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カスタモヌ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カスタモヌ
地区
砦から見た町並み
砦から見た町並み
県内の区割り図
県内の区割り図
カスタモヌの位置(トルコ内)
カスタモヌ
カスタモヌ
位置図
北緯41度22分 東経33度46分 / 北緯41.367度 東経33.767度 / 41.367; 33.767
トルコの旗 トルコ
地域 黒海地域
カスタモヌ県
面積
 • 地区 1,834 km2
標高
904 m
人口
(2009年)[1]
 • 地区 102,059人
 • 密度 55.65人/km2
 • 都市部
86,085人
等時帯 UTC+3 (極東ヨーロッパ時間)
郵便番号
37xxx
市外局番 366
ナンバープレート 37
ウェブサイト www.kastamonu.gov.tr

カスタモヌトルコ語: Kastamonu)は、トルコの都市で、カスタモヌ県の県都。2000年の国勢調査時点で地区には10万2059人が住んでおり、うち6万4606人は中心街(2009年には8万6085人[2])に暮らしている[1][3]。地区の面積は1834平方kmで[4]、標高は904m。県南部に位置する。

市街から17kmほどいったカサバ村には、1366年のセルジューク朝時代に建てられたマフムト・ベイモスクという重要なモスクがある。トルコ国内で最も保存状態のよい木造モスクの一つとされており、扉には見事な木彫りの装飾が見られる。

歴史

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この都市は紀元前18世紀に建設されたと信じられている。ローマ時代はティモニオン(Timonion)として知られていた。県内のタシュケプリにローマ人はパフラゴニア英語版 を築き、現代でもニンニクの生産で知られている。

バシレイオス2世から本領を受けたイサキオス1世コムネノスは、この地にKastra Komneniという要塞を築いた。地名はこの頃にカストラ・コムネノン(Kastra Komnenon)へと変わり、後にトルコ語でカスタモヌと呼ばれるようになった。

1925年8月23日ケマル・アタテュルクはこの地から「ドレスコード革命」を起こした。同年、アタテュルクがこの地の共和人民党の建物で行った「帽子とドレスの革命」に関する演説は彼のスピーチのなかでもよく知られている。その建物は現在、考古博物館となっているが、カスタモヌでアタテュルクが使った物品も同じく展示されている。

2021年8月10日、集中豪雨により市内の河川が氾濫。市街地に洪水が押し寄せ、住宅の倒壊被害など多数発生[5]

教育

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2006年、かつてアンカラ大学やガジ大学の傘下だった大学、学校、研究所などが合同でカスタモヌ大学を設立した。この他にも、カスタモヌにはカスタモヌ・リセシとカスタモヌ・ムスタファ・カヤ・リセシの2つの高等教育機関が置かれている。カスタモヌ・リセシはオスマン帝国末期にアナトリア半島で初めて設立された高校で、カスタモヌ・ムスタファ・カヤ・リセシはイスタンブールイズミルアンカラ以外ではトルコで最も成功している高校である。

ゆかりの人物

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  • イオヴァン・ツァウス - ギリシャのミュージシャン、作曲家
  • シャバン・ヴェリ - スーフィズムの聖人
  • エロール・サヤン - クラシック音楽の作曲家、
  • オグズ・アタイ - 作家

脚注

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  1. ^ a b Turkish Statistical Institute. “Census 2000, Key statistics for urban areas of Turkey” (XLS) (Turkish). 2008年11月17日閲覧。
  2. ^ [1]
  3. ^ GeoHive. “Statistical information on Turkey's administrative units”. 2008年11月22日閲覧。
  4. ^ Statoids. “Statistical information on districts of Turkey”. 2008年11月22日閲覧。
  5. ^ 洪水によって倒壊した建物で救助活動を行う人々”. CNN (2021年8月12日). 2021年8月12日閲覧。

外部リンク

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