターの敷地内において、生ごみを発酵させてバイオガスを採取し、それを動力源として発電などを行うプラント「バイオガス発電センター」の建設事業に着工し、2013年(平成25年)春に竣工、試運転を経て同年7月1日から本格稼働を開始した[9]。この発電センターの試運転開始に合わせ、長岡市では同年4月1日からごみ・資源物の分別方法を9種類に細分化する措置を取り、市民への周知徹底を図っている。
施設
図書館
- 中央図書館
- 西地域図書館
- 南地域図書館
- 北地域図書館
- 中之島地域図書館
- 寺泊地域図書館
- 寺泊地域図書館大河津地区図書室
- 栃尾地域図書館
- 互尊文庫
- 文書資料室
博物館・美術館
- 新潟県立近代美術館
- 新潟県立歴史博物館
- 科学博物館
- 郷土史料館
- 藤橋歴史の広場
- 戦災資料館
- 栃尾美術館
- まちなか花火ミュージアム
- 兼続お船ミュージアム(長岡市与板歴史民俗資料館)
- 寺泊水族博物館
- 越路郷土資料館
- 三島郷土資料館
- 小国民俗資料館
- 小国芸術村
文化施設
主なスポーツ施設
(運動公園以外の公園を除く)
- 新潟県立長岡屋内総合プール
- アクアーレ長岡
- 悠久山プール
- 希望が丘プール
- 越路B&G海洋センター
- 小国プール
- 志保の里荘
(屋内ゲートボール場、塩泉)
- 悠久山野球場
- 与板野球場
- 中之島野球場
- 三島野球場
- 陸上競技場
- 市営スキー場
- 古志高原スキー場
- 市民体育館
- 北部体育館
- 南部体育館
- 新産体育館
- 与板体育館
- みしま体育館
- 中之島体育館(2011年改築)
- 中之島北体育館
- 越路体育館
- 浦体育館
- 三島体育センター
- 小国勤労者体育センター
- 山古志体育館
- スポーツ広場
- 第二スポーツ広場
- 与板スポーツ広場
- 北部運動公園
- 乙吉運動広場
- 中之島スポーツ広場
- 中之島リバーサイドパーク野外活動施設
- 与板河川公園
- 越路河川公園
- おぐに運動公園
- 長谷川運動公園
- 成出運動広場
- 三島運動広場
- 山古志運動広場
- 希望が丘テニス場
- 東山テニス場
- 与板テニス場
- 中之島テニス場
- 小国ゲートボールコート
まちの駅
交通
市民の交通手段としては自家用車が主であるが、越後交通を主体としたバス路線もJR長岡駅を中心として広範囲に路線網を持つ。
鉄道
現在は東日本旅客鉄道(JR東日本)一社のみが運営しており、長岡駅をターミナルに上越新幹線と、在来線4路線が走っている。宮内駅は上越線の終点に当たるが、普通列車は全列車が長岡駅発着となっている。信越本線の新潟方面は日中は概ね60分間隔で運行されている。また、市内北西部には越後線が、南部には飯山線が走っている。北陸新幹線と接続する特急「 しらゆき」が長岡駅に停車する。
長岡駅は、上越新幹線開業以降、関東地方から上越市、富山県、石川県方面へ向かうメインルートの乗換駅であり、「雷鳥」「かがやき」など多数の特急列車が停車していた。その後ほくほく線や北陸新幹線の開業でその機能の多くはそれらに移転した。
かつては、旧国鉄が運営する魚沼線が来迎寺駅から小千谷市に伸びていた。更に越後交通が運営する私鉄路線が長岡駅、西長岡駅を中心に2路線あったが、双方とも既に廃線となっている。他にも長岡ニュータウンの開発事業開始当初は長岡駅など市内中心部とを結ぶモノレールの建設構想もあったが、同ニュータウンの開発停滞などもあって実現には至らなかった。
鉄道路線
中心駅は長岡駅。
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
過去に存在した鉄道路線
バス
路線バス
長岡市の路線バスは現在、越後交通と地域子会社の北越後観光バス(旧・越後柏崎観光バス)が運行している。越後交通グループは1960年10月1日、中越地方の私鉄・バス3社が合併して発足したもので、市域内の一般乗合バス及び廃止代替バスの運行業務のほぼ全てを担っている。長岡駅の大手口・東口双方に設けられたバスターミナルを中心に、市内各地や近郊各市町村とを結ぶ路線網が発達している。
高速バス
- 関東方面
- 東京 - 新潟線 (越後交通、新潟交通、西武バス)
- 東京・大宮 - 長岡・新潟線 (〃)
