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ドナルド・フェイゲン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ドナルド・フェイゲン
スティーリー・ダン - ロンドン公演(2017年10月)
基本情報
出生名 ドナルド・ジェイ・フェイゲン
生誕 (1948-01-10) 1948年1月10日(76歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニュージャージー州パサイク郡
学歴 バード大学
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間 1971年 -
レーベル
配偶者 リビー・タイタス(1993年結婚)
共同作業者
公式サイト donaldfagen.com

ドナルド・フェイゲンDonald Fagen、本名:ドナルド・ジェイ・フェイゲンDonald Jay Fagen)、1948年1月10日 - )は、アメリカ合衆国シンガーソングライターキーボーディストバンドスティーリー・ダン」の創設者として知られる。

来歴

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ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーは、1971年にグループを結成した。彼らはこのバンドの中心メンバーであり、共同で作曲をおこなった。ツアーやレコーディングではフェイゲンはキーボード演奏を担当し、またレコーディング曲ほぼ全てのリードボーカルも担当している。印象的なコード転調などが彼らの楽曲の主な特徴である。

72年にはラテンの影響を受けた「ドゥ・イット・アゲイン」が初のヒットとなり、さらに1974年に「リキの電話番号(Rikki Don't Lose That Number)」はアメリカだけでなく日本でもヒットした。74年のサード・アルバムを発表した後ほかのメンバーはバンドを離脱し、スティーリー・ダンはフェイゲンとベッカーが率いるスタジオプロジェクトに変化した。それ以降、アメリカのジャズR&Bクロスオーバーロックのスタジオミュージシャンの精鋭を集めてレコーディングするのが主要な活動となる。1977年にはアルバム『彩(エイジャ) Aja』がプラチナディスクに認定される大成功を収めた[2]。同アルバムからは「ペグ」「ディーコン・ブルース」などがヒットした。

1981年にスティーリー・ダンが解散した後、フェイゲンは初のソロ・アルバム『ナイトフライ The Nightfly 』(1982年)を発表、スティーリー・ダン時代の作品に匹敵する評価を得た。同アルバムからはレゲエ調の「I.G.Y.」がヒットした[3]

彼は音楽雑誌に寄稿したことがあり、ヘンリー・マンシーニエンニオ・モリコーネの機知に富んだ作品などについて論評している。

1980年代、フェイゲンは映画や多くの他のアーティストのための作曲や、ニューヨーク・ロック・アンド・ソウル・レビュー英語版に参加してのツアー活動などを行った(彼はニューヨーク・ロック・アンド・ソウル・レビューのプロデューサーであったリビー・タイタスと1993年に結婚している)。フェイゲンのソロ・アルバム第2作『カマキリアド Kamakiriad』(1993年)はベッカーによってプロデュースされた。これがきっかけで彼らの作曲チームとしての再結成と、スティーリー・ダンとしての新たなツアー活動の創造が実現した。翌年にはフェイゲンはベッカーのソロ・デビュー作品『11の心象 11 Tracks of Whack』を共同でプロデュースしている。

この2人組によってスティーリー・ダンは新たな体系でより確固としたものとなり、スティーリー・ダンとしての新しい2つのアルバム『トゥー・アゲインスト・ネイチャー Two Against Nature』(2000年)と『エヴリシング・マスト・ゴー Everything Must Go』(2003年)やライブCD「アライヴ・イン・アメリカ Alive in America」、ライブコンサートDVDなどをリリースした。フェイゲンは2006年に3作目のソロ・アルバム『モーフ・ザ・キャット Morph the Cat』を、2012年10月には4作目のソロ・アルバム『サンケン・コンドズ Sunken Condos』をリリースしている。

2017年9月、同僚のウォルター・ベッカーが死去[4]。フェイゲンはスティーリー・ダンを継続し、以降も精力的に活動している[5]

ディスコグラフィ

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派生作品

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いずれもe-onkyoより

なおナイトフライは2011年にSuper Audio CDのハイブリッド版(WPCR-14170)として発売されている。

著書

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参考文献

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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