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アハルカラキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アハルカラキ

ახალქალაქი
城塞跡
城塞跡
アハルカラキの位置(ジョージア内)
アハルカラキ
アハルカラキ
北緯41度24分45秒 東経43度28分40秒 / 北緯41.41250度 東経43.47778度 / 41.41250; 43.47778
ジョージア (国)の旗 ジョージア
サムツヘ=ジャヴァヘティ州
地区 アハルカラキ地区ロシア語版
人口
(2014)
 • 合計 8,295人
等時帯 UTC+4 (GET)
市外局番 +995 362[1]

アハルカラキグルジア語: ახალქალაქიアルメニア語: Ախալքալաք)は、ジョージア南部サムツヘ=ジャヴァヘティ州の都市。

歴史

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現在の街の名はグルジア語で「新しい」を意味する「アハル」"ახალ" と「街」を意味する「カラキ」"ქალაქი" からなるが、18世紀の旅行者、ヨハン・アントン・ギュルデンシュテットの旅行記においては、この街は「アハルカタク」や「ノル・カタク」の名でも言及されている(アルメニア語で「ノル」«նոր» は「新しい」、「カタク」«քաղաք»は「街」を意味する)[2]

アハルカラキは、9世紀から10世紀頃に現在の場所とは異なる位置に建設され、1064年に現在の位置で都市とされた[3]1066年にはセルジューク朝グルジア王国侵略によって街は破壊された[4]。その後、11世紀バグラティオン朝英語版の治下に収まるまでは、街はグルジア人アルメニア人による両属状態となっていた[5]16世紀末にオスマン帝国の領域となり[3]チルディル州英語版の中心都市「アフルケレク」となった。

第三次露土戦争中の1811年にはロシア帝国の軍勢が街を占領した[3]。しかし、翌1812年ブカレスト講和条約によって、街は再度オスマン領へ戻された[3]。その後、1828年イヴァン・パスケーヴィチロシア語版将軍によって再度占領され、翌1829年にロシア帝国領とされた[6]。同年には、街の主な人口はムスリム化したグルジア人であった[5]。しかし、併合後に街のムスリムはオスマン領へ脱出し、代わってエルズルムドーウベヤズト英語版からのアルメニア人難民が、街に定住するようになった[5]グルジア・ソビエト百科事典[7]および自治体サイト[3]によれば、この人口移動はロシア政府による意図的なものとされている。

ソ連時代には、ボルジョミアハルツィヘレニナカンと高速道路で結ばれており、主な産業はチーズ・レモネード・澱粉・木材の製造や醸造、農業となっていた[8]ソビエト連邦の崩壊後も長らく駐留ロシア連邦軍の基地がおかれていたが、2007年6月、ロシア軍は基地をジョージア側に引き渡して撤兵した[9]

社会・経済

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市の裁判所には2人の判事と21人の職員がおり、判事の1人はニノツミンダ地区ロシア語版も担当している[10]1950年に開設された市立博物館には、中世後期から20世紀までの、4000点を超す歴史的な収蔵品がある[11]

2007年6月の時点で、インフラは1万5000人の人口を想定して設計されており、病院1件と小学校2件を含めた196の建造物が存在した[9]

2009年4月、大統領ミヘイル・サアカシュヴィリはアハルカラキ近郊に水力発電所を建造するとの覚書に署名した[12]。同時にサアカシュヴィリは、ヨーロッパと中国を結ぶ高速道路構想の一環として、サムツヘ=ジャヴァヘティ州バトゥミを、トビリシとアハルカラキを2010年に結ぶ高速道路の構想も明らかにした[12]

市には、グルジア正教会のニコライ (ru) 主教が監督するアハルカラキ・クムルド教区 (ru) が存在し[13]クムルド大聖堂グルジア語版を始めとした多くの歴史的建造物もある[8]。また、アルメニア教会のバブケン・サルビヤン主教が監督するサムツヘ=ジャヴァヘティ教区も存在する[14]

アハルカラキとトルコのカルスを結ぶ標準軌の鉄道が建設され、2017年10月30日にバクー=トビリシ=カルス鉄道が開業した[15]。アハラカルキ以東はロシア軌間であり、アハルカラキ駅は異軌間の接続点となっている[16]