- 東京 - 上越線 (西武バス、頸城自動車、越後交通)
- 大積BSに停車。
- 東京・川崎・千葉 - 長岡・新潟線 (WILLER TRAVEL)
- 関東 - 新潟線(アミー号) (ウエスト観光バス、武井観光)
- 東京・横浜 - 長岡・燕三条・新潟線 (キラキラ号)(さくら観光)
- 東京 - 長岡・燕三条・新潟線 (ジャムジャムエクスプレス)
- 東京・TDL - 新潟・新発田線 (泉観光バス)
- 東京 - 新潟・新津線(〃)
- 東京 - 新潟・月岡温泉線(〃)
- 近畿方面
- 堺・なんば・京都 - 長岡・三条線 (越後交通、南海バス ・ サザンクロス号 )
- 大阪・京都 - 新潟線 (WILLER TRAVEL)
- 信越・名古屋・北陸方面
- 県内路線
かつては上記の他にも、長岡駅前と高田駅前とを結ぶ高速バス路線も存在したが、利用者の減少により現在は廃止されている。また現在一般路線バスとして運行されている長岡駅前と柏崎駅前を結ぶ路線には以前、北陸自動車道経由の特急系統が設けられていたが、これも廃止された。
道路
高速道路
長岡JCTは、北陸自動車道と関越自動車道の2路線が接続する要衝である。市域内の高速道路は全区間片側2車線。
一般国道・県道
長岡市は国道8号と国道17号の接点であるため、一般道の要衝でもある。市内を一般国道11路線が経由している。市内各地でバイパス道路網が整備されており、中心部では市街地を南北に縦貫する長岡東バイパス、東西に横断する長岡バイパスがある。いずれも一部連続立体交差方式。沿岸部の国道116号は、新潟と柏崎を結ぶ、国道8号のバイパス的路線である。道路元標は大手通り交差点にある。
このように長岡市は、幹線道路をはじめとする広域道路交通の面においては充実しているものの、生活道路交通の面においては必ずしも充分に整備されているとは言えない。信濃川によって市域の東西が分断されている地理条件から、各橋梁部では交通渋滞が慢性化しており、これらは長岡市の拠点性向上を図る上で大きな課題となっている。また自転車歩行者道の整備の立ち遅れや、狭隘道路の点在など、降雪地という立地条件上の交通安全や生活安全に関わる問題も数多く残存している。県と長岡市では市域の信濃川橋梁と幹線道路をはしごに見立てた「ラダー型広域道路網」の整備強化を進めている他、生活道路の通行環境改善などに取り組んでいる。
なお、長岡市における国道・県道・市道を合わせた道路改良率[注 2]は62.9%、道路舗装率は64.7%(2006年4月1日現在、長岡市資料より)である。
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- 一般県道
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- その他の長岡市内の道路
道の駅
タクシー
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船舶
- 寺泊 - 赤泊航路
寺泊港と佐渡島の赤泊港とを結ぶ「両泊(りょうどまり、りょうはく)航路」があり、佐渡汽船が高速船「あいびす」による定期旅客航路を運航している。東京湾岸から佐渡島へ向かう場合、長岡駅 - 両泊航路経由が最短ルートとなる。
観光
観光地
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祭事
- 悠久山桜まつり
- 長岡まつり(8月1日、2日、3日。1日は前夜祭。2日目と3日目の夜には日本三大花火大会の一つになっている花火大会が行われており、復興祈願花火『フェニックス』で有名である。)
- 米百俵まつり
- 長岡秋まつり
- 長岡雪しか祭り
- 牛の角突きの習俗(国の重要無形民俗文化財)
- 金峯神社の流鏑馬(新潟県の無形民俗文化財)
- 千蔵院(千手観音寺)の星祭り(日本三大星祭りの内のひとつ)
- 関原まつり(9月中旬)
- 与板十五夜まつり(与板地域、9月中旬)
- 西本願寺新潟別院お取越し(与板地域、6月下旬)
- 今町・中之島大凧合戦(中之島地域、6月上旬)
- 寺泊花火大会(寺泊地域)
- もちひとまつり(小国地域)
- ほだれ祭(栃尾地域)
メディア
