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ハートフォード侯爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハートフォード侯爵(第2期)

紋章記述

Arms:Quarterly: 1st and 4th, Sable on a Bend cotised Argent a Rose Gules between two Annulets of the first (Conway); 2nd and 3rd, quarterly: 1st and 4th, Or on a Pile Gules between six Fleurs-de-lis Azure three Lions of England (being the Coat of Augmentation granted by King Henry VIII on his marriage with Lady Jane Seymour); 2nd and 3rd, Gules two Wings joined in lure the tips downwards Or (Seymour) Crests:1st: the Bust of a Moor in profile couped at the shoulders proper and wreathed about the temples Argent and Azure (Conway); 2nd: out of a Ducal Coronet Or a Phoenix of the last issuing from flames proper (Seymour) Supporters:On either side a Blackamoor wreathed about the temples Or and Sable habited in short golden garments and in buskins gold adorned about their waists with green and red feathers each holding in his exterior hand a Shield Azure garnished Or the dexter charged with a Sun in Splendour gold and the sinister with a Crescent Argent
創設時期1793年7月5日
創設者ジョージ3世
貴族グレートブリテン貴族
初代初代侯フランシス・シーモア=コンウェイ
現所有者9代侯ヘンリー・シーモア英語版
相続人ヤーマス伯ウィリアム・シーモア
付随称号下記を参照。
現況存続
邸宅ラグリー・ホール英語版
モットーFide et Amore
(By Faith and Love)

ハートフォード侯爵英語: Marquess of Hertford)は、イギリス侯爵位。

過去に二回創設されており、現存するハートフォード侯爵位はサマセット公爵シーモア家の分流である初代ハートフォード伯爵フランシス・シーモア=コンウェイ1793年グレートブリテン貴族爵位として叙されたのに始まる。本稿では前身のハートフォード伯爵位についても触れる。

歴史

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第1期ハートフォード伯

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ハートフォード伯爵位の最初の創設は、1138年頃にギルバート・ド・クレア英語版(-1153)イングランド貴族として叙されたものである。4代ハートフォード伯ギルバート・ド・クレア英語版(?-1230)は、1217年に伯父から5代グロスター伯爵を継承しており、以降ハートフォード伯爵位はグロスター伯爵位と一緒に継承されたが、7代ハートフォード伯・8代グロスター伯ギルバート・ド・クレア英語版1314年6月24日バノックバーンの戦いで戦死した際に後継者が絶えて廃絶した[1]

第2期ハートフォード伯と第4期サマセット公

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ついでヘンリー8世の三番目の王妃ジェーン・シーモアの兄にあたるエドワード・シーモア (1506–1552) が、1537年10月18日に2期目のハートフォード伯爵位(イングランド貴族)に叙せられた。彼は1547年1月に即位した甥の幼王エドワード6世の摂政として権勢をふるい、1547年2月16日にはサマセット公爵に叙せられた。しかし政敵の初代ノーサンバーランド公爵ジョン・ダドリーとの政争に敗れ、1552年1月22日大逆罪で処刑され、爵位は剥奪された[2][3]

第3期ハートフォード伯と第1期ハートフォード侯

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初代伯(第3期)エドワード・シーモア

初代サマセット公の息子であるエドワード・シーモア (1539–1621)1559年1月13日に新規にハートフォード伯爵に叙されたのが3期目の創設である[4]

その孫である2代ハートフォード伯ウィリアム・シーモア (1587–1660) は、1640年6月3日ハートフォード侯爵(イングランド貴族)に叙せられ、さらに1660年9月13日には曾祖父の爵位サマセット公爵位の復権を認められている[3]

しかしこの第1期のハートフォード侯爵位は4代サマセット公ジョン・シーモア (1646以前-1675)(3代ハートフォード侯・4代ハートフォード伯)が死去した際に継承者が絶えて廃絶した。ハートフォード伯位の方も7代サマセット公・7代ハートフォード伯アルジャーノン・シーモア (1684–1750) が死去した際に継承者がなく廃絶している(サマセット公爵位は初代公爵に遡っての分流である第6代準男爵エドワード・シーモアに継承された)[3]

現存の第4期ハートフォード伯と第2期ハートフォード侯

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初代ハートフォード侯フランシス・シーモア=コンウェイ
侯爵家邸宅であるラグリー・ホール英語版

4代準男爵エドワード・シーモア英語版(8代サマセット公を継承する6代準男爵の祖父)が後妻レティシア・ポパムとの間に儲けた次男フランシス・シーモア (1679–1732) は、1699年に母の叔母の嫁ぎ先であるコンウェイ子爵(コンウェイ伯爵英語版)コンウェイ家の家名を加えて「シーモア=コンウェイ (Seymour-Conway) 」と改名した。そして庶民院議員を務めた後の1703年3月17日ラグリーのコンウェイ男爵(イングランド貴族)、1712年10月16日コンウェイ=キルルター男爵アイルランド貴族)に叙せられた[5][6]

その息子である第2代コンウェイ男爵フランシス・シーモア=コンウェイ (1718–1794) は、駐フランス大使アイルランド総督などを務め、1750年8月3日ハートフォード伯爵ビーチャム子爵1793年7月5日ハートフォード侯爵ヤーマス伯爵英語版に叙せられた(すべてグレートブリテン貴族[7][8]。これによりハートフォード侯爵家が生まれ、以降彼の男系男子によって継承されていく[7]

