コンテンツにスキップ

ジャン=ピエール・ジャリエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャン=ピエール・ジャリエ
ジャリエ(1976年)
基本情報
フルネーム ジャン=ピエール・ジャック・ポール・ジャリエ
国籍 フランスの旗 フランス
出身地 同・シャラントン=ル=ポン
生年月日 (1946-07-10) 1946年7月10日(78歳)
F1での経歴
活動時期 1971,1973-1983
所属チーム '71,73 マーチ
'74-'76,'77 シャドウ
'77 ペンスキー
'77,'81,'83 リジェ
'78 ATS
'78 ロータス
'79-'80 ティレル
'81-'82 オゼッラ
出走回数 143 (135スタート)
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 3
通算獲得ポイント 31.5
ポールポジション 3
ファステストラップ 3
初戦 1971年イタリアGP
最終戦 1983年南アフリカGP
テンプレートを表示

ジャン=ピエール・ジャック・ポール・ジャリエJean-Pierre Jacques Paul Jarier, 1946年7月10日 - )は、フランス人の元レーシング・ドライバー。1973年のヨーロッパF2選手権チャンピオン。その名をもじった「ジャンパー(Jumper)・ジャリエ」の異名で呼ばれた[1]F1世界選手権におけるリーダーラップ:79周・PP:3回は、それぞれ未勝利ドライバーにおける3位・2位タイの数値である。

経歴

[編集]

パリ郊外シャラントン出身。ホテル経営者の息子として生まれる[2]。小型のオートバイに乗ってレースを始めたが、その後四輪に転向。家族を説得し、レースに出るためにルノー・ゴルディーニを買ってもらうことに成功する。

フォーミュラ・ルノーに出るとすぐに結果を出し、シェル石油から注目されサポートドライバーとなる。1970年にフランスF3にステップアップ、ランク3位となった。翌1971年よりヨーロッパF2選手権に参戦、3年目の1973年に7勝を挙げチャンピオンを獲得した。

F1

[編集]

1971年、シェルがF2で好結果を残したジャリエのために第9戦イタリアGPでマーチからスポット参戦させる準備を整え、F1デビューを果たす。ブレーキに問題を抱えたマーチで十分な走りが出来ず、周回不足でリタイヤ扱いのデビューとなった。1973年より本格参戦するが、参戦した10戦中リタイヤ8回・周回不足2回の完走なしに終わった。

シャドウ時代

[編集]
1975年レース・オブ・チャンピオンズでのジャリエ

1974年よりシャドウに移籍。序盤は予選で下位に沈んだが、第6戦モナコGPでは予選6位を獲得し、決勝でも3位表彰台を記録(初完走)。続く第7戦スウェーデンGPでも予選8位から5位入賞を果たした。その後は予選で上位に食い込むことも多くなっていったが、この年の入賞は上記の2回のみに終わり、完走も半数以下の7回だった。

1975年には、開幕戦アルゼンチンGP・第2戦ブラジルGPでPPを獲得。上位とは言い難いマシンでの連続PPにより注目を集めたが、アルゼンチンGPでは決勝前のトラブルによりスタート出来なかった。ブラジルGPでもリタイヤに終わり(ただし、初FLを記録)、その後は予選では上位に食い込むことがあったものの、入賞は第4戦スペインGPでの4位のみだった(完走は3回)。

1976年も残留し、開幕戦ブラジルGPでは予選3位からFLを獲得(結果はリタイヤ)。しかしその後も結果を残せず、予選でもこれまでの2年は上回ったトム・プライスに4勝12敗に終わった。

シャドウ後

[編集]

1977年1978年も、良いとは言い難いマシンで時折好走を見せるも、結果には結びつかないケースが続いていた。そんな中1978年の終盤2戦には、事故死したロニー・ピーターソンの代役として、この年圧倒的な強さを見せていたロータスから参戦。第15戦アメリカ東GPではFL、最終戦カナダGPではPPを獲得し、才能の片鱗を再びうかがわせた。特にカナダGPではスタートから終始トップを走行したが、残り20周余りでトラブルによりリタイヤに終わった。

1979年1980年は低迷期のティレルから参戦するも、1979年は3位表彰台2回を含め入賞6回。1980年は入賞3回と、低迷期なりには実績を残した。また1981年は後半よりオゼッラで参戦、下位チーム故チームメイトや前任が予選落ちを繰り返す中、ジャリエは全戦で予選を通過。1982年も予選落ちは2度のみだった。しかし結果は出せず、出走が14台のみだった第4戦サンマリノGPでの4位が、オゼッラでの唯一の入賞となった。

1983年は1981年序盤にも在籍したリジェから参戦するが、低迷期で入賞は記録できなかった。次第に速さの陰りも囁かれるようになり、この年をもってF1からは去っていった。

スポーツカーに参戦するジャリエ(写真は1974年)

スポーツカーレース

[編集]

元々1974年には世界メーカー選手権ジャン=ピエール・ベルトワーズジャッキー・イクスマトラで組み5勝を記録するなど、スポーツカーレースでも成績を残している。1977年にはル・マン24時間レースにて、バーン・シュパンとのコンビで2位を獲得した。

