チマヒ
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チマヒ | ||
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市 | ||
Cimahi | ||
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標語: Saluyu Ngawangun Jati Mandiri | ||
南緯6度52分59秒 東経107度32分29秒 / 南緯6.88306度 東経107.54139度 | ||
国 | インドネシア | |
州 | 西ジャワ州 | |
市 | チマヒ | |
政府 | ||
• 市長 | アッティー・スハルティ・トチジャ | |
面積 | ||
• 合計 | 40.2 km2 | |
標高 | 685 m | |
人口 (2014) | ||
• 合計 | 561,386人 | |
• 密度 | 13,964人/km2 | |
等時帯 | UTC+7 (WIB) | |
ウェブサイト | www.cimahikota.go.id |
チマヒ(インドネシア語: Cimahi)はインドネシアのジャワ島の西ジャワ州の都市。バンドン都市圏の西に有る。繊維産業が盛んで、多くの軍事訓練施設が有る。 [1]
地理
[編集]チマヒは首都ジャカルタの180km南東に位置し、バンドンと西バンドン県に挟まれる。 [2] チマヒは3つの区から成り、その下に15の村が有る。最低標高は685mのシタルム川で、最高標高は1040mのタンクバンプラフ山とブランラン山の斜面である。チマヒ川はチマヒを通り、シクダとシソントクの2つの泉が有る。 [3]
歴史
[編集]市を流れるチマヒ川からチマヒという名が付いた。チマヒはスンダ語で「充分な水」を意味する。住民はチマヒ川から水を得ている[4]。 1811年、チマヒの重要性は高まった。オランダ領東インド政府総督のヘルマン・ウィレム・ダンデルスが大横断道路を建設したのだ。検問所(ロジ)がチマヒ広場に造られた。
1874年~1893年、チマヒ駅と、バンドンとシアンジュルを結ぶ鉄道が造られた。
1886年、軍事訓練施設が建てられ始めた。
1935年、チマヒは地区になる。
1975年、チマヒは西ジャワ州で初めて(国内で3番目)に行政市になる。
観光
[編集]チマヒの観光地には、Alam Wisata CimahiやPandiga Recreation Sport、Rumah Pajang、Lembur Batik、Kampung Adat Cirendeuが有る。市観光局によると、特有の自然や料理、手芸、伝統社会が体験出来る[6]。 加えて、Dustira病院やEreveld墓地、軍事刑務所やSudirmanビル等歴史的建築物も有る[7]。
参考資料
[編集]- ^ “PENGANTAR DARI WALIKOTA CIMAHI” (Indonesian). 16 September 2015閲覧。
- ^ “GEOGRAFI” (Indonesian). 16 September 2015閲覧。
- ^ “Data Wilayah” (Indonesian). 16 September 2015閲覧。
- ^ “SEJARAH” (Indonesian). 16 September 2015閲覧。
- ^ “Sejarah” (Indonesian). 16 September 2015閲覧。
- ^ “WISATA” (Indonesian). 16 September 2015閲覧。
- ^ “Heritage Dan Pusat Pendidikan Militer” (Indonesian). 16 September 2015閲覧。