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ダン・ウェルドン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダン・ウェルドン
Dan Wheldon
基本情報
国籍 イギリスの旗 イギリス
生年月日 (1978-06-22) 1978年6月22日
出身地 イングランドの旗 イングランドバッキンガムシャー
死没日 (2011-10-16) 2011年10月16日(33歳没)
死没地 ネバダ州ラスベガス
インディカー・シリーズでの経歴
デビュー 2002
所属 パンサー・レーシング
車番 10
過去所属 パンサー・レーシング
アンドレッティ・グリーン・レーシング
チップ・ガナッシ・レーシング
出走回数 97
優勝回数 15
ポールポジション 5
シリーズ最高順位 1位 (2005)
過去参加シリーズ
2001
2000
1999
インディ・ライツ
アトランティック・チャンピオンシップ
U.S. フォーミュラ・フォード2000
選手権タイトル
2005 IRL インディカー・シリーズ チャンピオン
受賞
2003 IRL インディカー・シリーズ ルーキーオブザイヤー

ダニエル・クライヴ・ウェルドン(Daniel Clive "Dan" Wheldon、1978年6月22日 - 2011年10月16日)は、イングランドバッキンガムシャー出身のイギリス人レーシングドライバー。2005年インディカー・シリーズのチャンピオンで、同年、および2011年インディ500勝者。

初期の経歴

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4歳のときに父親の資金でカートを始めた。学業年齢の間にレースでの成績を上げていった。イギリス一般中等教育を終了する16歳までベッドフォードスクール(en:Bedford School)に在籍した。フォーミュラカーレースのキャリア初期にウェルドンはジェンソン・バトンと争ったが、アメリカに移住した。これはイギリスでキャリアを進めるにはウェルドンの家庭では充分な資金が供給できなかったからである[1]。1999年にアメリカに移ると、フォーミュラ・フォード2000、トヨタ・アトランティックシリーズインディ・ライツなどの下級フォーミュラカーレースに参戦した。

IRL

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2002年、ウェルドンはインディ・レーシング・リーグ(IRL)にステップアップし、パンサー・レーシングより2レースに参戦した。翌2003年にウェルドンはアンドレッティ・グリーン・レーシングに加入した。シーズン中にマイケル・アンドレッティが引退すると後釜に収まり、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。2004年にはツインリンクもてぎでIRLでの初優勝を挙げるとシーズン3勝を獲得し、チームメイトのトニー・カナーンに続く2位で選手権を終えた。

ウェルドンは2005年インディ500に勝ち、その年のIRLシリーズチャンピオンも獲得した。このシーズン、ウェルドンは6勝を挙げ、サム・ホーニッシュJrが持っていたシーズン最多勝記録の5勝を更新した。インディ500でのウェルドンの勝利は1966年グラハム・ヒルが勝利して以来のイングランド人による優勝だった。ウェルドンは「私はレターマン(のトークショウ)とグッド・モーニング・アメリカに出演し、もしかすると全部の州でラジオのインタビューが流れたかも知れない。ヤンキースメッツカブスの試合では始球式でボールを投げた。私はクルマの中で休息を取った」と述べた[1]。しかし2005年11月に、ウェルドンは翌2006年シーズンはチップ・ガナッシ チームでドライブすると発表された。ガナッシでの最初のテストを行った直後、ウェルドンはガナッシでのチームメイトとなるスコット・ディクソンケイシー・メアーズとともにデイトナ24時間レースを制した。

その2006年、ウェルドンは、ホームステッド=マイアミエリオ・カストロネベスを0.014秒差で下してシーズンをスタートしたが、次戦セント・ピーターズバーグではセーフティカーラン中にサム・ホーニッシュJrと接触してリタイヤした。2006年のIRLシーズン終了時、ウェルドンとホーニッシュJrのポイントは475点で並んでいたが、勝利数の差でチャンピオンが決定した。ホーニッシュJrはこのシーズン4勝を挙げたがウェルドンは2勝に留まったため、2006年のIRLチャンピオンはホーニッシュJrのものとなった。

接戦となったこのシーズン中、ウェルドンはF1BMWザウバーからオファーを受けた。しかしレギュラーシートが保証されないことが分かると、ウェルドンはこれを謝絶した。「私は本当にF1でレースがしたい。チップとの契約が満了したら、F1のことを真剣に検討するだろう[2]」。