初代侯の息子である2代侯フランシス (1743–1822) は、1807年に勅許を得て後妻の家名を加えて「イングラム=シーモア=コンウェイ (Ingram-Seymour-Conway) 」に改姓している。しかしその息子である3代侯フランシス英語版(1777–1842) は改姓していない[7][9]

3代候の息子である4代侯リチャード英語版(1800–1870) には子供が非嫡出子リチャード・ウォレス英語版しかなく、爵位を継承させられなかった(リチャード・ウォレスは新規で準男爵に叙せられている)[7][10]。しかし4代侯は集めた美術品の多くをこの非嫡出子に遺しており、これらはウォレス・コレクションと呼ばれた[7]

一方ハートフォード侯爵位は初代侯にさかのぼっての分流であり、コンウェイを家名にしていないフランシス・シーモア英語版(1812–1884) に継承された[7]

その孫である7代侯ジョージ英語版(1871–1940)エドワード・シーモア英語版(1860-1931)1923年に第16代サマセット公爵位を継承した際に、エドワードの曽祖父とその妻は正規の結婚関係ではなく、したがってエドワードは庶子の子孫にあたるのでサマセット公爵位の継承権がなく、公爵位を継ぐべきは自分であると主張した。この論争と調査は長く続き、貴族院にも持ち込まれたが、2年後にハートフォード侯の主張は退けられ、エドワードの16代サマセット公爵位継承が確定している[11]

2016年現在の当主はその孫である9代侯ヘンリー・シーモア英語版(1958-)である[7]

本邸はウォリックシャーオルスター英語版ラグリー・ホール英語版。家訓は「信頼と愛によって (Fide et Amore) 」[7]

現当主の保有爵位

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現当主の第9代ハートフォード侯爵ヘンリー・シーモア英語版は以下の爵位を保有している[7]

  • 第9代ハートフォード侯爵 (9th Marquess of Hertford)
    (1793年7月5日勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • 第9代ハートフォード伯爵 (9th Earl of Hertford)
    (1750年8月3日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • ノーフォーク州における第9代ヤーマス伯爵英語版 (9th Earl of Yarmouth in the County of Norfolk)
    (1793年7月5日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位) ※法定推定相続人儀礼称号
  • 第9代ビーチャム子爵 (9th Viscount Beauchamp)
    (1750年8月3日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • ウォリック州におけるラグリーの第10代コンウェイ男爵 (10th Baron Conway, of Ragley in the County of Warwick)
    (1703年3月17日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
  • アントリム県におけるキルルターの第10代コンウェイ=キルルター男爵 (10th Baron Conway and Killultagh, of Killultagh in the County of Antrim)
    (1712年10月16日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)

一覧

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ハートフォード伯 第1期 (1138年)

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ハートフォード伯 (第2期;1537年)

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ハートフォード伯 (第3期:1559年)

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ハートフォード侯 (第1期;1641年)

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  • 2代サマセット公・初代ハートフォード侯・2代ハートフォード伯ウィリアム・シーモア (1587–1660)
  • 3代サマセット公・2代ハートフォード侯・3代ハートフォード伯ウィリアム・シーモア (1651–1671)
  • 4代サマセット公・3代ハートフォード侯・4代ハートフォード伯ジョン・シーモア (-1675)
    • 1675年の彼の死とともにハートフォード侯位(第1期)廃絶

ハートフォード伯 (第3期 :1559年)

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コンウェイ男爵 (第2期;1703年)

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ハートフォード伯 (第4期;1750年)

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ハートフォード侯 (第2期 ;1793年)

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家系図

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ Heraldic Media Limited. “Hertford, Earl of (E, c.1138 - 1314)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月6日閲覧。
  2. ^ 森護 1987, p. 60-61.
  3. ^ a b c Heraldic Media Limited. “Somerset, Duke of (E, 1546/7)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月6日閲覧。
  4. ^ Heraldic Media Limited. “Hertford, Earl of (E, 1558/9 - 1750)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月6日閲覧。
  5. ^ Heraldic Media Limited. “Conway, Baron (E, 1702/3)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月6日閲覧。
  6. ^ Lundy, Darryl. “Francis Seymour-Conway, 1st Baron Conway of Ragley” (英語). thepeerage.com. 2016年1月6日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i Heraldic Media Limited. “Hertford, Marquess of (GB, 1793)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2020年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月6日閲覧。
  8. ^ Lundy, Darryl. “Francis Seymour-Conway, 1st Marquess of Hertford” (英語). thepeerage.com. 2016年1月6日閲覧。
  9. ^ Lundy, Darryl. “Francis Seymour-Ingram, 2nd Marquess of Hertford” (英語). thepeerage.com. 2016年1月6日閲覧。
  10. ^ Lundy, Darryl. “Richard Seymour-Conway, 4th Marquess of Hertford” (英語). thepeerage.com. 2016年1月6日閲覧。
  11. ^ 森護 1987, p. 80-82.

参考文献

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  • 森護『英国の貴族 遅れてきた公爵』大修館書店、1987年(昭和62年)。ISBN 978-4469240979 

関連項目

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