F1離脱後は本格的にスポーツカーレースに転向し、1993年にはウーヴェ・アルツェンクリスチャン・フィッティパルディスパ24時間レースを制した。フランスGT選手権英語版では、1998年・1999年の2年連続でチャンピオンに輝いている。

パワーボート

[編集]

1987年から1988年にかけてはクラス1オフショアパワーボート世界選手権にも出場。その際彼が所属していたチーム「リーダー・ミディアル・エルフ」、そして彼の乗るランボルギーニ製V12エンジンが二基搭載されたモーターボート「コリブリ」はジャリエのかつての同僚及び同郷の友人である、1987年のニードルズ・トロフィーで事故死したディディエ・ピローニから引き継がれたものであった。

引退後

[編集]

ジャリエは事業で各地を回る多忙な身となっていたが、1995年に移動のため乗っていたヘリコプターが墜落する事故に遭った。事故に気付いた墜落現場近くの住民が恐る恐るヘリの残骸に近づくと、スーツケースを両手に持ったジャリエが煙の中から現れ「頭が痛いので病院に連れて行ってほしい」と言うので、その住民が持っていたスクールバスにジャリエを乗せて病院に向かった。ジャリエを救出したその人物は「元F1レーサー」だとは全く知らずに病院へと急いで運転したが、ジャリエは「もっとスピードを出してくれ」と言ったという。病院ではジャリエは頭を何針か縫う傷を負っていたが、「急いでいるんだ」とそのまま空港へ向かい、別の飛行機に乗って目的地へと去って行った。マルマンドの地元新聞がこの墜落事故を記事にしたので「助けた男」が元F1レーサーだと知ったスクールバスの運転手は「彼がレーサーだと知っていたら、このバスではF1カーのようなスピードは出せないんだよと言ってやっただろう (笑)」と取材記者に話した[1]

レース戦績

[編集]

ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権

[編集]
チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 順位 ポイント
1971年 シェール・アラウンドチーム マーチ・ 712M コスワース HOC THR
Ret
NÜR JAR
Ret
PAL
Ret
ROU
DNS
MAN
Ret
TUL ALB
3
VLL
DNQ
VLL
3
8位 10
1972年 マーチ・ 722 MAL THR
Ret
HOC
Ret
PAU PAL HOC ROU ÖST IMO MAN PER SAL ALB HOC NC 0
1973年 STP マーチ・エンジニアリング マーチ・732 BMW MAL
1
HOC
1
THR
Ret
NÜR
Ret
PAU
2
KIN NIV
1
HOC ROU
1
MNZ MAN
1
KAR
1
PER
1
SAL NOR
Ret
ALB
2
VLL 1位 78
1976年 フレッド・オペル・レーシング シェブロン・ B35 ハート HOC THR VLL SAL PAU
4
HOC ROU MUG PER EST NOG
Ret
HOC NC 0
1978年 マウブランク・レーシング・サービス マーチ・782 BMW THR
Ret
HOC
3
NÜR PAU MUG VLL
Ret
ROU
8
DON NOG PER MIS HOC NC 0

F1

[編集]
所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 WDC ポイント
1971年 マーチシェル・アーノルド 701 RSA ESP MON NED FRA GBR GER AUT ITA
NC
CAN USA NC
(35位)
0
1973年 マーチ 721G ARG
Ret
BRA
Ret
RSA
NC
ESP NC
(31位)
0
731 BEL
Ret
MON
Ret
SWE
Ret
FRA
Ret
GBR NED GER AUT
Ret
ITA CAN
NC
USA
11
1974年 シャドウ DN1 ARG
Ret
BRA
Ret
RSA 14位 6
DN3 ESP
Ret
BEL
13
MON
3
SWE
5
NED
Ret
FRA
12
GBR
Ret
GER
8
AUT
8
ITA
Ret
CAN
Ret
USA
10
1975年 DN5 ARG
DNS
BRA
Ret
RSA
Ret
ESP
4
MON
Ret
BEL
Ret
SWE
Ret
NED
Ret
FRA
8
GBR
14
GER
Ret
USA
Ret
18位 1.5
DN7 AUT
Ret
ITA
Ret
1976年 DN5B BRA
Ret
RSA
Ret
USW
7
ESP
Ret
BEL
9
MON
8
SWE
12
FRA
12
GBR
9
GER
11
AUT
Ret
NED
10
ITA
19
CAN
18
USA
10
JPN
10
NC
(22位)
0
1977年 ペンスキーATS PC4 ARG BRA RSA USW
6
ESP
DNQ
MON
11
BEL
11
SWE
8
FRA
Ret
GBR
9
GER
Ret
AUT
14
NED
Ret
ITA
Ret
19位 1
シャドウ DN8 USA
9
CAN
リジェ JS7 JPN
Ret
1978年 ATS HS1 ARG
12
BRA
DNS
RSA
8
USW
11
MON
DNQ
BEL ESP SWE FRA GBR GER
DNQ
AUT NED ITA NC
(25位)
0
ロータス 79 USA
15
CAN
Ret
1979年 ティレル 009 ARG
Ret
BRA
Ret
RSA
3
USW
6
ESP
5
BEL
11
MON
Ret
FRA
5
GBR
3
GER AUT NED
Ret
ITA
6
CAN
Ret
USA
Ret
11位 14
1980年 ARG
Ret
BRA
12
13位 6
010 RSA
7
USW
Ret
BEL
5
MON
Ret
FRA
Ret
GBR
5
GER
15
AUT
Ret
NED
5
ITA
13
CAN
7
USA
NC
1981年 リジェ JS17 USW
Ret
BRA
7
ARG SMR BEL MON ESP FRA NC
(22位)
0
オゼッラ FA1B GBR
8
GER
8
AUT
10
NED
Ret
FA1C ITA
9
CAN
Ret
CPL
Ret
1982年 RSA
Ret
BRA
9
USW
Ret
SMR
4
BEL
Ret
MON
DNQ
DET
Ret
CAN
DNS
NED
14
GBR
Ret
FRA
Ret
20位 3
FA1D GER
Ret
AUT
DNQ
SUI
Ret
ITA
Ret
CPL
DNS
1983年 リジェ JS21 BRA
Ret
USW
Ret
FRA
9
SMR
Ret
MON
Ret
BEL
Ret
DET
Ret
CAN
Ret
GBR
10
GER
8
AUT
7
NED
Ret
ITA
9
EUR
Ret
RSA
10
NC
(22位)
0

