難波入堀川
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難波入堀川(なんばいりほりがわ)[要検証 ]は、かつて大阪府大阪市を流れていた運河。難波新川(なんばしんかわ)とも呼ばれた。
地理
[編集]道頓堀川の大黒橋下流側から南へ分岐して南東へ進路を取り、南海難波駅の西で南へ向きを変えて、阪神高速1号環状線なんば出口付近で高津入堀川・鼬川に合流していた。現在は阪神高速1号環状線の敷地に利用されている。また、東岸の道路は難波西口交差点(叶橋東詰・浪華橋北詰跡)以南においてパークス通の愛称が付けられている。
歴史
[編集]1732年(享保17年)に享保の大飢饉が起こると、江戸幕府によって西成郡難波村領内に災害救援用の米蔵、難波御蔵(なんばおくら)が設置され、翌1733年(享保18年)には窮民対策も兼ねて、道頓堀川と難波御蔵を結ぶ難波入堀川が開削された。
入堀で汚濁が激しく不衛生だったため、1879年(明治12年)に鼬川まで延長開削された。難波御蔵は1897年(明治30年)に解体され、跡地はまず大蔵省専売局の煙草工場、次いで大阪球場に利用され、現在はなんばパークスとなっている。
叶橋以北の西岸には1908年(明治41年)に大阪市電南北線が敷設され、賑橋以北の東岸にも1920年(大正9年)に大阪市電九条高津線の新線(九条高津連絡線)が敷設されたが、前者は1963年(昭和38年)に、後者も1969年(昭和44年)に廃止された。市電廃止後、賑橋 - 叶橋間には阪神高速1号環状線の高架下のスペースを利用した市バス(現・大阪シティバス)のなんばバスターミナルが設置されている。また、同区間の地下には今後なにわ筋線の南海新難波駅(仮称)が設置される予定である。
架かっていた橋
[編集]上流から
- 浪吉橋(なみよしばし)
- 賑橋(にぎわいばし) - 千日前通
- 新川橋(しんかわばし)
- 叶橋(かのうばし)
- 浪華橋(なみはなばし。浪華橋とも表記された難波橋とは異なる) - 国道25号
- 入船橋(いりふねばし)
- 大倉橋(おおくらばし)
参考文献
[編集]- 『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(角川書店、1983年)