プルト条約
表示
プルト条約 | |
---|---|
署名 | 1711年7月21日 |
署名場所 | モルダヴィアのプルト川河岸 |
締約国 | オスマン帝国とロシア・ツァーリ国 |
主な内容 | ロシア・トルコ戦争(1710年‐1711年)の平和条約 |
プルト条約(ロシア語: Прутский мирный договор)は、1711年7月21日に、モルダヴィアのプルト川河岸において、オスマン帝国とロシア・ツァーリ国が結んだ平和条約である。
条約はロシア・トルコ戦争(1710年‐1711年、プルト川の戦いとも)を終結させた。
内容
[編集]条約の条件は以下ほどのものであった。
- ロシアはオスマン帝国にアゾフを譲る。
- ロシアはタガンログをはじめ、南ロシアにある要塞の全てを破却する。
- ロシアはアゾフ地域においてオスマン帝国の要塞の構築を認める。
- ロシアはクリミア・ハン国へのザポロージャのコサックによる遠征を制止する。
- ロシアは右岸ウクライナをポーランド・リトアニア共和国の領土として認め、そこから撤退する。
- ロシアはポーランド・リトアニア共和国の政治に介入しないと約束する。
- ロシアはスウェーデン国王カール12世にロシア国内経由で帰国を許可する。
参考文献
[編集]- 伊東孝之・井内敏夫・中井和夫(編)『ポーランド・ウクライナ・バルト史』、世界各国史、山川出版社、1998年.
- 黒川祐次『物語ウクライナの歴史』、中央公論新社、2002年.