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グローセンゼーバッハ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
紋章 地図
(郡の位置)
基本情報
連邦州: バイエルン州
行政管区: ミッテルフランケン行政管区
郡: エアランゲン=ヘーヒシュタット郡
市町村連合体: ヘスドルフ行政共同体
緯度経度: 北緯49度37分56秒 東経10度52分54秒 / 北緯49.63222度 東経10.88167度 / 49.63222; 10.88167座標: 北緯49度37分56秒 東経10度52分54秒 / 北緯49.63222度 東経10.88167度 / 49.63222; 10.88167
標高: 海抜 296 m
面積: 7.2 km2
人口:

2,456人(2023年12月31日現在) [1]

人口密度: 341 人/km2
郵便番号: 91091
市外局番: 09135
ナンバープレート: ERH, HÖS
自治体コード:

09 5 72 127

行政庁舎の住所: Am Hirtenberg 1
91091 Großenseebach
ウェブサイト: www.Grossenseebach.de
首長: ユルゲン・イェーケル (Jürgen Jäkel)
郡内の位置
地図
地図

グローセンゼーバッハ (ドイツ語: Großenseebach) は、ドイツ連邦共和国バイエルン州ミッテルフランケンエアランゲン=ヘーヒシュタット郡に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)で、ヘスドルフ行政共同体の一員である。

地理

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自治体の構成

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この町は、公式にはグローセンゼーバッハ集落単独で構成される[2]

歴史

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ゼーバッハ集落は、1348年に初めて文献上で言及されている。大聖堂の付属農場に属し、1468年からはバンベルク司教区領となったが、個別の地所については、ニュルンベルクの貴族のレーエンとして分割統治された。16世紀には再び司教座教会司祭長管轄地が優勢となり、ビューヒェンバッハ司祭長管区となった。三十年戦争でグローセンゼーバッハは破壊されてしまった。1803年帝国代表者会議主要決議プロイセン王国領となったが、一時的なフランス統治の後1810年バイエルン王国領となった。1811年にヘルツォーゲン地方裁判所、1847年にヘルツォーゲンアウラハ会計局の管轄下に置かれた。現在の自治体が成立したのは、1818年のことである。1980年に、それぞれ独立した自治体であるグローセンゼーバッハとヘスドルフによってヘスドルフ行政共同体が創設された。

行政

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議会

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グローセンゼーバッハの議会は14議席で、これに首長が兼任で加わる。

紋章

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基部は、銀地に青い斜めの波帯。その上部は金地と赤地に二分割。向かって左は左向きの(向かって右向き)の赤い爪を持つ黒い獅子、それにかぶせて銀の斜め帯。向かって右は、銀のアカマツ

交通

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グローセンゼーバッハは、アウトバーンA3 ヴュルツブルク – ニュルンベルク線のエアランゲン西インターチェンジ近くに位置している。

引用

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