2007年インディ500のプラクティスを走行するウェルドン

2007年に、ウェルドンは、気難しい(difficult)と認知されていることについて「私は私のレースに全精力を傾けていて、周囲にも同じだけの支援を期待している。もし全精力を傾けていない人物が居たら、ためらわずにそう伝える。ただしこれは時に不作法なことであるので、これから少しは改善すると思う[1]」と述べた。

2008年6月2日、ウェルドンは30歳になる誕生日にアイオワで行われたレースで、武藤英紀マルコ・アンドレッティを下してインディカーでの通算15勝目を挙げた。ウェルドンはその賞金をレース直前の時期にアイオワで発生した竜巻洪水の被害者のために寄付した。しかし、このシーズンでチップ・ガナッシを離れることとなり、これがガナッシでの最後の勝利となった。

2008年9月2日、ウェルドンはガナッシのチームを去ると発表された[3]。ウェルドンの後任はダリオ・フランキッティである。ウェルドンは「私はこの3シーズンをターゲット・チップ・ガナッシ・レーシングで楽しんだ。しかし、2009年のとてもエキサイティングな機会を追求することにした」と述べた。その後、ウェルドンは古巣であるパンサー・レーシングに復帰することが明らかになった[4]。シーズン最終戦後に行われたノンタイトル戦には、ウェルドンはパンサーから出走した。

2009年2010年とパンサー・レーシングから参戦している。トップチームとは言えない体制で上位になかなか上がれないレースが続いたが、インディ500では2年とも2位に入る結果を見せている。しかしシーズンを通して上位争いはできず、ランキングはそれぞれ10位・9位にとどまり、2010年シーズン終了をもってパンサー・レーシングから離脱した。

2011年はシートを失うも、インディ500ブライアン・ハータ・オートスポーツからスポット参戦し、劇的な逆転優勝を飾った。8月からは2012年より導入される新型シャシのテストドライバーを務めた。

事故死とその後

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10月16日の最終戦ラスベガスにスポット参戦したウェルドンは、最後尾から優勝したら500万ドルが贈られる企画[5]に挑戦するため最後尾からスタートする。

しかしハイバンクの1.5マイルのなかでこの年最多の34台が時速360 kmで密集して走るという異常な状況の中で12周目、ウェイド・カニンガムジェームズ・ヒンチクリフの接触を発端にさらに後続の13台を巻き込む大クラッシュが発生する。この中でチャーリー・キンボールのマシンに乗り上げて宙を舞ったウェルドンのマシンは、さらにその下に滑り込んできたE.J.ヴィソのマシンに乗り上げ、それに運ばれるようにSAFERウォールの上のキャッチネットの支柱にコックピット側から叩きつけられてしまい、搬送先の病院で死亡が確認された[6]。 33歳没。

皮肉にも、自らがテストを重ねた新シャーシ導入を翌年に控えての、現行シャーシ最終レースでの事故であった。また、この日の朝、NASCAR転向を表明したダニカ・パトリックに替わるドライバーとしてアンドレッティ・オートスポーツと複数年契約を交わしたばかりであった[7]

インディ史に残る名ドライバーの死にレースはそのまま中止、マシンが残ったドライバー全員による5周の追悼ラップがウェルドンに捧げられた。なお、ヒンチクリフ[8]の発案により、ウェルドンがテストを重ねた次期シャーシは彼への敬意を示し、その名前を取ることになりDW001[9][10]の仮称を経て、最終的には2012年と合わせてDW12と正式に命名された[11]

2012年3月にはウェルドンが暮らしていたセントピーターズバーグ市街地コースのターン10からターン11までのストレート区間が「ダン・ウェルドン・ウェイ」と名付けられ、この年のレースで優勝したエリオ・カストロネベスは恒例の金網登りをこの場所で行い、ウェルドンに勝利を捧げている。