人口

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ブロックハウス・エフロン百科事典によれば、1887年の市の人口は4303人で、民族別内訳はアルメニア人4080人、ユダヤ人63人、ロシア人61人、グルジア人45人となっている[6]1897年ロシア帝国国勢調査ロシア語版においては、市の人口は5440人とされ[17]1969年には9500人[8]1989年ソ連国勢調査では1万5572人となっている[18]2014年の国勢調査では、市の総人口は8295人(うち、男性3912人、女性4383人)となっている[19]

脚注

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  1. ^ ნომრების ფორმატი და ახალი ეროვნული კოდები (PDF) (Report). Silknet.
  2. ^ Комментарии”. Восточная Литература - библиотека текстов Средневековья. 2016年3月26日閲覧。
  3. ^ a b c d e Исторические данные”. Ахалкалакский муниципалитет. 2016年3月26日閲覧。
  4. ^ Suny, Ronald Grigor (1994) [1988]. The Making of the Georgian Nation (2 ed.). Bloomington, Indiana: Indiana University Press. p. 34. ISBN 978-0253209153 
  5. ^ a b c Hovannisian, Richard G. (1971). The Republic of Armenia. Near Eastern Center, UCLA. Volume I: The First Year, 1918-1919. Oakland, California: University of California Press. pp. 459–. ISBN 978-0520019843 
  6. ^ a b "Ахалкалаки". ブロックハウス・エフロン百科事典: 全86巻(本編82巻と追加4巻) (ロシア語). サンクトペテルブルク. 1890–1907.
  7. ^ ზარდალიშვილი გ., თუშაბრამიშვილი, ლომთათიძე გ., ლომსაძე შ., ზაქარაია პ., カルトリ・ソビエト百科事典, 第2巻, 96頁, トビリシ, 1977年.
  8. ^ a b c Ахалкалаки // Ангола — Барзас. — М. : Советская энциклопедия, 1970. — (Большая советская энциклопедия : [в 30 т.] / гл. ред. А. М. Прохоров ; 1969—1978, т. 2).
  9. ^ a b “Россия досрочно передала грузинам базу в Ахалкалаки”. Lenta.ruロシア語版. (2007年6月27日). http://lenta.ru/news/2007/06/27/base/ 2016年3月26日閲覧。 
  10. ^ Akhalkalaki District Court”. High Council of Justice of Georgia. 2016年3月26日閲覧。
  11. ^ ახალქალაქის მხარეთმცოდნეობის მუზეუმი”. საქართველოს მუზეუმები. 2016年3月26日閲覧。
  12. ^ a b “Президент Грузии вместо отставки построит в стране новую ГЭС”. РИА Новости. (2009年4月10日). http://ria.ru/politics/20090410/167759318.html 2016年3月26日閲覧。 
  13. ^ ახალქალაქისა და კუმურდოს ეპარქია”. www.orthodoxy.ge. 2016年3月26日閲覧。
  14. ^ “Выставка картин в Ахалкалаки”. JNEWS.ge, Новости Джавахети. Javakheti News. (2015年12月28日). http://jnews.ge/?p=5851 2016年3月26日閲覧。 
  15. ^ Baku-Tbilisi-Kars (BTK) railway track becomes operational to carry Chinese goods to Europe”. dnd.com.pk (30 October 2017). 27 February 2018閲覧。
  16. ^ http://www.railwaygazette.com/news/passenger/single-view/view/stadler-signs-baku-tbilisi-kars-sleeping-car-contract.html
  17. ^ Первая Всеобщая перепись населения Российской империи 1897 года. Наличное население в губерниях, уездах, городах Российской Империи (без Финляндии)”. Демоскоп Weekly. 2016年3月26日閲覧。
  18. ^ Всесоюзная перепись населения 1989 г. Численность городского населения союзных республик, их территориальных единиц, городских поселений и городских районов по полу”. Демоскоп Weekly. 2016年3月26日閲覧。
  19. ^ Number of population by administrative-territorial units and sex (Excel) (Report). National Statistics Office of Georgia.