コクシェタウ
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コクシェタウ Көкшетау Кокшетау | ||
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市 | ||
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北緯53度17分 東経69度23分 / 北緯53.283度 東経69.383度座標: 北緯53度17分 東経69度23分 / 北緯53.283度 東経69.383度 | ||
国 | カザフスタン | |
州 | アクモラ州 | |
建設 | 1824年 | |
政府 | ||
• 市長 | バキト・サパロフ | |
人口 (2010年1月1日)[1] | ||
• 合計 | 146,933人 | |
等時帯 | UTC+5 | |
郵便番号 |
020000 | |
市外局番 | +7 7162 |
コクシェタウ(カザフ語: Көкшетау / Kökşetaw / كوكشەتاۋ、ロシア語: Кокшетау)は、カザフスタン北部のアクモラ州にある都市で、同州の州都である。人口は12万5225人(2007年国勢調査)。ソ連統治下はコクチェタフ (Кокчетав) と呼ばれたが、1993年に改称された。
地理
[編集]首都のアスタナから北西へ1245km。大自然とブラバイ・リゾートなどの観光地で知られる。コパ湖という湖に発展した。
歴史
[編集]1824年に要塞として建設された。地名はカザフ語で「緑の山」を意味するコクシェタウの丘にちなみ名づけられた[2]。1868年にこの地方のウェズド(行政区画の一種)の中心になった。
1930年代の内務人民委員部 (NKVD) によるポーランド作戦と国内のドイツ人粛清によって、この地域には多くのクレシー人が強制移住させられた。このため、コクチェタフはカザフスタンにおけるポーランド人ディアスポラの根城となった[3]。1944年3月16日にコクチェタフ州が創設されてから、同州の都であり続けている。
第二次世界大戦後には、第1054収容地区(ラーゲリ)が設置され、シベリア抑留の対象となった日本人捕虜の一部が移送されてきた[4]。
産業
[編集]食品加工などの軽工業が軸で、低品質の小麦などを産する。北には金鉱がある。ここから430kmほどのエキバストスまで、電圧1000キロバイト級の送電線が通じている。
交通
[編集]空港からアルマトイやペトロパブルに便がある。鉄道網が国の南部やロシアに延びている。
姉妹都市
[編集]脚注
[編集]- ^ http://www.akmola.stat.kz/oblasti/koksh.htm
- ^ E.M. Pospelov, Geograficheskie nazvaniya mira (Moscow, 1998), p. 208.
- ^ Kate Brown, A Biography of No Place: From Ethnic Borderland to Soviet Heartland (Harvard University Press, 2004: ISBN 0674011686), pp. 173-74.
- ^ 長勢了治『シベリア抑留全史』原書房、2013年8月8日、186頁。ISBN 9784562049318。