エピソード

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  • 自身の初優勝がツインリンクもてぎでのホンダエンジン初勝利となり、翌年もこのレースを制するなど、もてぎとは相性がよく、参戦こそ叶わなかったが2011年のインディジャパン THE FINALの公式プログラムで「もてぎに最も愛された男」との特集が組まれたほどである。
  • 2006年からはその名前をもじった「ダン・ウェル丼」[12](とは言ってもどんぶりではない)なる限定メニューが登場するなど日本でも愛されたドライバーであった。
  • オートバイロードレースライダーのバレンティーノ・ロッシ同様、頻繁にヘルメットのデザインを変えていた。
  • 長年、パーソナル・アシスタントをつとめレース活動を共にしてきたスージー・ベイムと2008年に結婚。長男セバスチャンが2009年2月、次男オリバーは2011年3月に誕生。
  • 2007年ミルウォーキー戦で、左後方からインを差そうとしてきた女性ドライバーのダニカ・パトリックと接触。「彼女は抜ける位置にいなかった」とするウェルドンに、「完全に並んでいた」とパトリックは激昂。パトリックがウェルドンの身体を押して喧嘩沙汰寸前になった上にメディアを通じて批判合戦も展開、翌戦のテキサスではプロモーターが横断幕で「ウェルドンvsパトリック」を煽るほどであった。運営の裁定は両者ノーペナルティであった[13]

記録

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インディ・ライツ

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チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
2001年 パックウェスト・ライツ MTY
5
LBH
2
TXS
10
MIL
3
POR
10
KAN
3
TOR
7
MDO
2
STL
1
ATL
1
LS
5
FON
2
2位 149

インディカー・シリーズ

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チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 順位 ポイント
2002年 パンサー・レーシング ダラーラ シボレー HMS PHX FON NZR INDY TXS PPIR RIR KAN NSH MIS KTY STL CHI
10
TX2
15
36位 35
2003年 アンドレッティ・グリーン・レーシング ホンダ HMS PHX MOT
7
INDY
19
TXS
20
PPIR
19
RIR
8
KAN
21
NSH
4
MIS
20
STL
5
KTY
8
NZR
7
CHI
4
FON
4
TX2
3
11位 312
2004年 HMS
3
PHX
3
MOT
1
INDY
3
TXS
13
RIR
1
KAN
9
NSH
13
MIL
18
MIS
3
KTY
3
PPIR
3
NZR
1
CHI
4
FON
3
TX2
3
2位 533
2005年 HMS
1
PHX
6
STP
1
MOT
1
INDY
1
TXS
6
RIR
5
KAN
2
NSH
21
MIL
5
MIS
2
KTY
3
PPIR
1
SNM
18
CHI
1
WGL
5
FON
6
1位 618
2006年 チップ・ガナッシ・レーシング HMS
1
STP
16
MOT
2
INDY
4
WGL
15
TXS
3
RIR
9
KAN
2
NSH
2
MIL
8
MIS
3
KTY
4
SNM
6
CHI
1
2位a 475
2007年 HMS
1
STP
9
MOT
2
KAN
1
INDY
22
MIL
3
TXS
15
IOW
11
RIR
3
WGL
7
NSH
8
MDO
10
MIS
12
KTY
17
SNM
7
DET
3
CHI
13
4位 466
2008年 HMS
3
STP
12
MOT1
4
LBH1
DNP
KAN
1
INDY
12
MIL
4
TXS
4
IOW
1
RIR
4
WGL
24
NSH
2
MDO
17
EDM
7
KTY
5
SNM
4
DET
20
CHI
6
4位 492
パンサー・レーシング SRF2
11
2009年 STP
14
LBH
5
KAN
10
INDY
2
MIL
10
TXS
7
IOW
4
RIR
10
WGL
10
TOR
14
EDM
15
KTY
11
MDO
16
SNM
12
CHI
22
MOT
8
HMS
21
10位 354
2010年 SAO
5
STP
20
ALA
11
LBH
9
KAN
15
INDY
2
TXS
9
IOW
11
WGL
6
TOR
10
EDM
20
MDO
14
SNM
25
CHI
2
KTY
3
MOT
10
HMS
9
9位 388
2011年 ブライアン・ハータ・オートスポーツ STP ALA LBH SAO INDY
1
TXS1 TXS2 MIL IOW TOR EDM MDO NWH SNM BAL MOT 28位 75
サム・シュミット・モータースポーツ KTY
14
LVS
C
a サム・ホーニッシュJr.とウェルドンは475ポイントで並んだが、ホーニッシュは4勝を挙げたのに対しウェルドンは2勝であったため、ホーニッシュがタイトルを獲得した。
1 同日に開催された
2 ノンタイトル戦
年数 チーム数 レース数 PP数 勝利数 表彰台
(勝利以外)**
トップ10
(表彰台以外)***
インディ500勝利数 チャンピオン獲得数
10 5 133 5 16 27 50 2 (2005, 2011) 1 (2005)
** 表彰台(勝利以外):2位または3位
*** トップ10
(表彰台以外):4位から10位まで