- エヌ・シィ・ティ(旧称、長岡ケーブルテレビ)
- FMながおか(長岡移動電話システム(株))-80.7MHz ( 開局当初は 76.4Mhz だった )
- FM-NIIGATA長岡サテライトスタジオ(ドコモショップ長岡川崎店内 )
- 長岡新聞
- NHK新潟放送局長岡報道室
※NST新潟総合テレビのマスター(主調整設備)及びスタジオは、1968年の会社設立当初から1991年9月30日まで、当時の「長岡放送センター」にあり( 現在の NST 新潟総合テレビ 長岡支社 )、報道番組、ローカル番組(「NSTですこんにちは」など)を含むほとんどの番組制作を行っていたが、同年10月1日に、この放送センターとしての機能は、本社(新潟市、当時は上所島にあった)に移転統合された。
長岡市出身の著名人
あ〜お
- 浅井信雄(国際政治学者、元野村総合研究所コンサルタント )
- 秋山孝(イラストレーター・グラフィックデザイナー )
- 阿刀田高(作家)
- 荒木巴(お笑いマジシャン・大道芸人)
- 稲垣茂光 (長岡藩士・幕末期の同藩家老首座。官軍恭順派・反河井派 )。
- 井上井月(俳人)
- 井上円了(仏教哲学者、東洋大学創設者 )
- 猪俣隆(元プロ野球選手・阪神 - 中日、現在アメリカで寿司店経営 )
- 今井啓介(プロ野球選手・広島、旧 栃尾市 )
- 今井雄太郎(元プロ野球選手・阪急ブレーブス→オリックス - 福岡ダイエーホークス、野球解説者・タレント )
- いまなりあきよし(歌手、旧 栃尾市 )
- 氏賀Y太(漫画家)
- 遠藤諭(月刊アスキー編集長 )
- 大岩ピュン(漫画家、イラストレーター )
- 大高洋夫(俳優)
- 小黒八七郎(医師、旧 寺泊町)
- 小野塚喜平次(政治学者・東京帝大総長 )
- 小原直(元司法大臣・内務大臣・厚生大臣・法務大臣 )
か〜こ
- 加瀬加奈子(女子競輪選手)
- 金子正輝(プロ雀士・最高位戦日本プロ麻雀協会 )
- 河井継之助(長岡藩士・長岡藩軍事総督・大阪市出身の小説家 司馬 遼太郎 が執筆した「峠」の主人公 )
- 川上四郎(童画家)
- 起雲山世志介(1950年代に活躍した、大相撲力士 )
- 岸宇吉(実業家。第六十九国立銀行などの創始者。)
- 岸吉松(実業家。テキサスに移住し、当地に稲作を広め、石油採掘を行った。)
- 京本有加(グラビアアイドル)
- 久住小春(元・モーニング娘。7期メンバー、旧 和島村 )
- 桑田乃梨子(漫画家)
- 小山良運(長岡藩士。藩の鍼灸師であったが蘭学を学び蘭方医となる。河井継之助の親友として著名 )
- 小山正太郎(洋画科。小山良運の惣領)
- 小山吉郎(海軍少将。日本海軍の軍艦造船の現場責任者。小山良運の男子 )
- 小山秋作(陸軍大佐。奉天(瀋陽)軍政官。小山良運の男子 )
- 小金井良精(解剖学者・人類学者・星新一の祖父 )
- 近衛十四郎(俳優、松方弘樹、目黒祐樹の実父 )
- 小林信也(作家)
- 小林達夫(考古学者)
- 小林虎三郎(長岡藩士・「米百俵」)
- 小林藹(長岡藩士・大審院判事)
- 近藤麻智子(フリーアナウンサー(元 札幌テレビ放送、新潟総合テレビアナウンサー)。ニチエンプロダクション所属。)
- 近藤有己(総合格闘家、パンクラス)
さ〜そ
- 斎藤惇夫(児童文学作家)
- 櫻井よしこ(ジャーナリスト)- 生まれはベトナムであることをここに記載しておく
- 佐藤亜紀(作家)
- 佐藤公威 - プロバスケットボール選手(新潟アルビレックスBB所属 )
- 佐藤哲三 (画家)
- SABE(漫画家)
- スネオヘアー(ミュージシャン)
- 関川夏央(作家)
- 白峰駿馬(海援隊士)
- 斎藤直子(作家)
た〜と
- 滝沢和典(プロ雀士・日本プロ麻雀連盟 )
- 多田雄幸(ヨットマン)
- 田中賢(作曲家)
- 田村文四郎(北越紀州製紙創業者)
- 佃煮のりお(漫画家)
- 東條政利(映画監督)
- 外山脩造(実業家、政治家・日本銀行 初代 大阪支店長、阪神電鉄 元 社長、元 衆議院議員。旧 栃尾市 出身 )
- 豊辺新作(陸軍中将)
な〜の
- 長島忠美(衆議院議員、元山古志村長、旧 山古志村 )
- 中川清兵衛(国産ビールの技術開拓者、旧 与板町 )
- 中沢佑香 (アイドル、タレント )