ル・マン24時間レース

[編集]
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1972年 アメリカ合衆国の旗 ノースアメリカン・レーシングチーム フランスの旗 クロード・ビシェ フェラーリ・365GTB/4 GT
5.0
297 9th 5th
1974年 フランスの旗 エクィップ ジタン フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ-シムカ・MS680 S
3.0
104 DNF DNF
1975年 フランスの旗 ジタン オートモービル リジェ フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ リジェ・JS2-マセラティ S
3.0
36 DNF DNF
1977年 アメリカ合衆国の旗 グランド・ツーリング・カーズ
フランスの旗 ミラージュ・ルノー
オーストラリアの旗 ヴァーン・シュパン ミラージュ・GR8-ルノー S
+2.0
331 2位 2位
1978年 フランスの旗 ルノー・スポール イギリスの旗 デレック・ベル ルノー・アルピーヌ・A442 S
+2.0
162 DNF DNF
1979年 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ アメリカ合衆国の旗 ランディ・タウンゼント
フランスの旗 レイモンド・トゥルール
ポルシェ・935 IMSA
+2.5
65 DNF DNF
1981年 ドイツの旗 BASFカセッテン・チーム・GSスポルト ドイツの旗 ハンス=ヨアヒム・スタック
ドイツの旗 ヘルムート・ヘンズラー
BMW・M1 IMSA
GTX
57 DNF DNF
1984年 ドイツの旗 ポルシェ・クレマー・レーシング オーストラリアの旗 ヴァーン・シュパン
オーストラリアの旗 アラン・ジョーンズ
ポルシェ・956B C1 337 6位 6位
1985年 ニュージーランドの旗 マイク・サックウェル
オーストリアの旗 フランツ・コンラット
ポルシェ・962C C1 356 9位 9位
1988年 オーストラリアの旗 武富士 シュパン レーシング イギリスの旗 ブライアン・レッドマン
スウェーデンの旗 エイエ・エリジュ
C1 359 10位 10位
1995年 フランスの旗 ラルブル・コンペティション スペインの旗 ヘスス・パレハ
フランスの旗 エリック・コマス
ポルシェ・911 GT2 Evo GT1 64 DNF DNF
1996年 ドイツの旗 ロック・レーシングチーム スペインの旗 ヘスス・パレハ
イギリスの旗 ドミニク・チャペル
GT1 93 DNF DNF
1997年 フランスの旗 ソシエテ シェロー フランスの旗 ジーン・リュック・シェロー
フランスの旗 ジャック・ルコンテ
ポルシェ・911 GT2 GT2 77 DNF DNF
1998年 フランスの旗 ラルブル・コンペティション スウェーデンの旗 カール・ローゼンブラッド
イギリスの旗 ロビン・ドノヴァン
GT2 164 DNF DNF
1999年 フランスの旗 セバスチャン・ボーデ
フランスの旗 ピエール・ド・トワジー
GTS 134 DNF DNF
Source:[3]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 本当に知りたい話「オフのおもしろい話」 F1グランプリ特集 vol.069 78-79頁 ソニーマガジンズ 1995年3月16日発行
  2. ^ F1's journeyman ESPN Motorsportmedia.ltd 2010年3月9日
  3. ^ Jean-Pierre Jarier, France”. racingsportscars.com. September 20, 2017閲覧。

関連項目

[編集]
タイトル
先代
マイク・ヘイルウッド
ヨーロッパF2選手権 チャンピオン
1973年
次代
パトリック・デパイユ