インディ500

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シャシー エンジン スタート フィニッシュ チーム 備考
2003年 ダラーラ ホンダ 5 19 アンドレッティ・グリーン ターン4でクラッシュ
2004年 ダラーラ ホンダ 2 3 アンドレッティ・グリーン 完走
2005年 ダラーラ ホンダ 16 1 アンドレッティ・グリーン 完走; 157.603 mph
2006年 ダラーラ ホンダ 3 4 チップ・ガナッシ・レーシング 完走
2007年 ダラーラ ホンダ 6 22 チップ・ガナッシ・レーシング バックストレッチでクラッシュ
2008年 ダラーラ ホンダ 2 12 チップ・ガナッシ・レーシング 完走
2009年 ダラーラ ホンダ 18 2 パンサー・レーシング 完走
2010年 ダラーラ ホンダ 18 2 パンサー・レーシング 完走
2011年 ダラーラ ホンダ 6 1 ブライアン・ハータ・オートスポーツ 完走; 170.265 mph

脚注

[編集]
  1. ^ a b c Dan Wheldon: 'Winning at Monaco would be great, but it's nothing next to the Indy 500'”. 2008年11月13日閲覧。
  2. ^ Shaw, Simon. “Dan's Indy mood for F1”. The Sun. 2007年5月27日閲覧。
  3. ^ Perez, A.J.. “Goodbye NASCAR: Franchitti headed back to IndyCar Series”. USA TODAY (newspaper). http://www.usatoday.com/sports/motor/irl/2008-09-02-franchitti-returns_N.htm 2008年9月2日閲覧。 
  4. ^ Lewandowski, Dave. “Driver musical chairs”. indycar.com. http://www.indycar.com/news/?story_id=12431 2008年9月3日閲覧。 
  5. ^ もともとは5人のゲストドライバーが参戦し、そのドライバーが優勝すれば500万ドルが与えられるという企画だったが、ゲストドライバーが集まらなかったため変更されたものであった
  6. ^ インディで大事故…英国人ドライバー死亡 サンケイスポーツ 2011年10月17日閲覧
  7. ^ Wheldon, Indy 500 Winner, Dies After Crash
  8. ^ 事故死したウェルドンの代わりに、そのヒンチクリフがアンドレッティ・オートスポーツのドライバーとなった。
  9. ^ [Dallara to name 2012 IndyCar in honour of Dan Wheldon http://www.autosport.com/news/report.php/id/95505]
  10. ^ [ダラーラ、新インディカーを『DW001』と命名 https://www.as-web.jp/past/%e3%83%80%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a9%e3%80%81%e6%96%b0%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%ab%e3%83%bc%e3%82%92%e3%80%8edw001%e3%80%8f%e3%81%a8%e5%91%bd%e5%90%8d]
  11. ^ [2012年インディカーは『DW12』という名称に https://www.as-web.jp/past/2012%e5%b9%b4%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%ab%e3%83%bc%e3%81%af%e3%80%8edw12%e3%80%8f%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e5%90%8d%e7%a7%b0%e3%81%ab]
  12. ^ ダン・ウェル丼”. f1express.cnc.ne.jp. 2018年12月3日閲覧。
  13. ^ 『AUTO SPORT No.1115 2007年6月21日号』P85 三栄書房刊

外部リンク

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タイトル
先代
ローレン・レドン
インディカー・シリーズ
ルーキー・オブ・ザ・イヤー

2003
次代
松浦孝亮
先代
バディ・ライス
インディ500勝者
2005
次代
サム・ホーニッシュJr.
先代
トニー・カナーン
インディカー・シリーズ
チャンピオン

2005
次代
サム・ホーニッシュJr.
先代
ダリオ・フランキッティ
インディ500勝者
2011
次代
ダリオ・フランキッティ
受賞
先代
マーク・ウェバー
オートスポーツ
ルーキーオブザイヤー

2003
次代
A.J.アルメンディンガー
先代
アンディ・プリオール
オートスポーツ
ブリティッシュ・コンペティション・ドライバーオブザイヤー

2005
次代
ジェンソン・バトン