- 中村真衣(元 競泳選手)
- 成沢舞香 (アイドル、タレント )
- 西山茉希(モデル)
- 日印(法華宗、日蓮宗の僧。鎌倉殿中問答で全宗派論破。)
- 韮沢靖(造型師・キャラクターデザイナー・イラストレーター、旧 栃尾市)
- 根岸信五郎(長岡藩士・剣道家)
- 野村貞(長岡藩士・海軍少将)
は〜ほ
- 長谷川信(政治家、元 法務大臣)
- 長谷川道郎(政治家)
- 林家こん平(落語家、旧 千谷沢村)-『笑点』においては「チャーザー村」と時折発言する。
- 半藤一利(作家)-生れは東京都
- ひなた (音楽グループ)(アーティスト)
- ヒラサワンダ(作曲家)
- 広橋真紀子(作曲家)
- 藤田しげる(アニメーター)
- 星野知子(女優)
- 堀敏彦(元タレント、テレビ新潟アナウンサー)
- パワー・マンモス(カメラマン)
- 堀口大學(詩人・フランス文学者)-生まれは東京都本郷
- 本間精一郎(武士、旧 寺泊町)
ま〜も
- 槙武(長岡士族 奥羽日々新聞主幹 神奈川銀行頭取)
- 牧野忠篤(旧 長岡藩主家第15代当主、初代長岡市長、子爵)
- 真島一男(元 参議院議員、元 建設省都市局長)
- 松岡達英(絵本作家、イラストレーター)
- 松本剛(漫画家)
- 丸山浩路(講演パフォーマー)
- 三国一夫(俳優、旧 栃尾市(代表作はNHKの連続テレビ小説『走らんか!』など** マーキュリーマネイジメント所属 モデル事務所))
- 三島雅夫(俳優、旧 与板町)
- 三波春夫(歌手、旧 越路町)
- 三輪晁勢(画家、旧 与板町)
- 村松利史(俳優)
- 村山達雄(元 衆議院議員・厚生大臣・消費税導入前後に2度目の大蔵大臣)
- 村山千代(NST 新潟総合テレビアナウンサー)
- 諸橋芳夫(医師)、(元 全国自治体病院協議会会長・日本病院会会長・国保旭中央病院院長)
- 桃歌(アイドル・タレント)、
や〜よ
- 屋井先蔵(「世界史上初」の乾電池の発明者)
- 山岸真(SF翻訳家)
- 山崎まゆみ(混浴ライター)
- 山本五十六(連合艦隊司令長官)
- 山本義路(長岡藩士・長岡藩軍事総督)、山本帯刀は通称。
- ヤングキャベツ(中静祐介・高橋なんぐ、新潟のお笑い集団NAMARA所属ローカルタレント)
- 吉田友一(俳優)
- 吉村午良(元長野県知事)
- 米山稔(ヨネックス創業者、名誉会長、旧 越路町)
ら〜ろ
わ
- 和久井映見(女優、旧 栃尾市、プロフィールでは出身地が神奈川県となっているが、旧 栃尾市で生まれ、幼少期まで過ごした)
- 和月伸宏(漫画家、旧 越路町、『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』の登場人物に長岡市内、ならびに新潟県内の地名が使われている)
- 渡辺秀央(政治家、旧 栃尾市)
- 渡辺廉吉(長岡藩士・貴族院議員)
その他
- ムクドリ撃退用CDを長岡市が制作、被害の出ていた各地の自治体に配布。
- 長岡市は新潟県内の自治体の中では最も多くの郡から構成されている。
関連項目
脚注
注釈
参照
- ^ 世界平和へ、ホノルル市と姉妹都市締結、長岡市広報課ブログ、2012年3月3日更新、2012年3月5日閲覧
- ^ にいがた土木構造物めぐり 土木学会関東支部新潟会 越後長岡のシンボル 長生橋(長岡市)
- ^ 新市歌「笑顔いきいき」
- ^ JFEエンジ、南長岡ガス田の天然ガス精製・処理プラント設備の増強工事を受注 日経BP環境経営フォーラム 2014年10月6日
- ^ a b c 中俣(2000):37ページ
- ^ a b 中俣(2000):38ページ
- ^ 平成24年度末 新潟県汚水処理人口普及率 - 新潟県(2013年7月24日更新)同年9月12日閲覧
- ^ 長岡市バイオマスタウン構想の策定について - 長岡市
- ^ 生ごみバイオガス発電センター 本格稼働 - 長岡市(2013年7月10日更新)同月18日閲覧
参考文献
- 中俣 均(2000)"石油の町からテクノポリスへ 長岡市"平岡昭利・野間晴雄編『中部Ⅱ 地図で読む百年 長野・新潟・富山・石川・福井』(2000年7月15日、古今書院、125pp. ISBN 4-7722-5048-4):37-42.
関連文献
外部リンク
- 行政
- 観光